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不平を取り除いて幸福を保つものみの塔 1955 | 6月15日
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た相続を得ることはできなかつたのです。彼らは荒野で死ぬことになりました。それと同じく,いま神の運営の仕方に不平を言う人々も,間近かに迫つている新しい世の祝福を得ることができず,そして現在の幸福をも失います。ヱホバは新しい世を不平家で充たしません。そのことは丁度その時代の全部の者が不平を言つたために約束の地に入れなかつたという予言的劇の示す通りでした。―民数紀略 13,14章。
18 将来を深く考えるとき,どんな行は愚かですか? これと関連して,誰の経験を想い起しますか?
18 新しい世の祝福を深く考えることは,心を躍ろかすものであり,口や筆で言い表わすことができません。かつて,昔象徴的に言われたように,新しい世は『乳と蜜の流る地』に必らずなるでありましよう。(民数 13:27)そのような輝かしい将来を前に持ちながら,この世に後戻りしようなどと考える人は,いつたいいるでしようか? 約束の地に入るその間際になつて,辛いことと困難に直面したため,イスラエル人の全員は泣き叫びましたが,いま彼らの経験を思い起して下さい。『それで全会衆は声をあげて叫び,人々はその夜中泣き叫んだ。イスラエルの子はみなモーセとアロンに不平を言い始め,全会衆は二人にむかつてこう言つた。「ああ私たちはエジプトの地で死ねば善かつたものを。荒野で死ねば善かつたものを。ヱホバはなぜ私たちをこの地に導いて,私たちを剣で倒させるのか。私たちの妻や子は掠奪されてしまうであろう。エジプトに戻る方が良いではないか?」互にこうまで言いました「一人の長を任命し,エジプトに戻ろうではないか」』― 民数紀略 14:1-4。
19 あらゆる民の中で,なぜヱホバの証者は不平を言わず幸福ですか?
19 不平を言うことは,イスラエル人の場合のように憫めな存在に導きます。ヱホバは御自身の今日の証者を悪い世の圧迫から救い出されたということを忘れないで下さい。ヱホバの証者はこの悪い世の恐れを恐れず,そのわずらいに加らず,その重荷の下で働きません。私たちもまた保護をうけており,すばらしい霊的な仕方で養われており,そして栄光に充ちる新しい世は私たちの目標であることを記憶いたしましよう。なにか不平を言いたいと強く感ずるならば,私たちの動機を調べ,そして泣き叫んだイスラエル人のしたように,ヱホバを度外視することのないようにしましよう。ヱホバは私たちを何処に導き,また御自分の制度をどのように運営されるかをたしかに知つておられ,それにはあり余るほど多くの証拠があります。制度にかたくつき従い,制度の指示を忠実に守る人々は,非常に幸福な満足した民であります。この見方を持ち,神がむかし御自分の民のために成しとげられたすばらしい事がらを常に心に留めましよう。私たちのために神が今日なされていることと,そして私たちのものである将来の明かるい前途を決して忘れません。これら幸福な考えを心に思いつつ,私たちの忠実をかたく守ろうと決心しております。それに,過去の出来事を考えてみるとき,あらゆる民のうちでヱホバの証者は不平を言う理由を持たない民であると結論いたします。まつたく,ヱホバの証者は,キリスト・イエスのしたごとく,『幸福な神』を反映しつつ,不平を言うことなく,幸福であります。
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徳を高めるものを追い求めよものみの塔 1955 | 6月15日
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徳を高めるものを追い求めよ
1 すべての人は幸福を欲していますが,クリスチャンには,なぜ他のすべての人よりも,物事の明るい面を見る理由があるのですか?
ヱホバは御自身の像にしたがつて人間を創造されている故に,すべての人は幸福になることを欲します。クリスチャンは一般の人よりは,より一層幸福な者であります。クリスチャンは,物事の明るい面をいつも見ていますが,それは当然の理由があるのです。クリスチャンだけが,真正なよろこびをもたらす良いたよりの真実の源を持つているのです。(マタイ 5:3; 24:14,新世)神を崇拝し,忠実に神への奉仕をするとき,現在および永遠の幸福をたしかに受けることができます。(ヨハネ 13:17。マタイ 7:24)神に善意な気持ちを持つ多くの人にとつて,その結果は地上における永遠の生命であり,果てしない祝福をうけることです。『なんじ御手をひらきてもろもろの生けるものの願望をあかしめたもう。ヱホバはそのすべての道に正しく,そのすべての御業にめぐみ深し。』― 詩 145:16,17。
2 私たちはヱホバの善に,どのように答え応ずることができますか?
2 私たちはみなヱホバの善にたいして,まつたくうれしく感じます。さらに,感謝の心を持ちつつ次のイエスの言葉を守ることができます。『受けるよりは与える方が幸福である。』(使行 20:25,新世)幸福な人々,つまり親しい態度を持つていて他の人をも,自分たちの幸福に参加させようと強く願う人々を,ヱホバは御自分の崇拝のうちに共に召し集めておられます。それらの人々の会話は徳を
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