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  • エホバに属する,忠誠を保つ人々に連なる
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1986
塔86 7/1 23–28ページ

エホバに属する,忠誠を保つ人々に連なる

「わたしは,自分の忠誠のうちに歩みます。……わたしは集合した群衆の中でエホバを賛美するのです」― 詩編 26:11,12。

1,2 (イ)キリスト教世界のある宗教団体はどのようにして支持者を得ていますか。(ロ)イエスはどのような教え方を用いられましたか。(マタイ 11:28-30)

エホバのクリスチャン証人としてエホバに献身したことの象徴として,1985年には18万9,800名の人々がバプテスマを受けました。これは一日平均520人に相当する数です。それらの人々は皆,どのようにしてバプテスマを受ける決意をしたのでしょうか。大掛かりな宣伝集会に出席し,感情に訴える説教者の話を聴き,それからキリストに関して何らかの感情的な決定を下したのでしょうか。プロテスタントと福音主義教会の一部の宗教団体ではそのようにしています。しかしこれは,キリストが支持者を得る際にお用いになる方法でしょうか。

2 イエスの公の伝道活動を注意深く調べてみても,イエスが人の感情を操った記録などは見いだせません。例えば,イエスは,合唱隊や歌で聴衆の気を引こうとされたでしょうか。あるいは巧妙な心理学を用い,聴衆に罪の強迫観念を植え付けてから,財布の中を探らせるようなことをされたでしょうか。むしろイエスの教え方は,人々に考えさせ,推論させるものでした。その話を聴いていた人々の大半はユダヤ人だったので,すでにヘブライ語聖書の予備知識を持っていました。それでイエスは,彼らがそれまでの知識に基づいて推論し,ご自分をメシアとして認めることができるようにされました。―マタイ 5-7章。ルカ 13:10-21。

3 パウロが自分の教えによって単に人の感情をかき立てたりしなかったことは,どのように分かりますか。

3 同様にパウロは,ある人々からは話す能力が欠けているとみなされてはいても,物事を推論する能力に訴えました。(使徒 20:7-9。コリント第二 10:10; 11:6)パウロはこのように書きました。「兄弟たち,わたしは神の情けによってあなた方に懇願します。あなた方の体を,神に受け入れられる,生きた,聖なる犠牲として差し出しなさい。これがあなた方の理性による神聖な奉仕です。……思いを作り直すことによって自分を変革[「あなたの思いの態度全体が変化するように」,フィリップス訳]しなさい。それは,神の善にして受け入れられる完全なご意志を自らわきまえ知るためです」― ローマ 12:1,2。

4 エホバの証人としてバプテスマを受けられるようになるには,その前にどんな段階を踏んでいなければなりませんか。

4 今日でもそれと同じく,バプテスマを受けるのは,バプテスマ,つまり完全に水に浸されるという厳粛な段階に至る前に,注意深く聖書を研究し,聖書について推論した人々です。(使徒 17:11,12)そのような人々の決定は,性急で感情的なものではありませんでした。それどころか,バプテスマを認めてもらう前に,エホバ神,およびキリスト・イエスを通して実現される神の目的に関する正確な知識を得るため,定期的にクリスチャンの集会に出席してきました。(ヘブライ 10:25)また,クリスチャン宣教に定期的に参加し,王国の良いたよりを他の人々に分け与えてきました。(使徒 5:42。コリント第一 9:16)そしてバプテスマに先立つ最後の数週間には,キリスト教の教えと振る舞いに関する120余りの質問について会衆の幾人かの長老と注意深く復習し,裏付けとなる幾百もの聖句を熟考してきました。そのすべては,それらの人たちがバプテスマの前に,是認された,忠誠を保つ人々となるために行なわれました。―使徒 8:34-36。a

バプテスマによって生じる重大な変化

5 バプテスマを受けることによって,人はどんな行動の仕方と一体化することになりますか。

5 バプテスマを受けることによって何が成し遂げられるのでしょうか。まず第一に,自分をキリスト・イエスと一体化させることになります。キリスト・イエスはかつて地上で生活した人のうち,忠誠を保たれた最も偉大な方でした。イエスご自身,年齢がおよそ30歳の時にバプテスマを受けて模範を示されました。(ルカ 3:21-23)後日イエスは,世界中で人々を教えてバプテスマを施すよう,追随者たちに命じられました。(マタイ 28:19,20)しかしイエスは,弟子たちが人々の現在の行状を不問に付し,だれにでも見境なくバプテスマを施すべきである,と言われたのでしょうか。

6,7 (イ)キリストの真の追随者には何が求められますか。(ロ)聖であることは何を意味しますか。

6 使徒ペテロは正しい見解を示し,「あなた方自身もすべての行状において聖なる者となりなさい。なぜなら,『あなた方は聖なる者でなければならない。わたしは聖なる者だからである』と書かれているからです」と,記しています。(ペテロ第一 1:15,16)では,献身したクリスチャンにとって,「聖なる」者になるとはどういう意味ですか。

7 W・E・バインの「新約聖書用語解説辞典」によれば,ギリシャ語のハギオス(「聖なる」と訳される)は,「基本的には,分離されていること……したがって,聖書では,霊的また道徳的な意味において,罪から分離されていること,またそれゆえに神に対して聖別されていることを意味する」とのことです。別のギリシャ語学者は,「それは,神に似た特色を持つことである」と述べています。この理解からすると,真のクリスチャンとしてバプテスマを受ける人には高い規準が求められることになります。それは忠誠に関する規準です。そして忠誠とは,『道徳上の価値規準[クリスチャンの場合にはキリストの価値規準]の体系に断固として付き従うこと』です。―ヨハネ 17:17-19; 18:36,37。

8 (イ)初期のクリスチャン会衆には,行状に関するどんな規準が行き渡っていましたか。(ロ)キリスト教世界はその規準に従ってきましたか。地元で生じた出来事から例を挙げてください。

8 真のクリスチャン会衆は常に忠誠を強調し,清い組織を維持してきました。例えば,パウロは初期クリスチャンたちに,「兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,交友をやめ,そのような人とは共に食事をすることさえしないように……。『その邪悪な人をあなた方の中から除きなさい』」と命じました。(コリント第一 5:9-13。ヨハネ第二 10,11)キリスト教世界の僧職者は忠誠に関するそのような高い規準を信者に適用してきたでしょうか。キリスト教世界は,あらゆる種類の由々しい罪や犯罪を常習的におかす人々を,消極的もしくは積極的な教会員として受け入れています。聖書の原則には,何でも許容するそのような態度を受け入れる余地はありません。―エレミヤ 8:5,6,10と比較してください。

9 多くの人を献身とバプテスマへ引き寄せているものは何ですか。

9 まさに,エホバの証人の間に見られるこの高い規準のゆえに,真理と忠誠を愛する人々は宇宙の主権者なる主エホバ神に献身するように引き寄せられます。(ハバクク 3:18,19)彼らは,この世のさまざまな宗教団体が示す行状とエホバの証人の行状とが明確な対照を成していることに気づきます。大多数の人々が清い崇拝を軽視しているのは確かです。(ペテロ第一 4:3,4)しかし,忠誠を愛する人々は,幾千人また幾千人と真理に心を向けるようになっています。水のバプテスマに快く応じて,神とその規準に対する愛を示しているのです。―マルコ 1:10; ヨハネ 3:23; 使徒 8:36と比較してください。

愛と忍耐に基づく忠誠

10 クリスチャンが忠誠を保つために何が求められますか。

10 忠誠には代価が求められます。イエスは自分の追随者になるよう人々を招いた時にその点を明確にされました。「わたしに付いて来たいと思うなら,その人は自分を捨て[「自らをあとにして」,新英訳聖書],自分の苦しみの杭を取り上げて,絶えずわたしのあとに従いなさい」。(マルコ 8:34)クリスチャンの忠誠の歩みには試みと犠牲が伴います。しかもキリストの場合と同じ理由でそれらが伴うのです。つまり,わたしたちには共通の敵,サタンがいるということです。(エフェソス 6:11,12)ですから,「絶えず」イエスに従うためには忍耐が求められます。その理由で,献身は軽々しく決定すべき問題ではありません。一時的な気まぐれで決めてはならないのです。ところが,少数ながら,バプテスマを受けてから数か月,あるいは数年もたたないうちに真理を捨てる人たちがいます。これをどのように説明できるでしょうか。

11 ある人々が忠誠の歩みを続けなかったことには,どんな理由があると思われますか。

11 恐らく,ある人々は,理性より感情の勝った精神状態でバプテスマに取り組んだのかもしれません。結果を早く見たがり,自己中心的で短い期間だけの献身をしてしまった人もいることでしょう。理由はどうであれ,それらの人たちはエホバとの強力な関係を失いました。模範となっておられるイエス・キリストを「一心に見つめ」なかったのです。(ヘブライ 12:1,2)その結果,神に対する愛は弱まり,忠誠はつかの間で終わってしまいました。では,愛が非常に肝要な要素となるのはなぜですか。なぜなら,愛だけが,エホバへの永続的な献身の確固たる基盤だからです。―マルコ 12:30,31。ヨハネ第一 4:7,8,16; 5:3。

忠誠の費用を計算する

12 バプテスマの前に取るべき賢明な道とは何ですか。

12 イエスは,弟子たちが費用を計算せず,盲目的に従ってくるようには勧められませんでした。このように諭しておられます。「あなた方のうちのだれが,塔を建てようと思う場合,まず座って費用を計算し,自分がそれを完成するだけのものを持っているかどうかを調べないでしょうか」。そうです,分別のある人なら,自分の将来の行動の仕方を注意深く考慮します。クリスチャンの献身とバプテスマに関する全責任を受け入れる前に,自分の動機を確認していなければなりません。そのあとイエスは,それが何を意味するかを示し,「このように,確かにあなた方は,自分の持ち物すべてに別れを告げないかぎり,だれもわたしの弟子になることができません」という結論を述べられました。―ルカ 14:28-33。

13 イエスの教えの真髄が愛であるとすれば,自分の家族を『憎むこと』について語られたイエスは,何を言おうとされたのですか。(マタイ 22:37-40)

13 エホバへの献身には,魂のこもった忠誠を示して神のご意志を行なうことが求められます。人間や所有物が,神に対するその人の愛にすり替わるようなことは許されないのです。そのようなわけでイエスは,「わたしのもとに来て,自分の父,母,妻,子供,兄弟,姉妹,さらには,自分の魂をさえ憎まないなら,その人はわたしの弟子になることはできません」と言われました。(ルカ 14:26)では,自分自身の家族,また自分自身をさえ憎むことについて語られたイエスは何を言おうとされたのですか。イエスは,敵をさえ愛するようにと追随者たちに教えたのですから,ここではどんな意味で憎むという語を使われたのでしょうか。(ルカ 6:27,35)この場合の憎しみには,少なく愛するという考えが含まれています。―マタイ 12:46-50と比較してください。

14 人がエホバの証人になると,友人や親族の中にどのような反応を示す人がいるかもしれませんか。(ヨハネ 15:18,19)

14 確かに,人がエホバのクリスチャン証人になると,だれが自分の真の友であるかがすぐに分かります。中には,自分で何かの宗教をきちんと実践しているわけではないのに,元の宗教を捨てたことを盾に取り,エホバの証人を避けたり,村八分のようにしたりする人がいるかもしれません。しかしイエスは,何を失うとしても,それを埋め合わせるものがあることを約束して,「わたしのため,また良いたよりのために,家,兄弟,姉妹,母,父,子供,あるいは畑を後にして,今この時期に百倍を,……来たらんとする事物の体制で永遠の命を得ない者はいません」と言われました。―マルコ 10:29,30。

15 ある人々がエホバの証人を蔑視するのはなぜですか。

15 場合によっては,献身と忠誠の歩みのゆえに,他の人々から見て名声を持たない者とされることもあるでしょう。(コリント第一 4:12,13)一体どうしてそのようなことがあるのでしょうか。なぜなら,今あなたが実践している宗教は,“尊敬に値する”とはみなされないからです。(マルコ 2:15,16と比較してください。)結局,“家から家を回り,宗教のことで他の人々を煩わせる”のは,尊敬に値することではないとされるのです。国家主義や愛国主義の問題に関する中立の立場を放棄せず,刑務所に入るのは尊敬に値することではないというのです。(ヨハネ 18:36)現在のエイズ禍に接して一部の人々は状況を再考しているとはいえ,聖書で訓練された良心のゆえに輸血を拒むのは尊敬に値することとはされないのです。―使徒 15:28,29; 17:6,7; 24:5と比較してください。

16 わたしたちは,忠誠を保つよう,どのように助けられていますか。

16 クリスチャンの忠誠の道は狭く,試みとなりますが,わたしたちにはいつでも活用できる助けがあります。(マタイ 7:13,14)ですからパウロは,「自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです」と言うことができました。(フィリピ 4:13)その力は,絶えざる祈りを通して,神のみ言葉の研究を通して,クリスチャン会衆との交わりを通して得られます。バプテスマを受けた,忠誠を保つ者として,わたしたちは神が与えてくださる力のおかげで忠実と忠節を保つことができます。―エフェソス 4:11-13; 6:18。詩編 119:105。

忠誠を保つ歩みのもたらす益

17 バプテスマはどんな祝福につながると言えますか。

17 献身とバプテスマという段階は,数多くの祝福へとつながります。その一つは,以前よりも多方面にわたる,満足のゆく宣教が行なえるようになることです。将来には補助開拓者として奉仕する見込みがあり,場合によってはその後に正規,また特別開拓者の活動,宣教者の奉仕,巡回や地域の仕事,ベテル奉仕などに入ることもできます。(26ページの囲み記事をご覧ください。)バプテスマを受けた兄弟には,奉仕の僕として,やがては長老として奉仕する道が開けます。しかし,これらのどの祝福を得るにも,同じ基本的なもの,つまり忠誠が求められます。―テモテ第一 3:1-10。

18 献身の生活は,わたしたちが接する他の人々にどのような影響を与えるはずですか。

18 献身と忠誠の生活のもたらす益は広まり,他の人々にも影響を及ぼします。キリストの模範にきちんと従うなら,人はより良い夫や妻,より良い父親や母親になります。(ペテロ第一 2:21。エフェソス 5:21-33; 6:4)若い人たちは,親・教師・会衆の長老たちとの良い関係を培うようになります。(テトス 2:6,7)バプテスマを受けたクリスチャンであれば,だれもがより良い隣人,従業員,雇用者になります。(マタイ 22:39。エフェソス 6:5-9。テトス 2:9,10)それに加えて,クリスチャン各人はキリストのように,他の人にとってさわやかな仲間にならなければなりません。まさにイエスが言われた通りです。「わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう」― マタイ 11:29。

19 献身の段階を踏むことから生じる,別の大きな益は何ですか。

19 献身とバプテスマの段階を踏むことに伴う大きな益は,創造者との平和な関係を得ることです。そこから思いの平安が得られます。パウロの諭しにある通りです。「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」― フィリピ 4:6,7。

20 (イ)「神の平和」は何に基づいていますか。(ロ)バプテスマを受ける人にはどんな機会が開けますか。

20 「神の平和」は,イエスの模範と犠牲に関する深い理解に基づいています。キリストに関するこの知識は,多くの人を真の悔い改めと行動の徹底的な変化,つまり罪から『身を転じること』へと導きます。(使徒 3:19,20)その結果,献身した人たちは,詩編作者のように,「わたしは,自分の忠誠のうちに歩みます。……わたしは集合した群衆の中でエホバを賛美するのです」と言います。(詩編 26:11,12)神への献身の象徴として水のバプテスマを受ける人は,世界中の,エホバに属する,忠誠を保つ人々に連なるのです。(ペテロ第一 2:17)さらにその人は,「真の命を……とらえ」つつあります。それは,エホバがキリスト・イエスを通して約束された永遠の命です。―テモテ第一 6:19。テトス 1:2。

[脚注]

a 「ものみの塔」誌1985年6月1日号の29-31ページには,バプテスマのふさわしい手順の概略と,バプテスマの話の終わりにバプテスマ希望者に提出される二つの質問が示されています。

どのように答えますか

□ 初期クリスチャンは最初,キリストと使徒たちから教えられた真理にどのように引き寄せられましたか

□ 聖であることは個々のクリスチャンおよび会衆とどのように関連していますか

□ 忠誠は何に基づいていなければなりませんか

□ 忠誠の費用を計算することには何が関係していますか

□ 忠誠を保つことにはどんな益がありますか

[26ページの囲み記事]

全時間宣教の特権

補助開拓者: バプテスマを受けた奉仕者で,宣べ伝える活動に一月最低60時間を費やす。

正規開拓者: バプテスマを受けた奉仕者で,宣べ伝える活動に毎月平均90時間を費やす。

特別開拓者: バプテスマを受けた奉仕者で,宣教に毎月少なくとも140時間を費やす。生活必需品の経費として,毎月少額の手当が支給される。特別開拓者は普通,孤立した群れや,小さな会衆に割り当てられる。

ギレアデの宣教者: バプテスマを受けた奉仕者で,外国での奉仕のために,ものみの塔ギレアデ聖書学校で訓練を受ける。宣教に毎月最低140時間を費やす。

巡回および地域監督: 宣教や集会において兄弟たちを築き上げることを目的として,会衆や巡回区を訪問する旅行する長老。野外奉仕で多くの時間を費やす。

ベテル奉仕: 全世界のものみの塔協会の支部事務所および印刷工場の全時間の奉仕者によって行なわれている。

[24ページの図版]

バプテスマは,忠誠を保つ…

[25ページの図版]

…宣教への道を開く

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