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あなたは真実さをどれほど強く愛していますかものみの塔 1974 | 1月15日
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ですか。もしもそうだとすれば,ただ「便宜」として正直さを求め,自分に不利と見ればうそをつく人々とどれだけ異なっているでしょうか。
真実を話すのは行なうべき正しいことであり,また神に喜ばれる事がらです。これこそ,わたしたちが真実さを求める理由であるべきです。ほんとうにエホバ神を愛し,何にもまさってエホバに喜ばれることを求めているのであれば,自己の利益を図る力がどれほど強く働くとしても,故意に偽りを語る者とはならないはずです。その人は,「真実の神エホバ」のしもべであることを,自分の行動によって示すでしょう。―詩 31:5,新。
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恐れの気持ちからの解放ものみの塔 1974 | 1月15日
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恐れの気持ちからの解放
その男の人はしだいに年老いていました。可能なかぎり友人の近くで過ごし,自分だけで遠くに行くことはめったにありませんでした。だれも知らない所で死に倒れて自分ののどに少しの水も入れてくれる人がいないというようなことを恐れたからです。もしそのようなことかあれば悲惨なことだ,来世に通ずる険しい丘をよじ登るためにはどうしても水が心要だから,と彼は考えていました。また,自分の死のさいに回りに来てくれる友人はみな自分が離れて行く家に不幸を臨ませないようにと自分の霊に懇願してくれ,また,自分の家族内の女たちに子を産ませてくれるようにとそれに懇願してくれるだろう,とも信じていました。
世界のほかの場所では,別の人が自分の前途にある死に対して同じように恐怖をいだいていました。彼の属する民は一般に,死者はしばらくのあいだ引き続き意識と知覚を保つ,と信じていました。彼は,まず押しつぶさんばかりの墓の重みを感じ,それから永劫のやみに入るのだ,と考えました。そののち,どのようにしてかはわからないが自分は家の庭から切り取った二本の棒で身を支え,そのとき死の使いたちが到着して,「あなたの神はだれか」と自分の霊に尋ねる,そう尋ねられているとき自分の頭は墓石にぶつかり,自分はくしゃみをしながら,「宇宙の主なるアラーにこそ栄光あれ」と言うのだ,と彼は信じていました。死後に正しい答えができるようにと願う彼は,生きている間,くしゃみをするたびにこの文句を練習しました。
それと同じころ,はるか離れた所の別の人は,自分が突然の死もしくは不自然な死を遂げるのではないかと不安に取りつかれていました。そうした不慮の死そのものではなく,「免罪を受けて」(司祭の奉仕によって赦免を授けられること)神との最終的な平和を得るいとまもなく死を見ることを恐れていました。しかし,彼の親族は彼以上の不安にまとわれていました。彼の死の瞬間に家じゅうの戸と窓をすべて開け,魂を解き放つようにしなければならなかったからです。これは,人を害する力のある死者の魂を怒らせることのないよう非常な注意を払わなければならない,と信じていたためです。家族のある者は,死者がまじないをかけることのないようにと,死者の心臓のあたりに自分の手を当て,また死者の目を閉じます。家じゅうの鏡には覆いがかけられます。生きている者も死んだ者も死人や死そのものの姿を見ることがないようにとです。死者の家畜やみつばちは,今では新しい持ち主のものとなっていますから,先の主人の死を知らされます。それらの動物が盲目的に以前の主人の死についていくことのないようにとです。
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