ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 「尋ね求めつづけなさい。そうすれば,見いだせます」
    ものみの塔 1972 | 2月1日
    • 的な憎しみゆえに何千人もの人々が殺されました。その時の各地の大会で「平和を作り出す人たちは幸い」と題する公開講演を行なえたのはなんと時宜を得たことだったのでしょう。

      ボンベイ,アーマドナガル,プーナで神のみことばを8年間伝道したのち,巡回のしもべ,つまりクリスチャン会衆を激励する監督奉仕者として任命され,その後13年間の大半,白雪をいただくヒマラヤ地方からインド南端コモリン岬の近くまでを旅行して過ごしました。ある時はインドのおよそ半分の地域を1年に2度回り,何千キロも旅行したことがあります。それで,かなりの野生動物 ― 象,くじゃく,さる,コブラのほか,1頭のとらも見ました。

      当然のことながら,インドでの生活は他とは異なり,人々は貧困と窮状の中で暮らしています。しかし,マハラシトラ,グジラト,マイソール,タミル・ナドゥ,ケララ,ベンガル,アンドラ・プラデシあるいはデリーその他インドのどこに住んでいようと,私はインドのクリスチャンの兄弟たちすべてを愛しています。これらの場所の兄弟たちはみな別々の言語を話しますが,すべて真の神エホバの崇拝において一致しています。

      インドの仲間のクリスチャンの兄弟たちはたいへん親切にしてくださいましたし,今ではインドにも円熟した証人が大ぜいいます。私がインドに来た1947年当時,神の王国の宣布者は200人ほどでしたが,今では3,300人余になりました。私は時には床にすわり,皿がわりのバナナの葉に盛った食物を食べて,インドの証人たちとともに生活しています。それにしても,証人たちはなんと親切なのでしょう。

      1953年初頭,ニューヨークの新しい世の社会大会に出席するよう招待されたのは驚きでした。それは実にすばらしい大会でした。1958年には再びニューヨークの記念すべき「神の御心」国際大会に出席できました。1966年には,8年ぶりに英国に戻って長い休暇を過ごしました。1969年も忘れがたい年です。ロンドンの「地に平和」国際大会に出席する途上,イスラエルを訪れ,カイザリヤ,メギド,ガリラヤ,ナザレ,エルサレム,ベツレヘム,エリコその他,エホバのわざおよびイエス・キリストの地上での奉仕との関係のある土地を尋ねました。

      インドで私は数多くの霊的な兄弟姉妹また父母に恵まれました。私は自分にとっては独身のほうがよいと考えたので結婚しませんでしたが,この広大なインドのあらゆる場所から見いだされた大ぜいの仲間の兄弟たちを知っており,私は彼らを深く愛しています。大会でそれら兄弟たちに会うとき,私の心は喜びと感激であふれます。全地のエホバの民すべてと同様,私たちは一つなのです。

      私は62歳ですが,6月には世界一暑い首都の一つ,インドのデリーで今なお自転車に乗って働いています。聖書研究におもむいたり,戸別訪問をしたりして,良いたよりを伝道し教えていますが,これはほんとうにすばらしい生活です。インドでは7つの言語で「ものみの塔」誌が供給されていますが,このように私たちの用いるものを組織を通して豊かに備えてくださるエホバ神に深く感謝しています。私にはまたここち良い住みかもあります。実際,神に全時間仕えるのはすばらしいわざです。私は『尋ね求めつづけ』た結果,久しく捜し求めていたもの ― 神の真理を見いだせたことをほんとうに感謝しています。

  • 忠節で,あわれみ深くあるようにとさとされた宣教者たち
    ものみの塔 1972 | 2月1日
    • 忠節で,あわれみ深くあるようにとさとされた宣教者たち

      1971年9月7日,ものみの塔協会の宣教者のためのギレアデ学校第51期生100人の卒業式が行なわれました。卒業式はニューヨークのエホバの証人大会ホールで,同校教官たちのすぐれたはなむけのことばをもって始められ,校長N・H・ノアが主要な話をしました。

      ノア会長は卒業生に向かって,「エホバは『そのわざすべてに忠節』ですが,問題は,『あなたはエホバに忠節を保つかということです』」と語りました。(詩 145:17,新)そして神への忠節を保つ重要性を示した協会の会長は,神の組織に忠節を保つことの必要を強調し,忠節を表わすのに妨げとなる事態が生ずる場合のあることを指摘しました。たとえば,宣教者の家で他の人たちと密接な交わりをもって生活をするため,問題が起きる場合もあります。

      正しい見方を持つよう聴衆を助けるため,ノア兄弟は,クリスチャンはすべて罪人であることを強調し,『監督たちを含め,だれでもまちがいをします。では,だれかがまちがいを犯したからといって,あなたは荷物をまとめて,宣教者の任命地を去りますか。それとも,神の組織に忠節を保ってとどまりますか』と尋ね,エホバはご自分の組織を導いておられるということを記憶するようにと卒業生に述べました。

      そして,クリスチャン兄弟間のあやまちを解決する方法をイエスがマタイ伝 18章15-17節で略述しておられることを説明しました。つまり,行って,ふたりで話し合ってください。もし相手が耳をかさなければ,円熟したクリスチャンをひとりか,ふたり伴って行きます。ところが,監督に対する恐れのため,ふたりのあいだであやまちを解決するこうした二つの肝要な段階を経ない場合があります。そこでノア兄弟は,『人を恐るればわなにおちいる』という箴言 29章25節のことばを引用して,人間に対する恐れのために神が求めておられることをしそこなうべきではないと力説しました。もし問題の人のもとに行かないとすれば,みずからわなを仕かけることになりかねず,ひいては他の人びとに対してわなを仕かけるおそれがあるのです。

      しかし,人を恐れると,どうして他の人びとに対してわなを仕かけることになりかねないのですか。監督についてうわさ話をし,他の人びとにも監督を恐れさせることになるからです。それで会長は次のように述べました。『監督のあやまちを言いふらすのは神の組織に忠節を示すことではありません。ですから,もし人間の不完全さゆえに問題が生じたなら,あなたの兄弟のもとに行き,イエスの助言に従って,平和を享受してください』。

      次いで協会の会長はあわれみの必要を強調しました。ヨセフが兄弟たちにあわれみを示した例(創世 37:1-36; 39:1–45:28)を用いて,イエスが「われは憐憫を好みて,犠牲を好まず」といわれたからには,神の組織内の新しい人,宣教者の家の成員,そして監督たちにあわれみ深くあるようにと卒業生に語りました。(マタイ 9:13)それで,あわれみに富みなさいとノア兄弟はさとしました。

      その話の中で協会の会長はまた,「神のお名前」大会で発表された監督の交替が,協会の本部ベテルにおいて1971年9月13日付で実施されることをも述べました。その説明によれば,エホバの証人の統治体の成員は朝の日々の聖句の討議と月曜日晩の「ものみの塔」研究を毎週交替で司会します。こうして協会の本部では諸会衆に1年先立って交替制が実施されることになりました。

      その主要な話の前に,協会の副会長F・W・フランズは卒業生に向かって,「だれでもみな火でもって塩づけされねばならないのです。……あなたとあなた自身のうちに塩を持ち,互いの間で平和を保ちなさい」というマルコ伝 9章49,50節(新)の意味を説明しました。

      49節の「火」とは迫害や試練をさしていますか。フランズ兄弟の説明によれば,そうではありません。なぜなら,文脈からすれば,論じられているのはゲヘナの火のことだからです。また,「だれでもみな」ということばは単に人々すべてをさしているのではなく,手や足や目をもってあえて自分自身や他の人々をつまずかせ,不信仰に落としいれる,油そそがれたクリスチャンをさしています。そのような人は永遠の滅びの火でもって塩づけされねばなりません。

      それにしても,忠実なクリスチャンはどのようにして自分自身のうちに「塩」を持つのですか。またこのことは宣教者の生活とどんな関係があるのでしょうか。フランズ兄弟の説明によれば,50節の塩とは,味わいのある言動を生む,クリスチャンのうちにある特質を表わしています。クリスチャンはだれでも,クリスチャンの見地から見て味わいのある仕方で物事をすべきです。そうすれば,神の組織内のだれをもつまずかせることはありません。フランズ兄弟は,「愛する宣教者のみなさん,自分自身のうちに塩を持ってください」とさとしました。

      生徒が卒業証書を受け取ったあと,その中のひとりが一通の手紙を読みました。その 一部は次のとおりです。「わたしたちは勉強をするために学校へ来ました。そのことは予期していました。わたしたちが予想だにしなかったのは,ベテルの家族の皆さんから暖かい大歓迎をうけたことです。兄弟姉妹の皆さんはわたしたちに心を開いてくださいました。皆さんに心からお礼を申しあげたいと思います」。

      プログラムは卒業生による楽しい歌と,「あなたはあわれみ深い人ですか」と題する聖書劇をもって終わりました。ヨセフとその兄弟たちに関する聖書の記述に基づいたその聖書劇は,先に協会の会長が力説したあわれみという特質をさらに強調するものとなりました。劇の終わりに盛んな拍手が送られたことからして,出席者一同あわれみ深く,しかも忠節であることの必要を深く認識したことがわかります。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする