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人は死ぬとどうなるかものみの塔 2015 | 8月1日
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特集記事 | 亡くなった人にまた会えますか
人は死ぬとどうなるか
「『人は死んだら,天国か地獄か煉獄に行く』と考えていました。そして,『自分は天国に入れるほど善人ではないし,地獄に落ちるほど悪人でもない』と思いましたが,煉獄がどんなところかは,よく分かりませんでした。聖書には何も書かれていなかったからです。すべて人から聞いたことでした」。―ライオネル。
「『死んだ人はみな天国に行く』と教えられましたが,納得できませんでした。『死んだらすべてが終わる。死者に将来などない』と考えていたのです」。―フェルナンド。
あなたはどう思いますか。死んだら一体どうなるのでしょうか。亡くなった家族や友達はどこかで苦しんでいますか。いつかまた会えるでしょうか。どうすれば本当のことが分かりますか。神の言葉である聖書の教えを調べれば,答えが得られます。まず,死んだらどうなるかについて見てみましょう。そのあと,聖書の差し伸べている希望に注目します。
死者はどんな状態にありますか
聖書の答え: 「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もなく,彼らはもはや報いを受けることもない。なぜなら,彼らの記憶は忘れ去られたからである。あなたの手のなし得るすべてのことを力の限りを尽くして行なえ。シェオル,すなわちあなたの行こうとしている場所には,業も企ても知識も知恵もないからである」。a ―伝道の書 9:5,10。
シェオルとは,簡単に言えば,人が死んだら行く所,意識も活動もない象徴的な場所つまり状態のことです。神の忠実な僕ヨブは,このシェオルをどんな所と考えていたでしょうか。ヨブは,1日のうちに財産と子どもをすべて失い,その後,全身にはれ物ができて苦しみました。それで神に嘆願し,「ああ,あなたが私をシェオル[「地獄」,カトリックの「ドゥエ訳」(英語)]に隠し,……秘めてお[いて]くださればよいのに」と言いました。(ヨブ 1:13-19; 2:7; 14:13)明らかに,ヨブはそこを火の燃える地獄とは考えていませんでした。苦しみが余計にひどくなるような所ではなく,苦痛から解放される場所と考えていたのです。
死者の状態について知る手がかりはほかにもあります。神の導きによって聖書に記録されている,死んだ状態から生き返った人に関する8つの事例です。―「聖書に記録されている8つの復活」という囲みをご覧ください。
生き返った8人のだれも,至福の場所あるいは責め苦の場所にいたとは述べていません。死んでそのような場所に行ったのであれば,そう語ったことでしょう。またそのことは,だれもが読めるよう,神の導きのもとに聖書に記録されたはずです。しかし,聖書中にそのようなことは何も記されていません。生き返った人たちはこの点について何も言うことがなかったのです。というのは,深く眠っている時のように無意識だったからです。事実,聖書は,死を眠りに例えており,神の忠実な僕ダビデもステファノも「死の眠りについ」た,と述べています。―使徒 7:60; 13:36。
では,人は死んだらそれで終わりなのでしょうか。死の眠りから目覚めることはできますか。
a 「新世界訳聖書」で使われている「シェオル」(ヘブライ語)と「ハデス」(ギリシャ語)は,「墓」を意味しています。一部の聖書ではこれらの語が「地獄」と訳されていますが,死んだ人が火の燃える場所で責め苦に遭うという概念は,聖書に基づくものではありません。
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死んだらそれで終わりかものみの塔 2015 | 8月1日
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特集記事 | 亡くなった人にまた会えますか
死んだらそれで終わりか
死者は生き返りますか
聖書の答え: 「記念の墓の中にいる者がみな,[イエスの]声を聞いて出て来る時が来ようとしている」。―ヨハネ 5:28,29。
イエスはそう述べて,将来ご自分の王国支配のもとで墓が空になる,ということを予告しました。前の記事に出てきたフェルナンドはこう述べています。「ヨハネ 5章28,29節を初めて読んだ時にはたいへん驚きました。確かな希望が得られ,将来に対して楽観的な見方ができるようになりました」。
古代の忠実な人ヨブは,死んでもいずれは神が生き返らせてくださる,と信じていました。「人が死ねば,また生きられるでしょうか」と問いかけ,確信を込めてこう答えています。「私の強制奉仕[墓にいる期間]のすべての日々,私は待ちましょう。私の解放が来るまで。あなたは呼んでくださり,私はあなたに答えます」。―ヨブ 14:14,15。
ラザロの復活を考えると,将来に希望を持てる
ラザロの姉妹マルタも,死者が復活することは知っていました。ラザロの死後,イエスから「あなたの兄弟はよみがえります」と言われた時に,「彼が終わりの日の復活の際によみがえることは知っております」と答えているとおりです。それに対し,イエスは,「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き返るのです」と言います。(ヨハネ 11:23-25)そして,すぐにラザロを復活させました。この感動的な記述は,将来に起きる壮大な事柄の予告編です。そうした復活が地球的規模で起きるのです。
天国に行く人はいますか
聖書の答え: イエスの復活は,聖書の記録にある他の8人の復活とは異なっていました。それらの人はこの地上に復活しましたが,イエスについてはこう記されています。「イエス・キリスト……は神の右におられます。天へ行かれたからです」。(ペテロ第一 3:21,22)しかし,復活して天に行くことになっていたのは,イエスだけではありません。イエスはそれ以前に,使徒たちにこう述べていました。「わたしが行ってあなた方のために場所を準備したなら,わたしは再び来て,あなた方をわたしのところに迎えます。わたしのいる所にあなた方もまたいるためです」。―ヨハネ 14:3。
キリストは天に行き,弟子たちを迎えるための準備をしました。天に復活する人の数は,最終的には14万4000人になります。(啓示 14:1,3)では,イエスのそれら親しい弟子たちは,天で何をするのでしょうか。
非常に忙しく働くことになります。聖書にはこう述べられています。「第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する」。(啓示 20:6)天に復活した人たちは,王また祭司となってキリストと共に地を治めるのです。
その後,だれが復活しますか
聖書の答え: 神の導きのもとに書かれた聖書には,使徒パウロのこの言葉が収められています。「わたしは神に対して希望を持っておりますが,その希望はこれらの人たち自身もやはり抱いているものであり,義者と不義者との復活があるということです」。―使徒 24:15。
神の言葉によると,幾十億もの死者が復活してくる
パウロが「義者」と呼んだ人々とは,だれのことでしょうか。忠実な人ダニエルはその1人です。ダニエルは生涯の終わりに,「あなたは休むが,日々の終わりに自分の分のために立ち上がるであろう」と告げられました。(ダニエル 12:13)どこで,死の眠りから目覚めるのでしょうか。聖書には,「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」と記されています。(詩編 37:29)イエスも,「温和な気質の人たちは幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」と予告しました。(マタイ 5:5)ですから,ダニエルをはじめ神に忠実だった男女が,この地上に復活し,永遠に生きることになるのです。
では,パウロが「不義者」と呼んだ人々はだれでしょうか。これまでに生まれて死んでいった幾十億もの人です。その多くは聖書の真理を理解して当てはめる機会が得られませんでした。それらの人は復活した後に,エホバaとイエスを知っておふたりに感謝することができるようになります。(ヨハネ 17:3)神に仕えることを選ぶなら,エホバご自身と同じように永遠に生きられます。
神に仕えることを選ぶなら,完全な健康と幸福のうちに永遠に生きられる
地上はどんな所になりますか
聖書の答え: 「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」。(啓示 21:4)「彼らは必ず家を建てて住み,必ずぶどう園を設けてその実を食べる」とも記されています。―イザヤ 65:21。
そのような所で,復活してきた愛する家族と暮らせるのです。とはいえ,まだ疑問が残っています。復活は必ずあると,どうして言えるのでしょうか。
a エホバとは,聖書に出てくる,神の名です。
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死者は生き返る どうして確信できるかものみの塔 2015 | 8月1日
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特集記事 | 亡くなった人にまた会えますか
死者は生き返る どうして確信できるか
死者が生き返ると考えるのは,馬鹿げたことでしょうか。使徒パウロは,そうは思いませんでした。神の導きのもとにこう書いています。「今の命でキリストに望みをかけてきたことがすべてであれば,わたしたちはあらゆる人の中で最も哀れむべき者となります。しかしながら,今やキリストは死人の中からよみがえらされ,死の眠りについている者たちの初穂となられたのです」。(コリント第一 15:19,20)パウロは復活を確実なことと考えていました。復活があることは,イエス自身の復活により,保証されていたからです。a (使徒 17:31)だからこそ,パウロはイエスを「初穂」と呼んだのです。イエスは復活して永遠の命を得た最初の方でした。最初ということは,論理的に言って,それに続く人がいるということです。
ヨブは神に,「ご自分のみ手の業をあなたは慕われます」と述べた。―ヨブ 14:14,15
復活を確信できる根拠は,ほかにもあります。エホバは,真実を語る神,「偽ることのできない神」です。(テトス 1:2)うそをつくことなど,これまで一度もなく,今後も決してありません。復活を約束し,復活させる能力を示しておきながら,約束どおりにしない,ということはあり得ないのです。
エホバが将来,死者を復活させるのは,人間を愛しておられるからです。ヨブはこう述べています。「人が死ねば,また生きられるでしょうか。……あなたは呼んでくださり,私はあなたに答えます。ご自分のみ手の業をあなたは慕われます」。(ヨブ 14:14,15)ヨブが確信していたとおり,愛ある天の父はヨブを復活させることを切に望んでおられました。その思いは変わったでしょうか。神ご自身が,「わたしはエホバであり,わたしは変わっていない」と述べておられます。(マラキ 3:6)神は,死んだ人が生き返り,健康で幸福な生活を送ることを,今も望んでおられます。愛情深い親が子どもを亡くした時に抱く思いと同じです。ただ違うのは,神にはご自分の望むとおりにする力があることです。―詩編 135:6。
死者を復活させることは,人にはできないが神にはできる
エホバはイエスに力を与えて復活を行なわせ,愛する家族や友達を亡くして悲しんでいる人たちに,この上ない喜びをもたらされます。では,イエスは復活をどう思っているでしょうか。ラザロを生き返らせる前には,ラザロの姉妹や友人たちの苦しみを見て,「涙を流」しました。(ヨハネ 11:35)また,一人息子を亡くしたナインのやもめに出会った時には,「哀れに思い,『泣かないでもよい』と言」いました。そして,直ちにその息子を生き返らせました。(ルカ 7:13)ですからイエスは,死別の悲しみを深く感じ取れる方なのです。そのようなイエスにとって,世界中で死別の悲しみを再会の歓喜に変えるのは,本当に大きな喜びとなることでしょう。
死別を経験した人は,死んだ人はもう戻って来ない,と思うかもしれません。しかし,そうではありません。神は,イエスを通して死者を復活させます。それで,あなたにもその場にいて自分の目で見てほしい,愛する人をもう一度抱き締めてほしい,と思っておられます。その時には,復活した人と共に永遠の将来のために様々なことを計画できるのです。もはや死の別れはありません。
最初の記事のライオネルは,こう言います。「やがて復活について学びましたが,最初は信じられず,教えてくれる人を信用することもできませんでした。でも聖書をよく調べて,本当だということが分かりました。今では,祖父と再会できる日が待ち遠しいです」。
復活について,もっと知りたいと思いませんか。エホバの証人は,将来の復活を確信している理由を,あなたの聖書から喜んでご説明します。b
a イエスが復活したことの証拠については,エホバの証人の発行した「聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?」という本の78-86ページをご覧ください。
b エホバの証人の発行した「聖書は実際に何を教えていますか」という本の第7章をご覧ください。
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