日本 ― 1954年度の報告
日本にいるヱホバの証者にとつて,昨年は御国の良いたよりの伝道という点で素晴らしい1年でした。前年よりも多くの書物や冊子を配布しただけではなく,伝道者の数と比較してその配布された雑誌の数を見るとき,各伝道者は昨年中に250冊以上を配布したことが分ります。それは,一月に20冊以上の配布ということです。『ものみの塔』は,日本で全く広く配布されています。証者が人々の家を訪問するときに,『ものみの塔』は証者を助け,良い業をはたしています。日本は神社や偶像で充ちており,人々は理由も知らずにそれらの神社や偶像に崇拝しています。仏教寺院の多くの僧侶は,いま真理に耳を傾けており,支部の僕はこのことについて非常に興味深い経験談を述べています。東京の支部事務所は,沖縄や台湾の業をも管轄し,読者の皆さんのよろこばれて読む,その国々の報告も記されています。
まつたく,僧侶でさえも聖書を研究しています。一人の若い仏教の僧侶は,街頭で雑誌1部を求めました。数日後に,その僧侶は同じ伝道者がバスにいるのを見て,近づき次の号を求めました。日本人の開拓者の姉妹が,仏教寺院を訪問したところ,僧侶が『神を真とすべし』の本を持ち出したのにびつくりしました。僧侶は,古本屋で求めたものですが,始めから終りまで読み切つていました。その僧侶は,『ものみの塔』をすぐに予約し,また姉妹の持ち合わせた古い号の『ものみの塔』全部を求めて寄附いたしました。ある日,二人の宣教者は,仏教『日蓮宗』の寺院にある僧侶の家に証言しました。高位の僧侶は,その証言を非常に快く聞き,宣教者を中に招じ入れ,気持よくすぐに『神を真とすべし』を求めました。後日再訪問したときに,その僧侶は,39年間僧侶であつたが,自分の宗教に満足できないと述べました。家の中にある美しい祭壇から日蓮の偶像を取り出し,なにの敬意も示さずに上下にひつくり返し,『これは神でない』と言いました。使徒行伝 17章から,パウロの時代のアテネ人も知らない神を拝んでいたが,世界をつくつた神は手でつくつた宮には住まないということが指摘されました。真の神についてのその僧侶の研究を助けるため,毎週の研究が取り極められ,また『ものみの塔』の予約もしました。その僧侶は,地域大会に出席し,講演をよろこんで聞きました。
仏教の人々も又真理を学んでいます。仏教の主婦は,聖書研究を始めた頃の最初に,キリスト教は全然知らないと弁解していました。しかし,だんだん熱心になつて協会の文書を全部貪り読み,程なくして隣人ともどもにヱホバの証者になりました。祝祭用の紙装飾品を売る人が訪問したとき,その主婦は『いただきません。わたしの宗教はちがいます。』と叫びました。『でも,これは習慣で,皆さんしているのですよ。』と言つても,全然利き目はありませんでした。異教の習慣に従うのを拒絶することは,日本にいる多くの新しい御国伝道者の持つ真実の信仰を表わし示すものです。真理とともに備えられる,御目的の力に,彼らはヱホバに感謝しています。
ある一つの新しい会衆は,4人の宣教者の指導の下に,1年の中,11名から39名の伝道者に増加しました。8月の月半ばになつて,宣教者が休暇に行つたとき,わずか32名の伝道者が野外奉仕をしていました。それで,会衆の伝道者は忙しく働き,宣教者の戻つたときに驚きの報告をつくつて用意しました。それは,新しい最高数,42名の伝道者です。
『ものみの塔』の業についての例がここにあります。家の主人に2冊の雑誌が配布されましたが,しかし,再訪問してみると,興味を持つたのは主婦であることが分りました。その主婦は,もう20年以上も昔に日本語の『創造』の本を読んでいて,その音信に見覚えがありました。その当時には制度を見出すことが不可能でしたが,いまでは定規的に交るのによろこびを感じています。主婦が研究を再び始めて間もなく,『真のクリスチャンはどのように神に奉仕しますか?』という『ものみの塔』の記事を読みました。誰にも相談することなく,自分の家の近所を家から家に伝道し,それから駅の停留所に行き,1時間の街頭伝道をしました。『ものみの塔』は,この新しい御国伝道者に強い感化を与え,行動させました。
これは,別の新しい伝道者がどのようにして最初の研究を開いたかという話しです。雑誌の業に出かける途中,靴磨きのところに立ち止まつて靴を磨かせました。靴磨きに証言しようと努めたところ,つんぼと唖であるということが分りました。しかし,ものを書いて靴磨きと会話を続け,『躍進する新しい世の社会』の映画に招待しました。その靴磨きは友人をつれてきましたが,強い感銘をうけ,そしてその住んでいるつんぼと唖の寄宿合で研究が取り極められました。これはだんまりの研究で,七,八人の参加者は書いてその註解を答え,伝道者は書いて説明します。その新しい伝道者は,一番最初の研究で『善く教える』力あることを示し,最近には洗礼をうけました。
急速に拡大している開拓者奉仕について述べないならば,日本の報告は十分でありません。一人の若い姉妹は東京で真理を学び,後日日本の最南端にある故郷に帰り,そこで手筈をつけて,開拓者奉仕を始めました。その姉妹は,野外奉仕に毎月平均20時間以上を費す4人の伝道者で成り立つ新しいさかんな会衆を援助しています。別の若い開拓者は,混雑した汽車に乗つて大会から帰つて来ました。前に座つた人に文書を配布し,それから聖書研究を始めました。その人が汽車を降りて,別の人がその席を取つたとき,その開拓者はまたまた文書を配布して別の研究を始め,5時間の旅行の終りまでいたしました。最初の二人の日本人ギレアデ卒業生を迎えたことは非常にうれしいことです。二人はもう奉仕の際にすばらしい結果を示しています。
1955年度ヱホバの証者の年鑑より