-
「見守るすべての人の前で」戒めを与えるものみの塔 1977 | 3月1日
-
-
用いることにより,いやし,戒め,けん責し(叱責,テモテ第二 4:2,王国行間逐語訳)再調整し,懲らしめることができます。(ガラテア 6:1。テモテ第二 3:16。ヤコブ 5:14-16)また悔い改めない人を排斥することによって「叱責する」ことができます。(コリント第一 5:1-13。コリント第二 2:6-8)会衆はあわれみを示すでしょう。しかしそれは,罪を犯した人が『のがれられる』という意味ではありません。悔い改めによってエホバのあわれみは得られるかもしれませんが,罪は逃れることのできない結果をもたらすからです。罪の行ないは ― 大小を問わず ― 自然の成り行きとして,精神,感情,あるいは肉体や物質の面においてさえ,悪行者に必ず害を及ぼします。しかし悪行者はその苦しみを,自分自身以外にはだれのせいにすることもできません。自分がまいたものを刈り取るのです。―ガラテア 6:7,8。
23 わたしたちが皆,確信と忍耐とをもって歩むべき賢明な道とはどんな道ですか。
23 ですから,わたしたちは皆,堕落した肉とその腐敗した傾向にまくのではなく,「霊から永遠の命を刈り取ることになる」ことをわきまえて霊にまくよう,賢明に行動しましょう。神の是認と豊かな祝福とを約束する義を追い求めることに「うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになる」のですから,「りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう」。―ガラテア 6:8,9。
-
-
コロンビア全土にエホバの知識を伝えるものみの塔 1977 | 3月1日
-
-
コロンビア全土にエホバの知識を伝える
近隣のスペイン語圏アメリカ諸国と同様,コロンビアは様々な対照の見られる国です。ある人が好んで言うように,そこには都市部と農村部の二つのコロンビアがあります。国土の大半が20世紀の開発の波から取り残されている一方,急速に発展する同国の大都市は世界各地の近代都市に比べてもひけをとりません。多数の大学を擁し,文化活動の盛んな首都ボゴタは,古くから“南米のアテネ”として知られています。それとは対照的に,コルドバやラグアヒラなどの地方の州では,文盲率が60%から80%にも達しています。
ローマ・カトリック教会の優勢なこの国において,人々がエホバのクリスチャン証人について知るようになったのは比較的近年になってからのことです。今ではどこにおいてもすぐにエホバの証人と結び付けて考えられる聖書教育活動に,1942年当時,熱心に携わっていた地元のコロンビア人はわずか2名にすぎませんでした。一方,現在では,コロンビアのもっと広い地域で,「神とともに働く者」は1万6,286人を数えています。(コリント第一 3:9)そのうちの8,902名が過去3年間にバプテスマを受けた新しい証人であるという事実は注目に値します。
コロンビアの人々は聖書に関心を持つ
法王ヨハネス23世が第二バチカン公会議を招集した1962年以降,聖書を読むことに対する関心が目に見えて高まってきました。聖書の知識を求めるコロンビアの人々の要求に答えるため,ものみの塔協会のコロンビア支部は,一昨年だけでも35万1,764冊の聖書と聖書の手引書を発送しました。20年前に発送された書籍の数は,年間わずか7,815冊にすぎませんでした。
しかし,何が原因で,それほど大勢の人がエホバ
-