エホバの証人になる人びと
5年間に68万人が,エホバの証人によってバプテスマを受けました。昨年だけでも16万3,000人がバプテスマを受け,アメリカにおける「神の支配権」地域大会だけで1万5,512人がバプテスマを受けました。こうしてエホバの証人になってゆくのはどんな人たちでしょうか。
● その中には老齢の人もいます。カリフォルニア州のサンタローサで開かれた大会では96歳の老人がバプテスマを受けました。この人は証人たちから何度も「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を求めていました。そして2年前,証人が聖書研究を勧めたとき,その勧めを受け入れ,やがて自分がついに真の宗教を発見したことを確信しました。
● もと尼僧だった人たちもエホバの証人になっています。そのうちのひとりは,17年間尼僧として奉仕しました。1972年の5月,主任司祭あてに出した手紙の中で彼女は次のように説明しました。「これはカトリック教会から私の籍を除いていただくための手紙です。このことにあなたは驚かれるかもしれません。…17年前私が聖マリア訪問会にはいった時,そして尼僧になることこそ聖書の真理に従う真のクリスチャンの道と考えたとき,あなたが私といっしょに喜んでくださったことを私は知っています。幾たびも孤独とざせつ感に悩みましたが,あなたの毎年の訪問は私にとって常に喜びであり励ましでした。…
「ご存じのように,私たちは私たちの聖なる,また得意とする習慣や伝統に新しいものを取り入れることに努めてきましたが,非常に多くのシスターたちは幻滅を感じております。多年に渡って行なわれてきた多くの祝祭の,ばかげた理由を知りますと,多くの人が修道会を去っていくのも不思議ではありません」。
次いで彼女は,あるエホバの証人から,聖書を勉強してあなたの信じていることが正しいかどうかを調べてみなさい,と挑戦されたことを主任司祭に説明し,こう言います。「私はなんでも知っていると思っていたので,もう少しで笑い出すところでした。しかし驚いたことに,その人が聖書から示したことをまちがいだと証明するのに,私はカトリックの友だちや司祭や尼僧のところへ行って助けを求めねばならないしまつでした。私は非常なショックを受け,エホバの証人とは二度と顔を合わせることさえしないつもりで,勉強をやめる手紙を書きました。
「私はカトリック教徒の友だちや家族とそのことについて討論しました。ついでですが,そのカトリック教徒たちは教会にも行かず,麻薬にふけるか,またはたいへん不道徳な生活をしていました。だれもが,『帰りなさい,そして信仰だけ守っていなさい』と言いました。ある人はこんなことまで言いました。『聖書がなんと言っていようとかまやしない。聖書がいったいなんだというんだ』。私はなさけなくなり,『もしあなたの宗教があなたにそのようなことを言わせるのでしたら,私はその宗教といっさいかかわりを持ちたくありません』と言いました。それから私はへりくだった気持ちで例の友だちのところへもどり,彼が聖書に教えられている真理をもっていることを認めました。
「それから私は集会に出はじめました。…そして宣教学校にさえはいって,論理的に話すことや,すべての事柄を聖書的に証明することを学びました。私はすばらしいクリスチャンの友情と行ないによって示される兄弟愛を見いだしました。
「私はあなたが心をお開きになって,ほんとうに聖書の教えに従って生活している,考え深い,愛のこもった,エホバの組織の信者の証言をお聞きになるよう願っています」。
このもと尼僧だった人は,1972年8月5日にニューヨーク市のクィーンズで開かれた「神の支配権」地域大会でバプテスマを受け,エホバのクリスチャン証人になりました。
● またある人たちは,非常に不道徳な生活をしていましたが,神の目的にかんする真理を学んだのち,生活をすっかり変えてしまいました。ある少女は,母親が病気で生活能力を失った時,カトリックの学校とホームに入れられました。それから18歳になってそこを出,ゴーゴー・ダンサーになりました。
ある日酒場にすわっていた時,彼女はある男といっしょに寝ると20㌦もらえるという話を聞かされました。彼女はそれまでそんなことをした経験はありませんでしたが,承諾しました。その時から売春が彼女の生活の手段となりました。
のちほど彼女は,ずっと年上の男と同棲し,その結果ふたりの子どもが生まれました。そして1972年の2月,あるエホバの証人が訪れ,聖書の勉強をすることになりました。しばらくして彼女は,自分の生活を神の道徳規準に合わせるためのすばらしい変化を見せるようになりました。そして6月に,同棲していた男の人と正式に結婚し,8月には,でバプテスマを受けました。
● 以前麻薬を常用していた人たちも,かなりたくさんエホバの証人になっています。そのなかにはロックンロールの楽士として有名だった人もいます。「ビレジャー」と呼ばれるグループは全国向けのテレビにも出ました。そのグループが解散したのち,そのメンバーの中の数人が聖書の勉強をはじめ,生活の仕方を変えて,エホバの証人になりました。そのうちのいく人かは,昨年の夏,サウスカロライナ州,コロンビアで行なわれた「神の支配権」地域大会でバプテスマを受けました。
● 何か月か前,カリフォルニア州,ソノラの,「ヨウル」というロックンロール・バンドの3人のメンバーが,ある王国会館にはいってきました。長髪にひげをはやし,だぶだぶの服を着,麻薬の影響を受けていました。そのうちのひとりは,その経験を次のように書いています。
「私たちは初めて王国会館に行ったとき,ここでは愛ということばは,ただ使うだけのことばではないのだ,ということを確信しました。そこには真の友愛精神があり,神のことばが導きとされていました。私たちは聖書を勉強することに同意し,まもなく野外で人に神のことばを伝えることに深い関心を持つようになりました。しかし,自分たちの服装は,奉仕者の服装として適当でないことにすぐに気づきました。それで2週間以内に髪を刈り,ひげをそり,持っていた衣服を全部適当なものに替えてしまいました。私が新しい道を歩みはじめたために,私といっしょに麻薬で“旅”をしていた母が私から離れていきました。しかし,私には母の代わりに,新しく見いだした喜びを分かち合えるたくさんの新しい“親類”がいます。
「カリフォルニア州,プレザントンの『神の支配権』地域大会で妻とともにバプテスマを受けられたことをうれしく思っています。もとのバンド・メンバーのひとりはオークランドでバプテスマを受け,もう二人はこれから開かれる,カリフォルニア州,ソノラの大会でバプテスマを受けるはずです。そしてそのほかに12人が勉強をしているか,または王国会館の集会に出席しています」。
● 南カリフォルニアに住む二人の若者は,宗教について討論をはじめました。ふたりはエホバの証人に電話をかけて援助を求め,エホバの証人はさっそくそれに応じました。そのあと,正義の新しい事物の体制をつくる神の目的についての討論がつづきました。若者たちは聞いたことに胸をおどらせました。(ペテロ後 3:13)やがて彼らはエホバの証人の会衆の集会に出席しはじめました。そのうちのひとりは,当時の自分のかっこうについてこう言いました。「頭髪を肩までたらし,ひげをはやし,オバーオールを着ていました。もちろん麻薬も使っていました」。
それは1972年の初めのことでした。その後まもなく,服装にも行ないにも変化が起こりはじめました。4か月後にはその若者は妻とともに,カリフォルニア州,イングルウッドの「神の支配権」地域大会に出席しただけでなく,4人もの若者をその大会に連れてきました。若者とその妻はその大会でバプテスマを受けました。
● エホバの証人になる人は多くの場合,この事物の体制に満足していない人たちです。オハイオ州のデイトンに住むある若者は,今日の社会悪にこれ以上がまんできないと思いました。ついに彼は,もし自分の要求がいれられなければ,三つの大都市を破壊する,という手紙をアメリカ大統領に送りました。しかし,その要求がいれられる代わりに,F・B・Iから人が来て,根掘り葉掘り質問しました。
その若者は,自分がこの体制を変えるのは不可能だということに気づきはじめました。それから彼はエホバの証人と聖書の勉強をはじめました。彼は,昨年の夏,オハイオ州のトレドで開かれた「神の支配権」地域大会でバプテスマを受けました。
エホバの証人になっている人たちはほんとうにあらゆる種類の人びと,老若貧富を問わずあらゆる階層の人びとです。その多くが,神の義の標準に従って物事を考えまた生活していくように,すばらしい変化を遂げたのです。―コリント前 6:9-11。ペテロ前 4:1-3。