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  • 1冊の本としての聖書の統一性
    ものみの塔 1959 | 10月15日
    • 1冊の本としての聖書の統一性

      聖書の確実性と,聖書が神の本であることを証拠づける,聖書の内的証拠はたくさんありますが,聖書が1冊の本として統一をもつていることはそのうちのひとつです。この点に関連して,オーという学者は,彼の著書「旧約聖書に関する問題」の中で,次のような鋭い意見を述べています。

      『この事に関して,私たちがまず痛感しなければならぬことは,この本には,すぐれた意味において「統一」があるということだと思う。もう一つの観点から見れば,聖書はもちろん1冊の本ではなく,ジェロームが「神の図書」と呼んだごとく,多くの本の集まりである。そして異なつた量が,異つた方法で蓄積されて1冊となつたのである。聖書を構成する書物は,少なくとも千年間にわたつて書かれた。にもかかわらず,これらの書物を一緒にすると,構造的に1冊の本となる。つまり統一と完成を人の心に感じさせるところの,初まりと中間と終りをもついわゆる「聖書」となるわけである。

      『どんな批評にも影響されない聖書のこの特色 ― 批評家の批評が細部にわたればわたる程,又その批評を広範囲に流布すればする程,聖書はますます立派な本であるという結果 ― は他のものとの対照によつて最もよく説明される。というのは,キリスト教だけが世界の唯一の宗教でもなければ,聖書だけが,聖なる書物を集めた本として現存しているのではないからである。さまざまな宗教の多くの聖典がある。マホメット教徒はコーランを,仏教徒は仏教の経典を,ゾロアスター教徒はゼンドアベェスタを,バラモン教徒は吠陀<ベイダ>を持つている。この事実から見ても,相当数の宗教が,「聖典を持つ宗教」としてのグループに入る。これらの聖典は,信頼のおける翻訳によつて,われわれにでも分るようになつているので,われわれは,聖書とこれらの聖典を比較して見ることができる。

      『しかし,聖書が,文学的な面においてさえも,これら他の聖典よりはるかにすぐれていることはいうまでもないが,バビロンや吠陀のすぐれた賛歌,またはゾロアスター教のゴタなどと,ヘブル語の詩篇との力や雄大さを比較したり,また仏教の大げさなロリタ・ビスタラと,キリスト教の簡潔で,美しくて,自制的な福音とを比較することができ,またして見ようと思う人は多くいないと思うので,― われわれは,この一点つまり一貫性という点にだけ注意を向けて見よう。異教徒の聖典で,統一を見出そうとしてもそれは空しいことである。たとえばコーランなどは,全く関連のない書物のごたまぜであつて,この本からは,秩序も進展も,配列も引き出すことができない。この本を構成する114のスラもしくは章は,主に,長さの順にならべられていて,普通長い章が短い章の先にきている。ゾロアスター教や仏教の経典といえども例外ではない。これらも同様に,初まり,中間,終りという順序に欠けている。これらは,その大部分が,異種の書物をいいかげんに寄せ集めたものである。

      『聖書はまた何という相違であろう! これは,すべての人が認めなければならぬ。創世記から黙示録まで,この本が真の意味の統一をもつているのをわれわれは感ずる。これは,断片集ではなくて,いわば有機的な性質を持つている。そしてはじめから終わりまでのことを告げる一貫した一つの物語である。われわれは目前に進展しているあるものを見る。計画あり,目的あり,進展あり,最後は最初に戻つて来る。そして全部が終わる時にわれわれは再び,神が最初の創造のわざを全部終えてそれをよしと見られたのと同じように感ずるのである。このことは,非常に外面的な聖書の見方のようにとれるかも知れないが,それでもすこぶる重要なことなのである。そして,聖書を比類のない本としてわれわれの前に置いてくれる。あらゆる文学作品の中をさがしても,聖書と全く類似しているものは一つもなく,また近よれるものさえない。聖書の意味を理解するためには,どうしても聖書の各部分の断片的な意味の背後にまで進んで,全体の基礎をなす統一された思想と目的にふれなければならない。聖書の統一性は,人為的につくられたものではない。……聖書に書かれている歴史は,事件の単なる記録ではなくて,その背後にある神の御旨を啓示する計画,目的,目標を表わすものである。』

  • 「最後の夏」
    ものみの塔 1959 | 10月15日
    • 「最後の夏」

      1934年に書かれた「最後の夏」という本の中で,ボリス・パスタナックは1914年の夏について次のように言及しました,「それは生活が各個人に注意を払つたように見えた最後の夏,そして憎むよりも愛する方がはるかに容易で自然であつた最後の夏だつた。」

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