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不信者の親のもとにあっても,忠実を保ってエホバを賛美する若い人たち目ざめよ! 1971 | 10月22日
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わたしは妻のもとに戻って和解を求め,妻は応じてくれました。それから,妻と長男がわたしとの聖書研究を忠実に行なってくれ,わたしは伝道者になりました。わたしはこの大会(1968年)でバプテスマを受けましたので,9人の伝道者からなる神権的で幸福な家族の頭として自分の責任を今や完全にになえるようになりました」。
家庭聖書研究を司会する際,子どもたちを過小評価したり無視したりしてはなりません。子どもたちは親が真理を認識するのを助ける手だてになる場合がしばしばあるからです。マラウイのひとりの若い婦人とある期間家庭聖書研究が行なわれましたが,その研究はみのりそうにもないように思われました。その後,彼女の4歳と3歳の子どもふたりとも失楽園から復楽園までと題する本を使っての聖書研究が始められました。母親はそのふたりをベッドに入れて寝せると,眠りにつくまでの間,4歳の女の子が聖書研究で習った事柄をたんねんに復習して弟に説明しているのをよく耳にしました。女の子は質問をし,弟がまちがって答えると,それをなおして正しい答えを説明しました。その女の子はまた,神の家をなおざりにしてはならないことを理解するようになり,日曜日になるたびに,きょうは集会へ行く日ですと言って母親に思い起こさせました。こうして大いに助けられ励まされた母親は,今ではいっそう定期的に集会に出席するようになりました。
分裂した家庭にあっては,確固とした態度や決意のほどを示さねばならない場合がしばしばあります。モントセラット島に住む,3人の子どもを持つあるエホバの証人は,メソジスト教会にはいるよう親族からひそかに圧力を受けていた夫の反対を受けていました。夫は,子どもをエホバの証人の会衆の集会に連れて行くことで妻を非難しました。4月にこの島で巡回大会が開かれたとき,夫は妻子の出席を禁じました。ひとりの子どもは大会のプログラムの一部に出ることになっていたので,子どもたちはがっかりしました。大会に行く時間が近づくにつれ,父親は子どもたちがたいへん心配している様子に気づきました。それで,なぜ出席したいのか,また集会で何を学んだかを子どもたちひとりひとりに尋ねました。9歳の子どもは創造に関する聖書の記録全部を話し,最後に火の池について説明しました。その家族が大会へ行けるかどうかを確かめるため監督奉仕者が尋ねたところ,夫はいっしょに行って「何が行なわれているかを見る」ために急いで身じたくをしました。その晩の巡回大会のプログラムは「若い人たちのための健全な霊的遺産」という主題のもとに行なわれました。その後彼は妻に「証人たちは確かにおまえに子どもの育て方を教えてくれているのだね」と言いました。翌週,おじが,なぜ子どもたちをメソジスト教会に連れてこなかったかと彼に尋ねました。すると,4歳の女の子が大きな声で,「パパ,パパは教会じゃなくって,エホバにはいりたいのよ」と言いました。夫は家族といっしょにエホバの証人の会衆の集会に出席することに同意し,11歳の娘が集会で行なったりっぱな注解に深い感銘を受けました。家に帰ると,彼は娘の発音を直しはじめ,家族といっしょに会衆の書籍研究に出席できるよう,「神の自由の子となって受ける永遠の生命」と題する本を求めさえしました。家族全員にとってたいへんうれしいことに,会衆の監督が夫と家庭聖書研究を定期的に司会しています。機敏な子どもたちは不信者の親を励ますのに多くを行なえます。
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マタイ伝 24章を読んでください目ざめよ! 1971 | 10月22日
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マタイ伝 24章を読んでください
◆ 世俗の職場で証言する機会に恵まれる場合があります。ニュージーランドのとある事務所でのこと,世の終わりに関する話し合いがはじまりました。結婚したある若い婦人のエホバの証人が,その問題について聖書のマタイ伝 24章にしるされている事柄を読むよう社員たちに提案したところ,彼女は嘲笑されました。ところが,二,三日後,女子事務員のひとりがその証人に近づき,マタイ伝 24章を読んでたいへん感銘を受けたと語りました。その事務員は「とこしえの命に導く真理」と題する本を金曜日に求めましたが,翌週の月曜日,エホバの証人になるには何をしなければなりませんかと質問しました。この若い女性とその夫との最初の聖書研究は午前2時まで続きました。質問が続出したためです。学んだ事柄に深く感動したふたりは,生まれて初めてのことですが,就寝前にエホバに祈りをささげるようになりました。3回目の研究のあと,すべての集会に出席しはじめ,まだ1年にもなりませんが,今ではふたりとも喫煙の習慣を克服して定期的に伝道しており,次の大会でともにバプテスマを受ける予定です。賢明な人が語ったとおりです。「汝朝に種を播け夕にも手をやすむるなかれそはその実る者はこれなるか彼なるかまたは二者ともによくなるや汝これを知らざればなり」― 伝道 11:6。
― エホバの証人の1971年度年鑑より
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