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  • 自己犠牲 ― 神に喜ばれる道
    ものみの塔 1969 | 10月15日
    • のためにより大きな仕事をするよう彼らを励ますほうがはるかにすぐれています。

      24 誤った犠牲についてはどうですか。

      24 また,誤った犠牲にも警戒しましょう。残業をしたり,あるいは妻にも仕事をさせたりして,むすこを大学にいれたいと考えていますか。それは一種の“犠牲”ですが,そうする価値がほんとうにありますか。そうした若者の多くはたいてい,神に対する信仰はおろか子供に大学教育を受けさせるため苦労した親に対する愛や敬意すらほとんど,あるいは全く失って大学を卒業します。こうした経験のため悲惨な失意に陥った人もいます。それは誤った犠牲です。これとは対照的に,キリスト教に基づく訓練を子供に施し,子供の従うべきクリスチャンの手本を示すことにもっぱら心を配る親は,そうした努力が,神に喜ばれる犠牲であることを知るでしょう。

      25 エホバにささげる犠牲に関し,わたしたちはどうして喜ぶことができますか。

      25 エホバの最も喜ばれる犠牲をささげ得る時代にいるわたしたちは恵まれています。そうした犠牲が,形式的かつ分派的な仕方によってではなく,啓発を受けた知性に富むクリスチャンのささげる賛美という形で供えられるのはうれしいことです。神が何を喜ばれるかは確かに明らかにされました。神に喜ばれる犠牲について知り,かつそのような犠牲をささげるのはなんという特権でしょう!

  • あなたは他の人の行ないにつまずきましたか
    ものみの塔 1969 | 10月15日
    • あなたは他の人の行ないにつまずきましたか

      その人は何年ものあいだ熱心なクリスチャン奉仕者でした。彼は自分の子供をエホバの懲らしめと権威ある助言に従って育てることにも努力していました。ところがある日,彼は仲間のクリスチャンとの交わりをやめ,ものみの塔協会にその理由を伝えました。彼は何につまずいたのですか。会衆内のある者に侮辱されたと感じたのです。―エペソ 6:4,新。

      また,ある大きな会衆の補佐のしもべのひとりは,エホバのわざに対する関心すべてを突然に失い,エホバの民とのかかわりを全く断ちました。彼は自分の会衆の監督であった父親の行動につまずきました。彼の父親は姦淫の罪で排斥されたのです。

      つまずいてエホバのわざに対する関心を全く失った人々の中には,ある年配の夫婦もいます。その夫婦は何につまずきましたか。商取引きをしている仲間のクリスチャンの行為を“ずるい”と考えたためです。

      また,若いクリスチャン婦人で,一度はエホバに献身した生活を始めながら,のちに浸礼をためらった人がいます。彼女がつまずきかけたのはなぜですか。彼女の会衆内のあるしもべの無思慮な行為のためでした。

      これと同様の経験はほかにもあげられるでしょう。しかし,そこに共通に含まれているのはなんですか。他の人の愚かなあるいは誤った行為を理由にして永遠の命の希望からそれるというまちがいです。

      確かに,わたしたちすべてには感情があります。だれかがわたしたちを悪くあしらい,あるいは期待にそむくようなことをするとき,わたしたちが不快に感ずるのは人情として自然です。それは,つま先を何かにぶつけ,あるいは金づちで指先をたたいた時に痛く感ずるのと変わりません。しかし,自分の

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