-
生活の中で何を第一にしますかものみの塔 1965 | 12月1日
-
-
ついて質問されたとき,「まあそうかたくならずに,そういう話はまた別の時にしましょう」と言いました。そういう牧師のまねはしないようにしましょう。社交的な集まりの時でも,クリスチャンとしての会話を除外してはなりません。そういう時に何を好んで話すかによっても,私たちが生活の中で何を第一にしているかがわかります。
31 ほんとうに神の国を第一にするなら,何を軽視しませんか。また多少軽視し,時間と精力をあまりかけなくてもよいものは何ですか。
31 私たちには,時間,金銭,精力をとられること,しかも生活を非常におもしろくすることが数多くあります。私たちはだれにも恥じない正直な働きによって家族を養っていかねばなりません。聖書について個人的に勉強しなければならないこともたくさんあります。1週間に会衆の集会は五つあって,それの準備をしたり,また出席しなければなりません。クリスチャンの宣教においてもすることがたくさんあります。気晴らしや娯楽も必要です。その一つ一つを公平に扱うにはよほどの知恵がいります。しかし,もしそのどれかをあまり重視しないことにするとすれば,それは何ですか。気晴らしや娯楽のためにクリスチャンの責務を果たすことをしばしば怠り,キリスト教徒たることにおいては,単に善意をもつだけの者になりますか。それとも,気晴らしや娯楽を多少無視するほど,クリスチャン活動に関心をもちますか。
32-34 私たちはどんな三つの理由のゆえに神の国を第一にして生活すべきですか。
32 生活の中で神の国を第一にすることは,賢明で正しく,愛のある行いです。そうすることによって私たちはエホバ神に誉をもたらし,エホバの御名の立証に参加し,宇宙の主権者の心を喜ばすことができます。
33 また,神の御国を第一にした生活は,自分の家族,いつも一緒に崇拝を行なう会衆内の人々,私たちが奉仕する外部の興味をもつ人など,他の人々に最大のしかも永続する益をもたらします。
34 また神の国を第一にして生活すれば,自分自身に益があります。我欲に従って生活する人にのぞむ困惑や悲しみを避けられるだけでなく,清い良心,自分が霊的に円熟していくのを見る満足,仲間のクリスチャンや神に関心をもつ人々に自分の働きの実を見る喜びなど,多くの祝福を得ます。そのうえ,新しい事物の制度のもとで,新しい天か,あるいは正義の宿る新しい地か,そのいずれかの一部として永遠に幸福に生きるという将来を待ち望むことができます。―ペテロ後 3:13。
-
-
神の国を第一にすることはエホバに祝福されるものみの塔 1965 | 12月1日
-
-
神の国を第一にすることはエホバに祝福される
「福音のために,あるいは家,あるいは兄弟,あるいは姉妹。あるいは母,あるいは父……をあとにした者で,いまこの時期に百倍を受けない者はない。……また来るべき事物の制度の下には永遠の生命を受ける」。―マルコ 10:29,30,新世。
1 イエスがマタイ伝 6章33節で弟子たちにすすめておられる道については何が言えますか。
イエス・キリストは,山上の垂訓の中で,「まず神の国と神の義とを求めなさい」と言っておられます。弟子たちにそれをすすめたイエスは,正しい,愛に満ちた,非利己的な道を歩むよう弟子たちを励ましたばかりでなく,賢明な道をすすめられたことにもなります。―マタイ 6:33。
2,3 神のことばは,神の国を第一にする者に対し,現在と将来にどんな報いを約束していますか。
2 生活の中で,神の目的と御国を第一にすることが真の知恵の道であることは,聖書がくりかえし指摘し
-