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「ヱホバに依り頼み,互に思いやりを持て」ものみの塔 1955 | 4月1日
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18 たしかにヱホバの証者は,現在すばらしい地位におります。ヱホバの証者は,古い世に起きている出来事を恐れず,すべての国をなやまし当惑させる厚い暗やみや,取巻く暗黒に心を乱しません。戦争や,戦争のうわさにも恐れません。その理由は,ヱホバの証者には希望があるからです。ヱホバの証者は,その成行を知つています。神の御言葉を読み,そして又学んだため,全く不平がなく,満足しており,確信を持つています。それで,公けに述べる私たちの希望をしつかりと持ち,詩篇記者の述べている人のようになろうではありませんか『悪しき音信を恐れず,その心ヱホバに依り頼みてかたし。』― 詩 112:7,ア標。
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彼らは恐れずものみの塔 1955 | 4月1日
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彼らは恐れず
1 ヱホバの証者の中で,恐れからの自由は何の結果を生じますか
ヱホバの証者は,生ける神ヱホバに全く確信しています。彼らはヱホバの指示を見,その奉仕をどのように援助しておられるかを,悟つています。彼らはヱホバの聖霊または活動力の支持をうけていると深く悟ります。ヱホバの制度の一致の強さを見,また互いに結合し御目的をなし行うのに非常によろこびます。ヱホバはともに居られると知る故に,ヱホバの証者は恐れていません。詩篇記者はこう言つています。『ヱホバはわが光,わが救なり。われ誰をか恐れん。ヱホバはわが生命のちからなり。わが恐るべきものは誰ぞや。われの敵われの仇なる悪しきもの襲いきたりてわが肉を食わんとせしが蹶きかつ仆れたり。たといいくさびと営をつらねて我を攻むるともわが心おそれじ。たとい戦闘おこりて我を攻むるとも我になすたのみあり。われ一つの事をヱホバに請えり我これをもとむ。われヱホバの美しきを仰ぎ,その宮をみんがために,わが世にあらん限りはヱホバの家に住まんとこそ願うなれ。』(詩 27:1-4)どのヱホバの証者もみな,ヱホバの家に永遠に住もうと願い,またヱホバの僕として自らを献身し,自分たちに関するヱホバの御意を十分に認めています。外部の影響にもかかわらず,ヱホバは何をするよう自分たちに求めておられたかを知つています。ヱホバと彼の御目的の知識をさらに取るのは正しい事であつて,永遠の生命の道であると知つており,またヱホバの奉仕のために生きるのを願うと知つて,彼らは他の何者をも決して恐れません。『誰を恐れようか?』と,彼らは問います。もし,人を恐れるならば,人の罠に落ちます。悪しき者や,降りかかる害を恐れるならば,罠に落ちます。しかし,ヱホバの側とその制度内にしつかりととどまり,ヱホバの民の会衆と密接にしていると,その敵が蹶き倒れ,そしてついには,いまごく近く迫つたハルマゲドンの戦争で永久に消え失せるのを見続けるでしよう。
2 ヱホバの証者の活動は共産主義の制度化された反対でどのように影響をうけますか?
2 いま『鉄のカーテン』の後ろでされているように,共産主義の全制度が地球全域に亙つてヱホバの民に敵対しようと,ヱホバの証者の心は恐れません。1954年度の報告の示すように『鉄のカーテン』の後ろにいて恐れを持たぬ者たちは,ヱホバ神への奉仕を止めていません。いまでもヱホバに従う奴隷であつて,共産主義ならぬ,ヱホバの御国を伝道します。たとえ彼らに不利の戦争が起きようと彼らはヱホバ神の保護を確信しています。
3 ヱホバの証者の振舞に,どんな願と決心はその基礎となつていますか?
3 ヱホバ神の真の証者は,毎日毎日,自分一人の時でも会衆と共の時でも,ヱホバの御言葉を研究し,つねに天にいる御父を求めて崇拝をささげ,毎日御父をほめ讃えたく願います。それはただ願うだけではなく,行います。そのことは,過去長年のあいだ,特に『ものみの塔』協会の1954年度の奉仕年度中ヱホバの証者のして来たところです。ヱホバの証者は悪魔の制度のこの世の政府の保護を求めて走らず,そこに安全を求めてはいません。偽りの宗教的な羊飼及び,高位と権勢を持つ政治的な羊飼,および強力な商業制度を有するこれらの政府は,人間に生命を与えることができません。ヱホバの証者はそのことを知つており,また神の御言葉を注意深く研究したために,生命は宇宙の最高支配者とその御子
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