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分裂した家族の中で幸福を見いだせますかものみの塔 1977 | 12月15日
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ています。主イエス・キリストに導かれ牧されることを望んで,文字通り幾万もの人々が立派な羊飼いの囲いの中に群れをなして入ってきています。イエスが,「わたしはりっぱな羊飼いであり,自分の羊を知り,わたしの羊もわたしを知っています」と言われたのは極めて適切でした。(ヨハネ 10:14)わたしたちはその「羊の囲い」の中にとどまることによって,エホバのしもべの分である祝福や喜び,そして真の幸福を見いだします。結婚していようと独身であろうと,古い世の問題が原因で分裂している,あるいは破壊してしまった家庭に住んでいようと,わたしたちは皆共に王国の取り決めの下で永遠の命を得る見込みを有しています。日々の生活の中での行ないにより,また聖書中に述べられている正しい行動と懲らしめに従うことにより,わたしたちは,神のしもべが神とそのみ子のとこしえの王国の関心事に仕える本当に幸福な民である,という神の言葉の真理を証しする生きた証人となることができます。ですからわたしたちはひとりびとり,家族の幸福を促進し維持することにあずかって,エホバのみ名に栄光を帰すことができるのです。
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人生の真の目的を見いだすものみの塔 1977 | 12月15日
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人生の真の目的を見いだす
中村雅一の語った経験
誠実で暖かい心の持ち主であった両親は,子供たちに人生の良い出発をさせたい,と考えていたようです。日本人が概してそうであるように,父も仏教徒でしたが,少年の頃の私に近所のプロテスタント教会へ行くように勧めました。こうして初めて私は“新約聖書”に接し,その音信に強くひかれました。また,学んだ事を黙っていることができず,それを級友に語ったほどです。事実,牧師になるのも悪くはないと考えたことがありました。しかし父はその考えを一時的な熱によるものと考えて反対しました。
他の人たちに奉仕することを人生の目的にしたいという願いは強かったので,それなら医者になろうと決意しました。これは私の宗教活動にかなり食い込みました。大学の入学試験はかなりの準備が必要です。それでしばらくは,教会にかようのはやめなければなりませんでした。東京大学医学部に入学も決まり期待をもって教会に戻りました。
その頃,私の内面に宗教に対する疑念が生じるようになっていました。教会では同じような事が繰り返し教えられていました。しかも,その頃祖父が死去し,葬式の手伝いをしているうちに,教会で教えられている地獄や死者の状態についての教えに強い疑問が起こりました。これがきっかけとなり,私は教会を離れました。
大学では霊的に助けとなるものは何もありません。それで少しずつ無神論的な考えを持つようになってゆきました。孤独な気持ちを慰めるためにスポーツを始め,乗馬に熱中しました。
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