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われわれは神に何を負っているかものみの塔 1966 | 11月1日
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を求めていられるかは,全く明白です。聖書の二,三の句を読んでも,それは明らかとなります。「汝の神エホバの汝に要めたまふ事は何ぞや惟是のみ即ち汝がその神エホバを畏れその一切の道に歩み之を愛し心を尽し精神を尽して汝の神エホバに事へ 又我が今日汝らに命ずるエホバの誠命と法度とを守りて身に福祉を得る事のみ」。「汝の神エホバを愛し常にその職守と法度と律法と誠命とを守るべし」。(申命 10:12,13; 11:1,文語)「只エホバの僕モーセが汝らに命じおきし誠命と律法とを善く謹みて行ひ汝らの神エホバを愛しその一切の途に歩みその命令を守りて之に附きしたがひ心を尽し精神を尽して之に事ふべし」。(ヨシュア 22:5,文語)「人よ彼さきに善事の何なるかを汝に告げたりエホバの汝に要めたまふ事は唯正義を行ひ憐憫を愛し謙遜りて汝の神と偕に歩む事ならずや」。(ミカ 6:8,文語)「わが子よ,あなたの心をわたしに与え,あなたの目をわたしの道に注げ」― 箴言 23:26。
13 しかしどうすれば人はこれらのことを行なえるかと,あなたは問われるでしょう。神の戒めを守るには,それを知らなければなりません。それは当然です。すなわち神のことば聖書をよく読むことが必要になります。知識は信仰の基礎です。そして神に対する信仰を表わすのは人の務めです。信仰を持つ時,創造者を喜ばせる行ないをすることができます。昔から信仰の人は神に対する務めをはたしてきました。ゆえにわたしたちにも同じことができ,神に負うものを神にささげることができます。神に負うものを神にささげた著しい例は,神の最初の理知ある被造物です。それはだれですか。アダムではありません。それは地上において人となった言です。(ヨハネ 1:1。コロサイ 1:15。黙示 3:14)イエス・キリストは,神に負うものをどのように神にささげるべきかを,身をもって人類に示されました。どうぞ次の記事をごらんください。
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バプテスマは信仰を表わすものみの塔 1966 | 11月1日
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バプテスマは信仰を表わす
「わたしはまいります…わが神よ,わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」― 詩 40:7,8。
1 最もすぐれた信仰の手本を残したのはだれですか。彼はすでに子供の時からどのように信仰を示しましたか。
イエス・キリストは,被造物が創造者に信仰を表わした,最もすぐれた手本です。イエス・キリストが地上の人となって行なわれた事柄の記録は,神のものを神に返そうと努力しているわたしたちにきわめて必要な導きとなっています。イエスは,文字にしるされた神の律法を持ち,それを守る契約の義務の下にあった国民の中に生まれました。その国民の多くは神の律法を守っていませんでしたが,イエスの子供の時からの行ないは,イエスがエホバに強い信仰を持っていたことを示しています。
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