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  • 塔08 12/15 27ページ–29ページ 13節
  • ヨハネおよびユダの手紙の目立った点

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  • ヨハネおよびユダの手紙の目立った点
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2008
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2008
塔08 12/15 27ページ–29ページ 13節

エホバの言葉は生きている

ヨハネおよびユダの手紙の目立った点

西暦98年にエフェソスで書かれたと思われる,使徒ヨハネの三つの手紙は,霊感を受けた聖書の最後のほうにあります。最初の二つの手紙は,光の中を歩み続け,忍び寄る背教と闘うようクリスチャンを励ましています。三つ目の手紙の中でヨハネは,真理のうちを歩むことについて述べているだけでなく,協力し合うようにとクリスチャンたちに勧めています。

イエスの異父兄弟ユダは,おそらく西暦65年にパレスチナで書いた手紙の中で,会衆に忍び込んだ邪悪な者たちについて仲間のクリスチャンに警告しています。また,どうすれば悪い影響力に抵抗できるかに関して助言を与えています。ヨハネの三つの手紙とユダの書簡に含まれる音信に注意を払うなら,障害に面しても強い信仰を保つよう助けられます。―ヘブ 4:12。

光の中を,愛と信仰のうちに歩み続ける

(ヨハ一 1:1–5:21)

キリストと結びついている兄弟たち全体にあてて書かれた,ヨハネの一つ目の手紙は,クリスチャンに健全な助言を与えています。それは,背教に立ち向かい,真理と義を擁護する点で確固とした立場を保つ助けとなります。ヨハネは,光の中を愛と信仰のうちに歩み続ける必要性を強調しています。

「神ご自身が光の中におられるのと同じように光の中を歩んでいるなら,確かにわたしたちは互いに分け合う者となっている」と,ヨハネは書いています。そして,神は愛の源であられるゆえに,同使徒は「これからも互いに愛し合ってゆきましょう」と述べています。わたしたちは「神への愛」に促されて『そのおきてを守り行ない』,エホバ神とみ言葉とみ子に対する「わたしたちの信仰」によって世を征服します。―ヨハ一 1:7; 4:7; 5:3,4。

聖句についての質問に答える:

2:2; 4:10 ― イエスはどういう意味で「なだめの犠牲」ですか。なだめると訳されている言葉には,「和める」あるいは「満たす」という意味があります。イエスは,自分の命を与えることによって完全な公正の要求を満たしたという意味で,なだめの犠牲となりました。その犠牲に基づいて,神は憐れみを差し伸べることができ,イエスに信仰を働かせる人々の罪を赦すことができます。―ヨハ 3:16。ロマ 6:23。

2:7,8 ― ヨハネが「古い」また「新しい」と述べているのはどのおきてですか。ヨハネは自己犠牲的な兄弟愛に関するおきてについて述べています。(ヨハ 13:34)イエスの述べたそのおきてが「古い」とされているのは,ヨハネが霊感のもとに最初の手紙を記す60年余り前に与えられたからです。したがって,信者たちはそのおきてをクリスチャンとしての歩みの「初めから」持っていました。このおきてが「新しい」とも言われているのは,『仲間を自分自身のように愛する』以上の自己犠牲的な愛を求めているからです。―レビ 19:18。ヨハ 15:12,13。

3:2 ― 油そそがれたクリスチャンに『まだ明らかにされていない』事柄とは何ですか。彼らはどなたの「あるがままを」見ますか。油そそがれたクリスチャンに明らかにされていないのは,霊の体で天に復活させられる時にどのようになるかということです。(フィリ 3:20,21)しかし,『神が現わされる時にその方のようになること』は知っています。「霊」なるその方の「あるがままを見るからです」。―コリ二 3:17,18。

5:5-8 ― 水と血と霊は,『イエスが神の子である』ということをどのように証ししましたか。イエスが水のバプテスマを受けた時,エホバご自身がイエスをみ子として是認したことを表明されたので,水は証しをするものとなりました。(マタ 3:17)イエスの血,つまり「すべての人のための対応する贖い」として与えられた命も,イエスが神の子であることを示しました。(テモ一 2:5,6)聖霊は,イエスのバプテスマの際にイエスの上に下った時,その方が『善いことを行ないながら,また悪魔に虐げられている者すべてをいやしながら,国じゅうを回る』ことを可能にし,イエスが神の子であることを証ししました。―ヨハ 1:29-34。使徒 10:38。

学べる教訓:

2:9-11; 3:15。クリスチャンは,兄弟愛が何かによって,あるいはだれかによって損なわれるままにするなら,自分がどこへ行くのかを知らずに霊的な闇の中を歩んでいることになります。

『真理のうちを歩み』続ける

(ヨハ二 1-13)

ヨハネは二つ目の手紙を,「年長者から,選ばれた婦人とその子供たちへ」という言葉で始めます。そして,「[その婦人]の子供のうちのある者たちが,……真理のうちを歩んでいる」のを知ったことについて,喜びを表わします。―ヨハ二 1,4。

愛を培うようにとの励ましを与えた後,ヨハネはこう書きます。「彼のおきてにしたがって歩んでゆくこと,それがすなわち愛です」。さらに,「欺く者,反キリスト」について警告します。―ヨハ二 5-7。

聖句についての質問に答える:

1,13 ―「選ばれた婦人」とはだれのことですか。ヨハネは,ギリシャ語で「婦人」を意味するキュリアという一人の女性に言及しているのかもしれません。あるいは,迫害者たちを混乱させるために比喩を用いて,ある特定の会衆にあてて書いているとも考えられます。その場合,婦人の子供たちは会衆の成員ということになり,「[婦人]の姉妹の子供たち」は別の会衆の成員を指すことになります。

7 ― ヨハネはここで,イエスがいつ「来られた」ことについて述べていますか。欺く者たちはどういう意味でそのことを「告白しない」のですか。ヨハネは,将来イエスが目に見えない様で来られることを言っているのではありません。イエスが肉体で来られ,キリストとして油そそがれたことについて述べています。(ヨハ一 4:2)欺く者たちは,そのことを告白しません。イエスが地上に存在したことを否定したり,聖霊で油そそがれたことを認めなかったりするのです。

学べる教訓:

2,4。「真理」― 聖書の一部となったキリスト教の教え全体 ― を知り,それを堅く守ることは,救われるために不可欠です。―ヨハ三 3,4。

8-11。「父なる神および父のみ子イエス・キリストからの過分のご親切,憐れみ,そして平和」,また仲間の信者との温かな交友を失いたくないなら,霊的な面で「自分自身によく気をつけ」,「キリストの教えにとどまらない」者たちを退けなければなりません。―ヨハ二 3。

「真理における同労者」となる

(ヨハ三 1-14)

ヨハネの三つ目の手紙は,友人のガイオにあてられています。「わたしの子供たちが真理のうちを歩みつづけていると聞くこと,わたしにとってこれほど感謝すべきことはありません」と,ヨハネは書いています。―ヨハ三 4。

ヨハネは,訪問する兄弟たちを援助する点でガイオが『忠実な働きをしている』ことを褒め,こう述べています。「わたしたちにはこのような人々を暖かく迎える務めがあります。それは,わたしたちが真理における同労者となるためです」。―ヨハ三 5-8。

聖句についての質問に答える:

11 ― ある人たちが悪いことを行なうのはなぜですか。ある人たちは霊性が欠けているため,理解の目で神を見ません。文字どおりの目で神を見ることができないので,神に見られていないかのように行動します。―エゼ 9:9。

14 ―「友人たち」と呼ばれているのはだれですか。ここで言われている「友人たち」とは,単に親しい間柄の人たちだけではありません。ヨハネは仲間の信者全般を指して,その言葉を使っています。

学べる教訓:

4。会衆内の霊的に円熟した人たちは,若者たちが「真理のうちを歩みつづけている」のを見ると大きな喜びを感じます。また,霊的な思いを持つよう子供を助けることができた親は,この上ない喜びを味わうでしょう。

5-8。エホバと仲間への愛に動かされて,兄弟たちのために骨折って働く人の中には,旅行する監督,宣教者,ベテル奉仕者,開拓者がいます。見倣うに値する信仰を示しているそのような人たちを温かく支えましょう。

9-12。わたしたちは,よこしまな言葉でしゃべって中傷する者となったデオトレフェスではなく,忠実なデメテリオの模範に倣うべきです。

「自分を神の愛のうちに保ちなさい」

(ユダ 1-25)

ユダは,会衆に入り込んでいる『つぶやく者,自分の境遇について不平を言い,自らの欲望のままに進む者』について述べています。その者たちは「大げさなことを語りながら,……人物を称賛しています」。―ユダ 4,16。

クリスチャンはどうすれば悪い影響力に抵抗できるでしょうか。ユダはこう書いています。「愛する者たちよ,……わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが以前に語ったことばを思い出しなさい」。さらに,「自分を神の愛のうちに保ちなさい」とも述べています。―ユダ 17-21。

聖句についての質問に答える:

3,4 ―「信仰のために厳しい戦いをする」よう,ユダがクリスチャンたちに促したのはなぜでしたか。それは,『不敬虔な者たちが会衆に忍び込んでいた』ためでした。それらの者たちは「神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変え」ていました。

20,21 ― どうすれば『自分を神の愛のうちに保つ』ことができますか。次の三つの方法でそうすることができます。(1)神の言葉を勤勉に研究し,宣べ伝える業に熱心に携わることにより,「極めて聖なる信仰」の上に自らを築き上げる。(2)「聖霊をもって」祈る,つまり聖霊の影響力に調和した祈りをささげる。(3)永遠の命を可能にする,イエス・キリストの贖いの犠牲に信仰を働かせる。―ヨハ 3:16,36。

学べる教訓:

5-7。邪悪な者はエホバの裁きを逃れられるでしょうか。ユダが挙げている,警告となる三つの例によれば,逃れることはできません。

8-10。わたしたちはみ使いの頭ミカエルの模範に倣い,神の立てた権威に敬意を払うべきです。

12。水の下の隠れた岩が船や泳いでいる人にとって危険なように,愛を持っているふりをする背教者はわたしたちの信仰を脅かします。偽教師は寛大に見えるかもしれませんが,霊的に空っぽであるという意味で水のない雲のようです。それらの者たちは,晩秋に死んでいる木のように実を結ぶことがなく,根こぎにされた木のように滅びに面します。ですから,背教者を避けるのは賢明なことです。

22,23。真のクリスチャンは悪を憎みます。「疑いを抱く者たち」を永遠の滅びという火の中から救うために,会衆内の円熟した人々,とりわけ任命された監督たちは,霊的な助けを差し伸べます。

[28ページの図版]

水と霊と血は,『イエスが神の子』であることを証しした

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