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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1961
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耳ざわりになりますか

ニューヨーク市のイースト・リバーを見おろすオフィスの中で,ある青年が深い思索にふけりながら,タイプを打っていました。突然,耳をつんざくような大きな音がしたので,彼はいすから飛び上がりそうになりました。停泊所から出ようとしていた1そうの貨物船が「注意して下さい!私が通りますよ!」という知らせを,川に浮かんでいる船にむけて発したのです。その若い人の耳に,この音が耳ざわりだったことはたしかです。それは当然のことです!

ほとんど毎日,私たちの耳は耳ざわりな音を聞いています。地下鉄の車がカーブする時にきしむ音,いらいらしながら自動車の運転手がならす警笛,朝スチームが通り始める時,ごとんごとんと鳴る蒸気暖房管,補装道路に穴をあけたり,古い建物を取りこわす時の空気ドリルの音。これらがすべていやな音にひびくのは,うなずけることです。

またじゃまになるので敬遠されるものがあります。電話が鳴ると非常に悩まされるので,ニューヨーク市の多くの人々は,毎年喜んで2160円を払い,電話帳に名前を入れないようにしてもらいます。ある人は,玄関のベルが鳴ると,大変わずらわしく感じるので,高級なアパートに住み,制服を着た門番に守ってもらうようにします。そのような人々にとっては,このようなことでわずらわされないように,お金を払った方がずっとよいというわけです。

毎朝,多くの人の耳は,自分のかけた目ざましの音で悩まされます。しかし,うるさい音だと思っても,その音に注意し,毎晩それをかけて寝ます。なぜですか。その悩まされることが,私たちのためになるからです。仕事を続けていくために,時間どおりに仕事を始めねばなりませんし,生きていくためには,職業を捨てるわけにはいきません!

しかし,はじめて聞いた時にいやだと思うような,ある新しい真理に接した時,残念ながら,すべての人が,必ずしも現実的であるというわけではありません。なかには,「目ざまし時計」を全く無視してしまうほど,考えのない人もいます。また一方では,その音に注意を払わず,目ざましをいわば打ち砕いてしまうというような極端に走る人もいます。たとえば,ガリレオの時代に,地球がまるいという真理は,宗教的な権力者の耳に,非常に耳ざわりだったので,彼らは,本当かどうか調べることを拒絶したばかりか,ガリレオを捕え,またガリレオに自説を取り消させるためにその娘をも苦しめました。一方,同僚の天文学者たちは,ガリレオの望遠鏡をのぞき込むことを拒絶し,月が玉突きのボールのように,なめらかなものでないということを自分自身で確かめようとしませんでした!

その伝える音信が人々を悩ますため,真理をになう者が,迫害を受けたということは,何回となく聖書に出ています。パロは,モーセを通して与えられた神からの音信を聞いて迷惑に思ったため,イスラエルの子たちの荷を重くしました。(出エジプト 5:1-14)エレミヤの時代の支配者たちは,エレミヤが神からもたらした音信を迷惑なものだと思ったので,エレミヤの生命をおびやかし,土牢に投げこみました。そうです,昔には多くの者が「あざけられ,むち打たれ,しばり上げられ,投獄されるほどのめに会った。あるいは……無一物になり,悩まされ,苦しめられ……」ました。これはすべて彼らの音信を聞いた相手が,その音信を迷惑に思ったからです。―ヘブル 11:36,37,新口。

イエスの時代の律法学者やパリサイ人たちは神の御国の良いたよりを聞いて,どんなにか悩まされたことでしょう! 非常に耳ざわりだったため,イエスを木にかけるまで心がやすまりませんでした。しかし,それ以後とても彼らには平和がありませんでした。なぜならイエスの弟子たちがひき続き音信を述べたからです。それで,ステパノの伝道にかんして次のように記録されています,「人々はこれを聞いて,心の底から激しく怒り,ステパノにむかって,歯ぎしりをした」。そして,もう少し聞いてから,「人々は大声で叫びながら,耳をおおい,ステパノを目がけて,いっせいに殺到し,彼を市外に引き出して石で打った」。そして彼はついに「眠りにつ」きました。彼らがステパノの伝えた真理を耳ざわりに思った,ということに疑問の余地はありません!―使行 7:54-60,新口。

エホバの預言者であるイザヤは,ずっと前にこの傾向について預言し,イエスはその言葉を引用してこう言いました,「この民の心は鈍くなり,その耳は聞えにくく,その目は閉じている。それは,彼らが目で見ず,耳で聞かず,心で悟らず,悔い改めていやされることがないためである」。―マタイ 13:15,新口。

今日,人間関係のあらゆる分野において,真理を聞くと耳がいたくなるというのが多いようです。子供たちそして特にティーンエージャーは,両親や学校の先生の賢明な助言を聞くのをいやがります。隔離論者は「ひとりの人から,あらゆる民族を造り出し」たというのを聞くのをいやがります。(使行 17:26)たばこを吸う人は,喫煙とがんの関係を聞くのをいやがります。このような態度をとることは,何と愚かなのでしょう!

特に,人々はエホバの証者によってもたらされる神の御国の音信をいやがります。それが耳新しいということと,その意味することが,快くひびかないのです。朝の目ざまし時計のように,その音信は眠りをかきみだします。しかし,人々はそれに注意を払って賢く行動するというようなことをせず,かえって無視してしまいます。その結果当然の報いを受けます。どのような報いですか。その意味をつかむことができないということです!

もし,聞いた時迷惑に思うなら,「意味をつかむ」ことができるでしょうか。感情で判断力がくもってしまい,事実を公平に判断することができなくなります。その人は高度の教育を受けているかもしれません。昔の宗教的指導者たちがそうでした。しかし,その人たちは聞いたことの意味をさとることができませんでした。その理由は,神の預言者のつたえた音信を迷惑だと思ったからです。言いかえれば,偏見があったために耳を閉じてしまったのです。

だれでも,何かを迷惑だと思って聞くなら「事をよく聞かないで答える者」になってしまいます。そして「愚かであって恥をこうむ」ります。この雑誌の音信をいまだ聞いたことがないからといって,あるいはその意味していること,その音信があなたにもたらされた方法,内容を考慮するのに要する時間などを考えて,音信を迷惑だと思ったり,ほかの人にその良し悪しをきめてもらうことがないようにしましょう。理性と神の御言葉によって,聞いたことが真理であるかどうか自分自身で確かめて下さい。そして決定して下さい。―箴言 18:13,新口。

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