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  • 諸国民すべてが神と正面衝突する時
    ものみの塔 1972 | 1月1日
    • よるその王国の側に立場を取るにあたり,いま人間のはずかしめを恐れないでください。前途の回避できないその衝突に向かって神に逆らう道を諸国民とともに歩まないでください。人間のはずかしめをものともせずに,『真の神とともに歩んだ』忠実なノアのようであってください。(創世 6:9,新)そうすれば,ノアの場合のように,この国際的な事物の体制の終わりを生き残る希望をいだいて歓喜し,統治する王イエス・キリストの王国の治める,神の新しい事物の体制のもとで生活できるでしょう。その時,あなたは神が勝利のうちに死をさえ呑みつくされるのを見るでしょう。それはあなたが永遠の命を享受し,決して消失することのない全地にわたる楽園で完全な健康と幸福のうちに神に仕え,神を崇拝するためです。

  • 神はなぜ衝突を阻止されないのか
    ものみの塔 1972 | 1月1日
    • 神はなぜ衝突を阻止されないのか

      宇宙の創造者にとって地球がごく小さなものであるということは,思慮ある人には明らかです。したがって地の諸国民は,創造者と比較すれば取るに足りない存在です。ですから神は,衝突への道をたどる諸国民の進行方向を変えさせるとか,あるいは衝突をさけるために道を譲ることができるのではないでしょうか。神はその優勢な力をもって,衝突を起こるままにし,弱い者いじめをするのでしょうか。

      そうではありません。神はご自身の威厳と正義の要求のゆえに,衝突を阻止するわけにはゆかないのです。神は諸国民に,人間によるあらゆる種類の支配を行なう時間を許されました。神は諸国民のなすがままにさせて何千年にもわたる歴史の証拠をつくり,諸国民が地を平和に治めえないことを実証しておられるのです。それでも諸国民は今歩んでいる道を進むことを欲しており,神は,ご自分の確定された時がくるまで,諸国民の行動の自由を妨げることを差し控えておられるのです。

      とはいえ,諸国民は誤った悲惨な道から離れようと思えば,自らそうすることもできましたし,またその機会もありました。神は諸国の歩むべき道を示されました。異教徒の支配者たちでも,神から与えられた良心をある程度もっています。キリストの使徒のひとりは,そのことを次のように説明しています。

      「律法をもたぬ異邦人,もし本性のまま律法にのせたるところをおこなふ時は,律法をもたずとも自から己が律法たるなり。すなはち律法の命ずるところのその心に録されたるをあらはしおのが良心もこれがあかしをなして,その念,たがひにあるひは訴へ或は弁明す」― ロマ 2:14,15。

      そこで,クリスチャンと呼ばれている諸国民については,さらに言いわけのしにくい立場にあると言わねばなりません。それら諸国民には正しい政治と正義の原則が,神のことばである聖書をとおして明確に示されており,また彼らは聖書の律法に拘束されていると公言するからです。しかし彼らは聖書の原則の大部分を拒否してきました。

      こうした事実を考え合わせると,神が諸国民を専横な態度で,または性急に扱っておられるとは言えません。神が正しい国民に不利なことをしている,と非難できる人はひとりもいません。むしろ神は,エレミヤ記 18章7,8節で述べておられる原則を常に守ってこられました。

      「われにはかに民あるひは国をぬくべし敗るべし減すべしということあらんに,もし我いひしところの国その悪を離れなばわれこれにわざはひを降さんと思ひしことを悔ん」。

      神は諸国民に,ご自分が地の正当な所有者であることを示しておられます。「全地はわが所有なればなり」と神は言われています。

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