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若い人の道徳的な責任ものみの塔 1968 | 5月15日
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27 少年時代から死に至るまでのイエスの完全な手本は,ルカの記録の中にどのように強調されていますか。
27 ならうべき完全な手本はキリスト・イエスです。イエスは子として両親を敬い,家庭に関心を払うことをされました。若気にまかせて独立の能力を誇ることなく,神の導きと保護を求め,献身した者としてのご自分を御父にささげられました。汗が血のようにしたたった生涯の最後の試練の時,「わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください」と祈っていられます。(ルカ 22:42,44)確かに,イエスの生涯は,神に対する道徳的な責任をはたした忠実な生涯でした。イエスの足跡につきしたがうなら,同様に成功し,エホバから大きな恵みを得るでしょう。
28 若い人の道徳的な責任に関して論じられた事柄の中で,どんな点を銘記すべきですか。
28 人間の行動に関して不変の神が定められた正義の標準を常に尊重し,それに従いましょう。神の愛する御子のことばと行ないに示された真のクリスチャン道徳の手本に従うことを,目ざしましょう。両親には,神の薫陶と戒めによって子供を育てる責任があります。子供はそのことを忘れてはなりません。「あなたの父と母とを敬え」という神の戒めに従うとき,すべて悪を行なう者の神サタンの忌むべき影響から間もなく解放される「地上でながく生きながらえる」でしょう。―エペソ 6:2,3。
29 木のたとえが,特に今日,若い人にその道徳的責任を思い起こさせるのはなぜですか。
29 若木がしめった土の養分と太陽の熱を必要としているように,若い人はこの苦難の時代にエホバの力による支えとエホバの恵みを必要としています。今日すべての人は危険にさらされています。それはこの時代の危難のためだけでなく,この利己的な事物の制度を終わらせるエホバの怒りの大嵐のためです。常にエホバの助けにより頼み,断固として忠実に自分の道徳的な責任をはたす時,天の父にほまれとなり,敬虔な人の目に美しい木のように栄えるでしょう。―箴言 3:5,6。
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イエスの誕生はいつかものみの塔 1968 | 5月15日
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イエスの誕生はいつか
● エル-サルバドルの一巡回奉仕者から寄せられた次の経験は,いかなる時でも証言できるよう備えておくことの大切さを教えています。「クリスマスの約2か月前,エル-サルバドルの一主要ラジオ放送局は,『イエス・キリストは,何年,何月,何日,何時に生まれましたか』という質問のコンテストを始めました。同放送局の当局者が驚いたことには,聴取者から手紙が洪水のように送られ,さまざまの回答が寄せられました。放送局側の予期していたのは,西暦元年12月25日,真夜中の12時という回答でした。しかし,当局者自身も答えを知らなかったので,信頼できる回答を得るために新教およびカトリックの著名な指導者に尋ねることにしました。しかし,そのほとんどは回答を断わるか,さもなければ頼りない回答を出しただけでした。結局,討論会が設けられ,カトリックの一牧師,エル-サルバドルの大司教,新教の一牧師,そして,エホバの証人を代表する特権を得た私が選ばれました。最初にカトリックの牧師が,約5分間,話しましたが,聖書を使うことも引用することもなく,また,その話は,次に述べた大司教のことばと食い違っていました。新教の牧師は30秒ばかり話しましたが,やはり聖書を使いませんでした。それから,私の話す番が来ましたので,イエスが紀元前2年10月1日ごろ生まれたことを,聖書と歴史の面から,30分ほど説明しました。それで,キリスト教国の牧師は神のみことばを用いることのできない偽りの指導者で,他方,エホバの証人は聖書を用いて真理を擁護できるということが,このラジオ番組を通して明らかにされました。この番組は数回にわたって放送され,近隣の幾つかの国の人々も聞き,そして,感銘を受けた人々からは数多くの手紙が送られてきました。その結果,多くの人々と聖書研究が始められ,カトリック教会のある牧師は,もっと多くの資料をもらえまいかと手紙で依頼さえしてきました」。それで,機会があるときにはいつでも証言できるよう備えるなら,良い結果が得られます。
― エホバの証人の1968年度年鑑より
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