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  • 分裂した世におけるクリスチャンのもてなし
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
塔96 10/1 14–19ページ

分裂した世におけるクリスチャンのもてなし

「したがって,わたしたちにはこのような人々を暖かく迎える務めがあります。それは,わたしたちが真理における同労者となるためです」― ヨハネ第三 8。

1 創造者は極めて望ましいどんな賜物を人類に与えてこられましたか。

「人間にとって,食べ,飲み,歓ぶこと,そして,まことの神が日の下で彼らにお与えになった命の日の間,その骨折りのうちに歓びが彼らに伴うことに勝るものは日の下に何もない」。(伝道の書 8:15)古代のヘブライ人の召集者はこのように述べて,エホバ神がご自分の創造物である人間に,喜びにあふれ,幸福であるようにとただ望むだけでなく,そのために必要な備えも設けておられることを示しています。人間の全歴史を通じ,どこの人々にも見られる共通の願いは,愉快に過ごすこと,また楽しい時を持つことのようです。

2 (イ)人間はエホバが人類のために意図された物事をどのように悪用してきましたか。(ロ)それはどんな結果になっていますか。

2 今日わたしたちは,人々がひたすら快楽や楽しく過ごすことを求める享楽主義の社会に住んでいます。大方の人は,聖書の予告のとおり,「自分を愛する者,……神を愛するより快楽を愛する者」となっています。(テモテ第二 3:1-4)言うまでもなく,これはエホバ神が意図された事から見ればひどくゆがんでいます。楽しく過ごそうとすること自体が目的になると,あるいは自分の欲求を満足させることだけが目標になると,そこに真の満足感はなく,『すべてはむなしく,風を追うようなものになり』ます。(伝道の書 1:14; 2:11)そのため,この世界は,欲求不満の孤独な人々であふれ,それが社会の多くの問題の元ともなっています。(箴言 18:1)人々は互いに対して不信感を抱くようになり,人種,民族,社会的立場,経済事情などによって分裂しています。

3 どうすれば真の喜びや満足を味わえますか。

3 もし人が他の人を扱うエホバの方法に見倣ったなら,つまり親切で,寛大にし,暖かくもてなすなら,物事は大いに違っていることでしょう。エホバが明らかにしておられるとおり,真の幸福の秘けつは自分の欲求を満足させようとすることにあるのではありません。むしろ,「受けるより与えるほうが幸福である」という点にかぎがあります。(使徒 20:35)真の喜びや満足を味わうには,自分を閉じ込める囲いや壁を乗り越えなければなりません。そして,共にエホバに仕えている人たちを親しく知ろうとしなければなりません。「したがって,わたしたちにはこのような人々を暖かく迎える務めがあります。それは,わたしたちが真理における同労者となるためです」という助言に留意することが肝要です。(ヨハネ第三 8)事情の許す限り,ふさわしい人たちを暖かくもてなすことには二面の益があります。つまり,与える人と受ける人双方の益になるのです。では,「暖かく迎える」べき人の中にどんな人たちがいるでしょうか。

『孤児ややもめを世話しなさい』

4 エホバの民に属する人々の間にも家族関係のどんな変化が見られますか。

4 安定した家族や幸せな結婚生活は,今日まれになっています。世界全域での離婚率の上昇と未婚の母の増加が,伝統的な家族の姿を大きく変えました。そのため,近年エホバの証人になった人々の中にも,片親のいない家族の人が少なくありません。それらの人は,配偶者と離婚または別居したか,親が一人しかいない家族で生活しています。加えて,イエスの予告どおり,イエスの教えた真理によって分かたれている家族も少なからずあります。―マタイ 10:34-37。ルカ 12:51-53。

5 イエスは,分かたれている家族の人に励ましとなるどんなことを言われましたか。

5 新しい人が真理の側にしっかり立つのを見ると,心に熱いものを感じます。そうした人たちを慰めるために,励みとなるイエスのこの約束に注意を向けることがよくあります。「あなた方に真実に言いますが,わたしのため,また良いたよりのために,家,兄弟,姉妹,母,父,子供,あるいは畑を後にして,今この時期に百倍を,すなわち家と兄弟と姉妹と母と子供と畑を迫害と共に得,来たらんとする事物の体制で永遠の命を得ない者はいません」― マルコ 10:29,30。

6 どうすればわたしたちと共にいる「孤児ややもめ」の『兄弟,姉妹,母,子供』となることができますか。

6 では,この「兄弟と姉妹と母と子供」とはだれのことでしょうか。王国会館で兄弟姉妹と呼び合う,時には100人を超す人々を見るだけで,この人たちはわたしの兄弟,姉妹,母,子供なのだという気持ちが自然にわいて来るわけではありません。次の点を考えてください。弟子ヤコブが諭すとおり,崇拝をエホバに受け入れていただくためには,『孤児ややもめをその患難のときに世話し,また自分を世から汚点のない状態に保た』なければなりません。(ヤコブ 1:27)それは,経済的な誇りや階級的優越感といった世の態度に倣ってそのような「孤児ややもめ」に対する同情の扉を閉ざしてはならない,という意味です。むしろ率先してそのような人たちに交友やもてなしを差し伸べなければなりません。

7 (イ)「孤児ややもめ」を暖かくもてなす真の目的は何ですか。(ロ)クリスチャンとして人をもてなすことはどんな人もできますか。

7 「孤児ややもめ」をもてなすといっても,物質面の不足を埋め合わせることがいつも関係しているわけではありません。片親家族あるいは宗教面で分かたれている家族であれば必ず金銭面で困窮している,というわけではないのです。しかし,健全な交わり,家庭的な雰囲気,様々な年齢の人たちとの交わり,霊的に良いものを分かち合う関係 ― こうしたことは生活の中の大事な側面です。ですから,その集いをどれほど手の込んだものにするかではなく,愛と一致の霊こそ大切であることを覚えていれば,すばらしいことに,時には「孤児ややもめ」のほうが仲間のクリスチャンをもてなすことさえできるのです。―列王第一 17:8-16と比較してください。

わたしたちの間に異国の人がいますか

8 エホバの証人の多くの会衆でどんな変化が見られますか。

8 わたしたちは大規模な人口移動の起きている時代に住んでいます。「世界中で1億人を超える人々が自分の国ではない所に住んでおり,2,300万人が自分の国の中で流浪を余儀なくされている」と,ワールド・プレス・レビュー誌は述べています。その直接の結果として,多くの地域,とりわけ大きな都市では,かつては大半が一つの人種もしくは同じ国籍の人で構成されていたエホバの民の会衆にも,今では世界の様々な場所から来た人が含まれるようになっています。あなたの住んでおられる所でもそうかもしれません。では,言語,習慣,生活様式などの異なる,それら世で言う“外国人”や“異国の人”をどう見るべきでしょうか。

9 わたしたちは,クリスチャン会衆に入って来る“外国人”また“異国の人”に対する見方に関し,注意しないとどんな重大な落とし穴に陥ってしまいますか。

9 率直に言って,わたしたちは多少とも外国人嫌いの傾向から,ともかく自分たちはよその土地やいわゆる異教の国から来た人たち以上に真理を知る特権に恵まれていて当然だ,と考えるようであってはなりません。また,それら新しく来た人たちのゆえに王国会館その他の施設が自由に使えなくなっている,と考えるべきでもありません。使徒パウロは,そのような見方をしていた1世紀当時の一部のユダヤ人のクリスチャンに,実際にはだれも自分が恵まれて当然と言える人はおらず,だれにとっても救いが可能になったのはただ神の過分のご親切による,という点を思い起こさせなければなりませんでした。(ローマ 3:9-12,23,24)わたしたちは,これまで種々の妨げのために良いたよりを聞く機会のなかった非常に大勢の人にも今や神の過分のご親切が及んでいることを歓ぶべきです。(テモテ第一 2:4)これらの人々に対する親愛の情が純粋であることをどのように示せるでしょうか。

10 自分たちの間にいる“異国の人”を本当に暖かく迎えたいと思っていることをどのように示せますか。

10 わたしたちは,「神の栄光となることを目ざしつつ,キリストがわたしたちを迎え入れてくださったように,あなた方も互いを迎え入れなさい」というパウロの訓戒に従うことができます。(ローマ 15:7)出身国や背景が違うと往々にして不利な立場に置かれることを理解し,できる時にはそのような人に親切や気遣いを示すべきです。彼らをわたしたちの中に迎え入れ,一人一人を『自分の土地に生まれた者のように』扱い,『これを自分自身のように愛する』べきです。(レビ記 19:34)そうするのは簡単ではないかもしれませんが,次の助言を忘れないなら,立派に行なえるでしょう。「この事物の体制に合わせて形作られるのをやめなさい。むしろ,思いを作り直すことによって自分を変革しなさい。それは,神の善にして受け入れられる完全なご意志を自らわきまえ知るためです」― ローマ 12:2。

聖なる者たちと分け合いなさい

11,12 (イ)古代イスラエルで,(ロ)1世紀に,エホバのある僕たちに対してどんな特別の配慮が払われましたか。

11 配慮ともてなしを受けるに真にふさわしい人々の中に,わたしたちの霊的な福祉のために骨折って働く円熟したクリスチャンたちがいます。エホバは古代イスラエルの祭司やレビ人のために特別な備えを設けました。(民数記 18:25-29)1世紀のクリスチャンも,特別な立場で仲間に仕える人たちを顧みるよう勧められました。ヨハネ第三 5節から8節の記述は,初期クリスチャンの間にあった堅い愛のきずなをうかがわせています。

12 年老いた使徒ヨハネは,会衆を訪問するために遣わされた旅行する兄弟たちに対してガイオの示した親切心やもてなしの精神を高く評価しました。それまでガイオは,この書簡を携えて行ったと思われるデメテリオをはじめそれら兄弟たちとは会ったことがなく,知り合ってはいませんでした。しかし彼らは,「[神の]み名のために……出かけた」ゆえに,暖かく迎えられました。ヨハネはそのことをこう述べています。「したがって,わたしたちにはこのような人々を暖かく迎える務めがあります。それは,わたしたちが真理における同労者となるためです」。―ヨハネ第三 1,7,8。

13 今日わたしたちのうちの特にどんな人々は「暖かく迎える」にふさわしいと言えますか。

13 今日,エホバの組織内には,仲間の兄弟全体のために精力的に努力している人たちが大勢います。例えば,旅行する監督は,来る週も来る週も諸会衆を築き上げるために時間と精力を費やしています。宣教者は,家族や友人を後にして異国の地で宣べ伝えています。ベテル・ホームや支部事務所で奉仕している人は,世界的な宣べ伝える業を支援するために自発的に奉仕しています。また,開拓奉仕に携わっている人は,自分の時間と精力の主な部分を野外宣教に費やしています。基本的に言って,それらの人は皆,自分の栄光や利得のためではなく,クリスチャンの兄弟仲間やエホバへの愛のゆえに骨折って働いているのです。これらは,魂のこもったその専心のゆえに見倣うに値する人々であり,「暖かく迎える」のがふさわしいと言えます。

14 (イ)忠実な人たちをもてなすときわたしたちはより良いクリスチャンになる,と言えるのはなぜですか。(ロ)イエスがマリアは「良いもの」を選んだと言われたのはなぜですか。

14 「このような人々を暖かく迎える」とき「真理における同労者となる」,という点を使徒ヨハネは指摘しました。結果として,わたしたちはある意味でより良いクリスチャンになります。なぜなら,クリスチャンの業には仲間の信者に善を行なうことも含まれているからです。(箴言 3:27,28。ヨハネ第一 3:18)別の面でも報いがあります。マリアとマルタがイエスを自宅に迎えたとき,マルタは接待する者としてできるだけのことをしようとイエスのために「多くのこと」を準備しました。マリアはもてなしの精神を別の方法で示しました。「主の足もとに座って,ずっと彼の言葉を聴いていた」のです。イエスは,「良いもの」を選んだとしてマリアをほめました。(ルカ 10:38-42)長年の経験を持つ人たちとの会話や語り合いは,多くの場合,共に過ごした夕べの一番良い思い出となります。―ローマ 1:11,12。

特別な集いの時に

15 エホバの民にとってどんな特別な集いは幸福な一時となりますか。

15 真のクリスチャンは世間一般の習慣に従ったり世の祝祭日を守ったりはしませんが,それでも互いに交友を楽しむために集まり合う色々な機会があります。例えば,イエスはカナでの婚宴に出席し,初めての奇跡をそこで行なうことによりその場の喜びに寄与されました。(ヨハネ 2:1-11)今日でもエホバの民は同じような特別な集いの折に幸福な時を共に過ごします。そして,ふさわしい祝賀や楽しい雰囲気がそのような催しの喜びを増し加えます。では,ふさわしいのはどんなことでしょうか。

16 特別な集いの時にも保つべき正しい振る舞いの指針としてどんなものがありますか。

16 わたしたちは聖書研究を通して何がクリスチャンにふさわしい振る舞いかを学んでおり,どんな時にもそれに従います。(ローマ 13:12-14。ガラテア 5:19-21。エフェソス 5:3-5)集まりが結婚式にちなむものであれ他の理由のものであれ,社交的な集まりだからといって,クリスチャンの規準を放棄したり,普通ならしないような事をしたりしてよいわけではありません。また自分たちの住んでいる土地の習慣すべてに従う務めがあるわけでもありません。そうしたものの多くは,偽りの宗教的慣行や迷信に基づいており,クリスチャンとして明らかに容認できない行為の関係しているものもあります。―ペテロ第一 4:3,4。

17 (イ)カナの婚宴がよく組織され,適正に監督されていたことは,どんな点に示されていますか。(ロ)イエスがその集いを是認しておられたことはどうして分かりますか。

17 ヨハネ 2章1節から11節までを読むと,その時の集いが手の込んだもので,かなり大勢の客の来ていたことがすぐに分かります。しかし,イエスと弟子たちは『招かれた』客でした。イエスの一行のうち少なくとも幾人かは主人役の人の親族だったと思われるにしても,ただちょっと立ち寄っただけというわけではありませんでした。また,そこには「給仕の」者たちや,何を出し,何をするべきかについて指揮をとる「幹事」がいたことも注目できます。このすべては,その催しがよく組織され,適正に監督されていたことを物語っています。この記述は,イエスがその宴席で行なった事柄によって「ご自分の栄光を明らかにされた」という陳述で終わっています。仮にそれが騒々しい乱痴気パーティーだったとしたら,イエスはその集いでそうされたでしょうか。いいえ,行なわれなかったに違いありません。

18 何か社交上の催しをするときはどんなことを真剣に考えなければなりませんか。

18 では,自分が主人役となる何かの特別な集いについてはどうでしょうか。他の人たちを暖かくもてなす目的はわたしたちすべてが「真理における同労者となる」ことである,という点を覚えていたいと思います。ですから,ある催しを“証人たちの”集まりと銘打つだけでは十分ではありません。それは自分たちがだれで,何を信じているかを実際に証しするものだろうか,と自問してみるとよいでしょう。決してそのような集いを,趣向の面で世と張り合い,「肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかす」点でどこまでできるかを試す機会などと見るべきではありません。(ヨハネ第一 2:15,16)むしろ,そうした集いは,エホバの証人としてのわたしたちの役割を正しく反映するものでなければならず,行なう事柄が確実にエホバの栄光また誉れとなるようにすべきです。―マタイ 5:16。コリント第一 10:31-33。

『愚痴を言うことなく暖かくもてなしなさい』

19 「愚痴を言うことなく互いを暖かくもてな(す)」必要があるのはなぜですか。

19 世の状態が引き続き悪化し,人々がますます分裂してゆく中にあって,わたしたちは真のクリスチャンの間にある親密なきずなを強化するために,自分にできることをすべて行なう必要があります。(コロサイ 3:14)そのためには,ペテロが勧めているとおり,「互いに対して熱烈な愛」を抱いていなければなりません。さらにペテロは実際的な言い方で,「愚痴を言うことなく互いを暖かくもてなしなさい」と述べています。(ペテロ第一 4:7-9)わたしたちは兄弟たちを暖かくもてなすことに進んで率先しているでしょうか。親切にし,助けになろうと努めているでしょうか。それとも,そのような機会に直面すると愚痴を言うでしょうか。もしそうなら,得られるはずの喜びを無にし,善行の報いとなる幸福をも逸しているのです。―箴言 3:27。使徒 20:35。

20 今日の分裂した世にあって人を暖かくもてなすことを実践する人の前途にはどんな祝福がありますか。

20 仲間のクリスチャンと密接に働き,互いに親切にし,暖かくもてなすなら,限りない祝福がもたらされます。(マタイ 10:40-42)そうする人たちに対してエホバは,「彼らの上にご自分の天幕を広げ(る)。彼らはもはや飢えることも渇くこともな(い)」と約束しておられます。エホバの天幕の中にいることは,エホバからの保護やもてなしを受けることです。(啓示 7:15,16。イザヤ 25:6)そうです,エホバからのもてなしを永久に受ける見込みは今や実現するのです。―詩編 27:4; 61:3,4。

説明できますか

□ 真の喜びや満足を味わうために何を見過ごしてはなりませんか

□ 「孤児ややもめ」とはどんな人のことですか。それらの人をどのように「世話」すべきですか

□ わたしたちの間にいる“外国人”や“異国の人”をどう見るべきですか

□ 今日どんな人たちは格別の配慮を受けるにふさわしいと言えますか

□ 特別な集いはどのように真のもてなしの精神を反映するものであるべきですか

[16,17ページの図版]

祝いに集うとき,異国の人,父親のいない子供,全時間奉仕に携わっている人,他の客などを暖かくもてなすことができる

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