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  • 1975年を待ち望むのはなぜか
    ものみの塔 1968 | 11月15日
    • が足ばやに迫っている事実に十分目ざめるべき時です。まちがわないでください。天の御父ご自身は「その日その時」のいずれをも知っておられますが,それで十分なのです!

      36 この点で使徒たちはどんな有益な手本を残していますか。

      36 1975年より先の将来を見通すことはたとえできないにしても,そのために手をゆるめてもよいと言えますか。使徒たちはこの年まで見通すことさえできず,1975年については何一つ知らなかったのです。彼らは,割り当てられたわざを成し遂げるのに,わずかの時間しか残されていないことを見通し得ただけです。(ペテロ前 4:7)したがって,その筆になる記録にはすべて,事の急を告げる響きがあふれています。(使行 20:20。テモテ後 4:2)また,それは正しいことでした。もし手をゆるめ,あるいはぐずぐずして,終わりは何千年も先のことだと考え,気をゆるめたのであれば,自分の前に置かれたレースを決して走り抜くことはできなかったでしょう。しかしそうではありませんでした。彼らは懸命に,しかも早く走り,そして勝利を得たのです! それは彼らにとって生か死かの問題でした。―コリント前 9:24。テモテ後 4:7。ヘブル 12:1。

      37 では,今から1975年まであなたは何を行なってゆきますか。またその先の将来はいかがですか。

      37 この20世紀後半のエホバの忠実な証人についても同じです。証人たちはクリスチャンとしての正しい見方を持っています。たゆまず続けられるその福音伝道の活動は,ここ10年間に見られる特異な事柄ではありません。証人たちは,単に1975年までエホバに奉仕するために献身したのではありません。キリスト・イエスが,「我に従ひきたれ」とその弟子たちに命ぜられ,歩むべき道を明らかに示されて以来,クリスチャンはいつもこの道を走ってきました。それで,キリスト・イエスのいだかれたと同じ心構えを保ってください。何事であれ,そのために手をゆるめたり,疲れはてたり,また,あきらめたりすることのないようにしましょう。大いなるバビロンや,サタンの支配する現在の事物の制度をのがれる人々は,今や命を目ざし,また神の国を目ざして走っており,1975年が訪れても,走り続けるでしょう。決してとまることはありません! 彼らは賛美と奉仕をとわにエホバにささげつつ,永遠の命に通ずるこの輝かしい道を走り続けるでしょう!

  • 1世紀の出来事の年代は20世紀の今日どのように定められるか
    ものみの塔 1968 | 11月15日
    • 1世紀の出来事の年代は20世紀の今日どのように定められるか

      1 聖書中の他の年代をさらに考慮することはなぜ大切ですか。

      前の二つの記事の中では,アダムの創造にまでさかのぼる古代の歴史にかんする聖書の記録の正しさを吟味し,証明できました。しかし,歴史上の年代をどれほど検討したところで,もし地上におけるイエスや使徒たちの宣教の年代を歴史の流れのうちに位置づけることを割愛したとすれば,たしかに片手落ちと言わねばなりません。世界中の人々の生活や

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