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「もの静かで,柔和な霊」のもたらす祝福ものみの塔 1970 | 8月15日
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です。柔和さが実際に憤りをとどめうることは,カナダのある女性のエホバの証人の経験からもわかります。その証人は,ある家の戸口で,ひとりの婦人にひどくおこられ,しばらくの間大声でどなりつけられました。それがすむと,証人は柔和な態度で婦人に別れを告げ,その場を立ち去りました。しかし,その婦人はこの件を二日間考えたあげく,自分の態度に対するわび状を,ものみの塔協会に送りました。婦人を尋ねる取り決めがなされ,はからずも最初にその婦人を訪問した証人が彼女をおとずれました。その結果,聖書の研究が始められました。
「もの静かで,柔和な霊」はほんとうに祝福ではありませんか。それを持っている人が周囲にいれば楽しくなります。奉仕者は,その霊のおかげで,いっそう宣教の効果をあげることができ,他の人々の祝福となります。
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歌 ― わたしたちの崇拝の一部ものみの塔 1970 | 8月15日
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歌 ― わたしたちの崇拝の一部
エホバのしもべたちが世界の人々に告げ知らせる神の御国の良いたよりは,歌と呼ばれていますが,それには十分の理由があります。それは美しい実際の歌と同様,聞く人に慰めと喜びをもたらす,整然とした,うるわしいおとずれだからです。「あたらしき歌をエホバにむかひてうたへ」と詩篇 96篇1節やイザヤ書 42章10節にしるされているとおり,エホバへの歌をうたうよう繰り返し命令されているのは,きわめてふさわしいことと言わねばなりません。
わたしたちは,エホバのしもべとしてこの比喩的な歌をうたうよう命令されているばかりでなく,崇拝の一部として実際の歌をうたうようにとも励まされているのです。祈り,公開講演,野外奉仕,模範的な行動といった,わたしたちがエホバを崇拝し,賛美できるすべての方法の中で,最もうるわしいことの一つはエホバを賛美するために実際に歌をうたうことである,と言っても過言ではないでしょう。
ですから,そうした歌をうたうことは,エホバ神に対するクリスチャンの崇拝の一部にほかなりません。エホバはわたしたちの祈りを聞くように,わたしたちの歌をも聞かれます。そうした歌をうたうことによって,すべての人が活発に崇拝にあずかる機会を得ます。崇拝のこの面に十分にあずかればあずかるほど,大きな喜びと霊的な高揚を経験します。
古代
神の古代の民がいかに音楽にすぐれていたか,またその崇拝において音楽がいかに顕著な役割を果たしていたかを調べるのはたいへん興味深いことです。音楽史家クルト・ザックスはこう述べています。「多くの書物の中で,聖書ほど音楽史の研究にとって重要な本はない」。「オックスフォード音楽の友」には次のように書かれています。「ユダヤ民族の古代史を通して,……音楽のことが再三言及されているが,その頻度数は他のいかなる民族の歴史におけるよりも高いものであろう」。
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