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喫煙が喫煙家に及ぼす影響ものみの塔 1981 | 5月1日
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喫煙が喫煙家に及ぼす影響
その広告を見ると,すがすがしく,さわやかな印象を受けます。山あいのきらめく湖を背景にたばこが一箱読者に向かってまっすぐ差し出されています。この種の広告にはかなりの効果があります。それは喫煙を心地良い感覚と結び付けます。喫煙を生活上の望ましい事柄と関連付けようとして,毎年幾千億円もの広告費がかけられます。しかし,そうしたイメージの背後には何がありますか。
喫煙に関する諸事実
1979年に,カナダ肺学会が,「喫煙の影響で毎年5万人のカナダ人が早死にしている。肺が機能障害を起こし,心臓に過度の負担のかかった状態で生活している人はさらに大勢いる」と率直に述べたために,多くの人は顔色を失いました。
米国公衆衛生局局長,ジュリアス・B・リッチモンド博士は1979年に膨大な報告書を発表し,喫煙が健康に有害なことを明らかにする「圧倒的な証拠」を挙げました。その報告は,毎年,35万人ほどのアメリカ人が喫煙のために死亡しているとしています。また,英国の保健次官,ジョージ・ヤング卿が最近語ったところによると,英国では毎年喫煙のために5万人の死者が出ています。
こうした膨大な数の死者数はどのようにして算出されるのでしょうか。基本的に言って,それは喫煙者の死亡率とそうではない人の死亡率を比較することによって算出されます。100万人以上を対象にした幅広い調査について,アメリカ百科事典は次のように解説しています。「観察期間中,非喫煙者の死者100人につき,比較の対象となる似たような境遇の喫煙者のグループに168人の死者が出た勘定になる。これは死者の数が68人上回っていたことを意味している」。
しかし,そのような証拠は決定的なものですか。確かにそう言えます。カナダ肺学会は次のように述べています。「この諸事実に関して議論の余地はない。幾千もの注意深い研究がそれを裏付ける証拠を提出している。主要な医療および保健機関の中でこの点に異議を唱えるところはない」。アメリカ科学振興協会の発行する「サイエンス80」は同じようにこう述べています。「たばこが寿命を縮めることを示す圧倒的な証拠がある。医学界でその因果関係ほど確かなものはない」。
ほぼ一生の間喫煙を続けた人の数が非常に多いので,明確な研究が可能になりました。分子生物学者でガンの専門家であるジョン・ケアンズは,「振り返ってみると,西欧社会はあたかも発ガン性に関する大規模で十分に対照された実験に着手し,人間を実験動物として用いて幾百万もの死者を出したかの観がある」と述べています。
幾百万もの生命,そうです幾百幾千万もの命が喫煙によって縮められたのです。ワールドブック百科事典はこう説明しています。「医学的な研究によると,喫煙者の平均余命は非喫煙者の平均余命より3年ないし4年短い。ヘビースモーカー,つまり1日にたばこを二箱以上吸う人の平均余命は,非喫煙者より8年も短くなることがある」。
その危険を最小限に食い止めようとして,いわゆる“より安全な”たばこが今では市場に出回っています。しかしそうしたたばこは本当に安全なのでしょうか。喫煙がたばこを吸う人に害をもたらすのはどうしてですか。
安全なたばこ?
病気を引き起こす主要な物質は,ニコチンと大ざっぱにタールと呼ばれているたばこの煙の微粒子であると思われます。ですから,たばこの煙の中からタールとニコチンは相当程度取り除かれてきました。事実,幾つかの銘柄のたばこからはタールが事実上完全に除き去られています。たばこの宣伝はしばしばこの点を強調します。低タールおよび低ニコチンのたばこは“安全な”ものとして報道されることがありました。その点で代表的なのはアトランタ・コンスティテューション紙の第一面に載った,「1日に一箱吸っても安全なたばこ」という見出しです。
しかし事実はどうでしょうか。一つの点として,低タールのたばこには香料が加えられています。「低タールおよび低ニコチンのたばこに香料が全く加えられていないとしたら何の味もしなくなってしまう」と,たばこの化学の第一人者であるピーター・ミッチシェーは説明しています。では,その香料とは一体何なのでしょうか。それは“企業秘密”で,たばこ会社とその香料を供給している業者しか知りません。しかし,そうした化学的な香料が健康に有害であることは十分考えられます。一人の分析学者は,「そうした物質のあるものがタールよりも有害でないとは言いきれない」と語っています。
また,証拠の示すところによると,低タールおよび低ニコチンのたばこを吸う場合,喫煙者の吸うたばこの本数は多くなり,肺の中に煙をより長く保つようになります。そうするのはヘロインよりも習慣性の強い薬物であるニコチンに対する渇望を満たすためです。ですから,喫煙の習慣がそのように変化するので,低タールおよび低ニコチンのたばこを吸っても,ほかのたばこの場合とほとんど変わらないほどこうした有害な物質を吸い込むでしょう。
その上,たばこの煙の中に含まれる物質の中で最も危険なのは,タールやニコチンではなく一酸化炭素であると思われます。そして,低タールおよび低ニコチンのたばこの中には,標準的な銘柄のものよりも一酸化炭素を多く出すものがあるのです。
デンマークの二人の研究者,ボウル・アストラブ教授とクヌーズ・ケルセン博士は,たばこの煙に含まれる一酸化炭素の及ぼす影響に関する研究結果を公にしました。幾多の実験結果を基にして,二人は,「喫煙家がアテローム性動脈硬化症や心臓病にかかる危険を増大させる有害な化合物のうち,最も重大なのはニコチンではなく,一酸化炭素である」という結論に達しました。また,喫煙が原因で死ぬ人の大半は,ガンではなく,血管や心臓の病気にかかって死ぬとされていることも注目すべき点です。
たばこの煙を吸い込むことが人の呼吸器によくないのは常識からも分かるはずです。証拠もそのことを示しています。気管支の中にある繊毛が損なわれてしまうので,繊毛の動きが鈍り,ばい菌やごみを吐き出すことができなくなります。また,煙の影響で,吸い込んだ不純物を除き去る肺の能力が衰えます。つまり喫煙者は,空気中の有害な物質によって病気にかかる危険を自ら大きくしていることになります。
実際のところ,どんなたばこであれそれが“安全”であると示唆するのは不正直なことです。米国の保健担当官の長であるジュリアス・リッチモンド博士はこう述べています。「喫煙が有害であることを示す科学的な証拠は非常に膨大であるが,安全なたばことか喫煙の安全な範囲などがあることを幾らかでも示唆するようなデータは全く存在しない」。リッチモンド博士は結論として,「安全なたばこがあるとすれば,それは火のついていないたばこだけである」と述べています。
しかし,ご自分でたばこを吸わないとしても,他の人の吸うたばこの煙から有害な影響を受けずにすむでしょうか。
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ほかの人の喫煙から害を受けるおそれがありますかものみの塔 1981 | 5月1日
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ほかの人の喫煙から害を受けるおそれがありますか
ほかの人がたばこを吸ったために,重大な害を被った人は数知れず,致命的な結果を被ることも少なくありません。例えば,妊産婦がたばこを吸うと,大抵の場合胎児に害が及びます。事実,その子は産まれてくる前に死んでしまうことさえあります。
「どうしてそのようなことが起き得るのだろうか。母胎内の保護された環境にいる子供がどうしてたばこの煙の害を被るのだろうか」とお尋ねになるかもしれません。
胎児が害を受けるいきさつ
煙を吸い込むが早いか,その中のニコチンはたばこを吸っている母親の血液の中に入ります。この強力な薬物のために子宮の血管や動脈が収斂し,胎児に酸素や栄養分が届かなくなります。同時に,一酸化炭素が胎盤を通して簡単に胎児の体に入り込みます。それは正常な成長と発達に欠かせない胎児の血液中の酸素に取って代わります。
この点で興味深いのは,オックスフォード大学の英国人の医師団が行なった研究です。その医師たちの話では,母親がたばこを吸うと,胎児が「子宮の中であえぐのが見られ……[胎児は]一時的な酸素不足を味わっているにほぼ間違い」ありません。
その悲惨な結果は十分実証されています。「妊娠期間中にたばこを吸うとひどい先天的な奇形の生じる恐れがあり,胎児が死んでしまうか子供が誕生後間もなく死んでしまうといった事態を引き起こしかねない」と,「家族の健康」誌は論評しています。たばこを吸う母親から産まれてくる子供が生後間もなく死ぬ危険性は3分の1ほど高くなります。また,未熟児として産まれてくる可能性は普通の2倍に跳ね上がります。
それに加えて,母親がたばこを吸う場合,“乳児の突然死”(乳児急死症候群)の危険性が52%も増加する,と研究者たちは述べています。たばこを吸う母親から産まれる子供の脳幹には微妙な異常があり,それが呼吸を阻害して,突然の死をもたらすと見られています。
妊産婦がたばこを吸うと胎児を損なうのであれば,たばこの煙は産まれた後の子供にどんな影響を及ぼすでしょうか。
幼い子供に対する影響
実際のところ,たばこを吸う親は間接的に自分の子供に喫煙を押し付けています。「推定によると,親の喫煙が幼い子供に及ぼす影響は,子供が1日に3ないし5本のたばこを吸うことにほぼ匹敵する」と,肺の専門家アルフレッド・ミュンザー博士は説明しています。幼い子供の敏感な肺にとって,それは極めて有害です。だれかが自分の子供に毎日たばこを5本も吸わせていることを知ったら,どんな親でも非常に不愉快に思うに違いありません。
では,子供たちはたばこを吸う親の口から出る煙で本当に害を受けているでしょうか。アメリカ医師会ジャーナル誌は,この問題に関する医学的な研究の結果を要約し,次のように述べています。
「たばこを吸う母親を持つ幼児は,たばこを吸わない母親を持つ幼児よりも気管支炎や肺炎で入院する可能性が大きい。別の調査によると,両親がともにたばこを吸う場合,幼児が肺炎や気管支炎にかかる可能性はほぼ2倍になる。……別の調査によると,子供の呼吸器に異状が現われるひん度は,周囲のたばこの煙の量と直接に比例している。また,たばこの煙にさらされている子供たちの死亡率や血圧は上昇し,その変化は喫煙家に起きる変化とよく似ている」。
喫煙が楽しみで喫煙家が自分の健康を損なうことを選ぶのは当人の自由です。しかし,自分の子供の健康をも損なうとすれば,それは道徳的に正しいことだと思われますか。
大人に対する影響
たばこを吸わない大人の場合はどうですか。他の人のたばこの煙のために害を受けていますか。
たばこを吸っている人の近くに座っていると,自分がたばこを吸っているのとほぼ同じほどの影響を被りかねません。「今日の健康」誌は,「様々な研究結果によると,普通の喫煙家がたばこを口に運ぶのはたばこに火がついている時間のごく一部であるため,たばこを吸わない人は自分の隣に座っている喫煙家とほぼ同じ量の一酸化炭素やタール,ニコチンなどを自分の意志に反して吸わされることになりかねない」と述べています。
ジョン・L・ポール博士は空気中の一酸化炭素がごくわずか増加しただけで生じる影響について語り,一酸化炭素の濃度が「8ppm(きれいな空気の場合は1-4ppm)を超すと,心臓や肺に達する酸素の量が明らかに減少する」と述べています。たばこの煙でもうもうとしている部屋の空気には一酸化炭素がどれほど存在するでしょうか。
サイエンス誌の編集長であるフィリップ・アベルソンは,同誌の論説欄に次のように書いています。「換気の悪い,たばこの煙のもうもうとした部屋では一酸化炭素の濃度が容易に数百ppmに達し,たばこを吸っているかどうかにかかわりなくその場にいる人すべてがその有害な影響にさらされることになる」。そのような場所の一酸化炭素の濃度は法的に許容される範囲をはるかに超えています。
では,この煙は本当に害を及ぼしかねないものですか。その通りです。その煙を吸っていると気分が悪くなるでしょう。たばこを吸う人にとってこれは驚くに当たりません。初めてたばこを吸った時,大抵の人は気分が悪くなり,吐き気を催すことさえあるからです。
実際のところ,心臓病を患っている人にとって,たばこの煙のもうもうとした部屋の空気を吸うのは危険なことです。「それは健康に有害である」というのがカリフォルニアのウィルバート・S・アロナウ博士の指導の下に行なわれた連邦政府委託の研究から引き出された結論です。
2,100人の中年の男女を対象にしたもっと最近の研究によると,他の人々のたばこの煙をいつも吸わされていると,健康な大人でさえ害を受けます。これらたばこを吸わない人たちの肺の奥深くにある小さな気道は,たばこを吸う人たちの場合と同じような害を被っていることが明らかになりました。「これはたばこを吸わないことに決めた人々の体内をむしばむ取り返しのつかない変化である」と,生理学者のジェームズ・R・ホワイトは説明しています。
たばこの煙をいやおうなしに吸わされることの危険性をさらに際立たせているのは,米国ペンシルバニア州エリー郡で行なわれたある研究です。ニューヨーク・タイムズ紙によると,この研究は「自分ではたばこを吸わないものの夫がたばこを吸う女性の場合,夫もたばこを吸わない女性より,平均して4年早く死ぬことを明らかにして」います。
証拠が示す事柄
その証拠に議論の余地はありません。自分ではたばこを吸わなくても,他の人のたばこの煙を吸わされているなら,害を被る恐れがあります。時がたつにつれて,この事実は広く認められるようになってきています。ですから,米国のほとんどの州および数多くの都市は公共の施設の中での喫煙を何らかの形で規制しています。また,喫煙を特定の場所に限って許している会社もあります。さらに喫煙によって生産性が損なわれるために,禁煙を実行した従業員には幾百㌦ものボーナスを提供した雇用者は少なくありません。
たばこを吸わない人は喫煙者の引き起こす汚染からの解放を求めて,数多くの訴訟を起こしました。一つの訴訟で,判事はある会社の電算室がたばこの煙にさらされるとその装置が故障するという理由で禁煙になっていることを取り上げました。そこで判事は,機械のために喫煙を控えることができるのなら人間のためにも控えることができるはずだと裁定しました。
愛煙家の中には,自分たちの習慣を非とするそのような立法措置をうるさく思っている人もいます。そうした法律には正当な根拠がないと考えるのです。ある人が言うように,「結局のところ,たばこを吸っても罪にはならない」と言うわけです。
でも,それは罪ではないと本当に言えるでしょうか。たばこを吸っていながら,神を本当に喜ばせ,隣人を本当に愛することができますか。
[7ページの囲み記事]
たばこを勧める大衆雑誌
今日の大衆雑誌の大半は,喫煙の楽しみを称揚する広告でそのページを満たしてたばこの使用を助長しています。主な女性雑誌はその例外となるどころか,そうした広告で文字通り埋まっています。
一つだけ,レッドブック誌の1980年12月号を例にとって考えてみましょう。180ページあるその雑誌には,たばこの広告が合計14ページありました。11の銘柄のたばこのために11ページ分の全面広告があり,別の二つの銘柄のたばこのために半ページ分の広告が二つあり,見開き2ページ分の広告が一つ別の銘柄のたばこの宣伝に充てられていました。これは珍しいことではありません。ほかの女性雑誌も,死をもたらすたばこを勧めるために同じほどの誌面を割いています。
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たばこを吸うと,成長過程にある胎児から,正常な成長に必要とされる酸素や栄養分を奪うことになる
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喫煙は人間にも有害です
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隣人を愛すると言いながら,喫煙できますかものみの塔 1981 | 5月1日
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隣人を愛すると言いながら,喫煙できますか
たばこを吸う人は他の人が吸わなければならない空気を汚すだけでなく,自分自身の健康をも損なっています。たばこをやめれば当人の健康も増進されます。また,空気を汚さなければ多額のお金を節約することにもなります。たばこ代だけでも年間17万円ほど節約できます。ですから,禁煙こそ取るべき唯一の道理にかなった道です。
たばこの先から立ち上る煙に含まれている汚染物質の量について考えてみるとよいでしょう。それはたばこを吸っている本人が吸い込む煙よりもはるかに有毒です。たばこから立ち上る煙に含まれるタールやニコチンの量はたばこを吸っている人の吸い込む煙に含まれている量の2倍に上り,一酸化炭素は5倍以上,アンモニアに至っては50倍以上に達します。しかも,そのほかにも様々な有毒物質が含まれているのです。
閉め切った車の中でたばこを10本吸うと,一酸化炭素の濃度は100ppmに達します。これは米国連邦大気汚染基準の許容濃度をはるかに上回っています。ニューヨーク・タイムズ紙は,「典型的な大学生のパーティーでは,たばこの煙から出る空気中の微粒子の濃度が米国の大気汚染基準の40倍にも達する」ことに言及しています。また,前述のとおり,そのような煙を常日頃吸わされている人々に害があることは十分確証された事実となっています。
隣人愛と矛盾しないか
聖書は,『隣人を自分自身のように愛する』ことが「王たる律法」であると述べ,この律法の重要性を強調しています。(ヤコブ 2:8)故意に隣人の地所にごみを捨てたり,隣人の顔につばをはきかけたりしておきながら,隣人に愛を示していると言えるでしょうか。「そんなことはない」と言われるでしょう。そうした事柄を隣人に対して行なうことは罪になるでしょうか。
この質問に答えるのに役立つのは罪の定義です。「罪とは法[つまり神の法]を破ることです」と聖書は述べています。(ヨハネ第一 3:4,今日の英語聖書)ですから,顔につばをはきかけたり,相手の地所にごみを捨てたりするような礼節に反する行為を隣人に対して故意に行なうなら,それは罪になります。「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」という「王たる律法」を犯すことになるからです。
では,このことと喫煙とにどんな関係があるのでしょうか。アイザック・アシモフ博士は「ガン・ニューズ」誌の論説欄で,この点を非常に明確にしています。博士はこう述べています。「人が私のいるところでたばこを吸う場合,その悪臭はただその人だけのものではない。その人の出す発散物は私の肺や血液の流れの中に入り込んでくる。その人の悪臭は私の悪臭ともなり,私にこびり付いてくる。そして,その人は私が心臓病や肺ガンにかかる危険性を大きくしている」。
ほかの人がいる所でたばこを吸う自由を要求する喫煙者たちに答えて,アシモフ博士はこう語っています。「是非ともたばこが吸いたいと思い,それに異議を申し立てると当人の自由を奪うことになると思う人がいるなら,私がその人の鼠径部を是非け飛ばしてやりたいと思い,それに異議を申し立てられるなら私の自由が奪われると考えても,その人は我慢してくれるだろうか。言い換えれば,たばこを吸うあなたの自由と私の肺とは両立しない,ということになる」。
人の鼠径部をけ飛ばしたり,顔につばをはきかけたり,人の地所にごみを捨てたりするのが隣人愛の行ないでないことに疑問の余地はありません。喫煙にしても同じことです。それは他の人の権利を侵すことであり,人を愛するどころか傷付ける行為です。確かに喫煙は罪です。
しかし,たばこを吸う人は,「喫煙が有害なことは分かっています。ですから,周りに人がいる時には決してたばこを吸わないようにしています」と言うかもしれません。では,人のいないところでだけたばこを吸う場合,それは罪と言えますか。ほかの人はだれも害を受けません。
人のいないところでたばこを吸うのは罪か
しかし,考えてみてください。たばこを吸う人自身の命に有害な影響が及びます。そして,わたしたちの命の真の源はどなたでしょうか。聖書はこう答えています。「命の泉は,あなた[エホバ神]とともにあ(る)」。「[神]ご自身がすべての人に命と息とすべての物を与えておられる」。(詩 36:9,新。使徒 17:25)実際のところ,わたしたちの命は神からのすばらしい贈り物なのです。
どうしたら神からの贈り物である命に対する感謝の念を示せるでしょうか。体を損ないかねない行為をすることによってですか。決してそうではありません。分かっていてそうするのは確かに間違った行為です。そうした点を念頭において,米国の元保健・教育・福祉長官ジョセフ・キャリファーノの語った,「今日,喫煙はスローモーションの自殺にほかならないということに疑問の余地はない」との言葉を検討してみるとよいでしょう。
分かっていながら人間の命を損なうのは間違った行為,すなわち罪です。聖書はクリスチャンに自分の体を汚すことさえしないよう命じています。聖書は,「肉……のあらゆる汚れから自分を清め……ようではありませんか」と勧めています。(コリント第二 7:1)たばこを吸っている人が神の命令に従うには,喫煙の習慣を捨てなければなりません。それは確かに体を汚すからです。たばこを吸う人の指,歯,息,衣服など,たばこの煙に触れるものは文字通りすべて汚されます。
では,愛煙家が禁煙に努めながら,中毒の程度が強くてやめられない場合はどうですか。『霊は願っていても,肉体は弱いのです』とのイエス・キリストの言葉からすれば,神は憐れみ深く理解を示してくださるでしょうか。―マタイ 26:41。
弱さのゆえに許されるか
確かに,たばこをやめるのは至難の業と言える場合があります。一中毒者は「ヘロインをやめる方がたばこをやめるよりもずっと楽だった」と語っています。たばこの禁断症状はずっと長引きます。「サイエンス80」誌は,「大半の人の場合,強い欲求は少なくとも1か月間続くが,やめてから5年ないし9年それが続く人が5分の1ほどいる」と述べています。
多くの人が一時期たばこをやめながら,少しするとまた吸ってしまう理由を理解するのにこのことは役立ちます。たばこを吸っている人の10人中9人まではやめたいと思っています。しかし,たばこをやめるということは毎日毎日続く闘いで,時には何年間も続くものです。幾百万もの人々がこの闘いに勝利を収めてはいますが,その一方で闘いながらも敗れ去ってしまった人々は幾千万人にも上ります。やめようと試みながらもやめられなかったのであれば,神は理解してくださり,この欠点を許してくださるとみなすのは賢明なことですか。
問題の根底にあるのは喫煙が楽しみになっている場合があるということです。しかし,それだからと言って神が非としておられる行為が正当化されるわけではありません。モーセは賢明にも,「罪の一時的な楽しみを持つよりは」神に仕えることを選んだ,と聖書は述べています。(ヘブライ 11:24-26)神は,ご自分の僕たちが神の律法に反する習慣に敢然と立ち向かい,ご自分の助けを得てそれを克服することを期待しておられます。
一例として淫行について考えてみましょう。それは一時的に楽しく思えますが,習慣にすると,様々な相手と性関係を持ちたいという欲望はたばこを吸いたいという衝動と同じほど強くなることがあります。しかし,淫行は神の律法を破る行為であり,悔い改めることなく故意に淫行を習わしにする者には永遠の命という神の贈り物が付与されることはありません。たばこを吸い続ける人も同じです。―ヘブライ 13:4。ローマ 6:23。
神の律法に従うには本当に大きな努力が必要です。神のみ子イエス・キリストも例外ではありません。キリストは極めて激しい苦しみを味わい,最後に悲惨な死を遂げました。それでも神への忠実を守ったのです。ある人にとって,たばこをやめるために経験する苦もんはキリストの経た苦しみと同じほどつらいものに思えるかもしれません。それでも,喫煙の習慣を克服することは可能です。どのようにしてですか。
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喫煙をやめる方法ものみの塔 1981 | 5月1日
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喫煙をやめる方法
まず第一に,本当にたばこをやめたいと思っていなければなりません。強い動機付けが必要なのです。たばこをやめるのを助ける組織であるスモークエンダーズの創設者,ジャックリーン・ロジャーズは,自分の仕事は動機付けを与えることにあると語っています。「たばこをやめられることを信じ込ませるのです」と,同女史は語っています。疑いのためにたばこをやめられない人は少なくありません。そうした人々はたばこをやめる自分の能力に疑いを抱いているのです。
様々な禁煙計画や化学製剤はたばこをやめるのに役立つでしょうか。ある人々には役立ったようです。「助けがなければやめられませんでした」と,あるヘビースモーカーは語っています。しかし,この愛煙家にビタミンやミネラル,ノボカインなどを含む注射を打ったニール・ソロモン博士が認めているように,この治療法に「不思議なところなど一つもありません。本人がやめたいと思わなければ,効き目はありません」。
やめる意志
確かに,やめられるかどうかはひとえに当人のやめようとする決意と意志にかかっていると言っても過言ではありません。この決意なくしては,いかなる禁煙のための治療法もうまくゆきません。ところがこの決意があれば,禁煙のための治療法に高いお金を払うことなく,たばこをやめられるのです。かつてたばこを吸っていた人の9割までがそのような助けなしにたばこをやめました。「世界の健康」誌はこう述べています。「やめられるかやめられないか決める最大の要素はたばこを吸っている人の意志力であり,これから先も常にそうであろう。ほかのものは付け足しに過ぎない」。では,たばこをやめるための意志をどうすれば得られるでしょうか。
喫煙が命取りになることを絶えず自分に言い聞かせて,その意志を得たという人は少なくありません。たばこ好きを自認するマイアミ南部の一女医は,「わたしがたばこを吸わない唯一の理由は恐れです」と語っています。禁煙計画のあるものは,喫煙が体に及ぼす恐ろしい害を強調することによりこの恐れを培わせます。心理学者のデービット・M・ファインマンは自分や他の人々がたばこをやめるのに役立った消極的にならせる想像の過程について,「たばこの煙を吸い込む度に,それが自分の体に即座に及ぼす害を思い巡らしたものです。わたしは意識的にそうしたイメージを呼び起こすようにしていました」と述べています。
しかし,そうした方法もある人にはたばこをやめる十分な動機付けにはなりません。ニューヨーク市の一主婦は,「お医者さんへ行ってたばこをやめなければガンにかかって死ぬと言われても,私はやめなかったでしょう。生活の中で何が一番大切かと言えばたばこを吸うことで,私には食べることよりも大切でした。たばこを吸っていない時は片時もなかったと言っても言い過ぎではありません。手に灰皿を持って家の中を歩き回ることさえありました」と語っています。ひどい常用癖のある人がたばこをやめるのに役立つ,より強力な動機付けにはどんなものがありますか。
このニューヨークの主婦はエホバの証人と聖書を研究するようになりました。しかし,喫煙が神の律法に反することを学んでも,それだけではたばこをやめる十分な決意を得られませんでした。「やめたかったんですが,常用癖が強すぎたのです。そうするための力はどうしても得られませんでした」と,この主婦は語っています。
最終的にどのようにしてたばこをやめる決意をしたかについてこう説明しています。「主人が,学んでいた聖書の真理を受け入れ,たばこをやめてバプテスマを受けたのです。私はその時本当に感謝しました。受け入れられる仕方でエホバ神に仕え,新しい事物の体制で命を得るのに妨げとなることは何一つしたくなかったので,私もたばこをやめる決意を固めました」。そして,その人はたばこをやめたのです。
やめるための助け
たばこをやめる意志を強める助けがあります。一番大切なのは神が与えてくださる助けです。前述のニューヨークの主婦は,「エホバに絶えず祈り,二度とたばこを吸わないという決意を神の助けによって保ちつづけることができました」と語っています。ところが,祈ってもやめられない人がいます。どこに問題があるのでしょうか。
祈りのタイミングが問題なのかもしれません。ある愛煙家はたばこをやめる力を求めて朝晩祈り,力尽きてたばこを吸ってしまった後にも自分のしたことを残念に思っている旨エホバに話すために祈っていました。ところがクリスチャンである一人の友人から,「あなたが本当に神の助けを必要としているのは,たばこに手を伸ばした時ではありませんか」と尋ねられました。たばこに手を伸ばした時に祈るようになってから,この人はたばこをやめる助けを得たのです。
支えになってくれる友人,中でも自ら喫煙の習慣を克服し,たばこをやめるのが不可能ではないことを確証してくれるような友人は貴重な助けとなります。ですからそのような友人を探すのです。そしてたばこをやめるという自分の決定を打ち明け,その人たちの援助を求めます。
たばこをやめる最善の方法は何ですか。毎日吸うたばこの本数を減らしてゆき,徐々にやめることですか。それとも,日を定めて,その日限り一切たばこをやめるのが最善でしょうか。
多くの人の考えとは反対に,たばこをやめた人を対象にした幅広い調査によると,一気にやめてしまう方が禁断症状を克服しやすいとのことです。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究者サウル・M・シフマンとマレー・E・ジャービックは,徐々に本数を減らしていくことが実際には「[喫煙者の]禁断症状と喫煙の習慣を断続的に強化してその苦痛を長引かせている。典型的な例として,禁断症状がこうして慢性的になると,再びたばこを吸うようになり,元の喫煙量にまで戻ってしまう」と説明しています。
やめてから最初の数日間が一番つらいでしょう。ですから,その際の助けとして,たばこを吸わない益について考えるようにします。一つの益はお金の節約になることです。節約できるお金はかなりの額になります。こんな手紙を寄せた人がいます。「今では毎日2㌦(約480円)をコーヒーの空き缶に入れています。以前ならたばこにかけていたお金です。私の計算だと,この先12か月間にそのお金は積もり積もって700㌦(約16万8,000円)以上になるはずです。これだけあれば家内に毛皮のコートか何かを買ってやれます」。
強い決意によって,禁断症状の最初の苦痛を耐え抜き,1週間ほど禁煙する人は少なくありません。しかし,「世界の健康」誌が述べるように,「普通,第一週目から第三週目にかけて難しい段階が始まり,その時最初の後戻りが起きる」のです。ですから闘いは続けてゆかねばなりません。
たばこを吸いたいと感じたら,二,三度深呼吸するようにします。たばこの代わりに口の中に入れておけるものを手近に用意しておきます。レーズンやナッツ,ひまわりの種などを口の中にほうり込んだり,生のにんじんやセロリのスティックをかじったり,ガムをかんだりするのです。水分を余計に摂るようにしましょう。フルーツジュースや野菜ジュースなど健康的な飲み物や普通の水でもよいでしょう。また,よりバランスのとれた食事を摂るようにします。
運動する量を増やせば大きな助けになることがあります。ジョギングやテニス,サイクリング,水泳などの活動を試してみるとよいかもしれません。何度も体を伸ばすようにします。十分の休息を取り,神経が疲れないようにするために早く床に就くようにします。緊張をほぐす方法を学ぶよう一生懸命努力します。本当にたばこをやめたいと思っているなら,それは不可能ではないのです。
やめるための努力を払うに値する理由
たばこをやめることには数々の益があります。その中には健康状態が良くなることやより長生きできる見込みなどがありますが,そのほかにも数々の益があります。たばこをやめた一人の人はこう語っています。「身近にある,自然で単純なあらゆる喜びを再発見しました。例えば味覚がそうです。また,森の中を歩いていると,今までとは違って様々な香りがあることに気が付きます。実にたくさんの種類があるのです。全く新しい環境の中に置かれたように感じます」。
しかし,何と言っても最大の益は,神の不興を被ったり隣人の多くに不快感を与えたりする習慣を断ち切ったという実感です。エホバ神の恵みを得たいと思い,たばこをやめるための助けを求めておられるのなら,「ものみの塔」誌の発行者に手紙をお寄せください。喜んで資格のある奉仕者をお宅に派遣いたします。奉仕者たちは,たばこをやめるのに役立つ聖書の情報をさらにお分かちし,精神面の支援を喜んで差し伸べるでしょう。
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公表されない,たばこの健康上の危険性ものみの塔 1981 | 5月1日
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公表されない,たばこの健康上の危険性
アメリカ医師会ジャーナル誌に掲載された投書の中で,エリザベス・M・フェーラン博士はこう書いています。「大衆雑誌の多くはたばこの広告から得られる収入に大幅に依存しているため,たばこが健康に及ぼす影響を軽視している。主要な女性雑誌を数々読み返してみて,たばこと健康の問題を大きく取り上げた記事は一つも見付けられなかった」。
フェーラン博士は美容とファッションに関する広く読まれている女性雑誌から,「ご主人をガンから守る」と題する記事を書くよう依頼されたことについて次のように述べています。「この記事の原稿料は全額払ってもらったが,編集長はその原稿のごく一部分しか活用できないと率直に語った。私が度々たばこに言及している一方,その雑誌には毎月たばこの全面広告が三つ掲載されているという事実があったためである。別の時には,ある出版物の編集長から,『たばこに関するコラムや記事は書かないようにしてください』と率直に告げられた」― 1980年11月7日号,2045ページ。
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