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祈りの際に頭を覆うのは正しいことですかものみの塔 1977 | 6月1日
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敬意を示し,「自分の頭を辱しめ」ずにすみます。―コリント第一 11:5。a
最後に,グループで一緒に祈りをするものの自分は声を出さないような場合に,頭を覆うことについてはどう言えますか。例えば,墓の傍らでささげられた前述の祈りについて考えてみましょう。その場にいた婦人は,祈りの際に自分の頭を覆わねばなりませんか。いいえ,その必要はありません。その婦人は,公の崇拝の先頭に立っているわけでもなく,普通であれば会衆の男子の成員の行なう役割を果たしているわけでもないからです。その婦人は祈りに耳を傾け,「アーメン」と唱えるでしょう。ですから,その際に自分の頭を覆ったかどうかは,頭の権に関する原則に対するその人の敬意のほどを反映するものではありません。同様に,墓場で祈りに耳を傾ける男子は,聖書的に言って,頭を覆わないでいることも,覆うことも求められていません。どちらを選んでも構いませんが,その人は自分の感情を考慮し,その上他の人を傷付けないようにすることでしょう。他の人が代表して祈る場合に,人が自分の帽子を取るべきであると感じるのであれば,その人はもちろん自分の良心の指示に従えるでしょう。
エホバが,膨大な量の規則を作ることなく,ご自分のみ言葉の中に祈りに関する幾らかの導きを備えてくださったのは何と優れたことなのでしょう。この点を銘記しておけば,わたしたちは宇宙の至高者に近付けると同時に,その方の基本的な原則の一つである頭の権に対する敬意をも示せるのです。
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カヤファ ― 真の崇拝の強硬な反対者ものみの塔 1977 | 6月1日
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カヤファ ― 真の崇拝の強硬な反対者
「祭司のくちびるは知識を保ち,人々が彼の口から律法を尋ねるのが当然である」。(マラキ 2:7,口)霊感によるこの言葉は,イスラエルの祭司たちが真の崇拝の擁護者でなければならなかったことを示しています。特にイスラエルの大祭司はそうであるべきでした。しかし,西暦一世紀当時,大祭司であったカヤファは,そのような期待に背き,真理に対する主要な敵対者の一人になりました。
ローマ総督ポンテオ・ピラトの前任者バレリウス・グラタスは,西暦18年ごろ(遅くとも西暦26年までに)カヤファを大祭司に任命しました。エホバ神の忠節なしもべたちに向けられた,カヤファの激しい反対の主な要因は,どんな犠牲を払ってでもその地位を守ろうとする欲望でした。
ラザロの復活が公に知れ渡ると,カヤファをはじめとする,ユダヤ教の最高法廷であるサンヘドリンの成員の大半は,イエスを殺そうと図りました。(ヨハネ 11:43-53)その奇跡は,カヤファを含む祭司の家族が属していたと思われる,サドカイ
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