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夜も昼も神聖な奉仕をささげるものみの塔 1977 | 1月15日
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このようにしてわたしたちはエホバのみ名について公の宣明をし,そのみ名が象徴するすべての壮大な事柄,またそのみ名に裏付けられたすべての栄光ある約束に関してふれ告げてゆきたいのです。わたしたちはエホバとそのみ子を「常に」賛美していたいと思います。家庭の互いの間で,集会の際に,また同じ地域社会で耳を傾けるすべての人に,あるいは他のどのような所にいる場合でも。わたしたちがこのようにするなら,『[キリスト]の父のみ顔を常に見守っている』天の軍勢すべても,わたしたちを最大限に支援し,神への誠実なる「神聖な奉仕」の一環としてわたしたちの行なう良いたよりの宣明に対して「アーメン」の声を添えてくれるでしょう。―マタイ 18:10。啓示 7:12。
26 今日,エホバを求めるよう世界中の多数の人々の心を動かすものは何ですか。これはどんな喜びをもたらしますか。
26 今日幾千幾万の人々をエホバのもとに引き寄せているのは,エホバの民の行なう「神聖な奉仕」です。それらの人々は,エホバの証人の愛の態度,進んで助けようとする態度,清潔さ,真実の忠誠,平和的態度,宣べ伝える業に対する献身を見ています。そうして,神のしもべたちが熱心に宣明する良いたよりを耳にし,それに耳を傾けようとの衝動を持つのです。こうしてエホバ神は現在栄光を受け,今後全地にわたってその栄光は一層たたえられ,大患難を生き残った感謝にあふれる人々によって力強く賛美されることになります。このすべては,神に対して真に神聖な奉仕を日夜ささげることの,立派な,喜ばしい結果となるのです。
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祈りによって神に近づくものみの塔 1977 | 1月15日
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祈りによって神に近づく
エホバ神は,「耳を植えた者は聞くことをしないだろうか」と述べておられます。(詩 94:9,口)身分の上下を問わず,心から誠実な態度で神に祈る人は,神がその請願に関心を示してくださるという全き確信を抱くことができます。聖書はこう述べています。「ユダヤ人とギリシャ人の間に差別はないからです。すべての者の上に同じ主がおられ,このかたは自分を呼び求めるすべての者に対して豊かなのです」― ローマ 10:12。
しかしわたしたちは,正しい態度,つまり深い敬意のこもった態度で,また神と自分たちの関係を理解した上で,神に近づかねばなりません。神は,宇宙の主であり,わたしたちの全能の創造者です。
したがって,人が礼儀作法を一切わきまえず,前触れもなしに地上の王の前にまかり出ることがないのと同様,神に祈りを聞いていただきたいと誠実に願う人は,ふさわしい精神と礼儀をもって神に近づきます。しかしそれだからと言って,神が冷淡で近づき難い神,遠く離れた存在になるわけではありません。それは,使徒パウロがアテネの一群の男女に対して,神はご自分を人間が捜し求めるよう取り計らわれたと述べ,さらに次のように語っていることから分かります。「実際のところ神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません。わたしたちは神によって命を持ち,動き,存在し…『…われらはまたその子孫(なのです)』」― 使徒 17:26-28。
神は,わたしたちがどうすれば必ず祈りを聞いていただけるか,という点を親切にも教えてくださいました。人は「わたしたちの主イエス・キリストの名により」神に近づかねばならないということを,神は極めて明確に示されました。(エフェソス 5:20)イエスは使徒たちに,ご自分が復活
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