ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 自分の命をどのように使っていますか
    ものみの塔 1973 | 11月15日
    • の場合には,たとえ苦難にあるとしても,世の希望のない悲しみの場合とは異なります。(テサロニケ前 4:13と比較)神に仕えるエホバの証人たちは,「心の楽しい人は常に宴会をもつ」ということばの真実さを見いだしています。(箴 15:15,口)そして,年に約三回,エホバの証人の大会において,すべての人は特に楽しい時,「宴会」の時を過ごし,聖書の知識を取り入れ,良い交わりと旅行とを楽しみます。

      28 『貧しき者をあはれむ者はエホバに貸すなり その施しはエホバ償ひたまはん』という箴言 19章17節のことばの意味を説明しなさい。

      28 あなたはクリスチャン会衆内に,霊的な「兄弟姉妹」である多くの仲間を持つようになります。使徒パウロが述べたとおり,その中に,『肉的に賢い者は多くなく,強力な者も高貴な生まれの者も多くはありません』。(コリント前 1:26-29)しかし,富んでいても貧しくても,彼らはイエスと同じように心の態度の低い人々です。さらに,あなたは,地上の苦難が増大してゆくのを見て悲しんでいる人々がほかにも世の中にいることに気づかれるでしょう。これらも低い立場の人々です。あなたがそうした人々に善をするとき,エホバはあなたの親切な行為を見ておられます。賢明な筆者ソロモンは語ります,『貧しき者をあはれむ者はエホバに貸すなり その施しはエホバ償ひたまはん』。(箴 19:17)低い立場にある人はどんなかたちでも返礼ができないとしても,エホバはなされた善行を自分が返報すべきものとみなし,惜しみなく報いてくださるのです。

      29 人は,自分の命の使い方に関してどんな点を熟思すべきですか。

      29 それで,あなたは自分の命をどのように使っていますか。あるいは,あなたは自分の生涯がどのような結果になることを望んでいますか。自分が今ある程度の命を得ていることに感謝していますか。永遠の命のための神の備えと要求について学ぶため,そのための当然の努力を喜んで払いますか。もしそうなら,正しい道を喜んで歩みつづけ,聖書を学ぶことによって自分の霊性を保ち,神の王国の良いたよりを宣明して神に仕えている人々と定期的に交わり,その活動に加わりますか。自分の命をすすんでエホバ神に献げ,魂を傾けた献身の生活をしてゆきますか。もしそうなら,エホバ神とみ子はあなたを愛し,また,神に仕えるすべての者もあなたを愛し,永遠の命に至る細い道に進み,その道にとどまる面であなたを助けます。

  • あなたは,相続財産をいっしんに見つめていますか
    ものみの塔 1973 | 11月15日
    • あなたは,相続財産をいっしんに見つめていますか

      「それから王は自分の右にいる者たちにこう言います。『さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい』」― マタイ 25:34,新。

      1-3 (イ)わたしたちが待望することのできる相続財産は,なぜ金銭や物質資産より大切なものですか。(ロ)聖書は神に仕える人の前途にどんな相続財産のあることを示していますか。

      あなたは,自分が,期待をいだいて待つべき相続財産を持てることをご存じですか。それは単なる金銭の相続財産ではありません。この種の相続財産は問題を伴いがちです。ここで述べているのは,しばしば親族どうしを仲たがいさせるような相続財産ではないのです。それは,相続人となる人々すべてが,それを十分に得る点で互いに助け合うような相続財産です。

      2 イエス・キリストの使徒たちは,この,神の子の霊的な兄弟たちの前途にある相続財産,つまり,天にあってキリストとともに受ける相続財産について繰り返し語りました。それらの者たちはキリストの王国統治に加わるのです。そのような前途を持つ彼らの相続財産の中には,不朽と不滅という賜物が含まれています。―コリント前 6:9,10; 15:50。エペソ 1:14。ペテロ前 1:4。

      3 ついで,他の人たちの前途に置かれた別の相続財産があります。イエスは,ある例え話の中で,ご自分の霊的な兄弟である天的な相続人たちに愛のこもった親切を示す人々のことについて語りました。イエスはそれら親切な心を持つ人々に対してこう言われました。「世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい」。イエスは,その人々にとってそれが永遠の命を意味することを語られました。この相続財産は天的な相続人が受けるものとは異なり,キリストの王国がその千年統治のあいだ支配する地的な領域に住む人々の受ける相続財産です。―マタイ 25:34,46,新。黙示 20:4,6。

      4,5 聖書の中で「受け継ぐ」と訳されているギリシャ語にはどんな意味がありますか。

      4 「受け継ぐ」という意味で聖書が使っているギリシャ語は「クレ-ロノメオー」です。前述の用例において,このことばは,息子が自分の父親から相続財産を受ける場合のように,単なる姻戚上の権利によって受けるものをさしているのではありません。むしろそれは,報いとして与えられたもの,イエス・キリストを通してなされたエホバの備えに対する信仰によって行なった事がらのゆえに授けられる賜物をさしています。

      5 イエス・キリストの犠牲に基づいてエホバ神に近づき,献身した生活を送っている人すべてはこのような相続財産を受ける立場にあります。待望に価するすばらしい前途ではありませんか。それは,親から譲り受けるどんな地的な相続財産も比較することのできないものです。

      幾世紀も前から見つめた人々

      6-8 (イ)昔の忠実な人々が相続財産をどのようにみなしたかを述べなさい。(ロ)これらの人々はその相続財産をいつどこで受けることを期待していましたか。

      6 この相続財産,永遠の命の報いを受けるために,人は何を経験するでしょうか。使徒パウロは,昔の忠実な人々が幾世紀も前からその相続財産を望み見たことを述べています。アブラハムについて彼はこう書きます。「信仰によって,アブラハムは……自分がどこへ行くのかを知らないで出て行(きました)。……彼は真の土台を持つ都市[王国]を待ち望んでいたのです。その都市の建設者また作り主は神です」。「信仰によって……[彼は]イサクをささげたも同然でした」。―ヘブル 11:8-10,17,新。

      7 神からの相続財産をほかのどんなものよりも大切にしたもうひとりの人について,パウロはこう語ります。「信仰によって,モーセは,成人した時,ファラオの娘の子と呼ばれることを拒み,罪の一時的な楽しみを持つよりは,むしろ神の民とともに虐待されることを選びました。……彼は報いをいっしんに見つめたのです」― ヘブル 11:23-26,新。

      8 これらおよび他の数多くの同様の人々は,この事物の体制における地的な相続財産ではなく,神の新秩序における相続財産に対して熱心でした。パウロはこう語ります。「彼らは約束の成就にあずかりませんでしたが,それをはるかに見て迎え入れ(ました)。……ゆえに神は,彼らを,そして彼らの神として呼び求められることを恥とされません。彼らのために都市[王国]を用意されたからです」― ヘブル 11:13-16,新。

      9 エホバの証人はこれら古代の忠実な人々に比べて報いの実現にずっと近づいていますが,これは,それを受けるという点でいっそう確実であるという意味ですか。

      9 エホバの証人である人はみな,報いであるすばらしい相続財産が前途にあることを知っており,すべての者がそれを実際に受けることを願っています。しかもわたしたちはそれほど遠くに思いをはせる必要はありません。わたしたちは今その門口にいるのです。しかし,その相続財産を見下げたり軽んじたりして,それを得そこなうような危険はないでしょうか。あります。その相続財産に対する愛を正しい位置に保つために不断の注意が求められるのです。それは単にわたしたちの思いの中だけでなく,心の中にも置かれねばならないからです。わたしたちひとりひとりが自分を調べてみるために,相続財産の重大性を強調する聖書の記述をここに再び取り上げてみるのがよいでしょう。それはふたごの兄弟ヤコブとエサウに関する記録です。

      10 イサクは大きな価値のあるどんな相続財産を有していましたか。

      10 わたしたちはこれらふたりの子どもが成長過程にあったころの記述から始めます。ふたりともその父イサク,および母親リベカの手で育てられ,地上のすべての家族を祝福する約束の「すえ」について知っていました。(創世 3:15)またふたりは,自分たちの祖父アブラハムに対して「すえ」がその家系から,つまりイサクを通して来ると言われていたこと,そして,神の祝福が自分たちの父イサクの上にあったことを知っていました。(創世 21:12; 22:15-18; 25:11; 26:24)これは重大な意味を持つ相続財産でした。イサクはまた物質的に富裕な人でもありました。この富をも子どもたちは相続することになっていました。初子には二倍の分が与えられます。しかし,どちらの子どもがその相続財産,特に,この家系から来る「すえ」に関する約束を受け継ぐ資格を持つでしょうか。人間的な観点からするかぎり,初子エサウが有利な立場にありました。―創世 25:25,26。

      11,12 成長過程におけるふたりの子どもエサウとヤコブの物事に対する態度について述べなさい。

      11 聖書はこう記しています。『ここにわらべ人となりしが エサウは巧みなる猟人にして野の人となり ヤコブは〔とがめのない〕人にして天幕に居るものとなれり」― 創世 25:27,〔新〕。

      12 このことばは子どもたちの態度にどのように光を当てているでしょうか。それぞれの心の中にあったものを明らかにしています。エサウは狩猟において腕のたつ人でした。彼は野で過ごし,かりうどとしての技を身に着けました。他方,ヤコブは自分の家族のことに関心を払っていました。ここで「とがめのない」と訳されているヘブル語には,「健全な」,「潔白な」,「完全な」という意味があります。ヤコブは,おそらくエサウが行なったように自分の力や能力を誇示しませんでしたが,決して弱虫であったのではありません。エホバはのちに,「力づよい活力」を持っていた者として彼のことを述べておられます。(ホセア 12:3,新)真実のところ,ヤコブはアブラハムに対する誓約つきの約束を他の何よりも大切なものとみなし,自分の父からその約束について学ぶことに自分にあったすべてのものをささげたのです。彼は,神が相続人に指定したこの家族の事がらを取り扱うことに専念しました。そして,神が祝福しておられた人たちのそばにいることを望みました。とはいえ,エサウを自分の長上とみなしていました。エサウは初子であったからです。

      13 のちにこれらの子どもは相続財産に対するそれぞれの態度をどのようにはっきり示しましたか。

      13 のちに,ふたりの子どもはそれぞれの態度をいよいよはっきりと示すようになりました。こう記されています。

      『ここにヤコブあつものを煮たり ときにエサウ野より来たりてつかれおり エサウ,ヤコブにむかひ……請ふ その紅きものそこにある紅きものをわれにのませよと言ふ……ヤコブ言ひけるは 今日なんぢの家督の権をわれにうれ エサウ言ふ われは死なんとしてをる この家督の権われに何の益をなさんや ヤコブまた言ひけるは 今日われに誓へと 彼すなはち誓ひてその家督の権をヤコブにうりぬ ここにおいてヤコブ,パンとあぢ豆のあつものとをエサウに与へければ食ひかつ飲みて立ちて去れり』― 創世 25:29-34。

      認識の問題

      14,15 家督の権を買い取ったヤコブは利己的な態度でエサウの弱みにつけ込んだのですか。この事によってエホバの判断の正しさが証明されたことを述べなさい。

      14 ヤコブは利己的に行動し,エサウの弱みに悪意のつけ込みをしたのですか。一見そのように思えるかもしれません。しかし,考えてください。エサウは,自分の家督の権が表わすすばらしい物事の価値をほんとうに認識していましたか。彼は,今にも死にそうだと言いましたが,実際にそうだったのではありません。そのことは,食べたあと立ち上がって出かけて行ったことに示されています。聖書は,彼が『疲れていた』と述べています。エサウはどんな動機でこうした行動をしたのでしょうか。「かくエサウ家督の権をかろんじたり」と記録は述べています。使徒パウロは,エサウのことを,「神聖な物事の価値を認識しない者」,「一度の食事と引き換えに初子としての自分の権利を渡し」た者と呼んで,このことばを裏書きしています。―創世 25:34。ヘブル 12:16,新。

      15 このすべては,ふたりの子どもの性格を予見して,その誕生の前,「あにはおとうとにつかへん」とその母リベカに言われた神の判断の正しさを示すものとなりました。―創世 25:23。ロマ 9:12。

      16 ヤコブが父親から初子としての祝福を受ける権利を持っていたのはなぜですか。しかし,彼が自分からすすんでそれを求めようとしなかったのは明らかにどんな理由によりますか。

      16 ヤコブは今,二つの事によって初子の権利を所有していました。神の約束,および,権利を買い取ったことによってです。しかし,彼はまだ初子に対するイサクの祝福を得ていませんでした。それでもヤコブは明らかに私心なく行動し,この点でエサウの先に出るような動きは何もしませんでした。疑いなく,彼はエホバを待ち望んでいたのです。イサクはすでに盲目になっており,起きている事がらに十分に気づいていませんでした。明らかにエホバに動かされたリベカは,子どもの誕生以前に語られた神のことばを思い出しつつ,ヤコブを諭して彼が祝福を受けられるようにしました。

      17,18 リベカとヤコブの行為が不正ではなかったこと,そして,ヤコブが祝福を得るという点でエホバのみ手が働いていたことを示しなさい。

      17 聖書を読む人の中には,その後に起きた事がらに関してリベカとヤコブを責め,その行為を詐欺また不正であるとする人がいます。しかしそうでしょうか。この時点で正当な初子としての地位を占めていたのは実際にはだれでしょうか。相続財産に対する配慮を示していたのはだれでしたか。なぜエサウは,ヤコブが家督の権を買い取ったことをイサクに知らせないでおき,祝福を自分のものにしようとしたのでしょうか。なるほどイサクは,エサウを祝福しているものと思ってヤコブを祝福しました。しかしのちに,彼はヤコブとリベカの行動を正しいものと認めたのです。ここにエホバのみ手の働きを見たイサクは,再びヤコブを,今度はそれと認めて祝福し,「すえ」に関する預言を加えました。ついで彼はヤコブに指示を与えて,怒りたつ兄エサウから逃れさせました。加えて,神ご自身もヤコブを祝福し,「すえ」が彼の系統から来ることを約束されました。―創世記 27章; 28:1-4。

      18 さらに,ヤコブの行動が私的な利得を目ざすものでなかったことを示すものとして,彼がその後に家を去り,家財を引き取らなかった点が挙げられます。彼が二倍の分を要求したというような形跡はどこにもありません。彼にとってはるかに価値のあるものはきたるべき相続財産でした。彼は神の契約が自分の家族から離れないことを願いました。彼の場合,エホバとそのお約束に対する認識が他のすべてのことに優先したのです。

      19 (イ)再びエサウに会おうとしていた時ヤコブはどのように感じましたか。(ロ)ヤコブがエサウに会う前にどんな異常なできごとがありましたか。

      19 エサウの示した認識の欠如と対照をなすものですが,神からの相続財産に対するヤコブの深い顧慮を示すできごとがもう一つありました。20年後にヤコブが自分の父のもとに戻って来た時のことです。ヤコブには,エサウが自分を害するのではないかと考える理由がありました。そのために,ヤコブは多少の不安を感じ,用心して行動しました。彼は,移住のために進んで行く自分の家族に先だって,エサウへの贈り物を持って行かせました。エサウがそれを受け入れるなら,ふたりの間に平和があるというしるしです。ところが,ふたりの会見の前に,きわめて異常な事が起きました。聖書はこう伝えています。

      『その夜おきいでてふたりの妻とふたりのつかへめおよび十一人の子を導きてヤボクの渡りをわたれり すなわち彼らをみちびきて川をわたらしめまたそのもてる物を渡せり しかしてヤコブひとりのこりしが人ありて夜の明くるまでこれと角力す その人己のヤコブに勝たざるを見てヤコブの髀のつがひに触れしかばヤコブの髀のつがひその人と角力する時はずれたり その人夜明けんとすればわれをさらしめよと言ひければ ヤコブ言ふ なんぢわれを祝せずばさらしめずと ここにおいてその人かれに言ふ なんぢの名は何なるや 彼言ふ ヤコブなり その人言ひけるは なんじの名は重ねてヤコブととなふべからずイスラエルととなふべし そはなんぢ神と人とに力をあらそひて勝ちたればなりと ヤコブ問ふて請ふなんぢの名を告げよと言ひければ その人何ゆえにわが名をとふやと言ひてすなわちそこにてこれを祝せり ここをもてヤコブそのところの名をペニエルとなずけて言ふ われかほとかほとあはせて神とあひ見てわが命なほ生くるなりと かくて彼日のいづる時にペニエルを過ぎたりしが その髀のために歩みはかどらざりき』― 創世 32:22-31。

      20 ヤコブが夜通しみ使いと組み合ったのはなぜですか。

      20 ここに,相続財産に対するヤコブとエサウの態度の大きな相違が表わされています。エサウは家督の権のためにわずかの飢えをさえ忍ぼうとはしなかったのに対し,ヤコブは人間の体で現われた神の使いと夜通し格闘しました。ヤコブがこれを行なったのは,み使いを通してエホバの祝福のことばを得るためでした。明らかにヤコブは,そのみ使いがなんらかの目的をいだいてそこに現われたことを知っていました。また,過去に出現したみ使いたちが,アブラハム契約を確証する祝福や命令をもたらしたことにも気づいていました。(創世 28:10-15; 31:11-13)それで,父や祖父から離れなかった神が自分からも離れないでずっとともにいてくださるようにと強く願ったヤコブは,精根を尽くし,力をふるってそのみ使いと取り組み,み使いから離れまいとしました。こうしてヤコブは,神の恵みに対する心からの強い願いを表わし示したのです。―創世 28:20-22と比較。

      21 み使いがヤコブのもものつがいをはずしたことにはどんな理由がありましたか。

      21 もとより,ヤコブはほんとうに神の使いに勝ち,彼を打ち負かしたのではありません。このできごとは,神に喜ばれる者になりたいというヤコブの衷心からの願いを試すものとなりました。実際のところ,超人間的な力を持つみ使いは,ただ一度触れるだけでヤコブのもものつがいをはずれさせ,ヤコブはそれ以後足を引きずって歩いたのです。これはヤコブを謙遜にならせるもの,また保護となりました。それは,神がヤコブを祝福して用いたのは,なんらヤコブの力や功績によるのではなく,ただ神の過分のご親切によるのであるということを,ヤコブに銘記させるものとなりました。コリント後書 12章6-10節にあるパウロの経験と比べてください。

      22 神からの相続財産に対するその深い敬意のゆえにヤコブは往時どんな祝福を受け,またこれから受けますか。

      22 ヤコブとエサウに起きたことの結果は,忠実でありたい,報いに対する希望をしっかりと守りたいという強力な動機づけとなります。ヤコブは大きな国民の先祖となる祝福を得ました。しかし,さらに大切な点として,それは,人類に救いを施すためにエホバがお用いになる国民でした。「すえ」すなわちメシアはヤコブの家系から出ました。その強い信仰のゆえに,ヤコブは神の目にあってなお『生きて』おり,彼が復活して相続財産を受け,神の王国の地的な領域に分を持つことは確実です。そして彼は,イエス・キリストがご自分の民の監督者また牧者として立てる「君たち」のひとりとなることもまちがいありません。―ルカ 20:37,38。詩 45:16。

      相続財産についてあなたはどのように感じていますか

      23,24 わたしたちはどんなことを自問できますか。わたしたちは相続財産を自分にとって確実なものとすることができますか。

      23 ヤコブとエサウの生涯を見て,わたしたちひとりひとりは幾つかの点を自問できます。『わたしは自分の命をどのように使っているだろうか。神の新秩序における命という約束された相続財産の価値を自分はどれほど認識しているだろうか。その相続財産のために自分はすすんで不自由を忍ぶだろうか。自分の力を尽くしてそれをしっかり守ろうとしているだろうか』。

      24 ヤコブが行なったと同じように,わたしたちもこの相続財産を確実なものにすることができます。彼の思いと心は若い時に受けた約束に終始向けられていました。明らかに彼は,父イサク,祖父アブラハムに対して神が行なわれた事がらについてできるかぎり学ぶために自分の時間を費やしました。彼は神への祈りの人でもありました。彼は勤勉に働き,数々の試練に耐え,しかも,柔和の霊と強固な信仰とを終始保ちました。

      25 自分の霊的な必要を認識しているかどうかを確かめるためにどんな点を自問できますか。

      25 エホバはそのご親切によって,わたしたちの霊的な必要を満たしてくださいました。あなたはヤコブのように,それに対する認識を示していますか。あなたは聖書そのものを定期的に読みますか。あなたは「ものみの塔」誌を,単に研究記事だけでなく,そこにある他の記事をも読みますか。そこには,ほかでは得ることのできない優れた情報がたくさんあるのです。

      26,27 相続財産を求めてしんぼう強くエホバを待ち望むという点でヤコブはどのように手本となっていますか。

      26 あなたはヤコブのようにしんぼう強く,利己心のない人ですか。心をこめて喜んで奉仕し,エホバが祝福を与えてくださるのを待ちますか。ヤコブは,77歳の時に,相続財産を何をも携えないで家を離れるようにと父から勧められましたが,そのゆえに怒りをいだいたりすることはありませんでした。その態度という点で,彼は,イエスの例え話の中の放とう息子と好対象をなしています。その放とう息子は家を離れることを願い,かつ自分の相続財産を要求し,それを自分の欲望のままに費やしました。ヤコブが自分の家への帰途についたのは97歳の時でしたが,それは地的な相続財産をもらい受けようとするためではなく,神の命令に従ってのことでした。―創世 31:3。

      27 イエス・キリストは言われました,「わたしのため,また良いたよりのために,家,兄弟,姉妹,母,父,子ども,あるいは畑をあとにして,今この時期に百倍を,すなわち家と兄弟と姉妹と母と子どもと畑を迫害とともに得,きたらんとする事物の体制で永遠の命を得ない者はいません」。(マルコ 10:29,30,新)ヤコブもこのように感じました。

      28,29 わたしたちは終始変わらぬ態度で相続財産をいっしんに見つめるべきですが,ヤコブの手本はそれをどのように示していますか。

      28 したがって,時の限りを定めて奉仕するというような問題ではなく,また,自分の物質上の慰安や便宜を求め,あるいは単に幾つかの試みに耐えることではありません。それは生きているかぎりの問題であり,相続財産を絶えず自分の目の前に置いているかどうかの問題です。

      29 それはまた,ちょうどヤコブが夜通しみ使いと格闘したように,相続財産をしっかりと堅く守り,自分の手になしうることを,力を尽くして精力的に行なうかどうかの問題です。(伝道 9:10)ヤコブはすべてのことを力を尽くしてりっぱに行ないました。また彼は他の人の利益を自分の利益に優先させました。ヤコブが親族であり雇用者であるラバンのためにどれほどほねおって働いたかを見てください。彼はこう語りました。

      『われこの二十年なんぢとともにありしがなんぢの牝羊と牝やぎその胎をうみそこねしことなし またなんぢの群れの牡羊はわれ食らはざりき またかみ裂かれたるものはわれこれをなんじのもとに持ちきたらずして自らこれを補へり また昼ぬすまるるも夜ぬすまるるもなんぢわが手よりこれをもとめたり,われはかくありつ昼は暑さに夜は寒さに犯されて目もねむるいとまもなく』― 創世 31:38-40。

      30 ヤコブがラバンのために20年の間ほねおって働いたのはなぜですか。

      30 さて,ヤコブはただラバンを助けるために世俗の仕事をしていたのではありません。またそれは物質上の富を築き上げるためでもありませんでした。ヤコブはやがて自分の家族を連れて家に戻ることを目ざして自分の群れを育てていました。これはなぜでしたか。アブラハムとイサクはともに,その土地にあって外来者でしたが,ヤコブは,神がやがてその土地をアブラハムの子孫にお与えになることを知っていたからです。ヤコブはこの約束を信じていました。彼の魂全体はこの約束のうちに包まれていました。彼は自由な家族を,全く神に仕えることのできる家族を持ちたいと思いました。そして神は彼を祝福し,彼の家族,彼の12人の息子が,イスラエルという大きな国民の基となるようにされました。

      31 今日のクリスチャンはヤコブの場合と似たどんな仕事を持っていますか。

      31 クリスチャンは今日,専心的な注意を払うべき仕事を持っています。その仕事は,王国の関心事を取り扱うことです。良いたよりは宣明されなければなりません。忠実さが求められています。牧羊の業が必要であり,それは,ヤコブが自分の群れとラバンの群れに対してささげたと同じ熱意と精力をもってなされねばなりません。ヤコブの場合と同じように,前途にある相続財産はいっしんに見つめるべきものです。ヘブル書 11章26節で『いっしんに見つめる』と訳されているギリシャ語は,他のすべての物から目をそらして一つの物をじっと見る,という意味です。

      32 相続財産もしくは報いをいっしんに見つめるとは実際にはどういう意味ですか。

      32 相続財産に対するそうしたひたむきな態度をいだくならば,何物もわたしたちをつまずかせるものはありません。わたしたちをわき道にそれさせるものはありません。それが,霊によって子とせられたイエス・キリストの兄弟たちの場合のように天のものであるにせよ,あるいは王国の地的な領域におけるものであるにせよ,わたしたちは壮大な相続財産に対する確信を持つことができます。ここで後に挙げた希望は,今日地上にいるエホバの証人の大多数がいだいているものですが,どちらのグループの人々も,「上への」(天への)召しという希望をいだいていた使徒パウロと同じ態度を持っています。彼は書きました,「兄弟たち,わたしはまだ,自分がそれをとらえたとは考えていません。それについては一つのことがあるのみです。すなわち,後ろのものを忘れ,前のものに向かって身を伸ばし,キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かってひたすら走っているのです」。神の民すべてはこれと同じひたむきな態度を保ちましょう。―ピリピ 3:13,14,新。

      [688ページの図版]

      ヤコブはアブラハムに対する誓約つきの約束を大切にしたが,エサウは自分の相続財産を一度の食事のために売った。あなたはヤコブと同じように,神聖な物事の価値を認識していますか。神の新秩序における命という相続財産をいっしんに見つめ,自分の命の用い方によってそのことを示していますか

  • あらゆる人種の人びとの集められるところ
    ものみの塔 1973 | 11月15日
    • あらゆる人種の人びとの集められるところ

      神の王国が,その統治組織にも,またその臣民の中にもあらゆる人種の人びとを含むことは,聖書の中で非常に明確に示されている。黙示録 5章9,10節(新)には,キリストがご自分の血をもって,「あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人びとを」買い取り,キリストの指導のもとで「彼らは……王として支配する」と書かれている。彼らはだれを支配するのか。黙示録 7章9節(新)は,彼らは「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆」を支配すると答えている。しかも,そのすべては真の神の崇拝者たちである。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする