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  • 公けに述べる私たちの希望をしつかりと保つ
    ものみの塔 1955 | 4月1日
    • て幸福に感じます。真理に新しいならば,あなたの理解の進歩を見て,心からよろこびを感じます。

      17 他の聖書研究者の聞くところで,『自由に語り』間違つた考えが言われるとき,全部の人はみなどのように益を受けますか?

      17 自分の考えを述べることは,実際的でもあり,また必要なことです。語り始める,あるいは書き始める,つまり考えを伝えて始めてやつとその信ずることを真実に知るからです。自分の考えを述べないならば,その考えは形に表われることがなく,他人やまた自分自身にも益を与えません。ある人は言い訳をして,話しをしても正しくない誤つた答えをするからと言います。間違いをするという理由で,あなたは黙つていますか? 間違いをすることさえも,あなたの益になるものです。どのように? そのときに,他の人が正しい答えをなし,それに加えて司会者は自分の考えを述べて,正しい答を指摘し,それから最後にその節が読まれ,質問の答が完結されます。すこしのあいだ,恥ずかしく思うかもしれませんが,あなたは信ずることを会衆に述べました。間違つてはいましたが,会衆の他の成員と一緒に研究し,また自分の考えを述べることにより,その間違いを見出しました。黙つていたならば,その間違いを知らなかつたでしよう。いまこそ,あなたの考え方を変えるときです。頭に正しい考えを持とうと願い,あなたはいま悪い考えを変えて,正しい考えをその代りに入れました。ヱホバの崇拝者がヱホバの御目的を語る家から家の伝道をするとき,家の人に悪いことを語りたいと思う人は一人もいません。あなたの公けに述べるのを聞いて,兄弟たちはあなたのした間違いを訂正をし,力添えをいたしました。間違いを述べはしまいかなどと考えて,話すのをさし控えてはなりません。その間違いで,他の人の心に正しい答は強く浮き出るかもしれません。自己流の考えだけで,他の人に計りもせず,また自分の考えを他の人に述べないならば,決して自分を験すことはできません。それは,『自由に語る』価値を強調するものです。その理由で,『あなた方は信仰にいるのかどうか,いつたいどういう者であるのかどうかを調べ吟味し続けなさい。』という諭しをうけているのです。

      18 かんたんなどんなことをして,正確な知識およびそれをヱホバの御目的のために巧みに用いる力に成長しますか?

      18 ヱホバの制度にいて,私たちは進歩し増加し,成長しなければなりません。停止していることはできません。『ものみの塔』雑誌および同類のすべての出版物だけではなく,また会衆の僕,巡回の僕,そして地域の僕を通して,『ものみの塔』協会は,研究の必要性をつねに強調しています。真剣な研究は,やさしい仕事ではありません。しかし,それは幸福な結果を必らずもたらします。聖書を調べるには努力を要します。しかし,得たところの知識は生命を保証するとあなたは知つています。ヱホバ神とその御子を知ることは,永遠の生命を意味するとイエスは言われました。(ヨハネ 17:3)生命を欲する者は,生命の与え主ヱホバの言葉を聞かねばなりません。聖書に次の通り書かれているからです。『ほんとうにあなた方に言う。私の言葉を聞き,私を遣わされた方を信ずる者は永遠の生命を持ち,裁かれることがなく,死より生命に移つている。』(ヨハネ 5:24,新世)それで,永遠の生命は,御言葉を聞くことと,それからキリスト・イエスを遣わされた方は神である故に,ヱホバ神を信ずることによります。この信仰を持つことにより,私たちは死から生命に移ることができます。私たちの希望を公けに述べるために互いに集まることにより,私たちは学びつづけ円熟に成長し,進み続けます。

  • 「ヱホバに依り頼み,互に思いやりを持て」
    ものみの塔 1955 | 4月1日
    • 「ヱホバに依り頼み,互に思いやりを持て」

      1 ヱホバの円熟した証者には,どんな特質があり識別されますか?

      パウロはヘブル人に宛てて手紙を書き,キリスト・イエスについてより多くを知るようにと望みました。次のように書きました。『キリストについては,言いたいことがたくさんあるが,あなた方の耳が鈍くなつたため,説明するのが難しい。時間というものを考えてみると,あなた方は教師となつているべきなのに,神の聖言の初歩の原理を最初から教える人を必要としている始末である。あなた方は固い食物ではなく,乳を必要としている。乳を飲む者は幼児であるために,義の言葉を良く弁えない。しかし,かたい食物は成人,つまり善悪を見分ける感覚の力を働かして訓練された人に属するものである。』(ヘブル 5:11-14,新世)自分自身強壮なクリスチャンであつたパウロは,ヘブル人も進歩しその感覚力を用いるように望みました。真理に入つている時を考えてみると,彼らは教師になつているべきでしたが,自分の考えを述べて,他人を富まそうとは望まなかつたのです。安易な生活をし御言葉の乳だけを飲み,ヱホバの制度に始め

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