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『もはや自分のために生きるのではない』ものみの塔 1974 | 9月15日
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離れたところにいるとき,たとえば森の中でキャンプをしているときなどは,創造者のことを黙想したり,家族で聖書の討論をしたりすることに喜びを見いだします。それからまた多くのエホバの証人は,休暇のとき,毎年開かれるクリスチャンの大規模な大会の一つから十分の益を得ることを計画に入れます。
29 『自由な』時間の使い方を考えるさいにどんなことを考慮すると有益ですか。
29 ですから,晩,週末,あるいは休暇の過ごしかたを考えるときには,神とキリストのみまえにおけるあなたの立場をよく考えてください。肉体的に,精神的に,または霊的にあなたをさわやかにする事がらを行なうよう努力してください。「自由な」期間が終わったのち引き続き行なう神への奉仕に役だつ力を得ることを目標にしてください。世の人びとは,『しばらくどこかへ行ってきまりきった仕事のことは忘れてしまいなさい』と言うかもしれませんが,神とキリストがあなたのためにしてくださったことに対する感謝を示してください。あなたの良心を苦しめるような事がら,さもなければ報いのあるさわやかな気分が味わえたであろう時を,後悔の念をいだいてふり返ることになるような事がらを避けてください。
30 神を信ずると言いながら快楽のために生きる人びとについてはどんな疑問が生じますか。
30 実際に,神のしもべは,すべてのことを創造者の栄光のために行なうべきであることを思いにとめていなければなりません。(コリント第一 10:31)たとえ不完全であっても,罪深い性向を制御して,「罪の奴隷」とならないように努力しなければなりません。(ローマ 6:16)しかしあなたは,創造者とそのみ子を信ずると言う人の中に,この世で今得られる快楽すべてを楽しむことを中心にした日常生活をしている人がいるのを知っているかもしれません。何が欠けているのでしょうか。将来の希望を信じていないということでしょうか。将来に対する見方はあなたの日々の生活にどのように影響しますか。この点の考察は次の記事に譲ります。
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永遠の前途を見ながら奉仕するものみの塔 1974 | 9月15日
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永遠の前途を見ながら奉仕する
1,2 (イ)人びとや国家は,将来についてどのような見方をしていますか。(ロ)ある人びとは自分自身の将来さえ考えません。それはなぜですか。
彼らの言動が示すように,「楽しめるうちに楽しもう。あすはどうなるかわからない」ということを生活の基本的モットーとしている人は,今日珍しくないのではないでしょうか。国家でさえ多数こういう考えに従っているようです。ヨーロッパの非常に有力な経済学者のひとりは,自国の政府が,「あとは野となれ山となれ」式の政策を進めることを,つまり目先のことだけで将来のことを考えない計画を立て,お金を費やすのを非難しました。
2 多くの人びとは,「既存の体制」の目標や業績にひどく幻滅しているので,同じことを繰り返すだけの将来に関心を持っていません。1972年のこと,ある大学教授は,「青年たちは自分個人の将来にさえたいした関心を持たないようである」と述べ,さらにこうつけ加えています。「若い人びとは,社会学者が『目標志向』と呼ぶものに欠けている。そしてその時間を,麻薬や抗議からさまざまな生き方の実験,無意味な計画や快楽まで,あらゆる事がらに時間を浪費しているように思われる場合が多い」。また,汚染,犯罪,ききん,戦争などにかんする警告がますます恐るべきもの
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