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神に倣った特質としての愛と憎しみものみの塔 1974 | 10月15日
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が述べている事がらを他の人びとに伝えるその熱意によって示されます。神に倣った憎しみはさらに,うそをつくこと,盗み,不道徳などをさげすむ気持ちを持つ特徴があります。クリスチャンの会話,生き方,娯楽の選択などは,そうした問題にかんしてそのクリスチャンが取る立場を明白に示します。―エフェソス 5:3-5。
22 神に倣った非常に大切な特質としての愛と憎しみを実践するのはなぜ重要ですか。
22 今は,神に倣った特質としての愛と憎しみを十分に養うべきときです。エホバが愛される事がらを愛し,エホバが憎まれる事がらを憎むことは,この邪悪な世の習慣に対する守りとなります。神に倣った特質としての愛は,正しいことを行なうための強い力です。神に倣った特質としての憎しみは,悪行に対する守りであり,エホバの道を歩みつづけるための助けです。わたしたちの愛と憎しみはどれほど純粋なものでしょうか。わたしたちの生活全体の価値と真価は,それに対するわたしたちの答えによって量ることができます。
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あなたは本当に近づきやすい人ですかものみの塔 1974 | 10月15日
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あなたは本当に近づきやすい人ですか
エホバ神はご自分に仕える人たちの示す近づきやすい態度を高く評価しておられます。それはもっともなことです。というのは,神ご自身,あらゆる人の祈りを,いつでも,どんな状況のもとでも容易に受け入れてくださって,近づきやすい態度という点で最高の模範を示しておられるからです。―詩 65:2。
神が近づきやすさを尊重しておられる証拠は,ご自分のみ子を地に遣わして卑しい境遇のもとで生活させたという点にも見られます。それは何のためでしたか。とりわけ,そのみ子イエス・キリストが「あわれみ深い忠実な大祭司となり」,「わたしたちの弱いところを思いやることのできないかたではなく,すべての点でわたしたちと同じように試され」るためでした。この方のおかげで,クリスチャンは「はばかりのないことばで[神の]過分のご親切のみ座に近づ」く,それも大胆さと確信とをもってそうすることができるのです。(ヘブライ 2:17,18; 4:15,16; 10:19,21,22)エホバ神は,そうであることを欲しておられます。
今日,人びとの間柄は概して疎遠になるばかりです。家族の間でも,権威を持つ人たちと権威に従う人たちとの間でも,意志の疎通は弱まるばかりです。このことからしても,近づきやすいということがどんなに大切かを認識すべきでしょう。そうしたこの世的な不利な状態が会衆内に浸透して,会衆にゆき渡っている暖かさや純粋の愛の精神が弱められるのを許すわけにはゆきません。特に,油断なく気を配る必要があるのはだれですか。そうした危険に対してどのように警戒できますか。
『妻を自分自身のように愛さ』ねばならないクリスチャンの夫は,この特質に注意する必要があります。親もまた,もし子供を『いらだたせて気落ちさせ』たくないなら,子供に対する近づきやすい態度を保たねばなりません。また,クリスチャン会衆内では,長老たち(監督たち)は兄弟姉妹すべてを扱うさいに,本当に近づきやすい人であることを示す必要があります。―エフェソス 5:28,33。コロサイ 3:19,21。ペテロ第一 5:1,3。
近づきやすい人であることを示す
近づきやすい人であるための秘訣は,他の人びとに対して誠実で,純粋な関心を抱くことです。わたしは近づきやすい人間です,わたしは“門戸解放”主義を取っています,“歓迎”と書いた敷物
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