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    聖書に対する洞察,第2巻
    • た70人の弟子または福音宣明者の一人でもあったようです。(ルカ 10:1)マッテヤは選ばれた後,会衆によって「十一人の使徒と共に数えられ(ました)」。(使徒 1:26)それで,「使徒たちの活動」の書がその直後から「使徒たち」あるいは「十二人の者」と述べている場合,そこにはマッテヤが含まれています。―使徒 2:37,43; 4:33,36; 5:12,29; 6:2,6; 8:1,14。「パウロ,I」を参照。

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    聖書に対する洞察,第2巻
    • 祭り

      (まつり)(Festival)

      祭りは,神の選ばれた民であるイスラエルのためにエホバがモーセを介して規定されたもので,神の真の崇拝の欠くことのできない部分を成していました。「祭り」と訳されているヘブライ語のハグという言葉は,恐らく動作や形が円形であること,輪になって踊り回ること,したがって定期的な祭りや宴を祝うことを表わす動詞から派生したようです。やはり「祭り」と訳されているモーエードは,基本的には集会のための定められた時や場所を指しています。―サム一 20:35; サム二 20:5。

      祭りやそれに類する特別な日は次のように整理できるでしょう。

      イスラエルの祭り

      流刑以前

      年ごとの祭り

      1. 過ぎ越し。アビブ(ニサン)14日

      2. 無酵母パン。アビブ(ニサン)15-21日

      3. 七週,つまりペンテコステ。シワン6日

      4. ラッパの吹奏。エタニム(ティシュリ)1日

      5. 贖罪の日。エタニム(ティシュリ)10日

      6. 仮小屋。エタニム(ティシュリ)15-21日。22日には聖会

      周期的な祭り

      1. 週ごとの安息日

      2. 新月

      3. 安息年(7年ごと)

      4. ヨベルの年(50年ごと)

      流刑後

      1. 献納の祭り。キスレウ25日

      2. プリムの祭り。アダル14,15日

      三つの大きな祭り すべての男子がエルサレムに集まったために時おり巡礼の祭りとも呼ばれた三つの主要な「季節ごとの祭り」は,定められた時に行なわれ,ヘブライ語のモーエードという言葉で表わされました。(レビ 23:2,4)しかし,この三つの大きな祭りだけを指す場合によく用いられた言葉はハグで,この言葉は周期的な出来事という意味だけでなく,大いに歓び楽しむ時という意味を言外に含んでいます。その三つの大きな祭りは次の通りです。

      (1)無酵母パンの祭り(出 23:15)。この祭りは過ぎ越しの翌日に始まり,アビブ(ニサン)15日から21日まで続きました。過ぎ越しはニサン14日で,実際にそれ自体は一日だけ行なわれる行事でした。しかし,それが無酵母パンの祭りと時期的に極めて近接していたので,その二つを一緒にして過ぎ越しと呼ぶことが少なくありませんでした。―マタ 26:17; マル 14:12; ルカ 22:7。

      (2)七週の祭り,もしくは(後代の呼び方では)ペンテコステ。ニサン16日から50日目,すなわちシワン6日に祝われました。―出 23:16前半; 34:22前半。

      (3)仮小屋(幕屋)の,もしくは取り入れの祭り。これは第7の月であるエタニム(ティシュリ)の15日から21日まで行なわれ,22日には聖会がありました。―レビ 23:34-36。

      これらの祭りが行なわれる時,場所,方法はすべてエホバによって定められました。「エホバの季節ごとの祭り」という表現が暗示しているように,それらは教暦年の様々な季節 ― 初春,晩春,および秋 ― と結び付いていました。これらの時節には,畑やぶどう園の初物が約束の地の住民に大きな喜びや幸福をもたらし,それによってエホバがあらゆる良い物の寛大な供給者であることが認識されましたから,これはいかにも意義深いことでした。

      これらの祭りで共通に守られたこと 律法契約はすべての男子が毎年,この三つの大きな年ごとの祭りの各々に際して,「あなたの神エホバの選ばれる場所でそのみ前に」出ることを求めていました。(申 16:16)祭りの中心地として最終的に選ばれたのはエルサレムでした。個人が欠席した場合の罰は特に述べられていませんでしたが,過ぎ越しは例外で,それに出席しないと罰として死に処されました。(民 9:9-13)それでも,祭りや安息日を含む神の律法のいずれかをおろそかにするなら,国家的な裁きや苦難がもたらされました。(申 28:58-62)過ぎ越しそのものは,ニサン14日に祝うか,または特定の事情では1か月後に祝わなければなりませんでした。

      女性は男子のように毎年祭りのための旅行をする務めはありませんでしたが,それでもサムエルの母ハンナや(サム一 1:7)イエスの母マリアのような女性が祭りに出席した例があります。(ルカ 2:41)エホバを愛したイスラエル人の女性はできる時にはいつもそのような祭りに出席しました。事実,イエスの両親が定期的に出席しただけでなく,その親族や知人たちも一緒に行きました。―ルカ 2:44。

      エホバは,「年に三回あなたが自分の神エホバの顔を見るために上っている間は,だれもあなたの土地を欲することはないであろう」と約束されました。(出 34:24)西暦70年のエルサレムの滅びより前,都市や土地を守る男たちが一人も残されていなくても,祭りの最中によその国民がその地に

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