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凡ての人に親切を示すものみの塔 1961 | 1月15日
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したすくないものでなく,あふれ出るものでなければなりません。イエスは次のように言われました,「与えよ。そうすれば,自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ,ゆすり入れあふれ出るまでに量をよくして,あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで,自分にも量りかえされであろうから。」― ルカ 6:38,新口。
22 クリスチャンは,その親切をどのように量るべきですか。その結果は何ですか。
22 それで私たちの親切を寛大にはかりましょう。クリスチャンたちは,御国の真理を見知らぬ人々に教えて親切を示します。かくして自分たちの時を惜しみなく与えることによって寛大なことを示します。寛大をたくさん量れることができるときであっても,神の貴重な御国奉仕に時間をけちけち量るなら,私たちは祝福を失なうでしょう。「少ししかまかない者は,少ししか刈り取らず,豊かにまく者は,豊かに刈り取ることになる」。すべての人に私たちの自由を寛大に示すなら,豊かな報いと予期しない祝福をうけるでしょう。まったく,あなたは「天にいますあなたがたの父の子」であることを証明するでしょう。―コリント後 9:6。マタイ 5:45,新口。
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災害 ― 時代のしるしものみの塔 1961 | 1月15日
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災害 ― 時代のしるし
1950年代は,アメリカにおいては災害の10年間であったと言われています。ハリケーン,洪水,旋風,火事その他の災害の結果として,2万9000戸の家が破壊され,60万戸が損害を受け,160万人が家を失いました。アメリカ赤十字社が,1950年代をアメリカ史上最も災害の多い10年と呼んだのも当然です。
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一生の目的を追い求めるものみの塔 1961 | 1月15日
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一生の目的を追い求める
ロイド・バリーの経験談
こどものときに聖書のすばらしい真理を学ぶ者たちは,ほんとうに大きな祝福をいただいています。私が小さかったとき,大いなる神エホバ,その御国の目的,魂や生命の希望などを熱心に教えてくれた父親に,私はいつも感謝しています。この聖書の教えは,学校に来て騒がしい子供たちをこわがらせるために「地獄の火」の苦しみについて話した牧師たちの教えとは,なんとちがうのでしょう! 私はごく小さい時から聖書を愛するようにそだてられました。また私は聖書と共に「ものみの塔」誌をも愛しました。この雑誌は,私の幼い心に大きな印象を残しました。10歳の時でも私は「ものみの塔」から多くのものを学ぶことができました。そして今でも1920年代に研究したたくさんの記事をはっきりおぼえています。私は33年のあいだずっと「ものみの塔」を読んできました。
私は少年時代を,ニュージーランドのクライストチャーチで過ごしました。学校の生徒のとき,私はいっしょうけんめい勉強して,大学に入るための奨学金の試験では第1位を取ることができました。ニュージーランドの専門学校や高等学校は,この賞金を得ようとたいへんな競争をします。私は原子科学者になるはずでした。しかし,物質主義的な考えや進化論的な考えが私を取りかこみ,私はほどなくしてそのような考えは牧師たちの「地獄の火」の教えと同じぐらい理性に欠けたもの,価値のないものと知りました。聖書は,私の生活に大きな力を行使し始めました。私は科学の部門で学位を取りましたが,この大学時代の大部分は,ほとんど開拓者なみの時間を奉仕にささげていたのです。そして,しばしば休暇開拓奉仕をしました。
第二次世界大戦中の奉仕
1939年1月,私はオーストラリアのベテルで全時間奉仕を永久につづける決意で始めました。このときには戦争の雲行は険悪になり,暴徒の襲撃や迫害も起きてきました。第二次世界大戦が始まった月には,私は一連の大会に奉仕しており,3週間の週末はたてつづけに暴徒に襲われました。ニューサウス・ウェルス州のマイトランドでは,予定されていた市会館での集会は禁じられ,一人の兄弟と私はその会館の前に宣伝車をとめて,この不正手段に対して抗議しました。私が話し終えたとき,牧師にそそのかされた暴徒が私たちのところに来て,自動
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