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    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 第8章

      科学は聖書の誤りを証明しましたか

      1613年,イタリアの科学者ガリレオは,「太陽黒点についての手紙」として知られる論文を発表し,その中で,太陽が地球の周りを回っているのではなく,地球が太陽の周りを回っているという証拠を提出しました。これによってガリレオは,“甚だしい異端の嫌疑”でついにローマ・カトリックの異端審問に引き出されるまでになった一連の出来事の引き金を引く結果になりました。結局ガリレオは,“自説撤回”を余儀なくされました。地球が太陽の周りを動いているという考えは,なぜ異端とみなされたのでしょうか。そのような考えは聖書の述べている事柄に反すると,ガリレオを告発した人々が主張したためでした。

      1 (前書き部分を含む)(イ)地球は太陽の周りを動いていると唱えたガリレオはどのようになりましたか。(ロ)聖書は科学の教科書ではありませんが,それを現代の科学と比較するときどんなことを見いだせますか。

      今日,多くの人が,聖書は非科学的であると唱えています。その証拠としてガリレオの経験したことを挙げる人たちもいます。しかし,これは妥当な見方なのでしょうか。その問いに答えるに当たり,聖書が,預言と歴史と祈りと律法と助言の書,また神に関する知識の書であることを銘記しておかなければなりません。聖書は,科学の教科書であるとは唱えていません。とはいえ,科学上の問題に触れている場合,聖書の述べている事柄はことごとく正確です。

      わたしたちの住む,惑星としての地球

      2 聖書は宇宙空間における地球の位置についてどのように描写していますか。

      2 一例として,わたしたちの住む惑星としての地球について聖書が何と述べているかを考えてください。ヨブ記の中にこう記されています。「神は北をむなしい所の上に張り伸ばし,地を無の上に掛けておられる」。(ヨブ 26:7)これとイザヤ書の次の言葉とを比較して考えてください。『地の円の上に住む方がおられる』。(イザヤ 40:22)このような記述から描き出せる『無の上に掛かる』丸い地球のイメージ,それは,宇宙飛行士の撮影した,何もない空間に浮かぶ球体としての地球の映像をはっきり思い起こさせます。

      3,4 地球における水の循環はどのようになっていますか。聖書はそれについて何と述べていますか。

      3 地球における驚くべき水の循環についても考えてください。どのような事が起きているかをコンプトン百科事典はこう説明しています。「水は……海洋の表面から大気中に蒸発する。……地球の大気中を定常的に進む気流は湿り気を内陸部に運ぶ。その空気が冷却するとき,水蒸気は凝縮して微小な水滴を形成する。それは雲としてごく普通に観察される。それら微小な水滴はしばしば結合して雨滴となる。大気が十分に冷たければ,雨滴の代わりに雪片が形成される。いずれの場合でも,何百ないしは何千キロも離れた海洋から運ばれて来た水分が地表に降り注ぐことになる。その水は地表で集まって流れとなり,あるいは地面に染み込み,こうしてまた海に戻る旅を開始する」。1

      4 乾いた陸地での生物の生存を可能にしているこの目ざましい仕組みについては,聖書の中で,約3,000年も昔に,非常に簡明な言葉で巧みに描写されていました。「すべての流れは海へ注ぐが,海はあふれることがない。その流れが出た所に戻って行き,また再び流れ出る」― 伝道の書 1:7,新英訳聖書。

      5 地球の山脈の歴史に関する詩編作者のことばはどのような点で最新の知識と驚くほど一致していますか。

      5 さらに目ざましいのは,山脈の歴史に対する聖書の洞察でしょう。地質学の一教科書はこのように述べています。「前カンブリア期から今日に至るまで,造山とその破壊の過程が絶え間なく続いてきた。……幾つもの山々が今では消滅した海の底から生じただけでなく,形成されてからずっと後に水没し,そののち再び隆起した例も多い」。2 このことと,詩編作者の次の詩的な言い回しとを比較してみてください。「あなたは水の深みを衣のようにして[地]を覆われました。水は実に山々の上に立っていました。山々は隆起し,谷あいの平原は沈下しはじめました ― あなたがそのために基を置かれた場所へと」― 詩編 104:6,8。

      「初めに」

      6 聖書のどんなことばは宇宙の起源に関する現在の科学上の理論と一致していますか。

      6 聖書はその巻頭の節でこう述べています。「初めに神は天と地を創造された」。(創世記 1:1)科学者たちは観察の結果に基づいて,物質宇宙には確かに始まりがあった,という理論を立てるようになりました。宇宙は恒常的に存在してきたのではありません。天文学者ロバート・ジャストローは,宗教的には不可知論の見方をしていますが,このように書いています。「細かな点は異なるにしても,天文学上の説明と聖書の創世記にある記述の本質的な要素は同一である。すなわち,人間の出現に至る一続きの出来事は,時の流れのある特定の瞬間に,突如,こつ然として,光とエネルギーのひらめきのうちに始まった」。3

      7,8 この問題における神の役割を認めてはいなくても,多くの科学者は,宇宙の起源についてどんなことを認めなければならなくなっていますか。

      7 確かに,多くの科学者は,宇宙に始まりがあったことを信じてはいても,『神が創造した』という言葉を受け入れてはいません。とはいえ,科学者の中にも,すべての事象の背後に何らかの理知の働きの証拠を無視しがたいと考えるようになっている人たちもいます。物理学の教授フリーマン・ダイソンはこう述べています。「宇宙について調べ,その構成の細部を考究すればするほど,宇宙は何らかの意味で我々の到来を予知していたに違いないという証拠を,わたしは認めざるを得なくなる」。

      8 ダイソンはさらに次のことを認めています。「18世紀ではなくこの20世紀の思考と言い回しの習慣によって訓練された科学者として,わたしは,宇宙の成り立ちが神の存在を証明しているとは主張しない。ただ,宇宙の成り立ちは,その運行の面で知能が重要な役割を果たしているとする仮定と一致している,と主張するだけである」。4 ダイソンの注解は,現代のいかにも懐疑主義的な態度を反映しています。しかし,その懐疑主義的な面を別にして考えれば,現代の科学と,「初めに神は天と地を創造された」と述べる聖書との間に注目すべき一致のあることが認められるでしょう。―創世記 1:1。

      健康と衛生

      9 伝染性の皮膚病に関する聖書の律法はなぜ実際的な知恵の反映であると言えますか。(ヨブ 12:9,16前半)

      9 聖書が別の分野,つまり人の健康や衛生の面にも配慮していることを考えてください。もしあるイスラエル人の皮膚にきずが生じ,らい病の疑いがあるならば,その人は他の人々から隔離されました。「その災厄が身にある日の間いつも,彼は汚れた者である。彼は汚れた者であって,他から離れて住むべきである。宿営の外がその住むべき所となる」。(レビ記 13:46)病毒で汚染された衣服さえ焼却されました。(レビ記 13:52)これは,当時としては,感染が広まるのを防ぐ有効な方法でした。

      10 ある土地に住む多くの人は,衛生に関する聖書の助言に従うだけでどんな益を得られると考えられますか。

      10 別の重要な律法は,人間の糞便の処理に関するもので,それは宿営の外で埋められなければならないことになっていました。(申命記 23:12,13)この律法はイスラエルを多くの病気から救っていたに違いありません。今日でさえ,ある土地では,人間の排せつ物の不適当な処理が原因で健康上の深刻な問題が引き起こされています。そうした土地の人々は,何千年も昔に聖書の中に書かれていた律法に従うだけでも,もっと健康的に暮らすことができるでしょう。

      11 精神面の健康に関する聖書のどんな助言は実際的なものであることが知られてきましたか。

      11 聖書の高い衛生基準は,精神面の健康の問題をも含んでいました。聖書の箴言の一節はこう述べています。「穏やかな心は身体の命であり,ねたみは骨の腐れである」。(箴言 14:30)近年における医学調査は,わたしたちの身体の健康が確かに精神的態度に影響されることを実証しています。例えば,ジョンズ・ホプキンズ大学のC・B・トーマス博士は,16年間にわたり一千人以上の卒業生を対象に,各人の心理的特性と罹病率との関連について研究しました。同博士は一つの点を指摘しています。すなわち,最も病気にかかりやすいのは,ストレスがあると怒りっぽくなり,過度に気をもむタイプの卒業生たちでした。5

      聖書は何と述べているか

      12 カトリック教会は,どんな理由で地球に関するガリレオの説を異端であるとしましたか。

      12 聖書が科学的な分野でも正確なものであるならば,なぜカトリック教会は,ガリレオが教えたこと,つまり地球が太陽の周りを動いているということを,非聖書的であるとしたのでしょうか。それは,幾つかの聖句に対する権威者たちの解釈の仕方のためでした。6 それは正しかったのですか。その人々が引用した二つの聖句を読んで考えましょう。

      13,14 カトリック教会はどんな聖句について誤った適用をしましたか。説明してください。

      13 一つの聖句はこうです。「日は昇り,日は沈む。こうしてそれはその場所へと急ぎ,そこからまた昇る」。(伝道の書 1:5,エルサレム聖書)同教会の論議によると,「日は昇り,日は沈む」という表現は,地球ではなく太陽が移動していることを意味している,ということでした。しかし今日でも,わたしたちは,日が昇り,また沈むという言い方をしますが,実際に移動しているのは太陽ではなく地球であることをわたしたちのほとんどが知っています。このような表現を使う時,わたしたちは,人間の目に映る太陽の見かけの動きについて述べているにすぎません。聖書の筆者もこれと全く同じことをしていたのです。

      14 もう一つの聖句はこうです。「あなたは地球をその土台の上に据えられました。永久に揺らぐことはありません」。(詩編 104:5,エルサレム聖書)これは,創造されてから後の地球は決して動くことがない,という意味であると解釈されました。しかし実際のところ,この節が強調しているのは地球の恒久性であって,それが不動であることを言っているのではありません。聖書の他の節も確証しているとおり,地球が『揺らいで』存在しなくなったり,破壊されたりするようなことは決してありません。(詩編 37:29。伝道の書 1:4)この聖句も,地球と太陽との相対的な動きとは何の関係もありません。ガリレオの時代に自由な科学上の議論を妨げていたのは,このような教会組織であって,聖書ではありませんでした。

      進化か創造か

      15 進化論とは何ですか。それはどのような点で聖書と相いれませんか。

      15 しかし,現代科学と聖書とが絶望的なほどに対立していると,多くの人の考えている分野があります。すべての生物は,幾億年も前に存在するようになった単純な生命形態から進化してきたものであるとする進化論を,ほとんどの科学者が信じています。それに対し聖書は,生物の主要な種類は個別に創造されたものであり,それぞれは「その種類にしたがって」のみ繁殖する,としています。そして,人間は『地面の塵から』創造されたと,聖書は述べています。(創世記 1:21; 2:7)これは,聖書に見られる,れっきとした科学上の誤りでしょうか。この点で判断を下してしまう前に,科学の理論として提唱されている事柄ではなく,科学が現に知っている事柄をもう少し細かに調べてみましょう。

      16-18 (イ)チャールズ・ダーウィンが観察した事柄で,進化を信じるきっかけとなったものは何ですか。(ロ)ダーウィンがガラパゴス諸島で観察した事柄は聖書の述べていることと矛盾してはいないという点をどのように説明できますか。

      16 進化の理論は,19世紀に,チャールズ・ダーウィンによって広められました。太平洋のガラパゴス諸島にいた時,ダーウィンは,フィンチという小鳥が,その生息している島が異なるのに応じてその種もいろいろに異なる,という点に強い印象を覚え,それらすべてはただ一つの先祖の種から派生してきたものに違いない,と推論しました。この観察を一つの根拠として,ダーウィンは,すべての生物は元となるただ一つの単純な形態から来ている,という理論を提唱しました。下等な生き物から高等なものへと進化を推し進める背後の力は,自然選択,つまり適者生存の原理であるとダーウィンは唱えました。進化の仕組みによって,陸生動物は魚類から,鳥類は爬虫類からというようにしてそれぞれに発達してきたと,ダーウィンは主張しました。

      17 実際のところ,他から隔絶したそれらの島々でダーウィンが観察したものは,聖書と相いれない事柄ではありませんでした。聖書は,生物の主要な種類そのものの中で変異があり得ることを否定していないからです。例えば,同じ人類の中のあらゆる人種は,最初のただ一組の人間夫婦から出ています。(創世記 2:7,22-24)ですから,それらフィンチの異なった種がある共通の先祖種から生じているとしても,それは特に意外なことではありません。しかし,それらは依然フィンチのままです。タカやワシに進化したわけではありません。

      18 フィンチのさまざまな種にしても,あるいはダーウィンが見たほかのどんな生物にしても,サメであれカモメであれ,ゾウであれミミズであれ,すべての生物に共通の先祖があるということの証明となってはいません。それにもかかわらず,多くの科学者は,進化はもはや単なる学説ではなく事実であると断言しています。その説にいろいろ問題があることは認めるが,それでもとにかくそれを信じている,と言う人たちもいます。そのようにするほうが一般に受け入れられるのです。しかしわたしたちは,聖書は誤りであるに違いないと明言できるまでに進化論がじゅうぶん立証されたものであるのかどうかを知る必要があります。

      それは証明されているのか

      19 化石の記録は進化と創造のどちらを裏付けていますか。

      19 進化の理論をどのように試してみることができますか。最もはっきりした方法は,化石の記録を調べて,一つの種類から別の種類への漸進的変化が本当に起きたのかどうかを見ることです。それは本当に起きましたか。多数の科学者が正直に認めているとおり,そのような事は起きていません。その一人フランシス・ヒッチングはこう書いています。「動物の主要グループの間をつなぐ連鎖を見つけ出そうとしても,そのようなものは全く存在していない」。7 化石の記録におけるこのような証拠の欠損があまりにも歴然としているために,進化論者は,漸進的変化というダーウィンの説の代わりとなるものを考え出しました。しかし,真実を言えば,種々の動物の種類が化石の記録の中に突然に出現している事実は,進化を裏付けるというより,むしろ個別的創造を強力に裏付けているのです。

      20 なぜ生物の細胞の増殖の仕組みは進化を阻むと言えますか。

      20 さらに,ヒッチングは,ある生物が何か他の生物へ進化してゆくのではなく,むしろ,増殖の過程によって全く同類のものを生み出すように生体プログラムが組み込まれていることを示して,こう述べています。「生物の細胞はほとんど完ぺきな忠実さをもって自らを複製してゆく。過誤の度合いはきわめて低く,人間製のどんな機械もそのレベルに接近することすらできない。一種の抑制装置さえ組み込まれている。植物はそれぞれ一定の大きさに達すると,それ以上は大きくならない。ショウジョウバエは,これまでに仕組まれたどんな環境のもとでもショウジョウバエ以外のものにはならなかった」。8 科学者たちがこれまで何十年もかけてショウジョウバエに生じさせた数々の突然変異も,ショウジョウバエを何か別のものに進化させることはできませんでした。

      生命の起源

      21 ルイ・パスツールによって立証されたどんな結論は進化論者にとって難しい問題となっていますか。

      21 生命はそもそもどのようにして始まったのでしょうか。これは,進化論者がいまだ答えられないもう一つの面倒な質問です。わたしたちすべてが派生してきたとされる,最初の単純な形態の生命はどのようにして存在するようになったのでしょうか。何世紀か前であれば,これは難問には見えなかったでしょう。当時の多くの人は,ハエは腐った肉から生じ,ぼろきれの山はネズミをひとりでに生み出すと考えていました。しかし,今から100年と少し前,フランスの化学者ルイ・パスツールは,生命はそれ以前に存在していた生命からのみ生じることを明確に立証しました。

      22,23 進化論者によると,生命はどのようにして始まりましたか。しかし,事実はどんなことを示していますか。

      22 それで,進化論者は,生命の源についてどのように説明するのでしょうか。最も広く受け入れられている説によると,幾億年も前,種々の化学物質と何らかのエネルギーとの偶然の結合が生命の自然発生を誘発しました。パスツールが証明した原理はどうなるのでしょうか。ワールドブック百科事典はこのような説明をしています。「今日地上に存在する化学および物理的条件下で生命は自然には生じ得ないことを,パスツールは示した。しかし,今から幾十億年も前,地球の化学および物理的条件は大いに異なっていた」。9

      23 しかし,大いに異なる条件下にあったとしても,無生の物質と最も単純な生命体との間には,とてつもない隔たりがあります。マイケル・デントンは自著「進化論: 危機にひんする学説」の中でこう書いています。「生物細胞と,結晶や雪片など最も秩序だった非生物体との間には,想定し得るかぎりの広大で絶対的な隔たりが存在する」。10 無生の物質が全くの偶然性によって生命体になるというのは,ほとんど不可能なほど望みがたいことなのです。『生命は生命から生じた』,つまりこの場合,生命は神によって創造された,という聖書の説明のほうが説得力があり,事実に即してもいます。

      なぜ創造を受け入れないのか

      24 進化論にはさまざまな難問が伴うにもかかわらず,大多数の科学者が依然その説に執着するのはなぜですか。

      24 進化論にはさまざまな難問が内在しているにもかかわらず,今日,創造を信じるのは非科学的であり,まともなことではないとさえされています。これはなぜでしょうか。フランシス・ヒッチングのような権威者でさえ,自ら進化論の弱点を正直に指摘していながら,それでも,創造という考えを退けているのはなぜでしょうか。11 創造と結び付いた考えは「超自然的原因者に正面から依り頼む」ことであるので,進化論は,そのすべての弱みがあるにしても,今後とも唱道されてゆくことであろう,というのがマイケル・デントンの説明です。12 言い換えれば,創造という考えは創造者を持ち込むことであるから受け入れられない,というのです。確かにこれは,奇跡の問題に関して遭遇したのと同じ,つまり奇跡は奇跡的だからあり得ないと言うのと同じ循環論法です。

      25 科学的に見た場合,進化論のどのような弱点は,生命の起源を説明する面でそれが創造という見方にはっきり代わり得るものでないことを示していますか。

      25 加えて,進化論そのものには,科学的な観点から見てすこぶる薄弱な面があります。マイケル・デントンはさらにこう述べています。「基本的に言って,歴史的な足取りを再構築しようとする理論であるから,[ダーウィンの進化説]は,通常の自然科学の場合のように,実験や直接の観察によってその確かさを立証することができない。……しかも進化論は,生命の起源や知能の起源など,一連の特異な事柄を扱っている。それら特異な事柄は繰り返して起きることがなく,実験的調査研究に付することも全くできない」。13 真実のところ,進化論は,非常に広く受け入れられてはいても,難問や欠陥を数多く抱えているのです。それは,生命の起源に関する聖書の記述を退けなければならない理由を何ら提出していません。創世記の最初の章は,それら『繰り返して起きることのない特異な事柄』が,幾千幾万年に及ぶ創造の『日々』の期間中にどのように生じたかについて,全く道理にかなった記述を提出しています。a

      洪水についてはどうか

      26,27 (イ)大洪水に関して聖書はどんなことを述べていますか。(ロ)洪水の水の一部はどこから来たに違いありませんか。

      26 聖書と現代科学とがぶつかり合う点として多くの人が指摘するもう一つの事柄があります。創世記には,何千年か前,人間の邪悪さが甚だしかったために,神がそれら人間を滅ぼし去ることを定められたことが記されています。しかし神は,義にかなった人ノアに,大きな木製の船,箱船を建造するよう指示を与えました。その後に神は,人類に洪水をもたらしました。ノアとその家族だけが,すべての動物の代表種と共に,それを生き残りました。その洪水は非常に大々的なものであったため,「全天下の高い山々がことごとく覆われるように」なりました。―創世記 7:19。

      27 地球全体を覆いつくすほどの水がどこから来たのでしょうか。聖書そのものが,その答えを提出しています。創造の過程の初期,大気の大空が形成され始めた時,『大空の下の水』と『大空の上方の水』とが存在するようになりました。(創世記 1:7。ペテロ第二 3:5)その洪水が起きた時について,聖書は,「天の水門が開かれた」と記しています。(創世記 7:11)明らかに,『大空の上方の水』が降り注ぎ,その大はんらんの主要な水源になったと考えられます。

      28 イエスを含めて,神の古代の僕たちは,大洪水のことをどのように見ていましたか。

      28 現代の一般教科書は,全世界的な洪水に関する記述をそのままは受け入れない傾向にあります。それで,このように尋ねなければなりません。この洪水に関することは単なる神話でしょうか,それとも,本当に起きたのでしょうか。この問いに答える前に,後代のエホバの崇拝者たちが,その洪水を確かな史実として受け入れていたことに注目しなければなりません。それらの人々は,それを神話とみなしてはいませんでした。それを本当に起きた事柄と見た人々の中には,イザヤ,イエス,パウロ,ペテロなどがいます。(イザヤ 54:9。マタイ 24:37-39。ヘブライ 11:7。ペテロ第一 3:20,21。ペテロ第二 2:5; 3:5-7)しかし,この全世界的な大洪水については,答えなければならない幾つかの質問があります。

      洪水の水

      29,30 地球上の水の量に関するどんな事実は,大洪水があり得たことを示していますか。

      29 まず初めに,地球全体が洪水の水に覆われたというのはあまりにも強引な考え方ではないでしょうか。決してそうではありません。実際のところ,地球はある意味でいまだに水浸しの状態にあります。地表面の70パーセントは水で覆われており,乾いた陸地は30パーセントにすぎません。しかも,地上の淡水の75パーセントまでは,氷河や極地の氷冠の中に閉じ込められています。仮にそのような氷すべてが解けたとしたら,海水面はずっと高くなり,ニューヨークや東京などの都市は消滅してしまうことでしょう。

      30 さらに,新ブリタニカ百科事典はこう述べています。「海洋全体の平均水深は,3,790メートル(1万2,430フィート)と推定されている。この数字は,海面上に出ている陸地部分の平均標高である840メートル(2,760フィート)よりかなり大きい。各区分ごとの表面積に平均水深を掛けてゆくと,世界の海洋の全体積は,海面より上の陸地部分の全体積の11倍にもなる」。14 ですから,仮にすべてをならすとすると,つまり山を平らにして深い海のくぼみを埋めるとすれば,地球全体は数千メートルの深さの海に覆われてしまうでしょう。

      31 (イ)そのような洪水が起きるために,洪水以前の地球の状況はどのようであったはずだと言えますか。(ロ)大洪水の前,山々は今よりも低く,海のくぼみは今よりも浅かったとするのは非現実な見方ではないことを何が示していますか。

      31 そのような洪水が起きるためには,洪水以前の海のくぼみは今よりも浅く,山脈は今よりも低くなければならなかったでしょう。そのようなことはあり得るでしょうか。この点,一教科書はこう述べています。「かつて幾百万年も前には,今日,世界の山々が目もくらむほどに高くそびえているその場所に,海洋や平原が単調なほどなだらかに広がっていた。……大陸板塊<プレート>の運動は,陸地面を,ごく耐寒性のある動植物しか生存できないような高度にまで隆起させ,あるいは逆に,大きく沈下させて,海面下深くに壮麗な美しさをたたえて静かに横たわらせもする」。15 山脈や海のくぼみは隆起したり沈下したりしますから,山々が現在ほど高くなく,海の大きなくぼみが今日ほど深くなかった時代がかつて存在したことは明らかです。

      32 大洪水の水はどうなったに違いありませんか。説明してください。

      32 その水は洪水後どうなったのでしょうか。排水されて海のくぼみに入ったに違いありません。どのようにでしょうか。大陸は巨大なプレートの上に位置していると科学者たちは信じています。それらプレートの運動は地球表面の高さを変動させることができます。今日,ある場所では,プレートどうしの境界線に,深さ10キロを超える大きな海底の深みがあります。16 洪水そのものによって引き起こされたともみなせますが,プレートの移動に伴って海底が沈下して大きな溝ができ,そこへ水が流れ込んで陸地の現われたことが十分に考えられます。b

      洪水の形跡はあるか

      33,34 (イ)科学者たちには,実際のところ大洪水の裏付けともなり得るどんな証跡がすでにありますか。(ロ)科学者たちの証拠の解釈の仕方に誤りがあるかもしれないとするのは無理な見方ですか。

      33 仮に,大規模な洪水は起こり得たと見る場合,科学者たちがその形跡を何ら発見していないのはなぜでしょうか。実際にはそれを発見していても,その証跡を何か別の意味に解釈していることが考えられます。例えば,従来の伝統的科学によると,地球表面の多くの箇所は,一連の氷河期に強力な氷河によって形造られてきた,とされています。しかし,氷河活動の証拠のように見えるものの中には,流水作用の結果とみなし得るものもあります。したがって,大洪水の証跡のあるものが誤って氷河期の形跡と読み取られている場合も十分にあり得ます。

      34 そのような誤りの例が実際にあります。科学者たちが氷河期に関する学説を発展させていた時期のことについてこう記されています。「[科学者]たちは,均一性という見方にそって,地質史のどの段階にも氷河期を見つけていた。しかし,近年そのような証跡が注意深く再検討されて,それら氷河期の中には退けられたものも多い。かつては氷河による堆積物とされていたものが,解釈し直されて,泥流や海底の地滑り,また混濁流などによってできた層とみなされるようになった。なだれのような混濁流によって沈泥・砂・砂利などが深海の底に運び出されるのである」18

      35,36 化石の記録や地質学調査から得られたどんな証拠は大洪水と関連があるかもしれませんか。説明してください。

      35 大洪水の別の証跡が化石の記録の中に存在しているように思われます。その記録によると,かつては大型の剣歯トラがヨーロッパで忍びやかに獲物を狙い,現存種のどんなウマより大きなウマが北アメリカを歩き回り,またマンモスがシベリアでえさをあさっていました。ところが,世界全域にわたって幾種もの哺乳類が絶滅しています。それと同時に気象の激変が起きました。シベリアで何万頭ものマンモスが死に,急速に凍結されています。c チャールズ・ダーウィンと同時代の人として広く知られるアルフレッド・ウォーレスは,広範に見られるそうした壊滅は全世界にわたる何か異例な出来事によって引き起こされたものに違いない,と考えました。19 多くの人は,その異例な出来事とは大洪水であると見てきました。

      36 「聖書考古学者」誌の一論説記事は次のように述べています。「大規模な洪水の物語は人類文化の中で最も広範にわたる伝承の一つである点に留意することが重要である。……しかし,近東地域の歴史資料に見られる最古の伝承の背景には,多雨期の一つで……何千年も昔にさかのぼる時代の,とてつもない規模の実際の洪水があるのかもしれない」。20 多雨期というのは,地球の表面が現在よりはるかに水気の多かった時代です。世界中の淡水湖は今日よりずっと大きく広がっていました。こうした水気は氷河期の終わりと関係のある一連の大雨が原因である,という理論が提唱されています。しかし,ある時期における地表面の極端なまでの水気は洪水の結果ではないか,という見方をしている人たちもいます。

      人類はそれを忘れなかった

      37,38 実際の証拠からすれば大洪水があったともみなし得ることを一科学者はどのように示していますか。それが起きたということをどのように知ることができますか。

      37 地質学の教授のジョン・マキャンベルはかつてこのように書きました。「聖書的天変地異説[大洪水]と進化論的斉一説との間の本質的な違いは,地質学上の実際のデータをめぐるものではなく,それらデータの解釈をめぐるものである。どのような解釈を好むかは,個々の学徒の背景や前提としている事柄に大きく依存するであろう」。21

      38 大洪水が確かに起きたことは,人類がそれを決して忘れなかったという事実の中にも見ることができます。世界のいたるところ,アラスカや南太平洋の島々など遠く離れた場所にさえ,洪水に関する昔話が存在しています。コロンブス以前のアメリカ原住民の諸文化,またオーストラリアの原住民<アボリジニ>なども,すべて大洪水に関する民話を有しています。細かい説明に違いのあるものもありますが,この地上が洪水に見舞われて,ごくわずかな数の人間だけが手造りの船に乗って救われたという基本的な点が,ほとんどすべての話に伝えられています。こうして非常に広い範囲に語り継がれているのは,大洪水が歴史上の実際の出来事であったからにほかなりません。d

      39 聖書は神の言葉であって人間の言葉ではないということについて,どんな証拠をさらに見ることができましたか。

      39 こうして,根本的な面で聖書は現代科学と調和しています。両者が対立するのは,科学者の提出する証拠に問題のある場合です。両者が一致している場合,聖書は多くの点できわめて正確であり,その情報が人間を超越した理知に由来していることを信じざるを得ません。実際,聖書が実証された科学と一致しているということは,それが神の言葉であり,人間の言葉ではないことのいっそうの証拠となります。

  • そのとおりに実現した預言
    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 第9章

      そのとおりに実現した預言

      人間は,将来を確実に予告することができません。将来のことを予言しようとする人間の努力は繰り返しみじめな失敗に終わっています。ですから,実際にそのとおりになった数々の預言を収めた本があれば,それはわたしたちにとって興味深いものとなるはずです。聖書はそのような本です。

      1 (前書き部分を含む)聖書が多くの預言を収めており,それらがそのとおりに実現している事実はどんなことの証拠ですか。

      聖書の数多くの預言が非常に細かな点までそのとおりに実現しているために,それらは成就したとされる出来事の後に書かれたのだとする批評家たちがいます。しかし,そのような批判は当たっていません。神は全能者であられ,物事を預言する能力を完全に備えておられます。(イザヤ 41:21-26; 42:8,9; 46:8-10)そのとおりに実現した聖書の預言は,神による霊感の証拠であって,事後に書かれたことを示すものではありません。では今,そのとおりに実現した顕著な預言の幾つかを調べてみましょう。それは,聖書が神の言葉であり,単なる人間の言葉ではないことのいっそうの証しとなるでしょう。

      バビロンへの流刑

      2,3 どのような経緯でヒゼキヤ王はバビロンからの使節に自分の王家と領土のすべての財宝を見せましたか。

      2 ヒゼキヤは王としてエルサレムで30年ほど治めました。西暦前740年,ヒゼキヤは,北方の隣国イスラエルがアッシリアの手で滅ぼされるのを目撃しました。そして西暦前732年には,神の救いの力を自ら体験しました。その年,エルサレムを征服しようとしてやって来たアッシリアの企てが失敗し,その侵略軍は壊滅的な打撃を被ったのです。―イザヤ 37:33-38。

      3 さて今,ヒゼキヤは,バビロンの王メロダク・バラダンのもとから来た使節団を迎え入れています。表向き,それら使者たちは,ヒゼキヤが重病から快復したことを祝うために来ていました。しかし恐らくメロダク・バラダンとしては,ヒゼキヤを,世界強国アッシリアに対抗する同盟に加わらせることができると見ているのでしょう。ヒゼキヤのほうは,そうした考えを払いのけるようなことは何も行なわず,訪ねて来たバビロニア人に,自分の王家と領土のすべての富を見せて回ります。ヒゼキヤ自身としても,アッシリアによる再度の攻撃に備えて同盟を望んでいるのかもしれません。―イザヤ 39:1,2。

      4 イザヤは,ヒゼキヤの過ちがどんな悲劇的結末になることを預言しましたか。

      4 その時代の傑出した預言者であったイザヤは,ヒゼキヤの行動の軽率さをすぐに見てとります。ヒゼキヤにとって最も確実な守りとなるのはエホバであって,バビロンではないことを知っているのです。それでイザヤは,バビロニア人に自分の富を見せたその行為は悲劇的な結末になるであろうとヒゼキヤに告げます。イザヤはこう述べます。「日がやって来て,あなたの家の中にあるもの,あなたの父祖たちが今日に至るまで蓄えてきたものがすべて,実際にバビロンに運ばれるであろう」。エホバは,「何一つ残されないであろう」とも告げられました。―イザヤ 39:5,6。

      5,6 (イ)エレミヤはイザヤの預言を確認してさらに何と述べましたか。(ロ)イザヤとエレミヤの預言はどのように成就しましたか。

      5 西暦前8世紀当時,こうした預言は成就しそうもないように見えたかもしれません。しかし,その100年後に状況は変化していました。バビロンはアッシリアと入れ替わって支配的な世界強国となっていました。ユダのほうは宗教的に甚だしく退廃していて,神はもはや祝福を与えてはおられませんでした。そして今,別の預言者エレミヤが霊感を受けて,イザヤの語った警告を再び伝えることになりました。エレミヤはこうふれ告げました。『わたしは[バビロニア人]を来させ,この地とその住民を攻めさせる。……そして,この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的となり,これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない』― エレミヤ 25:9,11。

      6 エレミヤがこの預言を語ってから4年後,バビロニア人はユダを自分たちの帝国の一部としました。その3年後には,一部のユダヤ人を捕虜としてバビロンに連行し,エルサレム神殿の財宝の一部をも持ち去りました。それから8年後,ユダは反抗を企てましたが,再度バビロンの王ネブカドネザルによる侵略を受ける結果になりました。この時に,エルサレム市とその神殿は破壊されました。そこにあったすべての富は運び去られ,ユダヤの民そのものも遠く離れたバビロンに連れて行かれて,イザヤとエレミヤが予告したとおりになりました。―歴代第二 36:6,7,12,13,17-21。

      7 エルサレムに関するイザヤとエレミヤの預言が成就したことを考古学はどのように確証していますか。

      7 「聖地考古学百科事典」は,バビロニアの猛攻撃が終わった時の「[エルサレム]市はまさに徹底的な壊滅状態にあった」と記しています。1 考古学者のW・F・オールブライトはこう述べています。「ユダにおける発掘および地表踏査の結果は,ユダの諸都市が,二度にわたるカルデア人の侵略によって完全に破壊されただけでなく,何世代ものあいだ無人のままに放置されたことを示している。それ以後二度と人の住まなかった町も少なくない」。2 こうして考古学は,この点に関する預言が衝撃的なほど的確に成就したことを裏付けています。

      ティルスの命運

      8,9 エゼキエルはティルスに対してどんな預言を語りましたか。

      8 神の霊感による預言を書き記した古代のもうひとりの人としてエゼキエルがいます。エゼキエルは,西暦前7世紀の終わりから同6世紀にかけて預言者として活動しました。それは,エルサレムの滅亡に至る数年,そしてユダヤ人のバビロン捕囚の初めの十数年の期間に当たります。現代の批評家の中にも,エゼキエル書がおおむねその時期に書かれたという点に同意している人たちがいます。

      9 エゼキエルは,イスラエルの北側に隣接していたティルスの滅亡に関する目ざましい預言を記録しました。ティルスは,神の民の友という立場にありましたが,後にそれに敵対するようになった国です。(列王第一 5:1-9。詩編 83:2-8)エゼキエルはこう記しています。「主権者なる主エホバはこのように言われた。『ティルスよ,いまわたしはあなたを攻める。海が波を起こすように,わたしは多くの国々の民を起こしてあなたを攻めさせる。そして,彼らはティルスの城壁を必ず滅びに陥れ,その塔を打ち壊すであろう。わたしは彼女からその塵をこそげて,これを大岩の輝く,むき出しの表面とする。……またあなたの石や,木工物や,塵を水の中に置くであろう』」― エゼキエル 26:3,4,12。

      10-12 エゼキエルの預言は最終的にいつ,またどのように成就しましたか。

      10 この事は実際に起きたでしょうか。エゼキエルがこの預言を語ってから数年後,バビロンの王ネブカドネザルはティルスを攻囲しました。(エゼキエル 29:17,18)しかし,その攻囲は決して容易ではありませんでした。ティルス市の一部は普通の陸上(ティルス旧市と呼ばれている部分)にありました。しかし市の別の部分は,岸から800メートルほど離れた島にありました。ネブカドネザルは,この島を13年間攻囲してようやく屈服させました。

      11 しかし,エゼキエルの預言が細かな点までことごとく最終的に成就したのは,西暦前332年のことでした。その年,マケドニアからやって来た征服者アレクサンドロス大王は,アジアにまで侵略の歩みを進めていました。離れ小島にあって守りを堅くしていたティルスは,容易なことではアレクサンドロスに屈しませんでした。アレクサンドロスは潜在的な敵を背部に残すことを望まず,同時にまた,ネブカドネザルのようにティルスの攻囲に多年を費やすことも望みませんでした。

      12 この軍事上の問題をどのように解決したのでしょうか。アレクサンドロスは,一種の土手橋もしくは半島堤を島に渡し,自分の兵士たちがそれを伝って進み,島にある都市に攻撃を仕かけられるようにしました。しかし,その半島堤を築くために何が用いられたのかに注意してください。アメリカーナ百科事典はこう述べています。「彼は332年に,自分が破壊しつくしたその都市の本土側の部分の残がいを用いて巨大な半島堤を構築して,島と本土とをつないだ」。比較的短期間の攻囲の後に島側の都市は滅ぼされました。しかも,エゼキエルの預言が細かな点までことごとく成就したのです。ティルス旧市の『石や木工物や塵』までが『水の中に置かれた』からです。

      13 19世紀の一旅行者は古代ティルスの遺跡をどのように描写していますか。

      13 19世紀の一旅行者は,古代ティルスの遺跡が当時どのようになっていたかについてこう述べています。「ソロモンやイスラエルの預言者たちに知られていた元々のティルスについては,山側の岩壁にくり抜いた墳墓や,城壁の基部を除けば何のおもかげも残っていない。……アレクサンドロス大王が,この都市に対する攻囲の際,島と本土との間を埋め立てて岬に変えてしまった島の部分にさえ,十字軍の時代以前のものとして見分けのつく遺物は何もない。現今の町は,その全体が比較的に新しいものであるが,かつて島であった部分の北半分を占めており,残る地表面のほとんど全域は全く識別できないがれきで覆われている」。3

      次いでバビロンの滅び

      14,15 イザヤとエレミヤはバビロンに対してどんな預言を記録しましたか。

      14 西暦前8世紀に戻ると,ユダヤ人がバビロンに服従させられる日の来ることを警告した預言者イザヤは,驚がくすべきさらに別のこと,すなわち,バビロンそのものが完全な絶滅に至ることをも予告していました。イザヤはそれをまのあたりに見るかのように精細に予告しています。「いまわたしは彼らに対してメディア人を奮い起こさせる。……そして,もろもろの王国の飾り,カルデア人の誇りの美であるバビロンは,神がソドムとゴモラを覆されたときのようになるのである。彼女は決して人の住む所とはならず,また,彼女が代々にわたって住むこともない」― イザヤ 13:17-20。

      15 預言者エレミヤも,バビロンの倒壊について予告しましたが,それはその時代より幾年もたってから起きる事柄でした。そしてエレミヤは,興味深い細かな点をそこに含めていました。「彼女の水の上には荒廃があり,それは必ず干上がる。……バビロンの力ある者たちは戦うことをやめた。彼らは強固な場所に座りつづけた。その力強さは枯れた」― エレミヤ 50:38; 51:30。

      16 バビロンはいつ,だれによって征服されましたか。

      16 西暦前539年,精力的なペルシャの支配者キュロスがメディアの軍勢を伴いつつバビロンに向けて軍を進め,ぬきんでた世界強国としてバビロンが支配権を行使する時代は終わりを迎えることになりました。しかしキュロスは,侮りがたいものをそこに見ました。バビロン市は高大な城壁に囲まれ,いかにも堅固に見えました。大河ユーフラテスがその都市の中を流れ,防備にいっそうの重みを添えていました。

      17,18 (イ)どのような意味で『[バビロン]の水の上に荒廃』がありましたか。(ロ)バビロンの『力ある者たちが戦うことをやめた』のはなぜですか。

      17 ギリシャの歴史家ヘロドトスは,キュロスがこの問題をどのように解決したかを記述しています。「彼は,自分の軍隊の一部を川が市内へ流れ込む地点に配置し,別の一隊をその場所の裏側,水が流れ出て来るところに配置して,水が引いて浅くなるや直ちに川床を伝って町の中へ進み入れ,との命令を与えておいた。……キュロスは,堀割りを使ってユーフラテスの流れをくぼ地[バビロンのそれ以前の支配者が掘った人工の湖]に導いた。そこは当時,沼地であった。こうして川の水位は下がって,自然の川床を歩いて渡れるほどになった。そこですぐ,その目的のためバビロン市の傍ら,川のそばで待機していたペルシャ人たちは流れの中に入った。それは人の股の半ば程度にまで引いていた。こうして彼らは町の中へ侵入した」。4

      18 こうしてこの都市は,エレミヤやイザヤが警告していたとおりに陥落しました。しかし,預言が細かな点まで成就したことに注目してください。文字通り『彼女の水の上に荒廃があり,それは干上がり』ました。ユーフラテス川の水位を下げることによってキュロスはこの都市に接近することができたのです。エレミヤが予告していたとおり,「バビロンの力ある者たちは戦うことをやめた」でしょうか。聖書だけでなく,ギリシャの歴史家ヘロドトスやクセノフォンも,ペルシャ人が襲撃を仕かけた時,バビロニア人がまさに酒宴にふけっていたことを記録しています。5 楔形文字を刻んだ公文書であるナボニドス年代記は,キュロスの軍隊が「戦うことなく」バビロンに入ったと述べていますが,これは,大規模な組織的戦闘を交えなかった,という意味なのでしょう。6 明らかに,バビロンの力ある者たちは,都市の防衛のためにほとんど何も行ないませんでした。

      19 バビロンが『人の住まない所となる』という預言は成就しましたか。説明してください。

      19 バビロンが二度と『人の住まない所となる』という予告についてはどうでしょうか。この点は西暦前539年にすぐに成就したわけではありません。しかし,やはりこの預言もたがうことなくそのとおりになりました。バビロンは,倒れた後にも度々反抗の拠点となり,ついに西暦前478年,クセルクセスがこの都市を壊滅させました。4世紀の終わり,アレクサンドロス大王はバビロンの再建を企てましたが,その業がいくらも進まないうちに大王は死にました。以来,その都市は衰退の一途をたどりました。西暦1世紀になるまで人々はそこに住んではいましたが,古代バビロンから今日に残るものといえば,イラクにある廃虚の丘だけです。その廃虚が部分的に復元されることがあるとしても,バビロンは観光用の見せ物であるにすぎず,人のにぎわう生気ある都市となることはないでしょう。荒涼たるその遺跡は,バビロンに対する霊感の預言が最終的に成就したことの証しです。

      世界強国の行進

      20,21 ダニエルは,世界強国の行進に関してどんな預言的な幻を見ましたか。それはどのように成就しましたか。

      20 西暦前6世紀,ユダヤ人がバビロンに流刑になっていた時期に,別の預言者ダニエルは,霊感を受けて幾つかの注目すべき幻を記録し,世界の物事がそれ以後どのように展開してゆくかを予告しました。その一つの中でダニエルは,何頭かの象徴的な動物を描写し,それらが順次入れ替わって世界舞台に登場して来ることを示しています。そして,ひとりのみ使いの説明によると,それらの動物は,その時代以降の世界強国の行進のさまを予影していました。対決する二頭の獣についてみ使いはこう述べます。「あなたが見た二本の角のある雄羊はメディアとペルシャの王を表わしている。また,毛深い雄やぎはギリシャの王を表わしている。その目の間にあった大いなる角,それはその第一の王である。また,それが折れて,その代わりについに四本の角が立ち上がったが,彼の国から四つの王国が立つことになる。しかし,彼ほどの力はない」― ダニエル 8:20-22。

      21 この預言的描写は的確に成就しました。バビロニア帝国はメディア-ペルシャによって覆され,そのメディア-ペルシャの勢力は200年後にギリシャ系の世界強国に道を譲りました。そのギリシャ系の帝国は,「大いなる角」たるアレクサンドロス大王をその先鋒としていました。しかしアレクサンドロスの死後,配下の将軍たちが権力を求めて戦い合い,やがてその広大な帝国は四つの小帝国,「四つの王国」に分割されました。

      22 世界強国の行進に関する関連した預言の中で,どんな世界強国のことがさらに預言されましたか。

      22 ダニエル書の7章にもこれとやや似た幻があり,それもずっと後の時代を見通していました。バビロニア世界強国はライオンとして描かれ,ペルシャは熊,ギリシャは四つの頭を持ち,背中に四つの翼のあるひょうとして描写されました。さらにダニエルはもう一つの野獣を見ます。それは「恐ろしく,すさまじく,際立って強いもの」で,「十本の角」がありました。(ダニエル 7:2-7)この四番目の野獣は,強力なローマ帝国を予表していましたが,そのローマが興隆してきたのは,ダニエルがこの預言を記してから3世紀ほど後のことでした。

      23 ダニエルの預言に出て来る四番目の野獣は,どんな点で『他のすべての王国と異なって』いましたか。

      23 み使いはローマに関してこう預言しました。「第四の獣について言えば,地に生じる四番目の王国がある。それは他のすべての王国とは異なっているであろう。それは全地をむさぼり食い,それを踏みにじり,打ち砕く」。(ダニエル 7:23)H・G・ウェルズはその著「世界小史」の中でこう述べています。「新しいローマの勢力が台頭して,西暦前2世紀から同1世紀にかけて西側の世界に君臨するようになったが,このローマは,幾つかの点で,それまでに文明世界を制覇したどの大帝国とも異なる存在であった」。7 ローマは共和制の国家として興り,帝王制の国家としてずっと存続しました。それ以前の帝国とは異なり,ローマはだれか特定の征服者によって創建されたのではなく,数世紀をかけたたゆみない発展の結果として成立しました。ローマは,それに先行したどの帝国よりもはるかに長い期間存続し,はるかに広大な領土を配下に置きました。

      24,25 (イ)野獣の十本の角はどのようなかたちで登場しましたか。(ロ)野獣の角どうしの間のどんな抗争をダニエルは予見しましたか。

      24 しかし,この強大な獣の十本の角についてはどうでしょうか。み使いはこう述べました。「また,十本の角について言えば,その王国から起こり立つ十人の王がいる。そして,それらの後にさらに別の者が起こるが,その者は初めの者たちとは異なっており,また三人の王を辱める」。(ダニエル 7:24)この点についてはどうでしたか。

      25 西暦5世紀にローマ帝国は衰退しはじめましたが,別の世界強国がすぐそれに取って代わったわけではありません。ローマは幾つもの王国,いわば「十人の王」に分解したのです。最終的には大英帝国が,それと張り合ったスペイン,フランス,オランダの三つの帝国を打ち負かして主要な世界強国となりました。こうして,後から登場した『角』が「三人の王」を辱めました。

      ダニエルの預言は事後に書かれたものか

      26 批評家たちは,ダニエル書がいつごろ書かれたと唱えていますか。それはどんな理由によりますか。

      26 聖書は,ダニエル書が西暦前6世紀に書かれたことを示しています。しかし,ダニエル書の預言があまりにも厳密に成就しているために,この書は西暦前165年ごろ,つまり,そこに預言として述べられている幾つかの事柄が起きた後に書かれたものであると批評家たちは主張しています。8 そのような主張をする現実の理由は,ダニエルの預言がそのとおりに実現しているからということ以外にはないのに,多くの研究用書物の中では,ダニエル書をこのような後代の作とする見方が既定の事実のようにして提出されています。

      27,28 ダニエル書が西暦前165年ごろに書かれたものではない証拠としてどんな事実がありますか。

      27 しかし,そのような説については,次の幾つかの事実と比較考量してみることが必要です。まず,この書は,第一マカベア書など,西暦前2世紀のユダヤ教の著作の中で暗に言及されています。またこの書は,西暦前3世紀に翻訳の始まったギリシャ語セプトゥアギンタ訳の中に含められています。9 第三に,ダニエル書の写本断片は,死海写本群の中でもとりわけ多く見つかる文書の中に入っており,それら写本断片は西暦前100年ごろのものと信じられています。10 これは,ダニエル書が書かれたと唱えられている年代からそれほどたっていない時期であり,そのころすでにダニエル書が明らかに広く知られ,重んじられていたということは,それが,批評家たちの主張するよりずっと早い時代に書き終えられていたことの強力な証拠です。

      28 さらに,ダニエル書は,西暦前2世紀の筆者には知り得なかったであろう歴史の細部を幾つも含んでいます。その好例はベルシャザル,つまり西暦前539年にバビロンが陥落したさい殺されたバビロンの支配者についてです。バビロンの陥落に関する聖書以外のおもな情報源といえば,ヘロドトス(西暦前5世紀),クセノフォン(西暦前5世紀から4世紀),ベロッソス(西暦前3世紀)の3人です。これら3人のうちのだれもベルシャザルについては知りませんでした。11 これら早い時代の著述家たちが入手し得なかった情報を,西暦前2世紀の筆者が知っていたというのはいかにも考えにくいことです。ダニエル書の5章にある,ベルシャザルに関する記録は,これら他の著作家たちがそれぞれ自分の書を書いた時よりも早い時期に,ダニエルがその書を記したという強力な論拠になります。a

      29 ダニエル書はそこに預言として述べられている事柄が起きた後に書かれたというようなことはなぜあり得ませんか。

      29 最後の点として,ダニエル書には,西暦前165年よりずっと後に成就した預言も数多く収められています。その一つはさきに述べたローマ帝国に関するものですが,別の預言として,メシアであるイエスの到来を予告した特筆すべき預言があります。

      油そそがれた者の到来

      30,31 (イ)ダニエルのどんな預言はメシアの出現する時期をあらかじめ告げていましたか。(ロ)メシアの出現するはずの年をダニエルの預言からどのように算定できますか。

      30 その預言はダニエル書の9章に記されており,このように述べられています。「七十週[7年を1週とする; すなわち490年]があなたの民とあなたの聖なる都市に関して定められている」。b (ダニエル 9:24,詳訳聖書)この490年の期間に何が起きることになっていましたか。さらにこう述べられています。「エルサレムを修復して建て直せとの命令の出る時から,油そそがれた者,君たる者の[到来の]時までは,七週[7年を1週],そして六十二週[7年を1週]であろう」。(ダニエル 9:25,詳訳聖書)ですからこれは,「油そそがれた者」であるメシアが到来する時期に関する預言です。それはどのように成就したでしょうか。

      31 エルサレムを修復して建て直せという命令は,ペルシャの「王アルタクセルクセスの第二十年」,つまり西暦前455年に『出され』ました。(ネヘミヤ 2:1-9)それから49年(7年を1週として7週)がたった時までにエルサレムの栄光はかなり回復されていました。そして,西暦前455年から483年(7週たす62週)を数えると,西暦29年になります。ちょうどこれは,「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年」であり,イエスが,バプテスマを施す人ヨハネからバプテスマを受けた年になります。(ルカ 3:1)その時イエスは公に神の子とされ,ユダヤ国民に良いたよりを宣べ伝える宣教活動を開始しました。(マタイ 3:13-17; 4:23)イエスは「油そそがれた者」すなわちメシアとなったのです。

      32 ダニエルの預言によると,イエスの地上での宣教活動はどれほどの期間続きますか。その終わりにどんな事が起きますか。

      32 預言はさらにこう述べていました。「そして六十二週[7年を1週]の後に,油そそがれた者は断たれるであろう」。またこう述べています。「また彼は一週[7年]の間,多くの者との強固で揺るぎない契約に入るであろう。そして,その週の半ばに,彼は犠牲と捧げものを終わらせる」。(ダニエル 9:26,27,詳訳聖書)まさにこの言葉のとおり,イエスはもっぱら,生来のユダヤ人である「多くの者」のところへのみ行きました。イエスはときにサマリア人にも宣べ伝えましたが,それは,聖書の一部を信じながらも,ユダヤ教の主流とは別個の派を構成していた人々でした。その後,「週の半ばに」,つまり3年半の伝道の後に,イエスは自分の命を犠牲として与え,こうしてイエスは「断たれ」ました。これは,犠牲と供え物とを伴うモーセの律法の終了を意味しました。(ガラテア 3:13,24,25)こうしてイエスは,自らの死によって,「犠牲と捧げものを終わらせ」たのです。

      33 エホバはいつまで,もっぱらユダヤ人とのみ接触を持たれますか。この期間の終わりとしてどんな出来事がありましたか。

      33 しかしながら,新しく誕生したクリスチャン会衆は,その後もさらに3年半の間,もっぱらユダヤ人に,次いで,自分たちとゆかりのあるサマリア人に証言しました。しかし西暦36年,1週を7年とする70週が終わった時に,使徒ペテロは導きを受けて異邦人のコルネリオに伝道しました。(使徒 10:1-48)『多くの者との契約』はもはやユダヤ人だけに限られてはいませんでした。救いは無割礼の異邦人にも宣べ伝えられるようになりました。

      34 生来のイスラエルがメシアを退けた結果,ダニエルの預言のとおりにどんな事が起きましたか。

      34 ユダヤ国民はイエスを退け,しかも陰謀を巡らしてイエスを処刑に至らせたので,西暦70年,ローマ人がやって来てエルサレムを壊滅させた時,エホバはこの国民を保護されませんでした。こうして,ダニエルの言葉の次の部分がさらに成就しました。「また,やって来る別の君の民がこの都市と聖所とを滅ぼすであろう。その終わりは洪水と共にやって来て,終わりにいたるまで戦争があるであろう」。(ダニエル 9:26,後半,詳訳聖書)この二番目の「君」とは,西暦70年にエルサレムを壊滅させた,ローマの将軍ティツスでした。

      霊感による預言

      35 イエスに関するほかのどんな預言がそのとおりに実現しましたか。

      35 このように,ダニエルの70週の預言は驚くほど正確に成就しました。実際のところ,ヘブライ語聖書に記録された預言の多くは1世紀に成就し,その多くはイエスと関連がありました。イエスの誕生する場所,神の家に対するイエスの熱心さ,その伝道活動,裏切られて銀30枚で売り渡されること,イエスの死の様子,その衣を分けるためにくじが投げられたこと ― このような細かな点すべてがヘブライ語聖書の中で預言されていました。それが成就したことは,イエスが間違いなくメシアであることの証明であり,さらにそれは,聖書の預言が霊感によるものであることを重ねて実証するものとなりました。―ミカ 5:2。ルカ 2:1-7。ゼカリヤ 11:12; 12:10。マタイ 26:15; 27:35。詩編 22:18; 34:20。ヨハネ 19:33-37。

      36,37 聖書の預言がそのとおりに実現した事実からどんなことを学べますか。この点を知ると,どんなことを確信できますか。

      36 確かに,成就するはずであった聖書の預言はことごとく実現しました。多くの事は,聖書が予告していたまさにそのとおりに起きました。これは,聖書が神の言葉である強力な証拠です。それほどまでに正確であったことから考えると,それら預言的なことばの背後には,人間の知恵以上のものが存在していたに違いありません。

      37 しかし聖書の中には,これら過去の時代には成就しなかった他の予言のことばもあります。なぜ成就しなかったのでしょうか。それらは,このわたしたちの時代に,さらには,これから将来に成就することになっていたからです。昔の時代に関する預言の信頼性は,これら他の予言のことばも必ずそのとおりに実現することを確信させます。まさしくそのとおりであることを,次の章で学びましょう。

      [脚注]

      a 第4章,「『旧約聖書』はどれほど信じられますか」の16,17節をご覧ください。

      b この翻訳の角かっこ内の語句は,意味を明確にするためその翻訳者によって加えられたものです。

      [133ページの拡大文]

      成就するはずであった預言はすべてそのとおりに実現した。多くの出来事は,聖書が予告していたまさにそのとおりに起きた

      [118ページの図版]

      考古学者たちは,ネブカドネザルによるエルサレムの破壊が徹底的なものであったことを発見した

      [121ページの図版]

      現今のティルスの写真。イスラエルの預言者たちの知っていたティルスはほとんど何の名残もとどめていない

      [123ページの図版]

      古代バビロンの遺跡を訪ねる旅行者たちは,この都市に対する預言が成就したのを目撃できる

      [126ページの図版]

      世界強国の行進に関するダニエルの預言があまりにも正確に成就しているため,それらは事後に書かれたものであると,現代の批評家たちは考えている

      バビロン

      ペルシャ

      ギリシャ

      ローマ

      英国

      [130ページの図版]

      ダニエルは,メシアがイスラエルに出現する時を厳密に預言した

  • あなたが見た聖書預言の成就
    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 第10章

      あなたが見た聖書預言の成就

      今日の世界の様相は100年前と比べてどうしてこれほど違っているのだろうか,と考えたことがありますか。ある面では進歩と改善が見られます。多くの土地で,以前には人々を死に至らせていた病気が,今では日常普通に治療されています。何世代か昔の人々が夢にさえ見なかったような生活水準が実現し,今日ではごく普通の人々でもその恩恵に浴することができます。ところがその一方で,今世紀には,史上最悪の戦争が,そして最も甚だしい残虐行為の幾つかが行なわれてきました。人類の繁栄,いや,人類の生存そのものが,人口爆発,汚染の問題,核兵器・生物兵器・化学兵器の全世界にわたる大々的な備蓄などによって脅かされています。どうしてこの20世紀は,それ以前の時代とこのように異なっているのでしょうか。

      1 (前書き部分を含む)(イ)この20世紀はそれまでの時代とどのように異なっていますか。(ロ)わたしたちの時代がどうしてこれほど違っているのかを理解する点で何が助けになりますか。

      この疑問に対する答えは,あなたが成就を見てこられた聖書の目ざましい預言と関係があります。それはイエス自ら語られた預言であり,また,聖書が霊感によるものである証拠となるだけでなく,世界の状況が劇的な大変化を見る日の近いことを示す預言でもあります。それはどんな預言でしょうか。それがどのように成就しているかを知ることができますか。

      イエスの重要な預言

      2,3 弟子たちはイエスにどんな質問をしましたか。イエスの答えはどこに見いだせますか。

      2 聖書が記している点ですが,イエスの死なれる少し前,弟子たちはエルサレムにある神殿の建物の壮大さについて話し合っていました。弟子たちは,その大きさと,いかにもしっかりした造りに感銘を受けていたのです。しかしイエスはこう言われました。「あなた方はこれらのすべてのものを眺めないのですか。あなた方に真実に言いますが,石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してないでしょう」― マタイ 24:1,2。

      3 弟子たちはイエスのこの言葉に驚きを感じていたに違いありません。それで,後にイエスのところにやって来て,そのことについてさらに知ろうとしてこう尋ねました。「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)これに対するイエスの答えは,マタイ 24章のこれ以降の部分と25章にあります。またこの時のイエスの言葉は,マルコ 13章とルカ 21章にも記録されています。明らかにこれは,イエスが地上にいた間に語られた最も重要な預言です。

      4 イエスの弟子たちはどんな異なった点について尋ねていましたか。

      4 実際のところ,イエスの弟子たちが尋ねていたのはただ一つの点だけではありません。まず,「そのようなことはいつあるのでしょうか」と,つまり,エルサレムとその神殿が滅ぼされるというのはいつのことなのだろうか,と質問しています。さらに,神の天の王国の王としてのイエスの臨在が始まったこと,そしてこの事物の体制の終わりが近いことを示すしるしについても尋ねていました。

      5 (イ)イエスの預言にはどのような最初の成就がありましたか。しかしイエスの言葉はいつ全面的な成就を見ますか。(ロ)イエスは弟子たちの質問にまずどのように答えましたか。

      5 答えの中で,イエスはこの双方を念頭に入れていました。イエスの言葉の多くの点は,第1世紀に,つまり西暦70年のエルサレムの悲惨な滅びにいたるまでの期間にまさしく成就しました。(マタイ 24:4-22)しかしイエスの預言は,後の時代に,事実,このわたしたちの時代に,より重要な意味を持つことになっていました。では,イエスはどのようなことを語られたのでしょうか。7節と8節に記されている次の言葉を最初に語られました。『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があります。これらすべては苦しみの劇痛の始まりです』。

      6 マタイ 24章7,8節のイエスの言葉は並行するどの預言を想起させますか。

      6 明らかに,天の王としてのイエスの臨在の始まりは,地上における非常な騒乱を特色とする時代となります。この点は,啓示の書にある並行する預言,すなわち,黙示録の四騎手の幻によっても裏書きされます。(啓示 6:1-8)それら騎手たちのうち第一の者は,征服を進める王としてのイエスご自身を表わしています。乗用馬にまたがる他の騎手たちは,イエスの統治の開始をしるしづける地上の幾つかの事柄,すなわち戦争や飢きん,また,種々の要因による多くの人々の不慮の死を表わしています。これら二つの預言が今日成就しているのをわたしたちは見ているでしょうか。

      戦争!

      7 黙示録の二番目の騎手が乗り進むさまによってどのようなことが預言的に表わされましたか

      7 これらの預言をもう少し細かに調べてみましょう。イエスはまず,『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』と言われました。これは戦争に関する預言です。黙示録の四騎手のうちの第二の者も,同じように戦争を表わしていました。このように述べられています。「別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」。(啓示 6:4)さて,人類はこれまで幾千年ものあいだ戦争を行なってきました。それで,なぜこれらの言葉がわたしたちの時代に特別の意味を持つことになるのでしょうか。

      8 どのような意味で戦争はしるしの際立った特色となるはずですか。

      8 銘記しておくべき点として,戦争それだけでイエスの臨在のしるしとなるわけではありません。そのしるしは,イエスの預言の詳細な点すべてが同じ時代に起きることによって成り立っています。ですが,最初の特色として挙げられているのは戦争ですから,この面が,わたしたちの注意をとらえるような際立ったかたちで成就すると考えられます。そして,この20世紀に起きた戦争がそれ以前の全歴史を通じてまったく類例のないものであることは,だれもが認めなければならないでしょう。

      9,10 戦争に関する預言はどのようなかたちで成就しはじめましたか。

      9 例えば,以前に起きた戦争の多くも残忍で破壊的なものであったとはいえ,そのどれも,破壊のすさまじさの点で,20世紀に起きた二つの世界大戦とは比べようもありません。最初の世界大戦は合計で1,400万人もの死者を出しました。これは,多くの国においてその総人口を上回る数字です。確かに,「人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された」という言葉のとおりになりました。

      10 その預言によると,黙示録の騎手のうちその好戦的な二番目の者に『大きな剣が与えられ』ました。この点はどのように当てはまるでしょうか。次のこと,すなわち,戦争のための兵器がはるかに破壊的になったことです。戦車・飛行機・致死性の毒ガス・潜水艦,また数キロ以上も離れたところで弾頭をさく裂させる特殊火器類などを装備した人間は,自分の隣人たちを殺傷する点でいっそう巧みになりました。そして最初の世界大戦以後,この「大きな剣」はますます破壊的になりました。無線通信器・レーダー・高性能ライフル・細菌兵器および化学兵器・火炎放射器・焼夷<ナパーム>弾・種々の新型爆弾・大陸間弾道弾・原子力潜水艦・高性能航空機・巨大戦艦などを用いるようになったからです。

      「苦しみの劇痛の始まり」

      11,12 どのような意味で最初の世界大戦は「苦しみの劇痛の始まり」にすぎませんでしたか。

      11 イエスの預言の初めの部分は,「これらすべては苦しみの劇痛の始まりです」という言葉で結ばれています。この点は,第一次世界大戦に関してまさにそのとおりになりました。その大戦は1918年に終わりましたが,永続する平和をもたらすことにはなりませんでした。その後まもなく,限定的なものとはいえ,し烈な軍事行動が,エチオピア,リビア,スペイン,ロシア,インド,その他の地で相次ぎました。そして,さらにそれに続いたのがあの忌まわしい二番目の世界大戦です。それは,将兵と一般市民を合わせて5,000万人もの命を奪いました。

      12 さらに,平和のための合意や戦闘の小康も時おりあるとはいえ,人類は今なお戦闘状態にあります。1987年に伝えられたところによると,1960年以来合計81の主立った戦争が行なわれ,1,255万5,000人もの男女子供が殺りくされました。1987年には,記録に残る歴史の上でそれまでのどの年よりも多い数の戦争が行なわれました。1 その上,軍備のための支出は現在のところ毎年合計1兆ドル(約130兆円)にも達し,世界の経済をゆがめさせています。2『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』というイエスの預言は今まさしく成就しつつあります。戦争を象徴する赤い馬は全地にわたってその猛烈な疾駆を続けています。しかし,しるしの第二の面についてはどうでしょうか。

      食糧不足!

      13 イエスはどんな痛ましい状況を予告しましたか。黙示録の三番目の騎手の幻はイエスの預言をどのように裏書きしていますか。

      13 『そこからここへと食糧不足がある』とイエスは予告しました。この点が,黙示録の四騎手のうちの第三の乗り手の進む様といかに合致しているかに注意してください。その乗り手についてこう記されています。「そして,見ると,見よ,黒い馬がいた。それに乗っている者は手にはかりを持っていた。そしてわたしは,四つの生き物の真ん中から出るかのような声が,『小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損なうな』と言うのを聞いた」。(啓示 6:5,6)そうです,深刻な食糧不足です。

      14 1914年以来のどんな大飢きんはイエスの預言の成就となりましたか。

      14 幾つかの国で非常に高度な生活水準が達成されている今日の時代に,このような預言が成就しているということがあり得るでしょうか。世界全体を見渡してみると,この点の疑問はなくなるでしょう。歴史的に見ても,飢きんは,戦争や自然の災害によって引き起こされてきました。ですから,災害や戦争が普通以上に多かった今世紀が,幾たびも飢きんに見舞われてきたというのも驚くべきことではありません。地上の幾多の場所が1914年以来そのような災害を被ってきました。ある報告は,1914年以来の大規模な飢きん60以上を数え挙げていますが,それは,ギリシャ,オランダ,ソ連,ナイジェリア,チャド,チリ,ペルー,バングラデシュ,ベンガル,カンボジア,エチオピア,そして日本など,広く世界各地に及んでいます。3 これらの飢きんの中には何年も続いて,幾百万もの死者を出したものもあります。

      15,16 今日,別のどんな食糧不足が現実に惨害をもたらしていますか。

      15 深刻な飢きんについては多くの場合広く報道されますが,しばらくするとそれはおさまり,生き残った人々はやがて比較的普通の生活に戻ってゆきます。しかしこの20世紀に,別の,さらに不気味なかたちの食糧不足が進展してきました。これはそれほど劇的なものではないために,とかく見過ごされていますが,年々続いています。それは,栄養不良という深刻な災いで,地球人口の5分の1の範囲にまで及び,毎年1,300万から1,800万もの人々を死に至らせています。4

      16 言い換えると,この種の食糧不足のため,二日ごとに,原子爆弾によって広島で死んだのとほぼ同じ数の人々が絶えず死んでいることになります。実際,第一次世界大戦と第二次世界大戦で死んだ将兵の数を合わせたよりも多くの人々が,飢餓のため二年ごとに死んでいるのです。1914年以来『そこからここへと食糧不足があった』と言えるでしょうか。まさしくそのとおりです。

      地震

      17 1914年の後まもなくどんな破壊的な地震が起きましたか。

      17 1915年1月13日,最初の世界大戦が始まってまだ数か月のころ,大きな地震がイタリアのアブルッツィ地方を襲い,3万2,610人もの命を奪いました。この大災害は,イエスの臨在の時代に起きる戦争や食糧不足にはさらにほかのものが伴うはずであったという点を思い起こさせます。すなわち,「そこからここへと……地震がある」とも述べられていました。戦争や食糧不足の場合と同様,アブルッツィの地震も「苦しみの劇痛の始まり」であったにすぎません。a

      18 地震に関するイエスの預言はどのように成就してきましたか。

      18 20世紀は地震の世紀であったと言えます。広報手段の発達により,世界中の人々は,地震による被害の状況についてよく知るようになっています。幾つか例を挙げれば,1920年には中国の一つの地震で20万人が死にました。1923年,日本では一つの地震で9万9,300人ほどが死に,1935年には,別の地震のために現在のパキスタンの地域で2万5,000人,さらに1939年にトルコで3万2,700人が死にました。1970年のペルー地震の死者は6万6,800人に上り,1976年の中国,唐山<タンシャン>の地震では24万人(ある資料では80万人)もの死者が出ました。さらに最近のこととして,1988年にアルメニア地方を襲った強力な地震では,2万5,000人が犠牲になりました。b 確かに,『そこからここへと地震があり』ました。6

      「死の災厄」

      19 しるしのさらにどんな面がイエスによって予告され,黙示録の第四の騎手によって予示されましたか。

      19 イエスの預言のもう一つの面は病気に関することでした。福音書記者ルカは,その記述の中で,イエスが『そこからここへと疫病がある』とも予告されたことを記録しています。(ルカ 21:11)この点も,黙示録の四騎手に関する預言的な幻と合致します。四番目の騎手には“死”という名が付けられています。その者は,『死の災厄や地の野獣』などさまざまな原因で人々に臨む時ならぬ死を象徴しています。―啓示 6:8。

      20 どんな目立った流行病は,疫病に関するイエスの預言の成就の一面となりましたか。

      20 1918年から1919年にかけて,10億人もの人がスペイン風邪にかかり,2,000万人以上が死にました。この病気が奪った人命の数は,その時の世界大戦による死者の数をさえ上回っています。7 そして,「死の災厄」すなわち『疫病』は,医学上の多くの目ざましい進歩にもかかわらず,今日の世代を悩まし続けています。これはなぜでしょうか。一つには,貧しい国々が科学の進歩の恩恵に必ずしもあずかれないためです。貧しい人々は,もっとお金があれば良い治療を受けられるような病気のために苦しみ,また死んでゆきます。

      21,22 富んだ国の人も貧しい国の人も「死の災厄」によってどのように苦しめられてきましたか。

      21 例えば,世界中で約1億5,000万人もの人々がマラリアにかかっています。およそ2億人が住血吸虫症に冒されています。シャガス病のために1,000万人ほどの人が苦しみ,約4,000万人が糸状虫症を患い,急性の下痢を伴う種々の疾病のために毎年何百万人もの子供たちが命を失っています。8 結核とらい病は依然,容易ならぬ保健上の問題となっています。はっきり言える点として,この世界の貧しい人々は『そこからここへと見られる疫病』のために苦しめられています。

      22 しかし,豊かな人々が免れているわけではありません。例えば,インフルエンザは富んだ人も貧しい人も襲います。1957年に猛威を奮ったインフルエンザは,米国だけでも7万人の人々を死に至らせました。ドイツでは,6人に一人がやがてガンにかかるようになると推定されています。9 性行為を通して感染する種々の疾病も貧富の別なく打撃を与えています。淋病は米国で最も多く報告されている伝染病ですが,その同じ病気が,アフリカの幾つかの地域で人口の18.9パーセントまでを悩ませています。10 梅毒,クラミジア感染症,陰部ヘルペスなども,性行為によって感染する流行性の「疫病」の中に挙げられます。

      23 どんな「死の災厄」のことが近年しきりに報道されるようになりましたか。

      23 近年では,「死の災厄」であるエイズが「疫病」のリストにさらに加わりました。エイズは恐ろしい病気です。今この本の編集の時点で有効な治療法はまだ見いだされていませんし,その犠牲となる人は増え続けています。WHO(世界保健機関)のエイズ対策特別計画の主事ジョナサン・マン博士はこう述べました。「我々はまた,今日の世界には,ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の感染者が500万人から1,000万人いると推定している」。11 公表された一推計によると,エイズウイルスは毎分一人の割合で新しい犠牲者を生み出しています。まさしく「死の災厄」です。では,野獣による死に関する預言についてはどうでしょうか。

      「地の野獣」

      24,25 (イ)預言者エゼキエルはどのような『野獣』について述べましたか。(ロ)イエスは自分の臨在の始まった時代に地上で「野獣」が動き回ることについて何と言われましたか。

      24 実際のところ,野獣のことが近ごろ新聞などに取り上げられるとすれば,それは,ある動物種族の生存が脅かされているとか,絶滅にひんしているという場合です。人間が脅かされているというよりは,「地の野獣」のほうが人間からはるかに大きな脅威を受けています。とはいえ,例えばインドのトラなど,ある土地では野生の動物が今なお人間の命を確実に犠牲にしています。

      25 しかし聖書は,近年現実の脅威となってきた別の種類の野獣に注意を促しています。預言者エゼキエルは,凶暴な人間を野獣になぞらえてこのように述べました。「彼女の中の君たちは,獲物を引き裂くおおかみのようであり,不当な利得を得るために血を流し,魂を滅ぼす」。(エゼキエル 22:27)「不法が増す」ことについて預言した際,イエスは事実上,ご自分の臨在の期間に,地上でそのような「野獣」が動き回ることを述べておられました。(マタイ 24:12)さらに聖書の筆者パウロは,「終わりの日に」人々が「金を愛する者,……自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者」となることをも述べています。(テモテ第二 3:1-3)1914年以来の状況はこのとおりになってきましたか。

      26-28 世界中から寄せられるどんな報道は,「野獣」のような犯罪者たちが地上をうろつき回っていることを示していますか。

      26 まさしくそのとおりです。ほとんどどこでも地上の大都市に住んでおられるなら,すでにその点に気づいておられるでしょう。しかし,もし疑問をお持ちなら,次に挙げる最近の新聞からの引用文について考えてください。コロンビア発: 「昨年,警察当局は,約1万件の殺人と2万5,000件の武装強盗事件を記録した」。オーストラリアのビクトリア州発: 「重大犯罪の飛躍的増加」。米国発: 「ニューヨークにおける殺人件数はいつも新記録に向かっている」; 「昨年,デトロイトは,[アメリカ]全国で殺人事件発生率の最も高い都市としてインディアナ州ゲーリーを追い抜いた ― 住民10万人に対して58人である」。

      27 ジンバブエ発: 「幼児殺人は危機的な比率を示すようになった」。ブラジル発: 「ここでは犯罪があまりに多く,武器の携帯もあまりに普通のことであるため,暴力事件のニュースはもはや人々の興味を全く引かなくなっている」。ニュージーランド発: 「性的暴行や暴力犯罪は警察にとって引き続き主要な関心となっている」; 「ニュージーランド人相互の間の暴力的傾向は野蛮としか言いようがない」。スペイン発: 「スペインは増大する犯罪の問題と取り組む」。イタリア発: 「シチリアのマフィアはしばらくの後退ののち再び殺人の波を高まらせている」。

      28 これらは,本書の発行の少し前に新聞に伝えられていた点のほんの数例にすぎません。確かに,「野獣」が地上をさまよい,人々の安全を脅かしています。

      良いたよりを宣べ伝える業

      29,30 イエスの預言の成就として,キリスト教世界の宗教的な状況はどのようになっていますか。

      29 イエスの臨在の始まった苦難に満ちた時代に,宗教面ではどのような状況が見られるでしょうか。一方においてイエスは,宗教的な活動が増大することをこう預言しました。「多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう」。(マタイ 24:11)他方においては,キリスト教世界全体にわたって神への関心が低くなることを予告して,「大半の者の愛が冷えるでしょう」と言われました。―マタイ 24:12。

      30 これは,今日のキリスト教世界で起きている事柄を的確に描写しています。一方において,主流諸教会はどこでも,十分な支持が得られないために衰退しています。かつてはプロテスタントの強い土地であった北ヨーロッパや英国で,宗教はまさに死んだも同然です。それと同時に,カトリック教会も,僧職者の不足に,また支持者の減少に悩んでいます。他方においては,主流ではない種々の宗教グループの波が押し寄せてもいます。東洋的宗教に根ざす新しい宗教熱が高まりを見せる中で,貪欲なテレビ福音伝道師たちは何百万ドルもの資金を強要しています。

      31 この時代に真のクリスチャンを見分けるための助けとなるどんな事柄をイエスは予告されましたか。

      31 しかし,真のキリスト教,すなわちイエスが人々に知らせ,その使徒たちが宣べ伝えた宗教についてはどうでしょうか。それはイエスの臨在の時代にも存在するはずですが,どのようにしてそれを見分けられるのでしょうか。どれが真のキリスト教かを明らかにする点は数多くありますが,そのうちの一つがイエスの重大な預言の中で言及されています。すなわち,真のクリスチャンは全世界的な宣べ伝える業に携わっているはずです。イエスはこう預言しました。「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。

      32 マタイ 24章14節に記されるイエスの預言を成就してきたのはどのグループだけですか。

      32 現在,この宣べ伝える業は,大々的な規模で進められています! 今日,エホバの証人と呼ばれる宗教グループは,キリスト教の歴史上最も徹底的な伝道活動を行なっています。(イザヤ 43:10,12)1919年にさかのぼりますが,政治に関与するキリスト教世界の主要宗教が,はかない前途しかない国際連盟を擁護していた中にあって,エホバの証人はこの全地球的な伝道運動のための備えをしていました。

      33,34 王国の良いたよりは全世界にどの程度まで宣べ伝えられてきましたか。

      33 その当時エホバの証人はわずかに1万人ほどしかいませんでした。しかしその人々は,どんな仕事がなされなければならないかを知っていました。そして,その宣べ伝える任務に勇敢に取りかかりました。これらの人々はまた,僧職者と平信徒の区別を設けることが,聖書の命令にも使徒たちの手本にも反していることを悟りました。ですからエホバの証人は,ひとり残らずすべての人が,それぞれ自分の隣人に神の王国について話す方法を学び,こうして彼らは,宣べ伝える人々の組織を成すにいたりました。

      34 時の経過とともに,これら宣べ伝える人々は激しい反対にも耐えなければなりませんでした。ヨーロッパでは,幾つかのタイプの全体主義体制のもとで圧迫を受けました。米国やカナダでも,法律上の挑戦や暴徒の行動に立ち向かいました。他の国では,宗教的熱狂者からの偏見や,専制的独裁者たちによる残虐な迫害を乗り越えなければなりませんでした。近年では,浸透する懐疑主義の風潮や放縦な生き方にも対抗しなければなりません。それでも証人たちは業を続け,今日,全世界212の土地で,350万人以上を数えるまでになりました。神の王国の良いたよりがこれほど広範囲に宣べ伝えられたことはかつてありません。まさしく,しるしのこの面の目ざましい成就です。

      このすべては何を意味するか

      35 (イ)今日における預言の成就は,どのように,聖書が神の霊感によるものであることの論証となりますか。(ロ)イエスが語られたしるしの成就は,わたしたちの時代についてどんなことを意味していますか。

      35 疑いなく,わたしたちは,イエスが語られた重要なしるしの成就を目撃しています。この事実は,聖書が本当に神の霊感によるものであることの一層の証拠です。この20世紀に起きるはずの事柄をこれほど早くから予告できた人間はだれもいません。さらに,こうしたしるしの成就は,わたしたちがイエスの臨在している時代に,そして,この事物の体制の終結の時代に生きていることを意味しています。(マタイ 24:3)このことにはどのような深い意味がさらにあるのでしょうか。イエスの臨在にはどのような事柄が含まれているのでしょうか。こうした問いに答えるために,聖書が霊感の書であることを示す別の強力な証拠,すなわち,その驚くほどの内面的調和について知ることが必要です。その点を次に取り上げ,聖書の中心的テーマが今,畏怖を抱かせるほどの最高潮に向かっていかに展開しているかを調べましょう。

      [脚注]

      a 1914年から1918年までの間に,マグニチュード8あるいはそれを上回る地震 ― アブルッツィを襲った地震より強力なもの ― は少なくとも五つありました。しかしそれらは人口の少ない地域で起きたために,イタリアの地震ほどに人々の注意を引くことはありませんでした。5

      b これらの災害のあるものについて犠牲者数の報道に多少の相違がありますが,それでも,これらはいずれもきわめて破壊的なものでした。

  • 聖書の全体的な調和
    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 第11章

      聖書の全体的な調和

      約40人もの別々の人が,1,600年以上の期間をかけて書いた,66冊の書の集大成を想像してください。それら筆者はいろいろな土地に住み,全部で三つの言語を用いました。筆者はそれぞれみな個性が違い,能力も背景も異なっていました。それでも,これら多くの人々の記した書物を最後に一つにまとめてみると,実にそれは,初めから終わりまで一つの中心的な主題で貫かれた,一巻の大きな本となったのです。これは普通は想像しにくいことではないでしょうか。しかし,聖書は,まさしくそのような集大成なのです。

      1 (前書き部分を含む)どんな目ざましい調和は,聖書が神の霊感によるものであることの証しですか。

      正直な態度で研究する人であればだれでも,聖書が,多くの異なった書物を集めたものではあっても,統一のとれた一巻の著作となっていることに必ずや感動を覚えるでしょう。聖書は,その巻頭から巻末まで,不変の性格を持たれる唯一の神への崇拝を促し,また,それを構成するすべての書が一つの全体的な主題にそって発展している,という点で統一のとれた書物を成しています。この全体的な調和は,聖書がまさしく神の言葉である強力な証しです。

      2,3 エデンで語られたどんな預言は希望の基となりましたか。どんな経緯でこの預言は語られましたか。

      2 聖書の中心主題は,巻頭の書である創世記の初めの数章の中で提出されています。そこに記されているとおり,わたしたちの最初の親であったアダムとエバは全き者として創造され,パラダイスの園,エデンに置かれました。しかし,一匹の蛇がエバに近づき,神の律法に挑戦してその正当性に疑念をさしはさみ,巧妙な偽りによってエバを罪の道へ誘いました。アダムはエバの歩みに従って,同じように神に背きました。結果はどうなりましたか。二人は共にエデンから追放され,死の定めのもとに置かれるようになりました。今日のわたしたちは,この最初の反逆ゆえの苦しみを味わっています。わたしたちはみな,最初の二親から罪と死を受け継ぎました。―創世記 3:1-7,19,24。ローマ 5:12。

      3 しかしながら,その悲劇の際に,神は一つの預言を語られ,それは以後の希望の基となりました。その預言は,そこにいた蛇に向けて述べられましたが,アダムとエバの聞いているところで話されましたから,二人はそれについて自分たちの子孫に語り伝えることができました。神はこう言われました。「そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」― 創世記 3:15。ローマ 8:20,21。

      4 エデンにおけるエホバの預言の中でどんな登場者のことが述べられましたか。幾世紀にもわたるその展開の中で,これら登場者はどのように相互に影響を及ぼしますか。

      4 全体の主題を提示するこの節の中で,4人の登場者のことが述べられている点に注意してください。すなわち,蛇とその胤,そして女とその胤です。これら登場者は,以後数千年にわたる物事の展開の中で主要な役割を演じることになります。一方は女とその胤,他方は蛇とその胤,これら二者の間には不断の敵対関係が存続します。この敵対関係には,真の崇拝と偽りの崇拝,また義の行為と邪悪な行ないとの間の絶えざる闘いも包含されます。ある局面では,蛇が女の胤のかかとを砕いて優勢になるかに見えるでしょう。しかし最後には,女の胤が蛇の頭を砕き,こうして当初の反逆の跡形はことごとくぬぐい去られて,神ご自身の正しさが立証されます。

      5 なぜエバは預言された女性ではなかったと言えますか。

      5 この女とは,また蛇とはだれでしょうか。そして,それらの者の胤とはだれのことでしょうか。エバは長男カインを産んだ時,「わたしはエホバの助けでひとりの男子を産み出した」と言いました。(創世記 4:1)エバは,自分がその預言された女性であり,この息子がその胤になるのだ,と感じたのかもしれません。しかしカインは,あの蛇のような邪悪な精神の持ち主でした。カインは殺人者となり,自分の弟アベルを殺しました。(創世記 4:8)明らかに,この預言には,神だけが説明できる,さらに深い,象徴的な意味が含まれていました。そして神は,その説明を一時に少しずつ行なってゆかれました。聖書の66冊の書すべては,そのこと,すなわち,聖書の最初の預言の意味を解明する面でそれぞれ何らかの役割を果たしています。

      蛇とはだれか

      6-8 イエスのどんな言葉は,蛇の背後にいた力ある者を見分ける助けになりますか。説明してください。

      6 まず初めに,創世記 3章15節が述べている蛇とはだれのことでしょうか。創世記の記述は,実際の蛇がエデンでエバに近づいたと述べていますが,蛇そのものは人に話すことができません。その背後で何らかの力が働いていて,蛇にそのように行動させていたに違いありません。その背後の力とは何だったのでしょうか。西暦1世紀,イエスがこの地上で宣教活動を行なわれるようになる時まで,背後にあったその力については明らかにされませんでした。

      7 ある時イエスは,アブラハムの子孫であることを誇りにしていた,独善的なユダヤ人の宗教指導者幾人かと話しておられました。しかしそれらは,イエスが宣べ伝えていた真理に頑強に反対していた人々でした。そのためイエスは,その人々にこう言われました。「あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,偽りの父だからです」― ヨハネ 8:44。

      8 イエスの言葉は強力であり,はっきり要点を突いていました。イエスは悪魔のことを,「人殺し」,また「偽りの父」と呼びました。さて,記録に残るいちばん最初の偽りといえば,エデンで蛇が語った偽りです。だれであれその最初の偽りを語った者は,まさしく「偽りの父」であったと言えます。しかも,その偽りはアダムとエバを死に至らせましたから,その遠い昔の偽り者は殺人者でもあったことになります。したがって,エデンの蛇の背後で働きかけていた力ある者は明らかに悪魔サタンであり,エホバはその最初の預言を実際にはサタンに対して語っておられたことになります。

      9 サタンはどのようにして存在するようになりましたか。

      9 『神が善なる方であるなら,なぜ悪魔のような者を創造したのか』と尋ねる人たちがいます。さきのイエスの言葉は,この問いに答える点でも助けになります。イエスはサタンについてこう言われました。『その者は,その始まりにおいて人殺しでした』。ですから,エバに偽りを語った時,その時以降その者はサタンとなりました。サタンという語は「反抗者」という意味のヘブライ語から来ています。神がサタンを創造したわけではありません。以前は忠実であったみ使いのひとりが,自分の心の中で間違った欲望が育つのを許し,こうして自らサタンになったのです。―申命記 32:4。ヨブ 1:6-12; 2:1-10; ヤコブ 1:13-15と比較してください。

      蛇の胤

      10,11 蛇の胤を見分けるためにイエスと使徒ヨハネの言葉はどのように助けになりますか。

      10 しかし,『蛇の胤(すなわち子孫)』についてはどうでしょうか。なぞのこの部分を解くのにも,イエスの言葉が助けになります。イエスはそれらユダヤ人の宗教指導者にこう言われました。「あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです」。これらのユダヤ人は,自ら誇りにしていたとおりアブラハムの子孫でした。しかし,その邪悪な行動のゆえに,それらの人々は,霊的な意味で,罪の創始者たるサタンの子供たちとなっていました。

      11 使徒のヨハネは,1世紀の終わりごろに記した書の中で,だれがサタンである蛇の胤に属しているかをはっきり説明しました。こう書いています。「罪を行ないつづける者は悪魔から出ています。悪魔は初めから罪をおかしてきたからです。……神の子供と悪魔の子供はこのことから明白です。すなわち,すべて義を行ないつづけない者は神から出ていません。自分の兄弟を愛さない者もそうです」。(ヨハネ第一 3:8,10)人類史全体にわたってこれらサタンの胤が大いに活動してきたことは明白です!

      女の胤とはだれか

      12,13 (イ)女の胤がアブラハムの子孫から出ることを,エホバはアブラハムにどのように啓示されましたか。(ロ)胤に関するその約束はだれに受け継がれましたか。

      12 では,『女の胤(すなわち子孫)』とはだれでしょうか。これは,かつて提出された中で最も重要な質問の一つです。というのは,最終的にサタンの頭を砕いて,いちばん初めの反逆のもたらした害悪を一掃して元どおりの状態に戻すのは,この女の胤であるからです。西暦前20世紀の昔,神は,その胤がだれであるかに関する重要な手がかりを,忠実な人アブラハムに啓示されました。アブラハムの大いなる信仰のゆえに,神は,アブラハムから生まれる子孫について一連の約束を行なわれました。その約束の一つは,『蛇の頭を砕く女の胤』がアブラハムの子孫の中から出ることを明らかにしていました。神はアブラハムにこう語られました。「あなたの胤はその敵の門を手に入れるであろう。そして,あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである」― 創世記 22:17,18。

      13 年月の経過に伴って,アブラハムに対するエホバの約束は,アブラハムの息子のイサクに,次いで孫のヤコブに繰り返し語られてゆきました。(創世記 26:3-5; 28:10-15)やがてヤコブの子孫は12の部族を構成し,そのうちの一つであったユダ部族が次のような特別の約束を受けました。「笏はユダから離れず,司令者の杖もその足の間から離れることなく,シロが来るときにまで及ぶ。そして,もろもろの民の従順は彼のものとなる」。(創世記 49:10)こうして明らかに,約束の胤はユダ部族から出現することになりました。

      14 どんな国民が組織されて胤の到来に備えることになりましたか。

      14 西暦前16世紀の終わりに,イスラエルの12部族は,神の特別な民として一つの国民を構成することになりました。そのことのために,神はイスラエルと厳粛な契約を結び,その民に一つの法典を授けました。その主要な目的は,約束の胤の到来のために一つの民を備えさせることでした。(出エジプト記 19:5,6。ガラテア 3:24)その時以来,約束された女の胤に対するサタンの敵意は,神の選ばれた民に対する諸国民の敵がい心というかたちで表わされてきました。

      15 アブラハムの子孫のうちどの家系が胤を生み出すかについてどんな最終的な手がかりが与えられましたか。

      15 どの家系が約束の胤を生み出すのかに関する最終的な手がかりは,西暦前11世紀に与えられました。そのとき神は,イスラエルの二代目の王ダビデに語りかけ,約束の胤がダビデの家系から来ること,またその者の王座が『定めのない時までも堅く立てられる』ことを約束されました。(サムエル第二 7:11-16)その時以後,約束の胤は正式にダビデの子とも呼ばれるようになりました。―マタイ 22:42-45。

      16,17 イザヤは胤がもたらす祝福をどのように描写しましたか。

      16 その後の年月,神は預言者たちを起こして,来たるべき胤に関する霊感の情報をさらに与えました。例えば,西暦前8世紀にイザヤはこう書きました。『わたしたちのためにひとりの子供が生まれ,わたしたちにひとりの男子が与えられた。君としての支配がその肩に置かれる。そして彼の名は,“くすしい助言者”,“力ある神”,“とこしえの父”,“平和の君”と呼ばれるであろう。ダビデの王座とその王国の上にあって,君としてのその豊かな支配と平和に終わりはない』― イザヤ 9:6,7。

      17 イザヤはこの胤についてさらにこう預言しました。「立場の低い者たちを必ず義をもって裁き,地の柔和な者たちのために必ず廉直さをもって戒めを与える。……おおかみはしばらくの間,雄の子羊と共に実際に住み,ひょうも子やぎと共に伏し,子牛,たてがみのある若いライオン,肥え太った動物もみな一緒にいて……それらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない。水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちるからである」。(イザヤ 11:4-9)この胤を通して何と豊かな祝福がもたらされるのでしょう!

      18 ダニエルは胤に関するどんな情報をさらに記しましたか。

      18 西暦前6世紀には,ダニエルがこの胤についてさらに預言を記しました。ダニエルは,人の子のような者が天に現われる時のことについて予告し,「その者には,支配権と尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が皆これに仕えるためであった」と述べました。(ダニエル 7:13,14)ですから,到来するこの胤は,天に立てられる王国を受け継ぎ,王としてのその権威はこの地上全域に及ぶことになります。

      なぞは解かれる

      19 み使いが啓示したとおり,マリアは胤の到来に関してどんな役割を担うことになりましたか。

      19 西暦紀元がまさに始まろうとしていたころ,この胤が一体だれであるかがついに明らかにされました。西暦前2年,ひとりのみ使いが,ユダヤ人の若い女性で,ダビデの子孫でもあったマリアに現われました。み使いは,マリアがきわめて特異な赤子を産むことを伝えてこう述べました。「これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」。(ルカ 1:32,33)こうして,「胤」の到来は久しく待望されてきましたが,それもついに終わりを迎えることになりました。

      20 約束の胤とはだれでしたか。その人物はイスラエルでどんな音信を伝えましたか。

      20 西暦29年(ダニエルによってずっと以前から指摘されていた年)に,イエスはバプテスマを受けました。その時,聖霊がイエスの上に下り,神はイエスをご自分の子として認めました。(ダニエル 9:24-27。マタイ 3:16,17)それから3年半の間,イエスはユダヤ人に対して証しをし,「天の王国は近づいた」とふれ告げました。(マタイ 4:17)その期間にイエスの行なった事柄は多くの点でヘブライ語聖書の預言の成就となり,イエスがまさしく約束の胤であることに対する疑問の余地はすべてなくなりました。

      21 だれが約束の胤かについて初期クリスチャンはどんなことを理解していましたか。

      21 初期のクリスチャンはこの点をよく理解していました。パウロはガラテアのクリスチャンたちにこう説明しています。「さて,その約束はアブラハムとその胤に語られました。それが大勢いる場合のように,『また多くの胤に』とではなく,一人の場合のように,『またあなたの胤に』と述べてあり,それはキリストのことなのです」。(ガラテア 3:16)イエスは,イザヤが予告したとおり,「平和の君」となります。イエスが最終的にご自分の王国に来られるとき,義と公正は全世界的な規模で確立されることになります。

      では,『女』とはだれか

      22 エデンにおけるエホバの預言の中で言及された女性とはだれでしたか。

      22 イエスがその胤であるなら,その昔エデンで言及された女とはだれでしょうか。蛇の背後にいた強力な者は霊の被造物でしたから,この女性も霊的なものを表わしていて,実際の人間ではないとしても不思議ではありません。使徒パウロはある天的な「女」について語りつつ,「それに対し,上なるエルサレムは自由であって,それがわたしたちの母です」と述べました。(ガラテア 4:26)他の幾つもの聖句は,この「上なるエルサレム」がその当時すでに幾千年も存在していたことを示しています。この女性とは,霊の被造物から成るエホバの天の組織であり,イエスは,「女の胤」としての役割を果たすため,この組織から地上に送り出されました。このような霊的な意味での「女」だけが,「初めからの蛇」の幾千年もの敵意に耐えることができます。―啓示 12:9。イザヤ 54:1,13; 62:2-6。

      23 エデンで語られたエホバの預言の意味が少しずつ解明された様子はなぜ注目に値しますか。

      23 遠い昔に語られた創世記 3章15節の預言の展開を簡単に概観してみましたが,これは,聖書の壮大な調和に関する強力な証しです。西暦前20世紀,11世紀,8世紀,そして6世紀の出来事や,それぞれの時代に述べられた事柄を総合し,さらに西暦1世紀に起きた事や述べられたことと照らし合わせて初めてこの預言の意味が理解できる,というのはまさに注目すべき点です。偶然にそうなったはずはありません。このすべての背後にあって物事を導いてきた方がおられるに違いありません。―イザヤ 46:9,10。

      これがわたしたちに意味するもの

      24 約束の胤がだれかに関する理解はわたしたちにとってどんな意味を持ちますか。

      24 このすべては,わたしたちに何を意味しているでしょうか。まず第一に,イエスは「女の胤」の主要な方です。創世記 3章15節に記された遠い昔の預言は,その胤のかかとが蛇によって『砕かれる』ことを予告していましたが,そのことは,イエスが苦しみの杭の上で死なれたことによってそのとおりになりました。その傷は長くは続きません。それで,蛇が成功したように見えても,イエスの復活によってそれはすぐ敗北に変わりました。(第6章で見たとおり,これが確かに起きたことについては圧倒的な証拠があります。)イエスの死は,正しい心を持つ人々のための救いの基盤となりましたから,この胤は,神がアブラハムに約束されたとおりの祝福をもたらしはじめています。しかし,イエスが天の王国から自分の地上の領域全体を治めるという預言についてはどうでしょうか。

      25,26 啓示に示されているとおり,「女の胤」と蛇との間の敵対関係にはどんな論争が関係していましたか。

      25 啓示 12章に記録されている生き生きした預言的幻の中で,この王国の設立は,天における男児の誕生というかたちで描かれています。この王国において,約束の胤は,「だれか神のようであろうか」という意味のミカエルという称号のもとに権力を行使します。そしてミカエルは,「初めからの蛇」を天から永久に放逐することによって,何者もエホバの主権に正当に挑戦し得ないことをはっきり示します。こう記されています。『こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされた』。―啓示 12:7-9。

      26 このことは,天にとっては安どとなりますが,地にとっては苦難となります。「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した!」 このような勝利の叫びが上がりました。さらにこう記されています。「このゆえに,天と天に住む者よ,喜べ! 地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。―啓示 12:10,12。

      27 サタンが天から放逐されるという預言はいつ成就しましたか。なぜそのことが分かりますか。

      27 この預言はいつ成就することになっていたのでしょうか。実際のところ,弟子たちが『イエスの臨在と事物の体制の終結のしるし』についてイエスに尋ねた際に提起したのは,まさにその疑問でした。(マタイ 24:3)第10章で取り上げて,すでに見たとおり,天の王国の権威を帯びたイエスの臨在が1914年に始まったことについては圧倒的な証拠があります。以来わたしたちは,『地にとっては災いである』と言われたとおりのことを経験してきました!

      28,29 地上の状況のどんな大変化が今後に展望されますか。どうしてそれが間もなく起きることが分かりますか。

      28 しかし,注意してください。あの天からの叫びは,サタンにとってもはや『時が短い』ことを発表しています。ですから,創世記 3章15節にある,いちばん初めの預言は,誤ることなくその最高潮へ向かって進展しています。蛇とその胤,また女とその胤がそれぞれだれであるかはすべて明らかにされました。女の胤は『かかとを砕かれ』はしましたが,すでに回復しています。間もなく,神が位につかせて,いまや統治を開始している王キリスト・イエスのもとにサタンを(そしてその胤を)打ち砕くことが始められます。

      29 このことは,地上の状況が徹底的に変化することを意味しています。サタンの胤であることを示している者たちはサタンと共に除き去られることになります。詩編作者はこう預言しました。「ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる。あなたは必ずその場所に注意を向けるが,彼はいない」。(詩編 37:10)これはまさしく根底からの変化です! その時,詩編作者がさらに述べた次の言葉も成就します。「しかし柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう」― 詩編 37:11。

      30 懐疑的な見方をして,聖書が霊感によるものであることや,神の存在をさえ疑う人々は,なぜ現実に即していないと言えますか。

      30 こうして,「平和の君」は,ついに人類に平和をもたらします。イザヤ 9章6,7節にあるとおり,これこそ聖書の約束です。この懐疑主義的な時代に,多くの人は,このような約束を非現実的なものとするでしょう。しかし,人間は,これに代わるどんなものを差し伸べているでしょうか。何も差し伸べてはいません! それに対し,この約束は,聖書の中にはっきりと述べられているものであり,その聖書は間違えることのない,神の言葉です。現実に即していないのは,むしろ懐疑的な見方に陥っている人々です。(イザヤ 55:8,11)それらの人々は神を,すなわち霊感を与えて聖書を記させた方,すべての中で最も偉大な実在者を無視していることになります。

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