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    聖書に対する洞察,第1巻
    • 一方,ヨハネの幻の中では,野獣の印(または,彫り込み)を額や手に受けた人々が滅びを受ける立場にありました。額の印は彼らが野獣の崇拝者であり,したがってその奴隷であることを公に明らかにしました。こうして彼らは神に敵対する者であることが示されました。野獣はその権威を龍すなわち悪魔サタンから受けたからです。手は業を成し遂げるために使われるので,手の印は野獣に対する活発な支持を表わしていると見るのは論理的です。―啓 13:1,2,16-18; 14:9,10; 16:1,2; 20:4。

  • 崇拝
    聖書に対する洞察,第1巻
    • ギリシャ語のプロスキュネオーは,敬意をささげる,また時には崇拝という考えを表わす語で,ヘブライ語のヒシュタハワーにかなり厳密に対応しています。プロスキュネオーという語は奴隷が王に敬意をささげる行為(マタ 18:26),またサタンが世のすべての王国とその栄光をイエスに差し出した時にサタンが条件として要求した行為(マタ 4:8,9)に関連して用いられています。イエスが悪魔に敬意をささげていたなら,イエスはその行為によってサタンへの服従を表わし,自分自身を悪魔の僕としていたことでしょう。しかしイエスはそれを拒み,「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝[ギリシャ語プロスキュネオー,またイエスが引用しておられた申命記の記述の中では,ヘブライ語ヒシュタハワーの変化形]しなければならず,この方だけに神聖な奉仕[ギリシャ語ラトレウオーまたはヘブライ語アーヴァドの変化形]をささげなければならない』と書いてあるのです」と言われました。(マタ 4:10; 申 5:9; 6:13)同様に,「野獣」とその「像」を崇拝し,それらに敬意をささげ,身をかがめることも奉仕と結び付けられています。それらの崇拝者たちは,自分の手(仕えるときに用いる)または額(すべての人の目につく)に印があることによって,「野獣」とその「像」の支持者であることが見分けられるからです。悪魔は野獣に自分の権威を与えているので,野獣を崇拝することは,実際には悪魔を崇拝すること,もしくは悪魔に仕えることを意味します。―啓 13:4,15-17; 14:9-11。

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