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エホバが備えられたものを感謝して受け入れますかものみの塔 1970 | 2月1日
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従へる汝らもまた十二の座位に座(さん)……またおほよそ我が名のためにあるひは家,あるひは兄弟,あるひは姉妹,あるひは父,あるひは母,あるひは子,あるひは田畑を棄つる者は数倍を受け,また永遠の生命をつがん』」― マタイ 19:27-29。
神が備えられたものを受け入れるのはほんとうに価値あることではありませんか。この体制下の何を捨てるにしても,あなたはその百倍を神から受け,加えて永遠の命を受けるのです。イエスはどんな人間よりも多くのものを犠牲にされました。天における輝かしい霊者としての存在を捨て,地上にあっては,御父のみこころに忠実に従うため,ご自分の命をさえ犠牲にされました。しかしイエスの受けた報いを見てごらんなさい。御父の是認のほほえみを受け,地に来る以前に有していたより高い地位に上げられたのです。―ピリピ 2:5-11。
愛といつくしみによってエホバが与えてくださったものの霊的な価値を深く知るとき,わたしたちは,エホバの御心を行なうため,時間,体力,努力などの点でより多くをささげたいと願うようになります。それによってわたしたちは,エホバだけが備えてくださる賜物,つまりわたしたちの主イエス・キリストによる永遠の命にふさわしいことを示せるのです。―ロマ 6:23。
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教会に行くのをやめた人々ものみの塔 1970 | 2月1日
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教会に行くのをやめた人々
今日,キリスト教世界の諸教会は衰退の一途をたどっています。どの国においても,教会の出席者や支持者は毎年減少しています。教会で行なわれている事柄のゆえに,また聖書の真理を知りたいと考えて,多くの人は自分の教会を捨てているのです。つぎのふたつの経験は,こうした実情をよく示しています。はじめの経験は,カナダから寄せられました。
「わたしの両親はペンテコステ派の教会に通っていましたので,わたしは幼いころその会員になりました。しかし,わたしはすべての宗派が必ずしも正しいわけではないことに気がつきました。なぜなら,教えの内容は宗派ごとに異なり,その多くは互いに相反しているからです。そこでわたしはカナダのウィニペグにあるカルバリ教会堂の牧師に面会を求めて,いくつかの問題について話し合いました。
「わたしは三位一体について尋ねました。牧師は一度も明確に答えてくれず,三つの位格がなぜ一つの神であり得るかは奥儀であって信仰に基づいてそれを受けいれねばならないことをくりかえしました。長年のあいだわたしを悩ませていた,ペンテコステ派のもう一つの教理は,善人はすべて天国に行くという教えです。この教えを受け入れにくいと考えていたわたしは,牧師にこう尋ねました。『神はなぜ地球をお造りになったのですか。地球を捨てて,すべての人間を天に上げるおつもりだったのですか』
「牧師はいつもきまって,『そのとおりです』と答えました。わたしはますますわからなくなり,神に関する真理をさらに懸命にさがし求めました。1967年にわたしはカルバリ教会堂に行くのをやめ,導きを神に熱心に祈り求めました。その同じ年のこと,わたしは仕事を変える必要を感じました。その理由が自分でもよくわからないまま仕事を変え,ある商店の愛がん動物売り場の責任者になりました。わたしの下で一人の女店員が働いていました。わたしたちは生命一般についてさまざまな事柄を論じはじめました。その女店員が話の中で聖句をしばしば引用することにすぐ気がついたので,わたしはさらに話を続けました。この人が神のみことばから真理を語っているということをわたしが知るのに長くはかかりませんでした。そうです,それはわたしがずっと捜し求めていた真理でした。
「この謙そんな女性がエホバの証人であり,多くの人がエホバの証人に反感を抱いていることは,わたしにとって問題ではありませんでした。エホバの証人が聖書の真理を知っていることがわかったからです。わたしは真理を学ぶ方法を見いだしてほんとうに幸福でした。
「わたしはその証人に文字どおり頭を下げて,わたしと定期的な聖書研究をしてくださいと頼みました。彼女およびその夫との聖書研究が始まりました。わたしの喜びはあまりにも大きかったため,自分は十分の知識を得たように思えました。二人と聖書研究を始めてから2週間後,彼らが家から家の伝道のわざをする時,ついて行ってもよいかとわたしは尋ねました。二人は驚きましたが,まず,さらに
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