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現在の危難を叫ぶものみの塔 1955 | 6月1日
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つて予言されていました『終の日には非常に苦しい時が来るということを知りなさい。』いまの重要なことは,これら第二次的な危難でもつて真実の危難の幻を隠してはならないということです。実に危難自体,終の日のしるしにすぎません。悪魔は天から追い落されているために,『終の日』に予言された危難のいくらかは,飢饉とか,異常に多い地震とか,また世界戦争です。人々は多くの危難にうろたえて,『地上に来らんとする事柄を恐れて予期するために気を失う』であろうとイエスは言われました。多くの人々は,ハルマゲドンを恐れて,それを心配するであろうという意味でイエスは言われたのではありません。むしろ,戦争の危難や他のものの恐れで,人の心が動揺するというのがイエスの意味されたものでした。そのような危難は,その重大性を決して失いません。すなわち,ハルマゲドンの近づいていることを表し示しているということです。―テモテ後 3:1。ルカ 21:26,新世。
今日ただ一つの制度だけが,この真実の危難について叫んでいます。これはヱホバの証者の新しい世の社会です。いままでの長い年月のあいだ,ヱホバの証者は熱心に警告を発してきました。一方他のすべてのものは沈黙したままです。この沈黙というもの自体,偽りの宗教のしるしであります。聖書は偽りの宗教家たちを『唖なる犬』と呼んでいます。偽りの宗教家たちは,警告を叫ばないからです。『彼らは知ることなし。みな唖なる犬にして吠ゆることあたわず,みな夢みるもの,臥いるもの,眠ることをこのむ者なり。』― イザヤ 56:10,ア標。
欺かれてはなりません。原子の危難は,一番重要な問題ではないのです。それはハルマゲドンとくらべて小さな危難です。なぜ? ヱホバの御手によつて亡ぼされるものは,永遠に亡びてしまうからです。彼らは『ヱホバの殺し給う者』そして,『地の面に糞土とならん。』と述べられています。人間ではなくして,ヱホバを恐れねばならないのは,当然至極のことであります! キリスト・イエスはこう叫びました『体を殺しても,魂を殺すことのできない者たちを恐れてはならない。しかし,魂と体両方をゲヘナで亡ぼし得る方を恐れなさい。』この場合,生命の将来の権利を意味する『魂』を亡ぼすことのできる方はヱホバだけである故に,永遠の結果を持つ危難は人間やその武器からは来ることがありません。―エレミヤ 25:33。マタイ 10:28,新世。
真実の危難は近づいています。それを見誤らないで下さい。私たちは主の次の助言をいただいています。『あなた方の逃げるのが,冬または安息日にならないように祈り続けなさい。その時には,世の初めから今にいたるまで全然なく,又今後も二度と起らないような大きな患難が起るからである。』ハルマゲドンはいままでに一度も前例のなかつたものでありましよう! これからの将来に来るものも,それと比較できるものはありません。『冬または安息日』ではなく,いま逃げるようにとイエスが勧めておられるのはまつたく正しいことであります。ここの冬と安息日は,逃げるのに困難な時を表し示すもので,賢い人はその時までぐづぐづして後れることはありません。―マタイ 24:20,21,新世。
それで,是非ともいま,新しい世の神権組織制度に逃げましよう。悪しき世の制度を棄てなさい。新しい世の社会は形成されています。あなたの戸口に来るヱホバの証者は,新しい世の社会についてよろこんでもつと語るでしよう。その社会こそ,現在の真実の危難を叫んでいる唯一つの制度なのです。
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沖縄の神権的拡大(1955年ヱホバの証者の年鑑より)ものみの塔 1955 | 6月1日
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沖縄の神権的拡大(1955年ヱホバの証者の年鑑より)
心の謙遜な島人たちは,聖書に大きな興味を示しています。ギレアデを卒業した宣教者が日本から訪問したとき,この地の9名の伝道者は,公開集会に165名を集めました。
沖縄の一姉妹は,日本を訪問し,10月の大会に出席しました。後にその姉妹は開拓者奉仕に入りましたが,開拓者奉仕をするのに沖縄はすばらしいところと知つて,全く止めることができません。熱帯の夏のあいだでも,この姉妹は1月に172時間も奉仕し,246の再訪問をなし,毎週15の家庭聖書研究を司会し,しかも日本のどの開拓者や宣教者よりも多くの文書を配布しました。この未亡人の姉妹は,また9歳の男の子の面倒を良く見ており,良く躾けています。この子も又熱心に伝道し,集会に参加しています。
数ヵ月のあいだ,ヱホバの証者は『琉球の声』に無料の放送時間を持ち,1ヵ月に1度の放送が許されていました。他の宗教は別の週に放送していましたが,12月になつて他の宗教は異教の『クリスマス』を準備するのに忙しくなり,放送の準備を手抜きしました。業務部長はヱホバの証者にそれを埋め合わせ,丸1ヵ月全部宗教的な放送をしてはどうかと尋ねました。一般大衆は,その日本語の放送を聞き,よろこびました。
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