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  • イエス・キリストはどんな方ですか
    聖書は実際に何を教えていますか
    • 第4章

      イエス・キリストはどんな方ですか

      • イエスにはどんな特別な役割がありますか。

      • イエスはどこから来ましたか。

      • イエスは人間としてどんな方でしたか。

      1,2 (イ)有名な人なので知っているということと,その人を本当に知っていることとは別問題です。どうしてそう言えますか。(ロ)イエスについて,人々の考えはどのように混乱していますか。

      世界には有名な人が大勢います。その人が住んでいる町や都市,国でよく知られている場合もあれば,世界中に名が知れ渡っている場合もあります。しかし,有名な人の名前を知っているだけでは,その人を本当に知っていることにはなりません。その人の育ちや経歴の詳細,本当の人柄を知っていることにはならないのです。

      2 イエス・キリストは今から2,000年ほど前に地上で生活していましたが,この人については今でも世界中の人たちがある程度のことを聞いて知っています。それでも,イエスは実際にどんな方だったのかという点になると,多くの人の考えは混乱しています。イエスは良い人だがそれだけのことだという人もいれば,イエスは預言者の一人に過ぎないと唱える人もいます。さらには,イエスは神ご自身であり,崇拝されるべき方である,と信じる人たちもいます。しかし,イエスを崇拝するのは正しいことでしょうか。

      3 イエスに関する真理を知ることが重要なのは,なぜですか。

      3 イエスに関する真理を知るのは重要なことです。なぜでしょうか。聖書がこう述べているからです。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。(ヨハネ 17:3)そうです,エホバ神とイエス・キリストに関する真理を知るなら,楽園の地で永遠の命を得ることができるのです。(ヨハネ 14:6)さらにイエスは,どのように生きるか,どのように人と接するかについても,最も優れた手本を示してくださいました。(ヨハネ 13:34,35)この本の1章では,神に関する真理を取り上げました。この章では,イエス・キリストについて聖書が実際に何を教えているか考えましょう。

      約束のメシア

      4 「メシア」および「キリスト」という称号にはどんな意味がありますか。

      4 聖書はイエスが生まれるずっと前,神がメシアつまりキリストとして遣わす方の到来について予告していました。この「メシア」(元はヘブライ語)および「キリスト」(元はギリシャ語)という称号には,いずれも「油そそがれた者」という意味があります。約束されたこの方は油そそがれる,つまり,特別な地位に就くよう神から任命されることになっていました。神の約束が果たされていく上でメシアが占める重要な立場については,この本の後の章でもっと詳しく学びます。イエスが今でさえ祝福を与えてくださることについても後で学びます。しかし,イエスが生まれるまでは,多くの人が,『だれがメシアになるのだろう』と思っていたに違いありません。

      5 イエスの弟子たちはイエスについて,何を確信していましたか。

      5 西暦1世紀,ナザレのイエスの弟子たちは,イエスこそ予告されていたメシアであるという確信を抱いていました。(ヨハネ 1:41)弟子の一人であるシモン・ペテロはイエスに,『あなたはキリストです』とはっきり言いました。(マタイ 16:16)しかし,それらの弟子たちは,どうしてイエスが実際に約束のメシアであることを確信できたのでしょうか。どうすればわたしたちも確信できるでしょうか。

      6 エホバは,忠実な人たちがメシアを見分けられるよう,どのような助けをお与えになりましたか。例えで説明してください。

      6 イエスよりも前の神の預言者たちは,メシアについて多くの細かい点を予告していました。それらの細かい点は,人々がメシアを見分ける助けになります。そのことは次の例えで考えることができるでしょう。仮に,人の大勢いるバス停か駅もしくは空港に行って,全く面識のない人を出迎えるように頼まれたとしましょう。そのようなとき,その人について細かい点を少しでも教えてくれる人がいたら,助けになるのではないでしょうか。同じようにエホバは聖書の預言者を通して,メシアが何を行ない,どんな経験をするかについて,かなり細かい情報をお与えになりました。そのような多くの預言の成就は,忠実な人たちがメシアをはっきり見分ける助けになることでしょう。

      7 イエスに関連して成就した預言のうち,二つを挙げてください。

      7 二つの例だけを取り上げて考えましょう。一つ目として,預言者ミカは約束のメシアがユダの地の小さな町ベツレヘムで生まれることを,その700年以上前に予告していました。(ミカ 5:2)では,イエスは実際にどこで生まれたでしょうか。予告されていたまさにその町でした。(マタイ 2:1,3-9)二つ目として,ダニエル 9章25節に記されている預言は,メシアが登場する年,つまり西暦29年をその幾世紀も前に指し示していました。a こうした預言の成就は,イエスが約束のメシアであることの証拠となります。

      イエスのバプテスマの時,神の霊がはとのように下り,イエスがメシアであることが明らかになる

      イエスはバプテスマの時に,メシアつまりキリストになった

      8,9 バプテスマの時,イエスがメシアであることのどんな証拠が明らかにされましたか。

      8 西暦29年の終わりごろ,イエスがメシアであることの別の証拠が明らかにされました。西暦29年というのは,イエスがヨルダン川でバプテスマを受けるため,バプテスマを施す人ヨハネのもとに行った年です。それよりも前にエホバは,ヨハネがメシアを見分けることができるよう,一つのしるしを与えると約束しておられました。ヨハネがそのしるしを見たのは,イエスのバプテスマの時です。ヨハネはこのように証ししています。「わたしは,霊が天からはとのように下って来るのを見ましたが,それはこの方の上にとどまりました。わたしもその方を知りませんでしたが,水でバプテスマを施すようにわたしを遣わした方が,『あなたは霊が下ってある人の上にとどまるのを見るが,それがだれであろうと,その者こそ聖霊でバプテスマを施す者である』とわたしに言われました。そしてわたしはそれを見たので,この方こそ神の子であると証ししたのです」。(ヨハネ 1:32-34。マタイ 3:16,17)ヨハネはこの時の光景を見,この時の声を聞いた後,イエスが神から遣わされた方であることを全く疑いませんでした。その日,神の霊つまり活動する力がイエスに注ぎ出された時に,イエスはメシアつまりキリストになりました。指導者として,また王として任命されたのです。―イザヤ 55:4。

      9 イエスが約束のメシアであることは,聖書預言の成就とエホバ神ご自身の証しにより,はっきり示されました。しかし聖書は,イエス・キリストに関する別の二つの重要な質問に答えています。それは,イエスはどこから来たか,そして,イエスは人間としてどんな方だったか,ということです。

      イエスはどこから来たか

      10 聖書は,地上に来る前のイエスの存在について,何を教えていますか。

      10 聖書は,イエスが地上に来る前,天で生活しておられたことを教えています。ミカはメシアがベツレヘムで生まれることを預言した際,その者の起こりは「遠い昔から」である,とも述べました。(ミカ 5:2)イエスご自身,人間として生まれる前に天で生活していたと何度も述べておられます。(ヨハネ 3:13; 6:38,62; 17:4,5)イエスは霊の被造物として天におられ,エホバと特別な関係にありました。

      11 聖書はイエスがエホバの最も大切な子であったことを,どのように示していますか。

      11 イエスはエホバの最も大切な子でした。それにはもっともな理由がありました。イエスは神による最初の創造物だったので「全創造物の初子」と呼ばれています。b (コロサイ 1:15)このみ子が特別であることには別の理由もあります。「独り子」なのです。(ヨハネ 3:16)つまり,神から直接に創造されたのは,み子だけでした。また,神が他のすべてのものを創造した時にお用いになったのも,み子だけでした。(コロサイ 1:16)さらに,イエスは「言葉」とも呼ばれています。(ヨハネ 1:14)この表現からすれば,イエスは神の代弁をし,霊者であれ人間であれ,み父の他の子たちに情報や指示を与えたに違いありません。

      12 神の初子が神と同等でないと言えるのは,なぜですか。

      12 この初子は,ある人たちが考えているように,神と同等なのでしょうか。聖書はそのようには教えていません。すぐ前の節で学んだように,み子は神によって創造されました。ですから当然,み子には始まりがあります。一方,エホバ神には始まりも終わりもありません。(詩編 90:2)この独り子は,自分が父と同等であろうとすることなど少しも考えませんでした。聖書は,父がみ子より偉大であることをはっきり示しています。(ヨハネ 14:28。コリント第一 11:3)エホバだけが「全能の神」であられます。(創世記 17:1)ですからエホバと同等の者など存在しません。c

      13 み子は「見えない神の像」であるという聖書の言葉は,どういう意味ですか。

      13 エホバとその初子は計り知れないほど長い間,親密な交わりを楽しみました。星の輝く天と地球が創造されるずっと前からです。このお二方は互いを深く愛しておられたに違いありません。(ヨハネ 3:35; 14:31)貴重なこのみ子は父によく似ていました。ですから聖書はこのみ子のことを「見えない神の像」と表現しています。(コロサイ 1:15)人間の場合でも子がいろいろな点で父親とよく似ているのと同じで,この天的な子も,み父の特質や性格を反映していたのです。

      14 エホバの独り子は,どのような方法で,人間として生まれましたか。

      14 エホバの独り子であるこの方は,進んで天を後にし,地に下ってきて人間として生活しました。しかし,『どうして霊の被造物が人間として生まれてくることができたのか』と不思議に思う人もいるでしょう。それを成し遂げるために,エホバは奇跡を行なわれました。初子の命を天からユダヤ人の処女マリアの胎内に移されたのです。人間の父親は関係していませんでした。このようにしてマリアは完全な子を生み,イエスと名づけました。―ルカ 1:30-35。

      イエスは人間としてどんな方だったか

      イエスが家の中で伝道している

      15 イエスを通してエホバを詳しく知るようになる,と言えるのはなぜですか。

      15 イエスをよく知るために役立つのは,地上におられた時にイエスが何を行ない,何を話されたかということです。さらに,わたしたちはイエスを通して,エホバを詳しく知るようになります。どうしてそう言えるのでしょうか。このみ子が父エホバを完全に反映していたことを思い起こしてください。ですからイエスは弟子たちの一人に,「わたしを見た者は,父をも見たのです」と言いました。(ヨハネ 14:9)聖書の中で福音書として知られる四つの本 ― マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネ ― は,イエス・キリストの生活や活動や人格特性について多くのことを教えてくれます。

      16 イエスが伝えたおもな音信は何でしたか。イエスの教えはどこから来ていましたか。

      16 イエスは「師」つまり教え手として有名でした。(ヨハネ 1:38; 13:13)何を教えたのでしょうか。イエスの伝えたメッセージすなわち音信はおもに「王国の良いたより」でした。つまり,天の政府である神の王国が地上全体を支配し,従順な人たちに,いつまでも続く祝福をもたらす,ということです。(マタイ 4:23)これはだれからの音信でしたか。イエスご自身,「わたしの教えはわたしのものではなく,わたしを遣わした方[エホバ]に属するものです」と述べておられます。(ヨハネ 7:16)人間が王国の良いたよりを聞くことは父エホバの願いであり,イエスはそのことをご存じでした。神の王国とそれが成し遂げる事柄については,この本の8章で詳しく学びます。

      イエスが漁師に伝道している

      17 イエスはどこで教えましたか。イエスが人々を教えることに非常に力を注いだのはなぜですか。

      17 イエスはどこで教えたでしょうか。野原でも,都市でも,村でも,市場でも,人々の家でも,とにかく人のいる所ならどこででも教えました。人が自分のところに来るのを待たず,自分のほうから出かけて行きました。(マルコ 6:56。ルカ 19:5,6)イエスがそこまで力を注ぎ,多くの時間を割いて宣べ伝え,教えたのはなぜでしょうか。そのようにするのがイエスに対する神のご意志だったからです。イエスは常に父のご意志を行ないました。(ヨハネ 8:28,29)しかし,そのように宣べ伝えた理由はほかにもありました。イエスはご自分に会いに来た大勢の人々に同情されたのです。(マタイ 9:35,36)その人々は,本来なら神と神の目的に関する真理を教えているべき宗教指導者から無視されていました。人々がどれほど王国に関する音信を必要としていたか,イエスはご存じでした。

      18 イエスの特質の中で,最も心を引かれるのはどんな点ですか。

      18 イエスは温かい気遣いと,深い思いやりにあふれた人でした。ですから人々はイエスが近づきやすくて親切であることを実感しました。子どもでさえ,安心してイエスと一緒にいることができました。(マルコ 10:13-16)イエスはえこひいきをしませんでした。不正なことや公正に反することを憎みました。(マタイ 21:12,13)女性があまり大切にされず,権利もほとんど与えられなかった時代に,女性の尊厳を認めた接し方をされました。(ヨハネ 4:9,27)イエスは真に謙遜な方でした。使徒たちの足を洗ったこともあります。これは普通,身分の低い召使いがする仕事でした。

      イエスが病気の人に手を伸ばしていやしている

      イエスは人がいる所ならどこででも宣べ伝えた

      19 イエスが他の人の必要としているものを敏感に感じ取ったということは,どんな例から分かりますか。

      19 イエスは,他の人が必要としているものを敏感に感じ取りました。それが特にはっきり分かるのは,神の霊の力のもとで,いやしの奇跡を行なわれた時です。(マタイ 14:14)例えばこのようなことがありました。今で言うハンセン病にかかった人がイエスのところに来て,「あなたは,ただそうお望みになるだけで,私を清くすることがおできになります」と言いました。イエスはこの人の痛みと苦しみを感じ取ります。そして哀れに思い,手を伸ばしてその人に触り,「わたしはそう望みます。清くなりなさい」と言います。すると,病気のその人はいやされます。(マルコ 1:40-42)この人がその時にどう感じたか,想像できるでしょうか。

      終わりまで忠実

      20,21 忠節な態度で神に従うという点で,イエスはどのような手本を残されましたか。

      20 イエスは神に忠節を尽くして従うという点で,最高の手本を残されました。どんな状況のもとでも,いかなる反対や苦しみにも負けず,天のみ父に忠実を保たれたのです。サタンに誘惑された時は断固として抵抗し,その誘惑に打ち勝ちました。(マタイ 4:1-11)親族の何人かがイエスに信仰を持たず,彼は『気が変だ』とまで言ったこともあります。(マルコ 3:21)しかしイエスはそういう親族には影響されず,神の業をずっと行ない続けました。反対者たちに危害を加えようなどとは決して考えず,侮辱され虐待されても自制心を保ちました。―ペテロ第一 2:21-23。

      21 イエスは死に至るまで忠実を保ちました。その死は,敵の手による残酷で激しい痛みを伴うものでした。(フィリピ 2:8)人間としての生涯の最後の日にイエスがどんなことを耐え忍んだか,考えてみましょう。逮捕され,偽りの証人から告発され,不正を行なう裁判官から有罪を言い渡され,群衆の笑いものにされ,兵士たちからひどく苦しめられました。杭にくぎづけにされ,息を引き取る間際に,「成し遂げられた!」と叫びました。(ヨハネ 19:30)しかし,イエスの死後3日目に,天の父はイエスを霊の命へと復活させます。(ペテロ第一 3:18)その数週間後イエスは天に戻ります。天では「神の右に座し」,王としての権利を与えられるまで待ちました。―ヘブライ 10:12,13。

      22 イエスは死に至るまで忠実を保つことにより,何を成し遂げましたか。

      22 イエスは死に至るまで忠実を保つことにより,何を成し遂げたでしょうか。イエスの死は実際に,エホバの当初の目的と調和して,楽園となる地上でわたしたちがとこしえの命を得る道を開きました。イエスの死によってどうしてそれが可能になるのか,その点は次の章で取り上げます。

      a イエスに関連して成就したダニエルの預言についての情報は,付録の「ダニエルの預言が予告していたメシアの到来」をご覧ください。

      b エホバは創造者であられるので,父と呼ばれています。(イザヤ 64:8)イエスは神によって創造されたので,神の子と呼ばれています。それと同じ理由で,他の霊の被造物も人間アダムも,神の子と呼ばれています。―ヨブ 1:6。ルカ 3:38。

      c 神の初子が神と同等でないことを示す別の証拠については,付録の「父,子,聖霊に関する真理」をご覧ください。

      聖書は何を教えていますか

      • 成就した預言と,神ご自身の証しは,イエスがメシアであること,つまりキリストであることの証拠。―マタイ 16:16。

      • イエスは地上に来るずっと前,霊の被造物として天で生活しておられた。―ヨハネ 3:13。

      • イエスは教え手であり,温かい気遣いにあふれ,神に完全に従うという点で手本を残された。―マタイ 9:35,36。

  • 贖い ― 神からの最大の贈り物
    聖書は実際に何を教えていますか
    • 第5章

      贖い ― 神からの最大の贈り物

      • 贖いとは何ですか。

      • どのように備えられましたか。

      • あなたにとって,どんな意味がありますか。

      • 贖いに対する感謝をどのように示せますか。

      1,2 (イ)贈り物が個人的に大きな価値を持つのは,どんな場合ですか。(ロ)わたしたちが頂く贈り物の中で,贖いは最も大きな価値があると言えるのはなぜですか。

      これまでにもらった贈り物の中で一番ありがたいと思ったものは何ですか。高価な贈り物がありがたいとは限りません。贈り物の本当の価値は,必ずしもお金の額では計れないからです。むしろ,何かを贈られて幸福な気持ちになったり,生活していく上でその贈り物が本当に必要だったりするとき,贈られた物は個人的に大きな価値を持つのです。

      2 もらってうれしい贈り物は数多くありますが,中でもひときわ優れた贈り物があります。それは,人類に対する神からの贈り物です。エホバは多くのものを与えてくださいましたが,そのうちで最大の贈り物は,み子イエス・キリストの贖いの犠牲です。(マタイ 20:28)この章でこれから学ぶように,贖いは,わたしたちが頂く贈り物の中で最も大きな価値があります。計り知れないほど大きな幸福をもたらし,あなたが切実に必要としているものを与えてくれるからです。贖いはまさしく,あなたに対するエホバの愛の最大の表明です。

      贖いとは何か

      3 贖いとは何ですか。大きな価値のあるこの贈り物を正しく認識するために,何を理解する必要がありますか。

      3 簡単に言えば,贖いとは,エホバが人類を罪と死から救出するための手段です。(エフェソス 1:7)聖書のこの教えの意味をとらえるには,エデンの園で起きたことを思い起こす必要があります。罪を犯したアダムが何を失ったかを理解して初めて,どうして贖いが大きな価値のある贈り物であるかを正しく認識できるのです。

      4 人間としての完全な命は,アダムにとってどんな意味がありましたか。

      4 エホバはアダムを創造した時,本当に貴重なもの,つまり人間としての完全な命をお与えになりました。それがアダムにとってどんな意味があったかを考えてみてください。アダムは完全な体と知能を持つ者として造られ,病気になることも老化することも,死ぬことも決してありませんでした。完全な人間として,エホバと特別な関係にありました。アダムは「神の子」であった,と聖書は述べています。(ルカ 3:38)ですからアダムは,エホバ神と緊密な関係にありました。それは,愛情深い父親と息子の関係のようなものでした。エホバは地上の息子とのコミュニケーションを持ち,アダムに満足のゆく仕事を割り当て,アダムに何を期待しているかをお知らせになりました。―創世記 1:28-30; 2:16,17。

      5 アダムが「神の像に」造られたという聖書の言葉は,どういう意味ですか。

      5 アダムは「神の像に」造られました。(創世記 1:27)アダムの外見が神に似ていたのではありません。この本の1章で学んだように,エホバは目に見えない霊であられます。(ヨハネ 4:24)ですから,肉と血から成る体は持っておられません。アダムが神の像に造られたということは,愛,知恵,公正,力など,神の特質を持つ者として創造されたということです。アダムは別の重要な点でも父に似ていました。自由意志を持っていたのです。したがってアダムは機械のようではありませんでした。機械は設計されたとおりに,あるいはプログラムされたとおりにしか物事を行なえません。しかしアダムは,正しいことと悪いこととを見分けて,個人的な決定を下すことができました。神に従うことを選んでいたなら,地上の楽園で永久に生きることができたでしょう。

      6 アダムは神に逆らったため,何を失いましたか。アダムの子孫はどんな影響を受けましたか。

      6 ですから,アダムが神に逆らい,死の宣告を受けた時,非常に高い代償を払ったのは当然のことでした。アダムは罪を犯したために,人間としての完全な命と,それに伴うすべての祝福を失いました。(創世記 3:17-19)残念なことに,アダムは自分の貴重な命だけでなく,将来の子孫の命も失ってしまいました。神の言葉はこう述べています。「一人の人[アダム]を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」。(ローマ 5:12)そうです,人間はすべてアダムから罪を受け継いでいるのです。それで聖書には,アダムは罪と死の奴隷になるよう自分と自分の子孫を『売った』と記されています。(ローマ 7:14)アダムとエバは神に逆らう道を故意に選んだので,希望がありません。では,わたしたちを含め,アダムとエバの子孫についてはどうでしょうか。

      7,8 贖いには基本的にどんな二つの点が関係していますか。

      7 エホバは贖いという手段で人間を救助するため,行動を起こされました。一般に贖いとは何でしょうか。贖いの基本を成す考えには二つの点が含まれています。最初に,贖いは解放をもたらすために,あるいは何かを買い戻すために支払われる代価です。この点は,戦争の捕虜を解放するための身代金に例えることができるでしょう。二つ目に,贖いは,何らかの損失を埋め合わせる,つまりその分の支払いをするための代価です。この点は,けがや損傷によって生じた有害な影響を埋め合わせるための金銭に似ています。例えば,事故を起こした人は,損なわれたものの価値に十分見合う額の金銭を支払わなければなりません。

      8 どうすれば,アダムがわたしたちすべてに負わせた膨大な損失を埋め合わせて,人を罪と死への奴隷状態から解放できるでしょうか。エホバが備えてくださった贖いについて,また,それがあなたにとってどんな意味があるかを考えてみましょう。

      エホバはどのように贖いを備えたか

      9 どんな贖いが求められましたか。

      9 失われたのは完全な人間の命だったので,不完全な人間の命でそれを買い戻すことは決してできません。(詩編 49:7,8)必要だったのは,失われたものと同じ価値の贖いでした。この点は,神の言葉にある完全な公正の原則,つまり「魂には魂」という原則と一致しています。(申命記 19:21)では,アダムが失った完全な人間の魂つまり命の価値を埋め合わせるのは何でしょうか。求められた「対応する贖い」は,別の完全な人間の命でした。―テモテ第一 2:6。

      10 エホバはどのように贖いを備えてくださいましたか。

      10 エホバはどのように贖いを備えてくださいましたか。ご自分の完全な霊の子のひとりを地上に遣わされました。しかし,霊の被造物をとにかくだれかひとり遣わす,というようなことはされませんでした。ご自分にとって最も貴重な方,つまり独り子を遣わされたのです。(ヨハネ第一 4:9,10)この独り子は進んで天の住まいを離れました。(フィリピ 2:7)すぐ前の章で学んだように,エホバは奇跡を行ない,マリアの胎内にこのみ子の命を移されました。イエスは神の聖霊により,完全な人間として生まれたので,罪がもたらす刑罰のもとにはありませんでした。―ルカ 1:35。

      苦しみの杭に付けられて死を遂げたイエス

      エホバはご自分の独り子を贖いとして与えてくださった

      11 どうして一人の人が,幾十億もの人の贖いとなることができるのでしょうか。

      11 それにしても,どうして一人の人間が多くの人の,実際には幾十億もの人の贖いとなれるのでしょうか。では,そもそも,幾十億もの人たちが罪人になったのはなぜでしょうか。アダムは罪を犯すことによって,完全な人間の命という貴重な所有物を失ったということを思い起こしてください。ですからアダムは完全な命を子孫に受け継がせることができませんでした。伝えることができたのは,罪と死だけでした。聖書が「最後のアダム」と呼ぶイエスは完全な人間の命を持ち,決して罪を犯しませんでした。(コリント第一 15:45)イエスはわたしたちを救うため,ある意味でアダムに代わる立場に立たれたのです。イエスは神への完ぺきな従順を示してご自分の完全な命を犠牲にする,つまり放棄することにより,アダムの罪に対する代価を支払われました。そのようにしてイエスは,アダムの子孫に希望をもたらしたのです。―ローマ 5:19。コリント第一 15:21,22。

      12 イエスが苦しみを忍んだことによって何が証明されましたか。

      12 聖書は,死を前にしたイエスが耐え忍んだ苦しみを詳しく描いています。イエスはむちで激しく打たれ,残酷にも杭につけられ,その苦しみの杭の上で死にました。(ヨハネ 19:1,16-18,30。付録の「真のクリスチャンは崇拝に十字架を用いるべきか」)イエスはなぜそれほどの苦しみに遭う必要があったのでしょうか。この本の後の章で学びますが,サタンが疑問を投げかけていたのです。それは,エホバに仕える僕の中に,試練のもとでも忠実を保つ人間がいるかどうかということでした。イエスはひどい苦しみの中でも忠実に耐え忍ぶことにより,サタンが唱えた異議に対して,これ以上は考えられない良い答えを提出しました。自由意志を持つ完全な人間は,悪魔が何をしようとも,神に対する完全な忠誠を保てるということをイエスは証明したのです。エホバはこの愛するみ子の忠実さをご覧になり,大いに喜ばれたに違いありません。―箴言 27:11。

      13 贖いはどのように支払われましたか。

      13 では,贖いはどのように支払われたのでしょうか。神は西暦33年,ユダヤ暦ニサンの月の14日に,完全で罪のないみ子が処刑されるのを許されました。そういうわけでイエスは,ご自分の完全な人間の命を「ただ一度かぎり」犠牲にされました。(ヘブライ 10:10)エホバはイエスの死後3日目に,イエスを霊の命によみがえらせました。イエスは天において,ご自分の完全な人間の命の価値を神に差し出しました。その命は,アダムの子孫に代わる贖いとして犠牲にされたものです。(ヘブライ 9:24)エホバはイエスの犠牲の価値を,罪と死の奴隷になっている人類を救出するために必要な贖いとして受け入れられました。―ローマ 3:23,24。

      贖いは,あなたにとってどんな意味があるか

      14,15 「罪の許し」を得るには,何をしなければなりませんか。

      14 わたしたちは罪を持つ者ですが,贖いがあるので,極めて貴重な祝福を得ることができます。神からのこの最大の贈り物を通して,現在も,そして将来もどんな益が得られるか,考えてみましょう。

      15 罪の許し。わたしたちは不完全さを受け継いでいるので,正しいことを行なうためには厳しい闘いが必要です。だれもが言葉や行動の点で罪を犯します。しかし,イエスの贖いの犠牲によって,「罪の許し」を得ることができます。(コロサイ 1:13,14)とはいえ,その許しを得るには,心から悔い改めなければなりません。また,み子の贖いの犠牲に対する信仰に基づいて許しを求め,謙遜な態度でエホバに祈願することも必要です。―ヨハネ第一 1:8,9。

      16 清い良心をもって神を崇拝できるのはなぜですか。そのような良心にはどんな価値がありますか。

      16 神のみ前における清い良心。良心の呵責があると,絶望的になり,自分には価値がないと感じやすいものです。しかし,贖いによって許しが可能になります。エホバはその許しを通してご親切に,わたしたちが不完全であっても清い良心を抱いてエホバを崇拝できるようにしてくださいます。(ヘブライ 9:13,14)その結果わたしたちは,エホバにはばかりのない言い方ができるようになり,祈りによってエホバに自由に近づくことができます。(ヘブライ 4:14-16)清い良心を保つなら内面の平安が得られ,自尊心が育ち,本当に幸福になれます。

      17 イエスがわたしたちのために死んでくださったので,どんな祝福が可能になりましたか。

      17 楽園となった地上での永遠の命の希望。「罪の報いは死です」とローマ 6章23節は述べています。その聖句はさらに,「神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命……です」とも言っています。この本の3章では,これから来る地上の楽園での祝福を取り上げました。(啓示 21:3,4)完全な健康を保って永遠に生きることをはじめ,そうした将来の祝福はすべて,イエスがわたしたちのために死んでくださったので可能になりました。それらの祝福を得るには,贖いという贈り物への感謝を表わす必要があります。

      感謝をどのように表わせるか

      18 贖いの備えに対してエホバに感謝すべきなのはなぜですか。

      18 贖いに対してエホバに深く感謝すべきなのはなぜですか。贈り物は,時間や努力や費用の面で贈る側の犠牲がかかわっているとき,いっそう貴重なものとなります。贈り物が贈る側の純粋な愛の表われであることを知ると,わたしたちは心を動かされます。贖いはすべての贈り物の中で最も貴重なものです。それを備えるために,神は最大の犠牲を払われたからです。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え(た)」とヨハネ 3章16節にあります。贖いはわたしたちに対するエホバの愛の最も際立った証拠なのです。それは,イエスの愛の証拠でもあります。イエスは自分の命をわたしたちのために進んで与えてくださったからです。(ヨハネ 15:13)ですから,贖いという贈り物は,エホバとみ子がわたしたち一人一人を愛しておられることを確信させてくれるはずです。―ガラテア 2:20。

      聖書を学んでいる女性

      エホバについてさらに知ることは,エホバが備えてくださった贖いという贈り物に対する感謝を示す一つの方法

      19,20 どんな方法で,贖いという神からの贈り物に対する感謝を示せますか。

      19 では,どうしたら,贖いという神からの贈り物に感謝していることをはっきり示せるでしょうか。まず,偉大な与え主であるエホバについて,さらに知るようにしてください。(ヨハネ 17:3)この出版物を手引きとして聖書を研究するなら,それができます。エホバについての知識が増し加わるにつれて,エホバへの愛は深まります。そして今度はその愛に動かされて,エホバに喜んでいただきたいと思うようになります。―ヨハネ第一 5:3。

      20 イエスの贖いの犠牲に信仰を働かせる。イエスについて,「子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている」と述べられています。(ヨハネ 3:36)イエスに信仰を働かせるにはどうすればよいのでしょうか。そうした信仰は言葉だけで示されるわけではありません。ヤコブ 2章26節には『業のない信仰は死んだもの』と述べられています。そうです,真の信仰は「業」によって,つまり行動によって実証されるのです。イエスに信仰を抱いていることを示す一つの方法は,言葉だけではなく,行ないにおいてもイエスに倣うよう最善を尽くすことです。―ヨハネ 13:15。

      21,22 (イ)毎年の主の晩さんの式典に出席すべきなのはなぜですか。(ロ)6章と7章では,どんな点が扱われますか。

      21 年ごとの主の晩さんの式典に出席する。西暦33年ニサン14日の夜,イエスは聖書が「主の晩さん」と呼ぶ特別な式典を始めました。(コリント第一 11:20。マタイ 26:26-28)この式典はキリストの死の記念式とも呼ばれます。イエスがこの式典を制定されたことには目的がありました。その目的とは,イエスが完全な人間として死に,自分の魂つまり命を贖いとして与えたということを,使徒たちとその後の真のクリスチャンすべてに銘記させることでした。イエスはこの式典について,「わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」と命令しておられます。(ルカ 22:19)わたしたちは記念式を守り行なう時,エホバとイエスが贖いに関連して示してくださった大きな愛を思い起こします。毎年行なわれるイエスの死の記念式に出席することにより,わたしたちは贖いに対する感謝を示すことができます。a

      22 エホバによる贖いの備えは,まさに計り知れないほど価値のある贈り物です。(コリント第二 9:14,15)極めて貴重なこの贈り物は,すでに亡くなった人たちにも益を及ぼします。その点は6章と7章で扱われます。

      a 主の晩さんの意味について詳しくは,付録の「主の晩さん ― 神に誉れを帰する式典」をご覧ください。

      聖書は何を教えていますか

      • 贖いは,エホバが人類を罪と死から救出するために用いる手段。―エフェソス 1:7。

      • エホバは,ご自分の独り子を地上に遣わし,わたしたちのために死ぬようにされたことにより,贖いを備えてくださった。―ヨハネ第一 4:9,10。

      • わたしたちは贖いにより,罪の許し,清い良心,永遠の命の希望を得る。―ヨハネ第一 1:8,9。

      • 贖いに対する感謝は,エホバについてさらに知り,イエスの贖いの犠牲に信仰を働かせ,主の晩さんに出席することにより示せる。―ヨハネ 3:16。

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