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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
塔59 10/1 363ページ

生命は価値ある物

機械がこわれるなら,修理することができます。光が消えれば,再びつけることもできます。しかし,誰が生命のない体を修理することができますか。誰が生命の火をふたたび点火することができますか。人間の力に関するかぎり,生命を一度失つたならば取り戻すことはできません。生命が終るなら,再び生き返すことは人間の力では不可能です。この事実から,生命はいちばん価値のあるものということが分ります。

生命の創造者は,次の律法を定めたとき,生命の価直を強調しました,『だれでも,人を撃ち殺した者は,必ず殺されなければならない。』(レビ 24:17,新口)神の与えたこの律法は,人殺しの持つているものの中で,最も価値のあるもの ― 彼自身の生命を要求しました。

現代の世界は,人間の生命の価値を軽く見なしています。殺人があると,殺人者はたいへんな努力をかけて探し出され,逮捕されると罰を受けます。しかし,政治支配者たちが戦争を宣言すると,人間の生命に対する尊敬はなくなります。全くの無関心のうちに生命は滅ぼされてしまいます。生命というものは,特定な状況のときだけ尊敬を受けるべきですか。世界の緊張に応じて価値が変化する株式市場の品物のように,生命を見なすべきですか。

人間の生命に対するこの世の態度に嫌悪を感ずるある人々は,生命を崇拝すべきものと考えねばならぬ,という極端な立場を取つています。有名なアルバート・シュバイツアーは,1958年11月号の「アトランチック」誌内の一記事でその見解を述べました。彼は次のように語つています。『生命について考察するとき,私は自分の身のまわりにある生きようとする意志が自分の生きる意志と同等であり,不可思議の価値があるものと尊敬したい。善の基本的な理念は,生命を保つこと,生命を大事にすること,生命を最高の価値にあげたいと欲することにある。悪は生命を滅ぼすこと,生命を害すること,その生長を阻止することにある。生命を崇拝するというこの原則は,愛の原則に相当する。』生命に高い価値を置くことは正しいものです。しかし,崇拝は生命の大いなる源ヱホバ神に属するものであつて,生命そのものに属しません。

現代のこの時代の遊興は,生命の価値を低めるような物語りに依存しています。それでは,神が人間の生命の上に置こうと思われる価値について,人々はどのように学ぶことができますか。これは,生命に対する尊敬を建ておこす道ですか。

現代の世界は,流血に飢えています。そして核爆発により大量殺人の脅威が加わつています。しかし,それにもかかわらず,ヱホバ神が地の住民をして平和のうちに生活せしめ,人間の生命に対する最高の尊敬を持たせる時が来るでしよう,『わが聖き山のいずこにても,害うことなく,やぶることなからん。そは水の海をおおえるごとく,ヱホバを知るの知識地にみつべければなり。』― イザヤ 11:9。

[363ページの囲み記事]

知恵を求めて得る人,悟りを得る人はさいわいである。その右の手には長寿があり,左の手には富と,誉がある。その道は楽しい道であり,その道筋はみな平安である。知恵は,これを捕える者には命の木である。これをしつかり捕える人はさいわいである。―箴言 3:13,16-18。

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