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  • もてなしの道
    ものみの塔 1957 | 4月15日
    • つて来るなら,何が生じますか。

      19 その初めての人は,次のような独り言を言うでしよう,「もてなしなんか,ほとんどない。みなさんは,街頭で私が話かけたり,私の家に来る時には親切だ。だが,みなさんの中に行つてみると,私のことにすこしの注意をも示さない。おそらく,私の来るのを望んでいないのだ。もう来ない方が良いかも知れぬ。」ほんとうに,そのようなことは起り得るのです。起つたことがあるのです。あなたの会衆内に,そのようなことを起してはなりません。初めての人を歓迎するように気を配りなさい。或る兄弟たちが,生まれつき口重の方ならば,次のようにお尋ねするなら,初めての方にも容易に近づくことができます,『講演は如何でしたか。』又は『私たちの集会は,他の宗教制度の集会とは,ちがつてはいませんか。』もちろん,誰でも知つているもの ― 天候 ― のことを語ることに,なんのためらいをする必要もないでしよう。初めての人も,御国会館に一度行つてからは,もう初めての人ではなくなるはずです。あたかも兄弟であるように,その人を暖く受け入れなければなりません。『キリストも私たちを受けいれて下さつたように,あなたがたも互に受け』いれなさい。―ロマ 15:7,新口。

      20 『もてなしの道に従う』とは,どういう意味ですか。

      20 それで,私たちは使徒の命じた言葉,『もてなしの道に従いなさい。』を是非とも行わなければなりません。もてなしの道に『従う』ことは,もてなしをしたい,という気持を抱くこと以上のことを意味します。それは,もてなしを実際にすること,その道を追い求めること,気を配つて親切を行い,あらゆる機会を用いて『オリブ油と葡萄酒』を見知らぬ人の霊的な傷に注ぐことを意味します。しかし,豊かにせしめるこのもてなしの道は,見知らぬ人々のためだけのもの,と決して考えないで下さい。私たちの親切ともてなしによつて,兄弟愛を持つていることをも確かに示すことができるからです。『兄弟愛については,今さら書きおくる必要はない。あなた方は,互に愛し合うように神に直接教えられており,……しかし,兄弟たちよ。あなた方に勧める。ますます,そうしてほしい。』兄弟たちにたいして,もてなしの道に従うことにより,本当に『聖なる者たちと,その必要物に応じて』物を分ち合うことにより,私たちの愛を『ますます』示すことができます。―ロマ 12:13。テサロニケ前 4:9,10,新口。

  • 他の人々と物を分ち合う
    ものみの塔 1957 | 4月15日
    • 他の人々と物を分ち合う

      1 この世の人のもてなしと,クリスチャンのもてなしの違いを説明しなさい。

      クリスチャンのもてなしは,愛を表わし示します。この世の人のもてなしは,誇りを表わし示します。この二つのあいだには,非常に大きな相違があります。片方は,愛と親切の気持からなされます。他方は,誇りと利己主義の気持からなされます。この世の人々は,『見られるために人の前で』もてなしをします。そして,しばしば,お返しを心持ちにします。「あなたの御馳走に私を相伴にしてくれるなら,あなたに御馳走をふるまいましよう」というのが,実のないこの世のもてなしの中心の考えです。しかし,クリスチャンは,何とちがつているのでしよう! クリスチャンは,他の人々と物を分ち合いますが,それは誇りのためでもなければ,お返しを求めるからでもありません。それは,神と人に対する深い愛からなされるのです。それで,この世の人々は,持物のある人に分け与えますが,クリスチャンは,隣人にせよ,兄弟にせよ,その人を考えて分け与えます。生命を持つすべての人が,

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