エホバの証人の集会に出席していますか
昨年,エホバの証人は,平均802,473の聖書研究を他の人々のために司会し,その多くは毎週1回行なわれました。この研究のほとんどは,人々の自宅で,本人の都合のよい時に行なわれました。また多くは,1家族の数人の人々と一緒に行なわれていますから,毎週行なわれているこれらの聖書の研究には優に100万人以上が定期的に参加したことでしょう。あるいは,読者がその中の一人かもしれません。
もしそうなら,聖書を深く理解することがどんなに深い喜びをもたらすかにお気づきでしょう。このような研究により,人間の歩むべき道に関する,霊感による聖書の助言をさらに深く認識できたに違いありません。神のことばに従う人はなんと幸福な生活を送れるのでしょう! 夫に対して,「自分の妻を,自分のからだのように愛さねばならない」とさとし,また妻には,「自分の夫に仕えなさい」と勧める聖書の教えを考慮することにより,あなた自身の結婚の絆は強められたことでしょう。(エペソ 5:21-25,28,33)また,子供の育て方あるいは,子供は両親をどのように敬うべきかに関する聖書の助言はおそらくあなたの家族生活によい影響を与えていることでしょう。―エペソ 6:1-4。
しかし,このような聖書のすぐれた導きと教えをよく理解するようになるほか,神のことばを学んだ結果,前途にすばらしい希望が開かれたことを考えてください。幾世代にもわたり人類を悩ましてきた,みじめなこの世の状態のゆえに途方に暮れることはもはやありません。今がこの事物の制度の終わりの時であることを示す聖書の預言が,現代の出来事のうちに成就していることを知り得たからです。(マタイ 24:3-14。テモテ第二 3:1-5)そして,これまでの聖書研究から,人類は今,「義の住む」新しい事物の制度の門口にさしかかっているということを悟ったことでしょう。―ペテロ第二 3:13。
エホバの証人とともに聖書を研究した結果,神と神の約束に対するあなたの確信は深められたに違いありません。使徒ヨハネの次のような記録をも含めて同様の他の聖書預言に対する信仰はさらに深められたことでしょう。「見よ,神の幕屋が人と共にあり,神が人と共に住み,人は神の民となり,神自ら人と共にいまして,人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや,死もな(い)」。(黙示 21:3,4)神はご自分に仕える者のため,なんというすばらしい祝福を備えていられるのでしょう!―イザヤ 11:6-9および,65:21-24をも参照してください。
互いに集まることは一つの義務
しかし,そのような祝福にあずかるためには,ヘブル人への手紙 10章24,25節の次のことばを含めて,聖書に定められている神の要求に従わねばなりません。「互に顧みて愛と良いわざとを励まし,集まりを怠るある人々の習慣にならわず,互いに励まし,かの日の近づくのを見て,ますますそうしようではないか」。ゆえに,会衆の集会で仲間のクリスチャンと交わることは,神のみ前におけるあなたの義務となります。しかしエホバの証人と一緒に楽しく家庭聖書研究を行なっている人が,あるいは同時にキリスト教国のいずれかの教会に属しているような場合には,このような神の要求が問題をもたらすかもしれません。それで,「聖書的な義務を果たすために,わたしはだれと交わるべきだろうか。エホバの証人とともにその集会所で交わるべきだろうか,それとも,これまで行っていた教会の集会に出席すべきだろうか。実際のところ,これはそれほど重大な問題なのだろうか」とある人は迷ったかもしれません。では,神に喜ばれるのはいずれの道かをどのように決定できますか。
自分の好きな教会に行けばよいというのが一般の人々の見解で,いずれの教会に行くかは普通,重要視されていません。しかしこれまで聖書を研究してきた人にとって,神がすべての宗教的な慣行や教えを是認されないという事は明らかではありませんか。イエス・キリストは自ら山上の垂訓の中で次のように述べられました。「狭い門からはいれ,滅びにいたる門は大きく,その道は広い。そして,そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く,その道は細い。そして,それを見いだす者が少ない」― マタイ 7:13,14。
それで,すべての宗教の道が神に喜ばれるものでないことは明らかです。「『主よ,主よ』と言う者が,みな天国にはいるのではなく,ただ天にいますわが父の御旨を行なう者だけが,はいるのである」と語ったイエスは,偽りの宗教儀式や教義に固執する人々に対して,「不法を働く者どもよ,行ってしまえ」と言われました。(マタイ 7:21-23)しかし,どの教会が,本当に神の御心にかなった,それゆえに自分の交わるべき正しい教会であるかを,どのように定められますか。
だれと交わるべきかを決定する
ある教会の信者が神の御心を行なうには,神に関する正しい教義がその教会で教えられねばならないのは当然ではありませんか。それは当然なことです! では,あなたの属している教会は,三位一体を教えていますか。三位一体の教義は有名なアタナシウス信経によれば次のように定義されています。「父は神であり,子は神であり,聖霊は神である…そしてこの三位一体において…この三つの位格のすべては,ともに永遠であり,同等である」。
このような非聖書的な教義を教える教会は,その信者を真の神へと導きません。また,その教会は,イエス・キリストの天の父,すなわちイエスが,「わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください」と祈り,また,「父(は)わたしより大きいかたである」と述べた神にも導きません。(ルカ 22:42。ヨハネ 14:28)イエスは,ご自分と御父とが,三位一体の定義のように,「同等」で「共に永遠」ではないことを,明らかに示されました。自分の行っている教会は,この教義を教えてはいないと考える人がいるかもしれませんが,キリスト教国の大多数の主要な宗派で構成されている「世界教会会議」は,成員の条件として三位一体に対する信仰を要求していますから,ほとんどの教会がこの教理を教えています。あなたの属する教会は,この会議の成員ですか。
さらに考慮すべき他の事柄があります。あなたの所属している教会では人間の将来の希望について何を教えていますか。もし,キリスト教国の他の教会と同様,人間の将来の命の希望が,不滅の魂を人間が持つことに基づいていると主張するのであれば,「罪を犯した魂は必ず死ぬ」という明確な聖書の見解に照らして,その教会が正しいとどうして言えますか。(エゼキエル 18:4)これらはまさに宗教問題の核心を成す事柄です。それで,もし,神の概念と教会の教える希望がちがっているならば,その教会自体,偽りであるということは明らかではありませんか。
イエス・キリストは,生命に至る狭い道を歩むための正しい知識の必要を強調して,次のように述べました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。(ヨハネ 17:3)神とそのみ子に関する正しい知識は永遠の生命に不可欠である以上,偽りの教義を教える教会の信者としてとどまっている人は滅びに至る広い道を歩むことになるのは明らかです。
それでは,非聖書的な崇拝を行なう人々と交わることによってヘブル人への手紙 10章24,25節にある,仲間のクリスチャンと集まりなさいという聖書の要求を満たせるでしょうか。もちろん満たせません! 以上,これらの問題をきわめてあからさまに論じましたが,それは,あなたの生命が関係しているからです。神に対する正しい崇拝は,確かに生死にかかわる重大問題です。
エホバの証人の集会
このゆえにエホバの証人は,聖書の正確な知識を得られるように,人々を援助したいと願っているのです。もしエホバの証人があなたの家で聖書研究を定期的に司会しているとすれば,それはあなたに永遠の生命を得ていただきたいと願っているからです。しかし,前述のとおり,生命を与える知識を取り入れている他の人とともに集まることも必要です。
あなたは,家庭における研究の際に用いられている質問と答えの形式の研究方法に慣れていられるでしょう。エホバの証人は週中のある晩,たいてい火曜日の夜7時30分ごろ近くの個人の家に集まって,同じ方法による1時間の研究を行なっています。これらの集まりは,普通10人ほどの小さなグループで聖書の一つの主題に基づくその討議にすべての出席者が活発に注解する機会が開かれています。自宅での研究を楽しんでいられるなら,毎週行なわれているこの研究に出席なされば,さらに多くの喜びを確かに得られます。
あなたが楽しく出席できる,エホバの証人の別の集会がお近くの御国会館で日曜日に開かれています。この集会では,聖書に関する興味深い主題に基づき資格のある講演者が55分の話しをします。何週間かのうちには,聖書の記録が考古学によってどのように確証されてきたか,祈りの価値,聖書がそれ自体矛盾していないことの証拠その他,聖書を研究する者にとって興味深い数多くの話題に関する話を聞けるでしょう。また同じ日曜日には,最近号の「ものみの塔」誌の資料に基づいて,1時間の聖書研究が司会され,この集会も質問と答えの形式で活発に進められています。これらの集会に出席すれば,みなさんは,受け入れられる仕方で神に奉仕するように備えるのに,役だつ事柄を確かに学べます。
普通,木曜日か金曜日の夜7時から行なわれる「神権宣教学校」についても同様です。聖書全巻を通して章を追って行なわれた有益な研究が,3年余を費やして最近,終わりました。現在では,研究生が,前もって割当てられた特定の聖書の主題に基づいて話をします。同じ夜,1時間の奉仕会があり,この集会では,イエスや使徒たちが行なった,神のことばを他の人々に伝えるわざに関して,実際的な提案が与えられます。これらの集まりに出席して,神のことばから心を強める教訓を学び,喜びを得るようにしてください。
これらのどの集会でも,自ら手を上げないかぎり,注解を求められることはありません。また寄付を集めることもありません。これらの集会に出席するからと言ってあなたがエホバの証人のひとりとなるわけではなく,むしろその組織がどのようなものかを知る機会になります。そして,そこに集まっているのは,あなたと同様,神を喜ばせたいと願っている人々であることを知り,その中にあって,心の休まるのを感じられることでしょう。
それで,この機会を用いてエホバの証人の集会に出席なさるよう,みなさんに心からお勧めしたいと思います。これらの人々と交わることによって,「集会をやめることをしない」ようにとの聖書の要求を満たすことができるでしょう。―ヘブル 10:24,25。