ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔74 6/1 349–351ページ
  • 極寒地帯で「良いたより」を宣べ伝える

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 極寒地帯で「良いたより」を宣べ伝える
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1974
  • 副見出し
  • すべての家を訪問しなければならない
  • 聖書の真理を学びたいという熱心な願い
  • 幾つかの困難
  • 反対者から,神の熱心なしもべへ
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1974
塔74 6/1 349–351ページ

極寒地帯で「良いたより」を宣べ伝える

「今日の気温は零下34度です。秒速4.5㍍ほどの風も吹いています。こうした風にさらされると,人間の体は零下43度の環境下にあるのと同じ影響を受けます」。はるか遠くの北国に住む一人のエホバの証人はこう報告してきました。証人はさらに次のようにも言いました。「今朝の戸別訪問の奉仕は挑戦でした」。

このエホバの証人を初めとして他の幾十万もの人々が同じ様に,聖書の音信を定期的に他の人々に伝えています。それは,極寒地帯でさえ行なわれているのです。証人たちは,孤立した土地に住む人々を含む,あらゆる場所の人々に音信を伝えるべく,特別の努力を払ってきました。

1971年のこと,一群のエホバの証人がカナダのマニトバ州にある人里離れたインディアン部落に行きました。一行に加わったドナルド・アンダースは,そのさいどんな自然条件を克服しなければならなかったかについてこう語っています。

「気温はしばしば零下40度にまで下がり,風はほんとうに身を刺すようです。知らない間に,顔のいたるところが凍りついてしまいます。時には,あまりに寒くなって大気中の成分が実際に結晶化し,深い霧がかかったようになることもあります。そうなると視界がきかなくなるので飛行機は着陸できません。まつげや鼻や口は,しばしば霜で白くなります。

「こうした厳しい寒さのもとでは,それにふさわしい服装をしなければなりません。わたしたちは,風が通らないような服を着る必要がありました。外から見えるものといえば,目と口だけといういでたちをしたこともしばしばでした。そうしなければ,生きていられなかったのです」。

すべての家を訪問しなければならない

アラスカに住むあるエホバの証人は,「この土地で『良いたより』を伝えるさいに直面する最大の挑戦は,氷点下の厳しい寒さというよりも,それぞれの家が遠く離れていることでしょう」と言っています。飛行機か船を利用しなければ行けないようなところにある家が少なくありません。しかしながらエホバの証人は,こうした遠い地域に住む人々に会うために精力的な努力を傾けてきました。前述の奉仕者は,“奥地”の孤立した家に住む人々に音信を伝える方法についてこう語っています。

「孤立した家が見えると,証人たちの乗った飛行機は,家の人が出てくるまでその上空を旋回して,“ブンブン”音を立てます。家の人が出てくると,見本の聖書文書を入れた小さな包を聖書の基本的な真理を説明した手紙を添えて,家の人の近くに落とします。こうして証人たちは,人里離れた土地にさえ,『良いたより』を『落とす』ことができます」。

ノルウェー北部の諸会衆を訪問しているある長老は,孤立した場所に住む人々に音信を伝えるためにどんな努力が払われたかについてこう語っています。「[北極圏に入って北に320㌔ほど行った]アルタの会衆は,ガルコロボウルドの荒野にある5軒の家に関心を持ちました。そこに行くためには,まず自動車に乗って85㌔進み,そこから先は道がなくなるので,スノー・スクーターに乗り換えてさらに35㌔行かなければなりません。わたしたちはしばしば,こうした遠くに住む人々のもとにしばらくの間とどまって,聖書文書の幾つかの章を勉強したり,いろいろな質問を話し合ったりします」。

フィンランドの極寒地帯でエホバの証人の旅行する奉仕者として働いているマティエ・ティアイネンは,土地の兄弟たちが同地方の孤立した場所に住む人々に音信を伝えるために払った努力についてこう語っています。「何人かの兄弟たちはバスに自転車とスキーを載せて100㌔以上も離れた村々まで行き,帰り道に伝道しました。わき道は除雪されていませんから,スキーを使う必要かありました」。

中には,冬期になると近づけない家もありましたが,そうした家を夏に再び訪問するため,正確な記録を取っておきました。冬期になると渡れなくなってしまうある川の向こうに,クスタア・ヌルメラの家族が住んでいることにエホバの証人は気づきました。農業を営んでいる,もの静かなクスタア・ヌルメラは,すぐに聖書研究に応じました。彼はやがてエホバの証人になり,家族の者たちをエホバに仕えるよう訓練しました。ヌルメラ兄弟は,孤立した場所にある自分の家がエホバの証人に見過ごされなかったことを,ほんとうに喜んでいます。

ティアイネン兄弟はカイサ・アホという名の女性についても報告しています。彼女も孤立した場所に住んでいましたが,訪問したエホバの証人から聖書の約束について学びました。ティアイネン兄弟はこう語っています。

「アホ姉妹はその地域のすべての家を訪問しました。彼女は時々,自分の夫ベイッコの許可を得て,他の村にまで伝道旅行に行きました。時には,かなり遠くの村にまで行くこともありました。こうした旅行は夏には徒歩で,また冬にはスキーを使って行なわれました。この姉妹は,スキーをはいて1日に2,30㌔走ることもありましたし,数日を要する旅行では合計100㌔も滑りました」。

アホ姉妹は,人々のもとに行こうとしてどうしてそれほどの努力を払ったのでしょうか。それについて姉妹自身がこう説明しています。「すべての家を訪問しなければなりません。わたしたち夫婦はそのようにして見いだされたからです」。

聖書の真理を学びたいという熱心な願い

極寒地帯に住む人々の中には,神に関する真理を学びたいという熱心な願いをいだく謙そんな人が少なくありません。彼らは,地上に楽園が回復されるという考えに快く答え応じます。しかしこうした謙そんな人々に音信を伝えるには,多くの場合,わかりやすい説明やたとえ,また絵などが必要です。

1972年と1973年の夏に,カナダ,ケベック州のセチルに住む二人の全時間奉仕者モリス・チャーランドとブライス・スミスは,同州の北東部にある27の村落を訪問しました。彼らはそこで,神の王国の「良いたより」に熱心に耳を傾ける人々を見いだしたでしょうか。二人はこう報告しています。

「かなりの村人は音信を一度聞いただけでは満足しませんでした。彼らは,家から家を訪問するわたしたちのあとを,大きな列を成してついてきました。ある家では,あまりに大ぜいの人がいたため,かがんでカバンの中から文書を取り出すことさえ難しいほどでした。その家には,王国の音信を聞くために少なくとも30人の人が集まっていました」。

アラスカのシャクトリクという小さな村で,一人のエホバの証人が年配のエスキモー人に話しかけました。そのエスキモー人は,数㌔離れたところで釣りをしている妻と孫たちを連れに行くため,雪ソリに乗ろうとしているところでした。しかし証人の訪問の目的を知ると,その人は自分の代わりに息子を迎えにやり,こう言いました。「これは,家族の者を迎えに行くことよりももっと重要です。どうぞ,中にお入りになって,全部話してください」。ほどなくしてこの人の妻が帰ってきました。彼女も,慰めを与える聖書の約束を聞いて非常に喜びました。兄弟がその家を去ろうとすると,二人は戸口のところに駆け寄って,「どうぞ,行かないでください。わたしたちは全部を聞きたいのです!」と言いました。

時には,エホバの証人が一度訪問するだけで,真理を愛する人の関心を呼び起こすことがあります。1972年のこと,ノルウェー北部に住むあるポピュラー・ミュージック・バンドの年若いリーダーは,「神が偽ることのできない事柄」という本を手に入れました。この本を読んだ後,青年はさらに深く知りたいと思い,ノルウェーにあるものみの塔協会の事務所を訪れました。ボードに住む長老の住所を教えてもらったその青年は,半日がかりでその長老に会いに行きました。そして,たくさんの質問をして,その答えを得ました。話し合いは数時間にも及びましたが,青年はそれを聞き直すことができるように,テープに録音しました。ほどなくしてその青年は,バンドを解散し,教会から籍を抜き,それまで属していた政党から脱退しました。真理を初めて聞いた時からわずか数か月後の1972年6月に,この青年はバプテスマを受けてエホバの証人となりました。

幾つかの困難

極寒地帯に住む大多数の人々は,友好的で,聖書の真理を快く受け入れます。しかし,こうした地域で「良いたより」を宣べ伝えるにはある程度の困難も伴います。その一つは,現住民は多くの場合非常に内気で,真の関心を持っているのかどうか見定めることがむずかしいという点です。その結果,近所の人から異なって見られるような生活面での変化を遂げようとしない人がかなりいます。

宗教上の偏見も難しい問題を引き起こす場合があります。フィンランドの北部に住むある僧職者は,新聞の紙上で,「エホバ主義者はプダスジェルビの厄介者である」と述べました。またこの僧職者は,エホバの証人は共産主義を教えていると言って,偽りの非難を浴びせました。こうした反対のために,その町に住む二人のエホバの証人は落ち着いた住まいを見つけるのに1年以上も探し回らなければなりませんでした。もう一つの例はある実業家に関するものです。その人は,「自分の所有している事務所で,エホバの証人が集会を開くのを許可した」という理由で,教会員の面前で3回公式の警告を受け,最後に破門されました。しかし,ものみの塔協会のフィンランド支部から最近寄せられた手紙によると,ある程度の反対はあるものの,「この地方に住むすべての人々に,『良いたより』が宣べ伝えられています」。

反対者から,神の熱心なしもべへ

しかし,反対が示される場合でさえ,「良いたより」は,正しく答え応じる人々の心に達しています。事実,以前に反対していた人が,今では熱心なエホバの証人になっている場合もあります。たとえば,ケベック州の東部に住んでいるあるエホバの証人は,既婚の若い男の人に会いました。その人は,エホバの証人は『自分の宗教を売りつけよう』としていると言って,初めのうちはエホバの証人に対する敵意をむき出しにしていました。しかし,イエスご自身も「村から村へ」良いたよりを宣べ伝えたことが説明されると,その人は,「とこしえの命に導く真理」という本を受け取りました。(ルカ 8:1; 13:22)彼はその本を一晩で読んでしまいました。そして証人に,土地のカトリック司祭と会合を持つことを提案しました。その会合は次のような結果に終わりました。

「その司祭は非常に礼儀正しい人でした。わたしは,この青年が関心を持っている三位一体を初めとした問題に話題を向けていきました。司祭はたくさんの質問をしましたが,聖書に書かれていることにはいつでも同意しました。がまんしきれなくなった青年は,自己弁明するようにと司祭に強く勧めました。すると司祭はこう答えました。『自己弁明だって。あなたと同じように,わたしも真理を求めているのです』。

「翌朝のミサのさいにこの司祭は,聖書を学びたいと思う人はエホバの証人と話すように勧めました。驚いたことに,それからわずか数か月後には,青年は聖書の真理を心から受け入れ,近所の人の家を戸別に訪問して,それを伝えるほどになっていました。前述の司祭がどうなったかは知りません。わたしたちが話し合った直後に,彼は別の教区に移されたからです」。

もう一つの経験は,カナダの南部にある自分の家を出て,インディアンの間に真の兄弟愛と幸せを見いだそうとして北方にやって来たある男の人に関するものです。エホバの証人と会った時,その人は初め反対しました。しかし後に,「ものみの塔」誌の中の「良いたよりはどのように人類を一致させるか」という記事を読んで深い感銘を受け,家庭聖書研究を望むようになりました。そして数か月後に,この人はバプテスマを受けました。それからしばらくして,この以前の反対者は「良いたより」の全時間奉仕者となりました。聖書の真理を学ぶことについて,彼はどう感じていたでしょうか。彼自身,次のように語りました。「わたしが探し求めていたすべてのもの,つまり一致,平和,人種的偏見のない真のクリスチャン愛,不正のない世界がもたらされるという希望などを,わたしはエホバのみことばと地上の組織の中に見いだしました」。

イエスが予告したように,良いたよりは人の住む全地で,そうです,人口のまばらな極寒地帯においてさえ宣べ伝えられています。

「したがって,神の選ばれた者,また聖にして愛される者として,優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなくゆるし合いなさい。エホバが惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたもそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」― コロサイ 3:12-14。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする