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働くことの祝福ものみの塔 1971 | 7月15日
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そして,おかあさんは食事を作るために働きます。家をかたづけたら,服をきれいにしたりすることもしてくださいます。
家族全員の祝福となるような仕事で,あなたにできるものにはなにがありますか。食事の前にテーブルをととのえるのを手つだうことができます。また,お皿をふいたり,自分のへやをきれいにしたり,おもちゃをかたづけたりすることもできます。あなたは,もうそうしたことをいくつかしているかもしれませんね。その仕事はほんとうに祝福ですか。
一つだけ例を考えてみましょう。遊んだあとのおもちゃのあとかたづけです。それはどうしてたいせつなのですか。そうすれば,家をきちんとするのに役だつからです。また,じこをふせげるのでたいせつです。おもちゃをかたづけないなら,ある日おかあさんが手にいっぱいものをかかえて歩いているうちに,おもちゃの一つにつまずくかもしれません。そして,すべってころんで,頭を強く打つかもしれません。もしかすると,病院に行かねばならなくなるかもしれません。そんなことになったらたいへんですね。ですから,遊んだあと,おもちゃのあとかたづけをするのは,わたしたちみんなにとって祝福なのです。
子どもには別の仕事があります。わたしはしゅくだいのことを考えています。学校では読みかたを学びます。読むことはおもしろいという子どもも,むずかしいという子どももいます。はじめはむずかしそうでも,読みかたをよく学んでおくと,あとになって喜びを得ることができます。読みかたを知っていると,とても多くのきょうみぶかいことを学べるからです。読書は知識のすばらしいたからにみちびいてくれます。神ご自身の本である聖書を,自分で読めるようにさえなれるのです。ですから,しゅくだいをよくすることは,ほんとうに祝福ではありませんか。
仕事をしたがらない人がいます。あなたはそんな人をだれか知っているかもしれません。でも,神がわたしたちを働くように作ってくださったことを考えると,そのような人たちは幸福だと思いますか。いいえ,幸福ではありません。わたしたちは仕事を楽しむことを学ばねばなりません。
その助けとなることがらがいくつかあります。仕事を与えられたなら,その時にはいつも,なぜそれをしなければならないかを考える習かんをつけてください。それがなぜたいせつかがわかると,仕事がしやすくなります。そして,それが大仕事であっても,ちょっとしたことであっても,りっぱにするようにしましょう。そうするなら,自分の手を使ってした仕事を喜べるようになります。そうすると,あなたは自分のけいけんから,仕事はほんとうに祝福であることがわかるでしょう。
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