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  • 幸福な羊の群れの監督
    ものみの塔 1966 | 8月1日
    • はなく,神に従って自ら進んでなし,恥ずべき利得のためではなく,本心からそれをしなさい。また,ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで,むしろ,群れの模範となるべきである。そうすれば,大牧者が現れる時には,しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう」。(ペテロ第一 5:2-4)ペテロは良い羊飼いイエスの努力を無にしませんでした。監督たち,さまよった羊をさがし求めなさい。ゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。

      22 群れの監督はエホバからの大きな祝福です。忠実な監督の導く群れには平和と一致が見られます。彼らは生きることに喜びを見出します。その生きている限り,恵みといつくしみが彼らにともなうでしょう。彼らはエホバのみ名の立証にあずかることに歓喜します。その望みは王なる羊飼いダビデが言い表わしたのと同じく,彼らの羊飼いとともにエホバの家に永遠に住むことです。

  • 幸福な羊の群れにはしもべの導きが必要
    ものみの塔 1966 | 8月1日
    • 幸福な羊の群れにはしもべの導きが必要

      「門からはいる者は,羊の羊飼である。門番は彼のために門を開き,羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の手の名をよんで連れ出す」― ヨハネ 10:2,3。

      1 (イ)指導する力は監督になぜ肝要ですか。「監督」ということばは何を示していますか。(ロ)どのようにしてのみ,監督はその責務を効果的にはたすことができますか。

      クリスチャン会衆が栄え,神の羊の群れがいつでも幸福を感ずるためには,指導する力が会衆の監督になければなりません。「監督」ということばは,来てしらべるという意味のことばです。それは会衆の益を見守り,益を図ることを暗示しています。使徒行伝 20章28節にしるされた助言によれば,このことを効果的また能率的に行なうために,監督はまず自分「自身に気をつけ」,ついで神の「すべての群れ」に気をくばり,最後に「神の教会を牧さ」なければなりません。これらの要求を忠実にはたすことは,群れを幸福にします。

      2 自分に気をつけるため,監督は何をしますか。なぜそうですか。

      2 羊飼いの生活は多くの場合,つらい重労働を伴います。それは片手間にできる仕事ではありません。それで羊をよく世話するには,必要な程度において自分自身を大切にしなければなりません。監督は霊的に強い者とされています。羊は監督から力づけられ,励まされることを期待してい

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