『偉大な創造者をおぼえる』
箴言 19章20節には次のように書かれています。「なんぢ勧をきき訓を受けよ,然ばなんぢの終に知恵あらん」。マルチニクに住むある若い男の伝道者はこの格言が真実であることを経験しました。「彼は次のような手紙を書いてきました。協会は聖書の真理を学友に話すよういつも勧め励ましてくださっていますが,私はしばらくの間そうするのをためらっていました。ばかにされはしないかと心配だったのです。でも,ついに聖書の,『勧をききなさい』ということばを真剣に考えるようになり,ある日,学校の親友に,自分が聖書を勉強している,ということを話してみました。彼は初めは驚きました。でも少し関心を示しましたので,私はそれに元気づけられ,神の目的についてもっと話すようになりました。私の友だちの関心は段々と深まり,私の聖書の知識についてたくさんの質問をしはじめました。彼は『目ざめよ!』誌にとても関心を持つようになり,私はさらに進んで,『とこしえの命に導く真理』の本を用いる家庭聖書研究を提案してみました。彼は喜んでそれに同意しました。でも克服しなければならない問題がありました。彼の両親は不信者で,彼が聖書を研究することに同意してくれなかったのです。それに学校のスケジュールがいっぱいで,彼にはあまり時間がありませんでした。そこで私たちは学校のスケジュールを調べてみて,聖書の研究のできるあいた時間を見つけました。こうして,もう4か月も研究しています。彼はたいへんよく進歩しており,集会に出席できる時を楽しみにしています。というのは,今のところ両親の同意が得られないからです。彼は真理のために固い立場を取るほどにまで至っており,私にこう言いました。『サタンはぼくを真理から離れさすことはできないよ。ぼくはエホバが祈りを聞いてくださり,やがて今の難しい問題を克服できるようになると確信しているよ。両親がいつか,聖書研究に同意しないとだれが言えるだろうか』。この若い伝道者は自分のこの経験で喜びに満ちています。そしてこうも言いました。「エホバの賢明な勧めに聞き従ったことをほんとうにうれしく思っています。学校にいる若いみなさんに,学友に真理について話すことを恐れないでくださいとおすすめします。私と同様な報いを得られるかもしれないからです」。
「真理」の本は伝道のわざで重要な役割を演じています。そして,ここアイスランドの伝道者たちも非常に熱心にこの本を配布しています。ある11歳の少年が「真理」の本を学校に持って行き,学友に見せたところ,級友から20冊の注文を受けました。
賢者だったソロモンはこう言いました。「子どもでさえ,その行動が曲がっているかまっすぐかにより,その行為をもって知られる」。(箴言 20:11,アメリカ訳)そのとおりのことが,「花」という意味の「フロール」という名の,ペルーの少女に当てはまります。学校において,この少女はほんとうに砂ばくに咲いた一輪の花のような存在です。学校での宗教の時間,先生はよくフロールの意見を聞きました。彼女の答えはとても理にかなっていたからです。フロールはエホバの証人と勉強しており,学んでいることをちゅうちょせずに話しました。翌年までには十分のことがらを学び,宗教の授業に出席しなくてもよいよう許しを願い出ました。宗教的な大いなるバビロンから関係を断ち,エホバに献身したいと思ったからです。その願いはかなえられました。しかし,それでも,宗教の授業がすむとクラスの友だちが彼女のところにやってきて,「聖書にはどう書いてあるの」と尋ねました。ある日,彼女は休み時間に女の子たちが「精神感応術」をしているのを見ました。そこで,自分の聖書を取り出し,申命記 18章10-13節から,そうしたことがエホバの目にいみきらわれるものである点を少女たちに示し,その理由は悪霊の影響に身をさらすことになるからだと教えました。その少女たちのグループは,今では超感覚的知覚を働かすようなことには手を出さなくなりました。フロールはいつでも聖書から答えを与えることができると,学校で評判になっています。
シンガポールでのことですが,かつてローマ・カトリック教徒だった中等学校の一生徒は,最後の学年の時,エホバの証人と研究している級友と親しくなりました。彼はその級友の良いふるまいに感銘を受け,聖書を毎日1章ずつ読むかたわら,協会の出版物を少し読みはじめました。まもなく,血を食べる問題に関して学校で自分の立場を明らかにするほどになりました。最後の期末試験が終了したあと,彼は王国会館の集会に初めて出席し,深い印象を受けました。そしてすべての人が神を喜ばせ,聖書の原則を守ろうとの強い願いを持っていることに気づき,定期的に聖書研究を行なうことに同意しました。その研究を司会している開拓者はこう言っています。「勧められている進歩的な聖書研究の方法に従ったところ,研究生はものみの塔協会の他の出版物を徹底的に読むことの重要性にすぐ気づきました。進歩は急速で,本人は敬虔な原則を自分の生活に当てはめるようになりました。彼は臨時の仕事をしていましたが,すべての集会に出席するため賢明にも障害を克服し,野外奉仕をも始めました。6か月間でこの人は献身とバプテスマの段階にまで進歩し,また,ひとりの級友を含めて,さらに5人がエホバの賛美者になるのを励ましました」。新しく関心を示した人々を研究の早い時期に集会に連れてくるなら,深い印象を与えることになります。その開拓者はつぎのように続けています。「会衆にこうした精神があふれているため,王国会館の出席者は過去6か月間に55人から115人へと増加しました」。
原則にしたがった立場を取った子ども
真理の正確な知識の助けを得て克服できる一つの悪徳はかけごとです。かけごとはクラサオで見られる最大の弱点です。この点では次の経験が示しているように,家族の聖書研究と集会の出席の重要性はどんなに強調しても強調しすぎることがありません。神権的なある家族の小さな男の子がおばあさんといっしょに歩いていました。おばあさんはエホバの証人ではありません。ふたりは宝くじを売っている婦人に会い,おばあさんはそれを1枚買うことにしました。その婦人は,お孫さんに宝くじを選ばせたら,とおばあさんに勧めました。そうすれば運がよいだろうというわけです。しかし,その子はきっぱりと断わって,こう言いました。「ぼくたち[エホバの証人]は運にたよって生きているのではありません。ぼくのおとうさんは,ぼくたちが生きていけるように,いっしょうけんめい働いてくれているんです」。この件に関するその子の立場に,ふたりの婦人はびっくりしました。その子はまだ伝道者でないとはいえ,正しい原則を守ることにより,真理に対する良い証言をしたのです。
原則の問題
若いクリスチャンは中立の立場を守ることにより,学校でりっぱな証言をすることができます。ノルウェーに住む15歳の女生徒は,次のような経験をしました。全国平和記念式典に関連してクラスで2分間の黙とうをささげた後,全生徒が起立して愛国主義的な歌をうたうことになりました。この若いエホバの証人は前もって先生に話し,自分がそれに参加できないことを説明しました。先生は,参加しなくてもよいが,後ほどクラスでその理由を説明してほしいと彼女に言いました。姉妹は,勇敢にもそのとおりにし,自分の取った行為は原則の問題であり,挑発ではないことを話しました。話の終わりに,彼女は級友全員にパンフレットを渡しました。1週間後,彼女は校庭で級友に近づき,聖書研究をしてみませんかと提案したところ,7人が聖書の討議をするため彼女の家にやってきました。そして,その中のふたりが「真理」の本を使って6か月の聖書研究をしたいと言いました。この若い姉妹はたいへんおとなしい少女ですが,エホバによりたのんでこうした証言をすることができ,豊かに祝福されました。
実を結んだ男生徒の証言
両親から神のことばにそってよく訓練されている子どもたちは,真理について良い証言をすることができます。イタリアのある少年は親からしっかり訓練されていたため,小学校2年の時から,大いなるバビロンと関係するものにはいっさいかかわりを持ってはならないことを理解していました。その子の父親は,宗教の授業には少年を参加させませんでした。先生が,学校での祈りに加わることはなんらさしつかえないだろうと考えた時にも,少年はエホバの証人としてどんな状況のもとでも妥協できませんと言いました。この少年の学校での行動は模範的なので,それに気づいた先生は,ある日一番行儀の良い生徒に賞を与えるとき,その賞をこの若いエホバの証人にも与え,十字架のついた,バッジをつけてやろうとしました。少年は礼儀正しく先生に感謝してから,十字架は異教の象徴ですから受け取るわけにはゆかないと言いました。それを聞いた先生は,そんなことはあるはずがない,と答えましたが,少年は,先生さえよろしかったら,ぼくの母が十字架や他のことがらについて聖書がなんと言っているか教えられますよ,と言いました。それに続いて行なわれた訪問の結果,先生との研究が始まり,彼女は今では自分の長男とともに献身してバプテスマを受けたエホバの証人となっています。彼女の長男は会衆で神権学校のしもべもしており,次男のほうは良いたよりの定期的な伝道者です。
― エホバの証人の1971年度年鑑より