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    世の苦難からの人間の救いは近い!
    • 16章

      「新しい天と新しい地」を待ち望む

      1,2 (イ)七十代あるいは八十代の人たちは1914年以来の世のどんな変化を見てきましたか。(ロ)彼らが観察してきた事柄は,ルカ 21章25,26節に記されているように「事物の体制の終結」に関してイエスが予告された事とどのように合致していますか。

      新しい,そしてより良い世が近づいています。が,この世代は終わりに近づいています。この事には疑問の余地がありません。この「世」という言葉で,わたしたちはある形態の政府のもとで生活する人間の社会を指しています。(マタイ 24:34。マルコ 13:30。ルカ 21:32)「この世代」の七十代あるいは八十代のわたしたち年を取った者たちは,新時代を画したあの西暦1914年以来着実に退廃の一途をたどって悪化してきた現在の「世」の変化を見て来ました。今日,地上で生きているすべての人びとの中でもわたしたちは,「事物の体制の終結」に関する西暦1世紀のキリストの予言の真実さを証しすることができます。1914年におけるその終結の始まり以来,わたしたちはキリストが予告された事を観察してきました。

      2 「地上では,海のとどろきとその動揺のゆえに逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあるでしょう。同時に人びとは,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失います。天の諸勢力が揺り動かされるからです」。(ルカ 21:25,26)現在の世は自らを改善して救えるだろうと期待するのは,むなしい絶望的な考えです。義を行なおうとする人たちはより良い世界,より良い人間社会を待望しています。そして,幸いにもそれは近づいているのです!

      3 イエス・キリストの忠実な追随者たちは周囲の世の退廃する事態にもめげず,どのようにして首尾よく正しい道を固守してきましたか。

      3 偉大な預言者イエス・キリストの足跡に従う忠実な追随者たちは,使徒ペテロが書き記し,行なうよう命じた通りにしてきました。暗い所で輝くともしびに対してするように,十分確証された「預言のことば」に注意を払って,自分たちの心を照らしてきました。使徒ペテロが仲間の信者のクリスチャンに宛てた第二の手紙の中で書いている通りです。「したがって,わたしたちにとって預言のことばはいっそう確かなものになりました。そしてあなたがたが,夜があけて明けの明星が上るまで,暗い所に輝くともしびのように,心の中でそれに注意を向けているのはよいことです。なぜなら,あなたがたはまずこのことを知っているからです。つまり,聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていないということです。預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです」。(ペテロ第二 1:19-21,新; ノックス)霊感によるそうした預言にしっかりと注意を向けてきたために,彼らは今日まで正しい道を守り通してきました。そして今や,新たに夜が明けて,明けの明星が上り,彼らは聖書預言の現代における成就を見て祝福されています。

      4,5 (イ)霊感によるそれら預言に関してわたしたち各人は何を行なう必要がありますか。(ロ)使徒ペテロはそうすべきどんな理由を述べていますか。

      4 わたしたちは聖書預言の絶対的確実性を示す,信仰を強める非常に多くの証拠を見,体験してきたとは言え,まだ成就していない,あるいは成就の途上にある霊感によるそうした預言に対する信仰や確信を守る必要がなおあります。わたしたちは西暦1914年における「[異邦]諸国民の定められた時」の終わり以来,事物のこの古い秩序の「終わりの日」に生きてはいても,そのことには変わりありません。使徒はこの「終わりの日」を見通し,今日の危険な時代に起きるクリスチャンの信仰に対する攻撃に関して仲間の信者に警告するため第二の手紙を書く方がよいと考えました。偽教師が現われてエホバの民の中に「破壊的な[宗教上の]分派」を持ち込むことを警告した後,ペテロはその第二の手紙を書く目的を説明してこう述べています。

      5 「愛する者たちよ,わたしはこれで二度めの手紙をあなたがたに書いています。この中でわたしは,最初の手紙と同じように,思い出させる意味であなたがたの明せきな思考力を呼び起こしているのです。それはあなたがたが,聖なる預言者たちによってあらかじめ語られたことばと,あなたがたの使徒たちを通して与えられた主また救い主のおきてを思い出すためです。というのは,あなたがたはまずこのことを知っているからです。つまり,終わりの日にはあざける者たちがあざけりをいだいてやって来るからです。その者たちは自分の欲望のままに進み,『この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日からも,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか』と言うでしょう」― ペテロ第二 3:1-4; 2:1,2。

      6 (イ)この「終わりの日」に関して「聖なる預言者たちによってあらかじめ語られたことば」を考察する場合,何年ほどの期間にわたって述べられた預言を考慮することになりますか。(ロ)「あざける者たち」の存在は,預言が誤っていることを示していますか。

      6 この「終わりの日」に現われることが予告されていたあざける者たちの嘲笑に今日対抗するには,現代のあざける者,嘲笑者,あざ笑う者たちが出現するずっと以前のこととは言え,霊感を受けたエホバの預言者たちの述べた事柄を思い起こすのは極めて急を要する事です。大洪水前の預言者エノクからおよそ3,000年を経た流刑後のユダヤ人の預言者マラキに至るまでずっと,イエス・キリスト以前のエホバの預言者たちはこの「終わりの日」を印づける出来事や状態を予告しました。(創世 5:18-24。ヘブライ 11:5。ユダ 14,15。マラキ 4章)それで,物事のこの邪悪な体制の今の「終わりの日」に信仰を損なわせる嘲笑者が現われても実際のところ少しも意外ではありません。むしろ,その出現は預言を成就して預言の正確さを確証するにすぎません。

      7 (イ)ペテロが言及している「主また救い主」はだれですか。(ロ)イエスは使徒たちを通してどんな「おきて」をお与えになりましたか。それはどうして思いやりのあることでしたか。

      7 使徒ペテロによれば,人類史のこの末の時代に思い起こすべきもう一つの事柄は,「あなたがたの使徒たちを通して与えられた主また救い主のおきて」です。(ペテロ第二 3:2)ここで言及されている「主また救い主」とはイエス・キリストです。(ペテロ第二 3:18)彼はご自分の選んだ使徒たち,つまり「子羊の十二人の使徒」や,また使徒パウロを通して,引き続き見張って偽預言者や偽メシアつまり偽キリストに警戒するようにとの,ご自分の足跡に従う追随者すべてのためのおきてをお与えになりました。不忠実な者や邪悪な者に対する神の裁きを執行するために再びやって来る正確な日や時刻については何もご自分の弟子たちに知らせませんでしたから,いつも用意を整えて目ざめているようにとお命じになったのは大変思いやりのあることでした。(啓示 21:14。マタイ 24:36-44; 25:13)信仰を失った者の嘲笑に影響されるようなことがあってはならないのです。

      8 あざける者たちが「この約束された彼の臨在はどうなっているのか」と問う場合,どういう意味でそう言うのでしょうか。

      8 あざける者たちは,「この約束された彼の臨在はどうなっているのか」という挑戦的な疑問を提起することになっていました。そうです,その臨在に関するこの約束についてはどうなのか,その成就を示す証拠はどこにあるのだ,と言うことでしょう。

      9,10 (イ)彼らはだれの「臨在」のことを指しているのでしょうか。(ロ)使徒ペテロはキリストの「臨在」に対する熱烈な期待を仲間の信者の心の中に生き生きと保たせるため何をしましたか。

      9 だれの「臨在」のことを指しているのでしょうか。明らかにそれは使徒ペテロが第二の手紙の初めの方で述べている主なる救い主イエス・キリストの「臨在」です。使徒ペテロはその当時にイエス・キリストが地上で「臨在」することを期待してはいませんでしたが,それでも彼はあの約束された臨在に対する熱烈な期待を仲間の信者の心の中に生き生きと保たせることを怠らないようにしたいと思いました。それで,こう書きました。

      10 「それで,わたしは,自分の去ったのち,あなたがた自身でこれらのことを話し合えるよう,時あるごとに力をつくして励むつもりでもいます。そうです,わたしたちが,わたしたちの主イエス・キリストの力と臨在についてあなたがたに知らせたのは,巧みに考え出された作り話によったのではなく,彼の荘厳さの目撃者となったことによるのです。というのは,『これはわたしの子,わたしの愛する者,わたし自らこの者を是認した』ということばが荘厳な栄光によって彼にもたらされた時,彼は父なる神から誉れと栄光をお受けになったからです。そうです,わたしたちは彼とともに聖なる山にいた時,このことばが天からもたらされるのを聞きました。したがって,わたしたちにとって預言のことばはいっそう確かなものになりました」― ペテロ第二 1:15-19。マタイ 17:1-9。

      11 (イ)イエス・キリストの「臨在」に関する間違った期待は,どのようにかなりの懐疑的な態度を引き起こしてきましたか。(ロ)1870年代にチャールズ・テイズ・ラッセルはキリストの再来やその「臨在」に関して何を認識しましたか。

      11 もし現代の嘲笑者たちが肉身のイエス・キリストの見える様でなされる到来や臨在を考えているのであれば,大変な間違いを犯していることになります。そのような人びとは今日のキリスト教世界の至る所で広められている預言の間違った解釈によって欺かれました。西暦19世紀には,主イエス・キリストがある特定の年に肉身で見える様で来ると唱えた予言が幾つか行なわれました。それらの予言は発表された問題の年に成就しなかったため,イエス・キリストの再来や天の王としてのその「臨在」に関する聖書の教理は確かに多大の非難を受けました。また,こうした教理の妥当性や,いやしくもキリストのそうした到来や臨在の確実性に関してさえかなりの懐疑的な態度や疑念が引き起こされました。1870年代にはチャールズ・テイズ・ラッセルとその仲間の,宗派に拘でいしない,霊感による聖書の研究者たちは,キリストの再来は霊においてなされ,人間の目には見えないこと,またその到来は「臨在」つまりパルーシア(ギリシャ語)として知られる期間に始まることを認識しました。―マタイ 24:3,欄外,改英(1881年)。

      12,13 (イ)ラッセルの計算によれば,キリストの「臨在」はいつ始まりましたか。しかし,正確な年代は何年ですか。(ロ)キリストの臨在が西暦1914年に始まった証拠となる「しるし」をだれが見て来ましたか。

      12 ジェームズ王による欽定訳聖書から作成された不正確な年代表に基づいて,ラッセルはキリストの「臨在」が人間の目には見えず,ただ信仰の目によってのみ見える仕方で西暦1874年に始まったと算定しました。ラッセルがイエス・キリストの贖いの犠牲を擁護する新たな宗教雑誌を創刊した時,同誌に「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」という表題を付けたのはそのためでした。しかし,「[異邦]諸国民の定められた時」の終わり以来,地上の出来事は聖書預言を成就しており,王国の権能を持つキリストの約束された「臨在」つまりパルーシアは西暦1914年10月4日から5日ごろ初めて開始されたことを証明しています。その時以来初めて,王としてのキリストの見えない様による「臨在」を現に起きている事柄としてうんぬんするのは妥当なこととなりました。七十歳あるいは八十歳のわたしたち年取った者たちは,使徒たちが提出した次のような質問に答えてイエス・キリストが予言した事柄のほとんどすべてが実現するのを見て来ました。

      13 「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在[ギリシャ語:パルーシア]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」― マタイ 24:3,新; ロザハム; ヤング; ダイアグロット; ア標,欄外。

      14 キリスト教世界の諸教会に執着する人たちは何に妨げられて,目に見えない様でなされるイエス・キリストの「臨在」を認識できずにいますか。

      14 今日に至るまでキリスト教世界の教会諸派はギリシャ語パルーシアを「到来」と訳した普通の翻訳にしがみついています。ともかく期待しているとしても,肉身で見える様で到来することを期待しているので,諸教会は1914年における異邦人の時の終了以来王国の権能を持つイエス・キリストの見えない霊的「臨在」を認めようとはしません。これが契機となって嘲笑者たちはキリストの約束された「臨在」という考えをあざけり,それを信じようとしない理由を挙げてこう言っています。「この約束された彼の臨在[パルーシア]はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日からも,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか」― ペテロ第二 3:4。

      15 (イ)嘲笑者たちはどんな根拠に基づいて,イエス・キリストはまだ戻っていないと論じますか。(ロ)彼らはどうして間違っていますか。

      15 そのような嘲笑者たちはアダムの肉親の時代以降と全く同様に男子がめとり,女子が嫁ぐのを見ています。彼らはカインの誕生以降と同様赤子が生まれるのを見ています。人間は父祖たちが死んだのと全く同様に依然死んでゆきます。キリストの千年統治開始後に地上で起きる予定の死の作用の停止は,起きていません。イエス・キリストによって贖われた地上の死者に約束されているような,パラダイスの地上での命への復活はまだ起きていません。死も罪も引き続き人類の上に君臨しています。それで,不信仰な嘲笑者たちにとって,はるか昔に死んだ父祖たちの時代以来,すべての事は人間創造の初め以降と全く同様に続いているのです。ゆえに,彼らの見方によれば,わたしたちはまだ「終わりの時」に入っていませんし,イエス・キリストはまだ戻ってはおらず,臨在など開始してはいません。このすべては,西暦1914年以来,目に見えない様でなされているその臨在を確証する同年以降の聖書預言のあらゆる成就にもかかわらずそうなのです。従って,嘲笑者たちは主イエス・キリストの約束された「臨在」をただ自分たちの頭の中で延ばしているにすぎません。―ダニエル 12:4,新。マタイ 24:3。

      16 嘲笑者たちは何を意図していますか。しかし,その意図はなぜ成し遂げられずに終わりますか。

      16 「終わりの日」の予告された嘲笑者にはキリスト教世界の著名な僧職者も含まれます。その嘲笑の意図は,聖書預言に疑問を投げかける,あるいは霊的なイスラエルの残りの者とその忠節な仲間の信者の「大群衆」双方のエホバのクリスチャン証人の信仰や確信をぐらつかせることです。しかし,天の王国の権能を持つキリストの臨在のそれら告知者たちは使徒ペテロの警告に留意しているので,信仰の点でろうばいさせられはしません。彼らは,来たるべき事柄の預言もしくは予想という形で述べられたにせよ神の言葉は成し遂げられずには終わらないことを信じています。神が命令として何かを述べるなら,それは必ず行なわれ,必ず起きることを知っています。詩篇 115篇3節の『されどわれらの神は天にいます。神はみこゝろのまゝにすべての事をおこなひ給へり』という言葉を信じています。また,嘲笑者たちはその議論の中で「創造」ということに言及しますが,エホバを信ずる忠実な人たちは,エホバが喜んで天と地を創造された時,その述べられた言葉は実現し,結果を生み出したことを知っています。

      語られた「神のことば」の力

      17,18 (イ)創造に関して「神のことば」が生み出した結果は,預言の成就に対する確信の根拠をどのように供するものとなりますか。(ロ)それで,神の預言的な言葉の成就をあざける者たちは何を考慮に入れ損なっていますか。

      17 創世記の1章に収められている創造に関する記述によれば,それは,「彼自ら語ると,その通りになり,彼ご自身が命令すると,それが立つことになった」と詩篇 33篇9節(新)に述べられている通りに成就しました。創造の行なわれた当時と同様,幾千年も後の今日でもその「神のことば」は強大な力を持っています。神の預言に関連して,その「神のことば」は創造の行なわれた当時と全く同様,結果を生み出す大変能動的な原因なのです。神の預言的な言葉の成就をあざける今日の嘲笑者たちは,主なる救い主イエス・キリストの「臨在」に関する預言の成就をもたらす,神の述べられた言葉の働きを回避できるものではありません。彼らの頭の中ではキリストの「臨在」を延ばし,遅らせることができても,その「臨在」の証拠を無視したからと言って事態は変わりません。あざけりをもって神の預言的な言葉の確実性に疑問を投げかけようとする彼らは,天と地の創造に関する神の言葉の機能的な力を無視しているのです。これこそ彼らがあざける理由です。

      18 「それは,彼らの望みのままに,このことが見過ごされているからです。つまり,神のことばにより,昔から天があり,地は水の中から,そして水の中に引き締まったかたちで立っていました。そして,それによってその時の世は,大洪水に覆われた時に滅びをこうむったのです」― ペテロ第二 3:5,6。

      19 (イ)ペテロは「その時の世」という表現で何を指しましたか。(ロ)その当時の世は「それ」によって滅びを被りましたが,「それ」とは何でしたか。

      19 「その時の世」つまり西暦前2370年までの世は,天と地の創造がそれによって成し遂げられたのと全く同様,「神のことば」によって滅ぼされました。述べられた「神のことば」は,そのような世界的大洪水を引き起こし得る状態を作り出しました。と言うのは,創造の記述はこう述べているからです。『神言ひたまひけるは水の中におほぞらありて水と水とを分かつべし 神おほぞらを作りておほぞらの下の水とおほぞらの上の水とをわかちたまへり すなはちかくなりぬ 神おほぞらを天と名づけたまへり 夕あり朝ありき これ二日なり』。そして,創造の第五日目に,『神いひたまひけるは水には生き物さはに生じ 鳥は天のおほぞらのおもてに地の上に飛ぶべしと』。(創世 1:6-8,20)これらの天とその上と下の水こそ神のことばによって作用するよう求められた手段であって,「それによって」神は「その時の世」に大洪水をもたらしたのです。

      20 その世界的な大洪水は確かに「神のことば」に答え応じて起きましたが,何がこのことを示していますか。

      20 その世界的な大洪水は神のことばが発せられると共に起こりました。神が時を定めたからです。『[生き残るための箱船を用意した後]エホバ,ノアに言ひたまひけるは汝と汝の家皆方舟に入るべし 我汝がこの世の人のうちにてわが前に義しきをみたればなり……今七日ありて我四十日四十夜地に雨ふらしめ 我造りたるあらゆるものを地のおもてより拭ひ去らん』。それは西暦前2370年に起きました。『ノアの齢の六百歳の二月 すなはちその月の十七日に当たり この日に大淵の源皆やぶれ 天の戸開けて 雨四十日四十夜地に注げり この日にノアとノアの子セム,ハム,ヤペテおよびノアの妻とその子らの三人の妻もろともに方舟にいりぬ……エホバすなはち彼を閉じこめたまへり』― 創世 7:1-4,11-16。

      21,22 (イ)その世界的な大洪水で滅びた「世」とは何ですか。(ロ)イエスは現代に当てはまる警告の根拠として当時の出来事をどのように用いられましたか。

      21 「大洪水に覆われた時に滅びをこうむった」「その時の世」が何であるかはペテロ第二 2章5節でわたしたちのために明らかにされています。こう記されています。「[神は]古代の世を罰することを差し控えず,不敬虔な人びとの世に大洪水をもたらした時に義の宣明者ノアをほかの七人とともに安全に守られた」。古代のその「不敬虔な人びとの世」は,洪水生存者のための巨大な箱船の建造期間中,神がノアとその家族を用いておられたという事に注意を払いませんでした。イエス・キリストは「神のことば」に対するその「不敬虔な人びとの世」の無関心な態度をこの「事物の体制の終結」の時代の実情を示す例えとして用いてこう言いました。

      22 「その日と時刻についてはだれも知りません。天の使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます。人の子の臨在[パルーシア]はちょうどノアの日のようだからです。洪水まえのそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人びとは食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在の時もそのようになるのです」― マタイ 24:36-39。

      23 (イ)ノアは「世を罪に定め」ましたが,それはどうして確かなことでしたか。(ロ)ペテロ第二 3章6節の「世」という表現には,「天」として表わされる見えない霊者たちが含まれますか。

      23 信仰を抱いて取ったその行動によって,ノアはあの「不敬虔な人びとの世」が有罪であることをあかししました。ノアは話された「神のことば」に注意を払ってそれに従いましたが,「不敬虔な人びとの世」はそうせずに,滅びの宣告を受けるにふさわしいことを示しました。「信仰によって,ノアはまだ見ていない事がらについて神の警告を与えられたのち,敬神の恐れを示し,自分の家の者たちを救うために箱船を造りました。そして,この信仰によって,彼は世を罪に定め,信仰による義の相続人となりました」。(ヘブライ 11:7)ノアの信仰の歩みによって有罪であることがあかしされたその「世」には,目に見えない霊の被造物である邪悪な悪霊は含まれませんでした。ペテロ第二 3章6節では,例の大洪水で滅びを被った「その時の世」は,目に見えない天の霊者で悪霊である,エホバ神に背いた使いたちと対照的に示されてはいません。その箇所ではそれらの霊者は比喩的に「天」と呼ばれてはいません。悪霊たちはその大洪水によって滅ぼされませんでした。死んだのは地上の不敬虔な人びとでした。

      「今ある天と地」の終わり

      24 二十世紀の今日,ノアの時代の「不敬虔な人びとの世」に起きた事柄に関する聖書の記述をあざけるのは愚かなことです。なぜですか。

      24 世界的な大洪水によって「その時の世」が被ったあの滅びに照らしてみると,この二十世紀の嘲笑者たちは,「神のことば」によって大洪水前の「不敬虔な人びとの世」に起きた事を『見過ごし』て,自ら破滅を招く振る舞いをしています。目に見えない様でキリストの「臨在」の起きているこの時代,つまりこの「事物の体制の終結」の時期に関して「聖なる預言者たちによってあらかじめ語られたことば」を思い起こそうとせず,あるいは無視することによって,彼らは自分たちの永遠の益に反する行動をしているのです。(ペテロ第二 3:2。マタイ 24:3)「神のことば」は『昔からの天』と「その時の世」の人の住んでいた「地」と関係していただけでなく,その同じ「神のことば」はこの二十世紀の嘲笑者たちが提携している「今ある天と地」とも関係しています。エホバのクリスチャン証人を当惑させるためにキリストの「臨在」の約束を侮ってあざける今日の嘲笑者たちは,この事実を見過ごしてはなりません。

      25,26 (イ)使徒ペテロはその警告の中でどんな時間的要素に注意を向けさせていますか。(ロ)そのようなことをずっと前に指摘したのはだれでしたか。そのことからわたしたちはどんな事に気づきますか。

      25 次いで使徒ペテロはこう警告しています。「その同じみことばによって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日まで留め置かれているのです。しかし,愛する者たちよ,この一事を見過ごしてはなりません。エホバにあっては,一日は千年のようであり,千年は一日のようであるということです」― ペテロ第二 3:7,8。

      26 預言者モーセは霊感を受けて,人間の存在する千年間が天と地の永遠の創造者の経験の点では24時間の一日に相当するとみなした最初の人です。このように初めて比較して語った言葉は,モーセが創造者に次のように語りかけて記した詩篇 90篇1-4節〔新〕に見いだせます。『〔エホバ〕よ なんぢはいにしへより世々われらの居所にてましませり 山いまだ生りいでず汝いまだ地と世界とをつくりたまはざりしとき 永遠よりとこしへまでなんぢは神なり なんぢ人を塵にかへらしめて宣まはく 人の子よ なんぢら帰れと [ごく短い寿命が尽きた後に死ぬ罪深い人間を神が土の塵に帰らせることからすれば]なんぢの目の前には千年もすでにすぐる[24時間の長さの]昨日のごとく また夜の間の[4時間の]ひとゝきにおなじ』。(詩篇 90篇の表題にも注目してください。)また,エホバ神はモーセに霊感を与えて,七千年の長さの創造の各の期間のことを「日」と述べさせました。(創世 1:1-31。出エジプト 20:11)死んでゆく人間にとってかなり長い期間も不滅の神にとっては極めて短いのです。

      27 ノアの日の大洪水は地球そのものにはどんな影響を及ぼしましたか。

      27 ノアの時代に世界的な大洪水をもたらした時,神はこの文字通りの地球を滅ぼしませんでした。地球はその大洪水を切り抜け,地を覆った大水すべてを吸収する排水ますとなりました。

      「今ある天と地」

      28 (イ)それで,「今ある天と地」は,大洪水前に存在していたのとは異なった新しい大気を伴う新しい地球のことですか。(ロ)神は人間を創造した時,地球の上方に停滞していた水を破壊をもたらす目的で用いることなどお考えにはなりませんでした。どうしてそれが分かりますか。

      28 それで,ペテロ第二 3章7節の「今ある天と地」は,新しい大気の『おおぞら』で取り巻かれた新しい地球のことを指しているとは考えられません。また,5節と6節で使徒ペテロは『昔からの天と引き締まったかたちで立っていた地』が水のために蓄えられ,裁きの日のために留め置かれたとは述べていない点も注目に値します。神は最初に文字通りの天と地を作って,人間を地上に住まわせた時,そのようなことをお考えにはなりませんでした。当時,神は完全な男女に地上のパラダイスで裁きの日を迎えずに永遠に生きる機会をお与えになりました。―創世 2:17-25。

      29 (イ)「今ある天と地」は,ペテロ第二 3章5節で言及されている天と地と同じものですか。(ロ)それで,7節で言及されている「火」もやはり比喩的なものです。なぜですか。

      29 従って,「今ある天と地」は世界的な洪水の大水のためではなく,火のために蓄えられ,裁きの日と『不敬虔な人びとの滅び』の日まで留め置かれています。これは明らかに,最初の文字通りの天と地とは別の種類の天と地を指しています。そうであれば,ここで指摘されている「火」も文字通りの火とは異なったもの,従って霊感を受けた聖書の中でしばしば述べられている比喩的な「火」であるに違いありません。

      30,31 (イ)ゼパニヤ書 3章8,9節ではどんな「火」について言及されていますか。(ロ)エレミヤ哀歌 2章3,4節ではどのように「火」のことが指摘されていますか。

      30 ゼパニヤ書 3章8,9節も次のように述べて,そのような比喩的な「火」のことを語っています。『エホバいひたまふ このゆえに汝らわが起ちて獲物をする日いたるまで我をまて 我もろもろの民を集へ もろもろの国をあつめてわが憤恨とわが烈しきいかりをことごとくその上にそそがんと思ひ定む 全地はわが嫉妬の火に焼きほろぼさるべし その時われ国々の民に清き唇をあたへ 彼らをしてすべてエホバの名を呼ばしめ 心をあはせてこれにつかへしめん』。

      31 また,西暦前607年にバビロンの軍隊によりエルサレムの都が滅ぼされた後,預言者エレミヤはエホバ神の取った処置に関して次のような哀悼の歌を詠みました。『烈しき震怒をもてイスラエルのすべての角を絶ち 敵の前にて己の右の手をひきちゞめ 四面をやきつくす燃ゆる火のごとくヤコブをやき 敵のごとく弓を張り 仇のごとく右の手をのべて立ち すべて目に喜ばしきものを滅ぼし シオンの女の幕屋に火のごとくその怒りをそゝぎたまへり』― 哀 2:3,4。

      32,33 ノアの日の洪水の後,神は虹を見て思い起こす心強いどんな約束をなさいましたか。

      32 ノアの日の大洪水の直後,神は虹を現われさせ,ノアとその家族にこう言われました。『我汝らと契約を立てん すべて肉なる者は再び洪水に絶たるゝことあらじ また地を滅ぼす洪水再びあらざるべし』。また,神はこう付け加えました。『我が我と汝らおよび汝らとともなるすべての生き物の間に世々限りなくなすところの契約の徴はこれなり 我わが虹を雲のうちに起こさん これ我と世との間の契約の徴なるべし すなはち我雲を地の上に起こす時虹雲のうちに現はるべし 我すなはち我と汝らおよびすべて肉なるもろもろの生き物の間のわが契約を記念はん 水再びもろもろの肉なる者を滅ぼす洪水とならじ 虹雲のうちにあらん 我これをみて神と地にあるすべて肉なるもろもろの生き物との間なる永遠の契約を記念えん』― 創世 9:11-16。

      33 イザヤ書 54章9節ではエホバ神は次のような保証を加えられました。『我……ノアの洪水をふたゝび地にあふれ流るゝことなからしめんと誓ひ(たり)』。

      『火のために蓄え置かれる』

      34 どんな幾つかの事実からすれば,ペテロ第二 3章7節で指摘されている火を文字通りのものとみなすのは不合理ですか。

      34 全地球的な規模の洪水をもう一度起こすことはないというこうした誓いの言葉も,もしその代わりに神が文字通りの火で全地を包み,文字通りの世界的大火災を起こすことを意図されたとしたなら,人類にとってほとんど慰めとはなりません。それに,もし「今ある天と地」という表現に人間の目に見える天の星が含まれているとしたら,わたしたちの太陽系内の太陽や銀河系内の他のすべての恒星,また既に地上で起こされる火よりも高温の火の球体を成している他の星雲すべてにとって,そのような文字通りの火が何を行なえるでしょう。全地球的な規模の大火災でこの地球を焼け焦げた燃えかすにすることは,この地をメシアによる王国によって世界的なパラダイスに変えるとの明らかにされた神の目的とはとても合致するものではありません。

      35 (イ)では,その句の「火」は何を意味していますか。(ロ)また,「火のために蓄え置かれて」いる「天」とは何ですか。

      35 ですから明らかに,「今ある天と地」がそのために蓄えられている「火」とは,文字通りの火が可燃物を速やかに燃やすのと同様に,有罪と定められたものの滅びをもたらす象徴的な火なのです。このような事情ですから,「今ある天と地」という表現は象徴的な意味を帯びてきます。それで,「天」は統治機構,つまり「今ある」,そして人類がそれに服している支配的権威を象徴しています。ローマ 13章1節の中でクリスチャンの使徒パウロはそのような権威のことを「上にある権威」と呼んで,こう述べています。「すべての魂は上にある権威に服しなさい。神によらない権威は存在しないからです。現存する権威は神によってその相対的な地位に据えられているのです」。

      36 (イ)それと調和して,「火のために蓄え置かれて」いるその「地」とは何ですか。(ロ)「地」という語のそのような用法の例を聖書から述べなさい。

      36 従って,それらの天のもとにある「地」は,「上にある権威のもとでそれに服している人類の社会を象徴しています。この人類社会は一時ノアの日の大洪水後一世紀余の間,ただ一つの言語を用いました。創世記 11章1節はこのことに注意を引いてこう述べています。『全地は一つの言語一つの音のみなりき』。

      37,38 (イ)聖書では統治機関は,高い,あるいはそびえ立つほかのどんなものになぞらえられていますか。(ロ)そのことをイザヤ書 34章やミカ書 1章から例を挙げて説明しなさい。

      37 「上にある権威」のことを「天」と述べていることと全く一致して,聖書は統治機関のことを「山々」になぞらえています。例えば,イザヤ書 34章2-5節(新)で主権者であられる主なる神はこう言われます。「エホバはすべての国の民に対して憤りを,彼らのすべての軍隊に対して怒りを抱かれる……この方は必ず彼らを滅ぼし,必ず彼らを殺りくに渡される。そして,彼らの殺された者たちは投げやられ,彼らの死骸はと言えば,その臭気が立ち昇る。山々は彼らの血のゆえに必ず溶ける。そして,天の軍勢のすべては必ず朽ち果てる。そして天は巻き物の書のように,必ず巻き上げられる。その軍勢は皆,しなび果てる。葉がしなびてぶどうの木から落ちるように。いちじくの木から落ちるしなびたいちじくのように。天ではわたしの剣は確かにびしょぬれになるからだ。見よ,エドムの上にそれは下り,わたしにより公正をもって滅ぼし絶やされる民の上に下る」。ハルマゲドンにおける来たるべき「全能者なる神の大いなる日の戦争」でそれらの軍勢が滅びると共に,彼らの支持していた諸政府は殺された軍勢の血で溶ける山々のように溶け,消滅させられます。

      38 天に達するような高い象徴的な山々が消滅する様を描いた別の光景はミカ書 1章3,4節の中でこう述べられています。『みよ エホバその処より出でくだり 地の高き処を踏みたまはん 山は彼の下にとけ 谷は裂けたり 火の前なる蝋のごとく 坂に流るゝ水のごとし』。全能者なるエホバ神が間もなくご自分の天の処刑隊を用いて,この事物の体制の山のような政府と接触する時,それらの山は燃えたつような熱気に会わされるでしょう。そして,その固体は溶けてしまいます!

      39 「今ある天と地」および「不敬虔な人びと」は前途に何を控えていますか。なぜですか。

      39 それで,「今ある天と地」がそのために留め置かれている「不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日」は比喩的に言って,それがもたらす滅びのゆえに焼けつくような日となります。それは事物の見える全体制に対して神の裁きを執行する日となります。また,それは「不敬虔な人びとの滅び」の日となります。そのような人はエホバ神をおそれ多い方,宇宙の主権者とみなしませんし,またそのように扱わないからです。聖なるその方に対して不敬な態度を取っているのです。

      行動ののろい神ではない

      40,41 嘲笑者たちにとってエホバの「裁きの日」の到来は遅いように思えるとは言え,時間に関するどんな事実を考慮に入れるべきですか。

      40 「今ある天と地」は「その同じみことばによって」,すなわち「神のことば」によって相変わらず,「火のために蓄えられており,不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日まで留め置かれて」います。これは主なる救い主イエス・キリストの「臨在」をまだ起きていない事として扱う,現代の嘲笑者たちの考えるべき事柄です。「今ある天と地」が大変長い期間存続するのを許した目的を権威をもって明らかにした,神のその「同じみことば」は必ず遂行されます。それも今や遠い将来のことではありません! 嘲笑者や「不敬虔な人びと」にとっては,その「日」の到来までの期間は長い期間のように思えるかもしれませんが,始めも終わりもない永遠の神にとってはそれは長い期間ではありません。使徒ペテロが次にこう述べているのはそのためです。

      41 「しかし,愛する者たちよ,この一事を見過ごしてはなりません。エホバにあっては,一日は千年のようであり,千年は一日のようであるということです。エホバはご自分の約束に関し,ある人びとが遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなたがたに対してしんぼうしておられるのです。しかし,エホバの日は盗人のように来ます」― ペテロ第二 3:8-10。

      42 (イ)神は人類に対して無関心なので,一見長い期間と思える時間を猶予してこられたのでしょうか。(ロ)『エホバの一日』はどうして人間にとって「千年」のようですか。

      42 人間にとってそのように長い時間も,神にとっては本当に短い時間です。従って,神は人間の関心事の点で一見長い期間と思える時間を人間のために猶予することができます。「千年」も神の永遠の存在期間と比べてわずか24時間の一日のようであるとすれば,それは神にとって何なのでしょう。逆に,人間が成し遂げるのに千年を要する事も全能の神エホバなら「一日」でまとめられるということを考えれば,神にとって24時間の一日は,人間にとって千年のようです。不満をかこつ人間は何千年にもわたってこの事物の体制を改善したり,あるいはより良いものにしようとして覆したりしてきましたが,今に至るまで成功していません。しかしエホバはその「日」つまり短期間のうちにそうなさり,火をもってするようにこの事物の体制に対して裁きを執行し,同体制に共鳴し,それを支持する者たちすべてを滅ぼします。これは確かに嘲笑者たちの考えるべき事柄です。

      43 物事を扱う神の仕方をもどかしく思う代わりに,人間はどんな質問を真剣に考慮すべきですか。

      43 もどかしそうに次のように言う人は,物事を取り扱う神の道を理解していないことを示しています。『神はどうして世界の悪い状態をこれまでどうにかしなかったのだろうか。神は急いで事を進め,人間の救済のために何かをすべきだ。そうすれば,我々もその益にあずかれるのだ。早くしてもらいたい!』 そのようなせっかちな人は次のように自問すべき重要な問題があります。『わたしはもう神に対して悔い改めただろうか』。また,『悔い改めるよう,できるだけ多くの他の人を助けるために時間を活用しているだろうか』。

      44 (イ)人類に対する神の取り扱い方は,神の側の比類のない「しんぼう」強さを実際にどのように表わしていますか。それはどんな目的を考えてのことですか。(ロ)その期間に神はできるだけ多くの人びとが救われることを期待して何を行なわれましたか。

      44 人間の時間の千年も永遠の神にとっては24時間の一日にすぎないのであれば,悪を除いてこの地を清め,永続する義の政府を樹立する約束の点で神は遅いとして,だれが正当な仕方で神を非難できるでしょうか。神は行動を起こす日を定めておられますし,その定められた日まで数え切れないほどの人びとが悔い改められるよう十分の時間の猶予を与えておられるのです。神は行動を起こす「日」を「今ある天と地」の始まりからはるか後代に定めましたが,この事で神は「遅い」とみなす代わりに,それを神の比類のない「しんぼう」強さの表われと解すべきでしょう。神がこのようにしんぼうしておられるのは,だれも滅びず,また滅ぼされないようにと願っておられるからです。ゆえに,神は定められた不変のその「日」まで猶予しておられる何千年かの間に愛するみ子を天から遣わし,み子が地上で偉大な師として働き,全人類のための贖いの犠牲として死んで,できるだけ多くの人が救われるようにしてくださいました。(ガラテア 4:4)その忠実な愛するみ子が初めてこの地に来て以来,罪の赦しを得るために悔い改めるべきことが人の住む全地で宣べ伝えられ,19世紀余の間宣べ伝えられてきました。

      45 嘲笑者は気づいていないとは言え,神は彼らをさえどのように扱ってこられましたか。

      45 今日の嘲笑者たちは悔い改めて滅ぼされないようにするために,神がしんぼうしておられる時間を善用してはいません。彼らが気づいていないとは言え,神は彼らが悔い改めるのを期待して親切に振る舞ってこられました。キリスト教に帰依したユダヤ人と異邦人で構成されたローマの会衆に宛てた,霊感による手紙の中で使徒パウロが書いている通りです。「神の温情があなたを悔い改めに導こうとしていることを知らないために,その親切と堪忍と辛抱強さとの富を侮るのですか」― ローマ 2:4。

      46,47 (イ)1914年以降でさえ神の辛抱強さは無駄になりませんでした。どうしてですか。(ロ)神が自制し,辛抱しておられることは,啓示 7章1-3節の中でどのように示されていますか。

      46 西暦1914年以来,王なる救い主であるイエス・キリストが王国の権能を持って「臨在」しているこの時代に神が辛抱してこられたことは無駄にはなりませんでした。そのおかげで,霊的なイスラエルの最後の残りの者が集められ,また油そそがれた残りの者の忠実な仲間である「大群衆」の数え切れないほどの成員が集められる結果になりました。説き勧めて悔い改めさせることができる人たちのために神が自制し,辛抱しておられることは啓示 7章の中で示されています。迫り来る世界的な滅びの嵐に関して使徒ヨハネはこう書いています。

      47 「こののちわたしは,四人の使いが地の四隅に立ち,地の四方の風をしっかり押えて,地にも海にも,またどの木にも風が吹かないようにしているのを見た。また,別の使いが太陽の昇る方角から,生ける神の証印を携えて上ってゆくのを見た。彼は,地と海を損うことを許された四人の使いに大声で叫んで言った,『わたしたちが,わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損ってはならない』」。(啓示 7:1-3)これは神の辛抱強さによるものでした。

      48 (イ)神の辛抱強さのこうした表われはどんな結果をもたらしましたか。(ロ)今や神の辛抱強さを正しく評価するようになる人たちはどんな行動を取りますか。そのような人たちの前途にはどんな驚くべき見込みがありますか。

      48 神の辛抱強さのこうした表われはどんな益をもたらしましたか。霊的なイスラエル人の必要な残りの者の額に証印が押されたので,エホバ神の予定通りついに十四万四千人の霊的なイスラエル人が証印を押されることになりました。(啓示 7:4-8)しかし,この「終わりの時」に示されている神の辛抱強さの恩恵にあずかっているのは,天のシオンの山でキリストと共に統治することになっている霊的なイスラエル人だけではありません。地上のパラダイスで永遠の命を享受するという聖書的な希望を抱く人びとも恩恵を受けてきました。西暦1935年という大変重要な年以来,そのような人びとがあらゆる国民・部族・民族・言語から出て来て,エホバを自分たちの神として献身してきました。そこで彼らは,イエス・キリストがその弟子となる者に関して命じたように献身の象徴としてバプテスマを受けました。今や形成されつつある,人数の限られていない「大群衆」の前途には,この「終わりの時」を終結させるものとなる嵐のような「大患難」を切り抜け,生きて出て来るという驚くべき見込みがあります。啓示 7章9-17節で,「大患難」から無事に出て来る者として述べられているその「大群衆」に関する預言的光景は今や輝かしい成就に向かってどんどん進展しています!

      主なる神のその日の到来は必至

      49 神のことを遅いと考えながら,自分たちこそ救いのための行動を取る点で遅い人びとは,不意に何を被りますか。

      49 我慢強さと辛抱強さを示しておられる神のことをのろくて,ぐずぐずしていて遅いと誤解し,自分たちこそ救いのための行動を起こすのに遅い人びとは,不意に神からの滅びを被るでしょう。使徒ペテロは次のように述べて,そのような誤った不注意な愚かなやり方を戒しめました。「しかし,エホバの日[ギリシャ語: ヘメラ キュリオウ,主の日]aは盗人のように来ます。そのとき天は鋭い音とともに過ぎ去り,諸要素は極度に熱して溶解し,地とその中の業とはあらわにされるでしょう」― ペテロ第二 3:10,新,欄外の異文。

      50 この点に関連して,だまされやすい人びとを食い物にする手段として宗教を利用する僧職者に関しどんな警告が発せられていますか。

      50 「今ある天と地」の終わる日は必ず到来します。それは言明された神の目的の一部だからです。その到来する時は,神ご自身の時間表の中で定められています。だまされやすい人びとを食い物にする手段として宗教を利用し続けるキリスト教世界の僧職者は,神ではなく自分たちこそ事の成り行きに対してまどろみ眠っている者であることに気づくでしょう。「また,彼らは強欲にもまことらしいことばであなたがたを利用するでしょう。しかし彼らに対して,昔からの裁きは手間どっているのでもなければ,その滅びはまどろんでいるのでもありません」― ペテロ第二 2:3。

      51 使徒パウロもイエス・キリストも共に,神の裁きを執行する日がどのように来ると述べましたか。

      51 エホバの日が夜の間の盗人のように来ることについては,マケドニアのテサロニケにいるクリスチャンに手紙を書いた使徒パウロも述べています。「さて,兄弟たち,時と時期については,あなたがたは何も書き送ってもらう必要がありません。エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなたがた自身がよく知っているからです。人びとが,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません」。(テサロニケ第一 5:1-3)イエス・キリストはエホバの日に刑執行者としてエホバ神により用いられるので,イエスご自身も次のように述べて,裁きの執行の始まる日が盗人のように近づいて来ることを弟子たちに警告なさいました。「しかし,一つのことを知っておきなさい。家あるじは,盗人がどの夜警時に来るかを知っていたなら,目を覚ましていて,自分の家に押し入られるようなことを許さなかったでしょう。このゆえに,あなたがたも用意のできていることを示しなさい。あなたがたの思わぬ時刻に人の子は来るからです」― マタイ 24:43,44。ルカ 12:39,40。

      52 ペテロ第二 3章10節で指摘されていますが,その過ぎ去る「天」とは何ですか。

      52 エホバの日に人類は,この不敬虔な事物の体制の火のような事態に包まれていることに気づくでしょう。何千年にもわたって人類が知ってきた「天」や「諸要素」や「地」は壊滅的な影響を受けるでしょう。過ぎ去って行く「天」とは,神の許しによって「上にある権威」として働き,西暦1914年に異邦人の時が終わったにもかかわらずその働きを長引かせてきた政治機関のことです。それら諸政府は地上の舞台で高い山々のように現われ,人類社会の物事に影を投じてきました。宗教界の祭司や預言者や僧職者は政府に干渉し,政府の不可欠な部分として関係を持ち,多くの土地で国家と教会を結合させてきました。この「終わりの時代」でもなお続いている教会と国家の結合関係においては,その宗教上の連れ合いは劣った下位者で,情熱的に言い寄られているのではなくて単に大目に見られているにすぎないのです。

      53 その「天」が「鋭い音とともに」過ぎ去るということは何を示していますか。

      53 それら政府で成る「天」は,“しゅー”というような「鋭い音とともに」過ぎ去ります。それは鷲が獲物めがけて急降下する場合のように物体が空中を素早く通過する時に生ずる,ひゅーという音を意味するとも考えられます。従って,その鋭い音は政府で成る「天」が素早く過ぎ去ることを表わしています。しかし,人びとの中の急進的な革命政党の活動によって,それら政府で成る天が速やかに過ぎ去らせられるのではありません。それらの政党と言えども,それ自体の政府の一つをもって,覆された政府に替えるにすぎないからです。それどころか,政治上の「天」はエホバ神の働きによって過ぎ去るのです。諸政府は「[異邦]諸国民の定められた時」よりも長く生き延びてきたのですから,時間が相当超過した場面のように,大急ぎで舞台から出されるよりほかはありません。それがどんな音声上の感覚を引き起こすかにはかかわりなく,地上の住民はその「鋭い音」を聞くでしょう。

      54 ペテロ第二 3章10節によれば溶解されることになっている「諸要素」とは何かを明らかにしなさい。

      54 「極度に熱し」,次いで「溶解し」てゆく「諸要素」とは,いわゆる中世の錬金術師の言う「四元素」,すなわち火・水・地および空気ではありません。「要素」とは有機体のようなものを構成している基本的な部分を意味します。「要素」とは,ある言語の文字体系の字母のように特定の秩序のもとに配列されているある事物を示唆するとも言えるでしょう。問題の「諸要素」は「天」および「地」とは別個のもの,つまりそれらの基本的構成分子とは別のものとして述べられています。文字通りの天と地球との間には大気があって,人類はその中で生活し,それを呼吸して生命を維持しています。この大気は幾種類かの気体が混合してできていますから,大気には基本的な構成分子があります。同様に,人類の地的領域に行き渡っている一種の霊があります。人類はそれを呼吸し,またそれは人類を活気づけ,目に見えない力のように人類を動かし,彼らが今しているように行動したり,考えたり,話したり,計画したりするようにさせています。これは世の霊です。それは神の霊とは何ら関係がなく,むしろ神の霊に敵対しています。ゆえに神は世のすべての基本的な部分のうちにある,その世俗的な霊に反対しておられます。神はご自分の予定の日に必ずそれをご自身の怒りの熱で溶解させ,滅ぼします。この世俗的な霊を表わし,またそれから生ずる教理や取り決めや企てすべては必ず溶解し,その霊もろともに無に帰せしめられます。

      55 (イ)ここで言及されている「地」とは何を意味していますか。(ロ)「その中の業」とは何を指していますか。

      55 ただ「天」と「諸要素」だけが神の注目を受けるのではなく,「地とその中の業」もまた必ず注目されます。それらは「あらわにされ」ます。(ペテロ第二 3:10)それらのものは明らかにされます。この場合の「地」は,霊的なイスラエル人の油そそがれた残りの者と,霊的なパラダイスの中にいて霊的な神殿でエホバを崇拝している「大群衆」とは異なった別個の人類社会を象徴しています。(啓示 7:15)「その中の業」という表現は地上の人類社会の人びとの行ない,もしくは行為ではなく,建造物の点で人類社会が築いたり造り出したりしているものを指しています。そのような「業」はこの人類社会,この象徴的な「地」の唯物主義的な見方,この世的な傾向を示しています。

      56,57 (イ)ペテロ第二 3章10節に述べられているように,地とその中の業はどんな意味で「あらわにされ」ますか。(ロ)このような考え方は,コリント第一 3章13-15節で表わされているものとどのように似ていますか。

      56 しかし,どうして「地とその中の業とはあらわにされる[字義通りには,明らかにされる]でしょう」と言われているのですか。従来のジェームズ王による欽定訳のペテロ第二 3章10節の読み方のように「焼き尽くされる」代わりに,どうして「あらわにされ」「明らかにされる」のでしょうか。それらが「あらわにされる」もしくは「明らかにされる」とは,エホバの日に単にむき出しにされて人目につくようさらされたままになるという意味ではありません。ペテロ第二 3章7節では,神の言葉によって「今ある天と地は火のために蓄え置かれて」いると述べられています。従って,「地とその中の業」は「天」と「諸要素」の場合と同様,「火」のような滅びを免れられません。それらのものは火によって「あらわにされる」もしくは「明らかにされる」のです。「地とその中の業」もやはり不意にその火に襲われます。それらのものは象徴的な「天」や象徴的な「諸要素」と全く同様に燃えやすいものであることが「あらわにされる」もしくは「明らかにされる」のです。エホバの日の壊滅的な「火」はそのことを明らかにします。それで,問題のあらわにする,もしくは明らかにするという意味は,使徒パウロが次のように書き記しているコリント第一 3章13-15節のそれに似ています。

      57 「各人の業は明らかになります。その日がそれを示すのです。それは火によって表わし示されるからです。まさにその火が,各人の業がどんなものかを証明するのです。その上に建てたある人の業が残るなら,その人は報いを受けます。だれかの業が燃え尽きるなら,その人は損失をこうむることになります……」。

      58 それで,象徴的な「地とその中の業」には何が起きようとしていますか。このことはゼパニヤの預言的な言葉によってさらにどのように示されていますか。

      58 エホバの,「不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日」は,象徴的な「地とその中の業」に盗人のように臨み,神の裁きを執行するその日の「火」はそれらが燃えやすく,焼却しやすいものであることを明らかにするでしょう。それらは燃え尽きてしまいます。主なる神エホバの火のようなその日に耐えて生き残ることはありません。ゼパニヤ書 1章14-18節の預言的な言葉は現代に対する重大な意味を持っています。『エホバの大いなる日近づけり 近づきて速やかに来たる 聴けよ これエホバの日なるぞ かしこに勇士のいたく叫ぶあり……かれらの銀も金もエホバの烈しき怒りの日にはかれらを救ふことあたはず 全地その嫉妬の火に呑まるべし すなはちエホバ地の民をことごとく滅ぼしたまはん』。

      『神の日の臨在を速める』

      59 期待や行状に関する使徒ペテロのどんな勧告は特別の説得力を帯びて今日のわたしたちに当てはまりますか。

      59 現代に対して予告されていた嘲笑者たちとは対照的に,この不敬虔な事物の体制の差し迫った破滅に直面して,わたしたちは自分がどんな者であることを示しているでしょうか。一世紀のクリスチャンに対する使徒ペテロの勧告は最大の説得力を帯びて今日のわたしたちに当てはまります。「これらのもの[象徴的な天と諸要素と地とその中の業]はこうしてことごとく溶解するのですから,あなたがたは,聖なる行状と敬神の専念のうちに,エホバの[ギリシャ語,神の]日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める[字義通りには,待ち望み,速める]者となるべきではありませんか。その日のゆえに天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです。しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」― ペテロ第二 3:11-13,王国行間逐語訳。

      60 (イ)神の言葉の述べる事を本当に信じているなら,わたしたちはどのように生活すべきですか。(ロ)天の命を受けるよう招かれている人たちに対して使徒ペテロはどんな勧告を述べていますか。

      60 神の預言の言葉の確実な成就を本当に信ずる人は,期待している事柄と調和した生き方をすべきでしょう。現在のこの事物の体制のために,すなわち神の言葉が述べる通りに溶解し,滅ぼされようとしている「天」や「諸要素」や「地」のために自己本意な生き方をしたりはしません。どうして間もなく滅びるもののために生き,もろともに滅びるべきでしょうか。特に,献身してバプテスマを受けたクリスチャンは,「わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義により,[使徒ペテロ]と同じ特権としての信仰を得て」います。(ペテロ第二 1:1,新; ウェイマウス; アメリカ標準)天の王国への召しを受けているそのようなクリスチャンに対して使徒ペテロはさらにこう述べています。「自分の召しと選びを自ら確実にするため,いよいよ力をつくして励みなさい。これらのことを行なってゆくなら,あなたがたは決して失敗することはないからです。事実,そうすることによって,わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国に入る機会が,あなたがたに豊かに与えられるのです」。(ペテロ第二 1:10,11)彼らは「外国人また寄留者」なので,従って『こうして溶解する』ことになっている象徴的な「天」や「諸要素」や「地」の一部ではないと,使徒ペテロは述べています。―ペテロ第一 2:11。

      61 (イ)ペテロの勧告と一致して,真のクリスチャンはどんな者やどんな行ないを退けますか。(ロ)霊的なパラダイスにとどまるには何が必要ですか

      61 従って,ペテロの勧告に留意する人たちは,「破壊的な分派をひそかに持ち込み」,また「自分たちを買い取ってくださった主人のことをさえ否認し,自らに速やかな滅びをもたらす」「偽教師」とは何の関係も持っていません。真の預言を固守するクリスチャンはそれら偽教師に従いません。そのような忠実なクリスチャンは,「彼らの不品行に従い,そうした者たちのために真理の道があしざまに言われる」ような多くの者たちの中にはいません。(ペテロ第二 2:1,2)嘲笑者や世俗的な人びとによって聖書の真理の道があしざまに言われるようなことを避けるため,使徒ペテロの言葉に留意するクリスチャンは,「聖なる行状と敬神の専念のうちに」自分がどんな者であるべきかということに絶えず注意を払います。こうすることによって,「今ある」,また「火のために蓄え」られている地」もろとも「自らに速やかな滅びをもたらす」事態を免れます。(ペテロ第二 3:7)エホバのクリスチャン証人は今日,「聖なる行状と敬神の専念」によって霊的なパラダイスにとどまっているのです。

      62 (イ)「エホバの日」を早く来させるために行なえる事が何かありますか。(ロ)どうすれば,『それをしっかりと思いに留めている』ことを示せますか。

      62 彼らは,エホバの裁きの日の到来を頭の中で遅らせようとする者たちのいかなる嘲笑によっても影響されるままになったりはしません。証人たちは「エホバの日の臨在」を長年待ち望んできましたから,それが到来する時までなお待ち望みます。嘲笑者とは違って,『エホバの日の臨在をしっかりと思いに留め』ているのです。決してそれを念頭から去らせません。それを切迫した出来事として絶えず念頭に置きます。地上で長く生活すればするほどそれは一層近づいて来ます。それを文字通り急がせたり,せき立てたり,速めたりすることはできません。その到来する日時をエホバが自ら定めておられることを証人たちは知っているからです。しかし,彼らはそれがどんなに早く,また不意に来ようとも,エホバ神によって是認された状態でその臨在の時期に入るのにふさわしい者であるよう,絶えず見張っています。それで彼らが「聖なる行状と敬神の専念」を保ち続けることは,『エホバの日の臨在をしっかりと思いに留める』ことと一致します。その日の臨在が何を意味するかを証人たちは知っています。それは何ですか。

      「新しい天と地」のために道を明ける

      63 その「天」が溶解するということは,それがどうなることを意味していますか。

      63 「エホバの日の臨在」は,「その日のゆえに天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶ける」手だてとなります。(ペテロ第二 3:12)世の宗教指導者が支持や保護を求めてしがみついている,政府で成る「天」はエホバ神によって燃やされてしまいます。ヘブライ 12章29節が述べる通り,「わたしたちの神は焼き尽くす火でもある」からです。(申命 4:24)これは政府で成る「天」が溶解し,滅びることを意味しています。それが火によるようにどのようにして引き起こされるかを使徒ペテロは説明していません。しかし,「聖なる預言者たちによってあらかじめ語られたことば」は,それがどのようにして生ずるかを述べています。―ペテロ第二 3:2; 1:21。

      64 その象徴的な「天」が火によるように滅ぼされることに関する説明は,霊感を受けたどんな預言者を通して与えられましたか。

      64 預言者ダニエルの時代にバビロンの王ネブカデネザルが見た預言的な夢の中で,ネブカデネザルがエルサレムとその神殿を滅ぼした西暦前607年から「エホバの日の臨在」の時に至るまでのそれら象徴的な「天」のことが描かれています。その預言的な夢はエホバ神によってバビロンの王に送られました。と言うのは,王はその夢を忘れましたが,それを王に思い起こさせ,またその意味を王に説明し得たのはエホバの預言者ダニエルただ一人だったからです。―ダニエル 2:1-30。

      65 バビロンの王は夢の中で何を見ましたか。それは何を表わしていましたか。

      65 その夢の中でバビロンの王は,ネブカデネザルの王朝のバビロニア世界強国を初めとして聖書上の第七世界強国であるこの二十世紀の英米世界強国に至るまでの,また同英米列強を含む政治上の一連の世界強国を表わす像を見ました。従って,政治上のこの一連の世界強国を描写するのに用いられたその夢の像は,幾つかの基礎的物質でできていました。その頭は金で,胸と両腕は銀,胴と両のわき腹は銅,脚は鉄,足と指は粘土と混じり合った鉄でした。―ダニエル 2:31-33。

      66 その夢の像の種々の部分の意義を説明しなさい。

      66 ダニエルはネブカデネザルにこう言いました。『これその夢なり 我らその解き明かしを王の前に陳べん 王よ 汝は諸王の王[またそれゆえに世界強国の皇帝]にいませり すなはち天の神 汝に国……を賜へり 汝にこれをことごとく治めしめたまふ 汝はすなはちこの金の頭なり』。(ダニエル 2:36-38)従って,その金の頭はネブカデネザル王朝のバビロニア世界強国を象徴しました。銀の胸と両腕は,次のメディア-ペルシャ世界強国を象徴しました。銅の腹と両ももはマゲドニア-ギリシャ世界強国を象徴しました。鉄の脚はローマ世界強国および同強国から派生した英米二重世界強国を象徴しました。一部は鉄,一部は粘土でできている足は,一部は急進的(社会主義的,共産主義的)で,一部は帝国主義的な性格を持つようになった現代の,もしくは最後の政治上の諸強国を象徴しました。エルサレムが荒廃した西暦前607年に異邦人の時が始まって以来,25世紀余の間,その一連の世界強国は地上の他の統治機関を支配してきました。―ダニエル 2:39-43。

      67,68 世界強国のその像は歴史上のどんな時期に至るまで立ち続けますか。次いで,それはどうなりますか。

      67 この王の預言的な夢によれば,世界強国のその「像」は歴史的な成就の点で,わたしたちがたまたま今日生きている「事物の体制の終結」の時代にもなお立ち続けています。(マタイ 24:3; 28:20; 13:39,49)その「事物の体制の終結」の時は「エホバの日の臨在」によって重大な最高潮に達し,その際に象徴的な「天」や「諸要素」や「地とその中の業」は火によるように滅ぼされます。それこそ「不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日」です。(ペテロ第二 3:7-12)ですから,王の夢の動きと活動を表わすあの部分は不気味です。ダニエルは次のように述べて,それを王に思い起こさせました。

      68 『汝見ていたまひしに遂に一つの石人手によらずしてきられて出で その像の鉄と泥土とのあしを撃ちてこれを砕けり かゝりしかばその鉄と泥土と銅と銀と金とは皆ともに砕けて夏のうちばのぬかのごとくになり 風に吹きはらはれて止まるところなかりき しかしてその像を撃ちたる石は大いなる山となりて全地にみてり』― ダニエル 2:34,35。

      69 それは人間の支配権すべてにとって何を意味していますか。

      69 預言的な夢のこの劇的な部分の成就はわたしたちの直前に迫っています。それによれば,国際連合である第八世界強国を含め,人類史上の政治上の世界諸強国のこん跡もしくは名残りは,再興できないように必ず強制的に消散させられます。従属的な王国や人間の支配権もすべて同様に地から取り除かれてしまいます。

      70,71 エホバはどんな代理機関を用いてそのような世界的な滅びをもたらされますか。

      70 それは神の言葉であって,人間の言葉ではありません。これは霊的なイスラエルの油そそがれた残りの者の業でもなければ,エホバの崇拝者である仲間の「大群衆」の業でもありません。全能の神エホバがそのような世界的な滅びをもたらす際にお用いになる代理機関は,ネブカデネザルの夢の中では人手によらずに山から切り出された「石」として表わされています。従って,その「石」は創造者である主権者なる主エホバによって造り出される何ものかを表わしているに違いありません。神はダニエルに霊感を与え,その「石」が象徴するものを説明させてこう言わせました。

      71 「そして,それらの王たちの日に天の神は,決して滅びに至らされることのない王国を建てられます。そして,その王国はほかの[後継者としての]どんな民にも渡されることはありません。それはこれらの王国をすべて打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めなき時まで立つでしょう。あなたは,山から一つの石が手によらずに切り出され,それが鉄と銅と,かたどられた粘土と,銀と金とを打ち砕いたのをご覧になったからです」― ダニエル 2:44,45,新。

      72,73 (イ)その「石」が手を加えられずにそこから切り出された「山」とは何ですか。(ロ)「石」そのものは何を表わしていますか。それと関連して今どんなことが起きていますか。

      72 その「石」は天の神が建てる一つの王国を表わしていますから,その「山」は王国の権能や権威の源,すなわち永遠の王であられるエホバ神の宇宙主権を表わしているに違いありません。こうして,その石のような王国は神の宇宙主権に従属する代理機関となります。それは主イエス・キリストとなったその独り子の手中にある,メシアによる王国です。(ダニエル 7:13,14)この王国こそ,それに関してイエス・キリストが「事物の体制の終結」にかかわる預言の中で次のように予告されたものなのです。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)その同じ預言の中でイエス・キリストはその王国にいるご自分のことを心に描いてこう言われました。

      73 「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼とともに到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座にすわります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ(ます)」― マタイ 25:31,32。

      74 そのメシアの王国はエホバによりどんな任務をゆだねられていますか。

      74 皆さん,主権者なる主エホバのみ子のメシアの王国を歓呼して迎えてください! それこそ,「今ある天と地」を送り出し,神の栄光と人類の中の従順な人びとすべての限りない祝福のために,約束された「新しい天と新しい地」を招来する務めをゆだねられた天の政府なのです。

      [脚注]

      a 「これらの言葉は裁きの日の到来の確実性を表わし,ホス クレプテス[盗人のごとく]は思わぬ突然の事態を表わしている。……12節のテス トウ セオウ ヘメラス[神の日の]は,ここ[10節]のキュリオウ[主]もやはりセオウ[神の]と同じ意味であることを示している(クリストウ[キリストの」と同じではない:……)」― J・E・ヒューサー著,「ヤコブ,ペテロ,ヨハネおよびユダの一般書簡に対する本文校訂評釈便覧」(1887年),428ページ,1節,3-6行。

  • 「新しい天と新しい地」を創造する
    世の苦難からの人間の救いは近い!
    • 17章

      「新しい天と新しい地」を創造する

      1 (イ)わたしたちは今日,古代バビロンの皇帝ネブカデネザルの見た夢になぜ関心を抱いていますか。(ロ)その夢の詳細を同皇帝に思い起こさせた際,ダニエルは一つの特異な「石」とそれが何を成し遂げるかについて何と述べましたか。

      わたしたちは今日,二千五百年余の昔にバビロニア世界強国の堂々たる支配者が預言的な夢の中で見た事柄の成就を見ているのです! 神から送られたその夢は,深刻さを増してゆく世の苦難をかかえた現代に起きている事柄を理解する助けとなります。皇帝ネブカデネザルが思い出せないほどにすっかり忘れてしまったその夢は,全能の神の助けを得てそれを同皇帝に思い起こさせ,大いに悩まされた皇帝にその解き明かしをするよう預言者ダニエルに啓示されましたが,このことをわたしたちは何と感謝できるのでしょう。バビロニア帝国から今日の英米二重世界強国に至るまでの世界史の政治上の一連の超強国を表わしたその夢の「像」に関する記述の最高潮に際し,ダニエルは続けてこう述べています。

      『汝見ていたまひしに遂に一つの石人手によらずしてきられて出でその像の鉄と泥土との脚を撃ちてこれを砕けり かゝりしかばその鉄と泥土と銅と銀と金とは皆ともに砕けて夏のうち場のぬかのごとくになり風に吹きはらはれて止まるところなかりき しかしてその像を撃ちたる石は大いなる山となりて全地にみてり』― ダニエル 2:34,35。

      2 その「石」は何を象徴していましたか。

      2 この問題はほかに説明のしようがありません。その「石」は宇宙の主権者なる主であられるエホバ神の油そそがれたみ子の手中にあるメシアによる王国を象徴しました。

      3 このメシアによる王国とダビデ王との関係,またその王国がどのように霊的な様相を呈したかについて説明しなさい。

      3 メシアによるこの王国は,エホバがイスラエル国民の王として油をそそがれるようにさせたダビデの地的な王国にその根源を有していました。ダビデの政府の所在地は最後にはエルサレムもしくはシオンとなりました。エホバ神はダビデの家系を通して存続し,永遠の王国となるメシアによる王国のための契約をダビデと結ばれました。やがてこの王国は,ダビデの永久相続者が地上に到来するに及んで霊的な王国の様相を呈しました。それは神の天のみ子がイエスとしてダビデの王統に奇跡的に生まれたからです。こうした生来の関係を帯びることによって,彼はダビデの王座につく資格のある生来の後継者となりました。(マタイ 1:1から2:6)このことと調和して,イエスが三十歳で水のバプテスマを受けた直後,エホバ神は聖霊で彼に油をそそぎ,イスラエルつまり「ヤコブの家」の未来の王にしました。神はまた,彼をご自分の霊的な子として生み出し,そのような者として認めました。―マタイ 3:13-17。ルカ 1:32,33; 3:21-23。使徒 10:38。

      4 ダビデの永久相続者はどのようにして霊の領域で王となりましたか。

      4 イエス・キリストは神の王国,「天の王国」を宣べ伝えたために殉教の死を遂げました。彼は肉において完全な人間の犠牲として死にましたが,使徒ペテロが述べるように,「キリスト(は)罪に関して一度かぎり死にました。義なるかたが不義の者たちのためにです。それはあなたがたを神に導くためでした。彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです」。(ペテロ第一 3:18)従って,イスラエルつまり「ヤコブの家」は天的な王を,目に見えない霊の王,すなわち復活させられて天にいる不滅のイエス・キリストを戴くことになりました。(ローマ 1:3,4)それで,復活させられたイエス・キリストはダビデの永久相続者または王なる相続者ですし,その王国は永遠の王国です。このメシアの王国こそ,人手の助けなしにエホバの宇宙主権という「山」から切り出されるものなのです。

      5 (イ)象徴的な「石」が山から切り出されたのはいつですか。(ロ)その「石」が切り出され,象徴的な「像」めがけて放たれた時,地上のこの邪悪な事物の体制にとってどんな時期が始まりましたか。

      5 この王国の「石」はいつ切り出されて,地上の世界強国の象徴的な「像」めがけて放たれましたか。それは異邦人の時が終わった1914年10月4,5日ごろのことで,その時,王の擁立者なるエホバは復活させられたイエス・キリストを権能を付与された王として天で即位させました。(ルカ 21:24。詩 2:1-6。啓示 11:15; 12:5-10)その時,「エホバはあなたの力の杖をシオンから出して,こう言われる。『あなたの敵のただ中に行って従えなさい』」という詩篇 110篇2節(新)の預言的な言葉が即位したイエス・キリストに適用されました。それゆえに,地上のこの邪悪な事物の体制にとって「終わりの時」が始まりました。(ダニエル 12:4)従って,「事物の体制の終結」の期間中に起こるとイエス・キリストが予告した事柄は,1914年における異邦人の時の終わり以来起きてきました。―マタイ 24:3から25:33。

      6 (イ)石がその像の『鉄と泥土との脚』を打つということにはどんな重大な意義がありますか。(ロ)この石は象徴的な「像」をいつ打ちますか。

      6 王の夢の中で問題の石が人間の形をした像の『鉄と泥土との脚』を打つということには重大な意義があります。それは神のメシアによる王国が第七世界強国つまり英米二重世界強国の時代に,その最後の時に現実の世界強国の「像」を打つことを意味しています。これこそこの世の人間の支配権が鉄のような帝国主義的政府と粘土のような急進的政府の間で分割されている時代です。この二者は混じり合いません。その象徴的な「像」は大いなるバビロンが滅ぼされる時である,今や迫った「大患難」の始めに打たれるのではありません。むしろ,その後のハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」の際に打たれるのです。(マタイ 24:21,22。啓示 7:14; 16:14,16; 17:1-18; 18:20から19:3)その時,もはや大いなるバビロンの宗教的影響のもとにない世の諸国家は一致結束してエホバ神の宇宙主権とそのメシアによる王国に公然と露骨に反対して立ち上がります。

      7 ネブカデネザルの夢の中で,その「石」は霊の領域にいる支配者たちを打って砕くものとして示されていますか。

      7 ネブカデネザルの預言的な夢は問題の「石」つまりメシアによる王国が『ペルシャの国の君』や『ギリシャの君』のような目に見えない霊の天にいる政治上の敵を打つことを示してはいません。(ダニエル 10:13,20)王国の「石」は地的な,目に見える,人間的なもの,すなわち帝国主義的・民主主義的・急進的・社会主義的あるいは共産主義的のいずれを問わずこの世の統治機関を打ちます。

      8 同様に,啓示 17章と19章ではその王国の「石」はだれに,また何に対して戦うものとして示されていますか。

      8 それで啓示 17章12-14節は王国のメシア的な「石」のことを,その時には大いなるバビロンによる支配を排除した第八世界強国である国際連合の軍備を整えた代表諸国と戦うものとして示し,「これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する」と述べています。同様に,啓示 19章11-21節に述べられているハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」の詳しい記述も,王国のメシア的な「石」が,目に見えない天の霊の勢力ではなく,人間の支配者たちやその軍隊や支持者たちを伴う地上の世界的な政治体制との戦いに突入する様を示しています。

      9 この戦いすべては,人の住む地にどのように影響しますか。

      9 この戦いは,人の住む地の経験する最悪の苦難の時をもたらすものとなります。このことを予告して,ダニエル書 12章1節はこう述べています。『その[終わりの]時 汝の民[ダニエルの民イスラエル]の人々のために立つところの大いなる君ミカエル起ちあがらん これ艱難の時なり 国ありてより このかたその時にいたるまでかゞる艱難ありし事なかるべし』。

      10 (イ)「エホバの日」の最高潮に際してその象徴的な「像」はどうなりますか。(ロ)サタンとその悪霊たちが鎖で縛られて,底知れぬ所に入れられるのはいつですか。

      10 その時こそ,『石……その鉄と泥土と銅と銀と金と(を砕けり)』と述べられているネブカデネザルの夢の最後の部分が成就します。それらの物質は『皆ともに砕けて夏のうち場のぬかのごとくになり 風に吹きはらはれて止まるところなかりき』という状態になりました。(ダニエル 2:45,35)それこそ「不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日」の最高潮です。その日こそ「天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶ける」「エホバの日」です。また,「地とその中の業とは[燃えやすいものであることが]あらわにされるでしょう」。(ペテロ第二 3:7,10,12)啓示の書によれば,こうした『不敬虔な人びとの滅び』の後初めて,悪魔サタンとその使いである悪霊たちは鎖で縛られ,千年の間底知れぬ所に投げ込まれます。このようにして彼らが縛られ,底知れぬ所に入れられる事は,ハルマゲンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」の後に,それとは別個に起こる事柄として描かれています。―啓示 19:11から20:3。

      11 人びとの中の諸政府で成る「天」の背後の目に見えない勢力となってきたのはだれかを聖書はどのように示していますか。

      11 確かに悪魔サタンはイエス・キリストによって呼ばれた通り「この世の支配者」でした。(ヨハネ 14:30; 16:11)その上,使徒パウロも悪魔サタンのことを「この事物の体制の神」および「空中の権威の支配者」と呼びました。(コリント第二 4:4。エフェソス 2:2)パウロはまた,クリスチャンは「天の場所にある邪悪な霊の勢力」と格闘の勝負をしているとも述べました。(エフェソス 6:12)彼らが人びとの中の諸政府で成る「天」の背後の統制者で,見えない勢力となってきたことは紛れもない事実です。―啓示 13:1,2。ルカ 4:5-7。

      12 (イ)ペテロ第二 3章10-12節の説明は,底知れぬ所に投げ込まれる際にサタンとその悪霊たちに起きる事柄と合致しますか。(ロ)彼らが縛られて底知れぬ所に入れられるということは何を意味していますか。

      12 それでもやはり,サタンとその使いである悪霊たちは確かに,ペテロ第二 3章10-12節で述べられている溶解を被りはしません。彼らはハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日」に滅ぼされるのではありません。その後に,彼らはわけなく片づけられ,地から届かない非活性化された状態,底知れぬ深みに入れられます。それら邪悪な霊の勢力が縛られ,底知れぬ所に入れられる様は,サタンとその使いである悪霊たちが天から放逐される場合のように戦い,もしくは戦争として描かれてはいません。―啓示 12:7-13。

      待ち望まれている「新しい天と新しい地」

      13 エホバのクリスチャン証人は今や切なる期待を抱いて何を待ち望んでいますか。

      13 エホバのクリスチャン証人は今や,象徴的な「天」と「諸要素」と「地とその中の業」が溶解し,滅びる『エホバの日の臨在をしっかりと思いに留める』以上のことをしています。証人たちはこの事物の体制の溶解するその「日」の直後に,またサタンとその使いである悪霊たちが底知れぬ所に入れられた直後に起こる事柄を信仰を抱いて切に待ち望んでいます。そして,ペテロと共にこう言います。「しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」― ペテロ第二 3:13。

      14 ペテロによって記されたその約束の成就は,ネブカデネザルの夢の成就とどのように一致しますか。

      14 その「新しい天と新しい地」が到来する時,ネブカデネザルの預言的な夢の最後の部分,すなわち『その像を撃ちたる石は大いなる山となりて全地にみてり』という言葉が成就します。(ダニエル 2:35)このように,天のメシアによる王国は地上の,それも『全地をみたす』山として描かれています。

      15,16 新しい天と新しい地はどうして『神の約束による』,つまりエホバの約束によるものですか。

      15 待望の「新しい天と新しい地」は『神の約束による』もの,つまりその前節で指摘されているエホバの約束によるものであると使徒ペテロは述べています。特にペテロの用いた表現の出ている,そのような神の約束は,イザヤ書 65章17,18節(新)と66章22節にあります。その約束は神の霊感のもとにこう記されています。

      16 「ここにわたしは新しい天と新しい地を創造する。以前のものは思い出されることもなく,心に上ることもない。しかし,あなたがたは歓喜し,わたしが創造するものを永遠に喜びなさい。ここにわたしはエルサレム,喜びのいわれを,またその民,歓喜のいわれを創造するからである」。『エホバのたまはく わが造らんとする新しき天と新しき地とわが前にながくとゞまるごとく なんぢの裔となんぢの名はながくとゞまらん』。

      17 イザヤのその預言はどこで,またいつ小規模な成就を見ましたか。

      17 西暦前732年ごろに記されたこのイザヤの預言は,使徒ペテロによって将来の事柄として適用されてはいますが,イザヤが預言した後2世紀ほどして小規模な,つまり縮図的な成就を見ました。それはユダの地とエルサレムが荒廃して安息を守った七十年の期間が終わり,流刑の身のユダヤ人の忠実な残りの者が西暦前537年にバビロンから彼らの天与の故国に帰った時のことでした。西暦前515年のアダルの月の3日までにはエルサレムは再興され,その神殿は再建されました。(エズラ 6:13-22)西暦前455年には知事ネヘミヤの監督のもとでエルサレムの城壁が再建され,それを祝う楽しい行事が行なわれました。(ネヘミヤ 6:15)やがてエルサレムは再び世界的に有名な都市となりました。―ダニエル 9:24,25。

      18 その縮図的な成就の場合,「新しい天」とは何でしたか。

      18 イザヤの預言のこの縮図的な成就においては,その「新しい天」とは知事ゼルバベルとその後継者の新しい義の政府のことでした。回復されたエルサレムに本部を持つその政府は,西暦前607年にバビロニア人によって覆された,エホヤキム,エホヤキンそしてゼデキヤ王の腐敗した政府に取って替わりました。知事ゼルバベルはハガイ書 2章23節の次のような預言の中で,より大いなるゼルバベルの予型として用いられました。『万軍のエホバいひたまはく シャルテルの子わが僕ゼルバベルよ エホバいふ その日に我なんぢを取り なんぢを印のごとくにせん そはわれ汝をえらびたればなり 万軍のエホバこれを言ふ』。

      19 (イ)当時の「新しい地」とは何でしたか。(ロ)その預言は再び人が住むようになったユダの地で完全に成就しましたか。

      19 再び人が住むようになったユダの地を治める政府として広がったこの予型的な「天」のもとには「新しい地」がありました。その「新しい地」とは,バビロンを去ってエルサレムを再興し,エホバの契約に従ってモーセの律法に基づく清い崇拝を捧げる神殿を再建した,清められ,回復されたユダヤ人の残りの者のことでした。(イザヤ 66:8)預言の古代におけるこの成就は単なる例証的な小規模な成就にすぎませんでしたから,「新しい天」のもとでの「新しい地」の生活事情に関する「わたしの聖なる山のどこにおいても,彼らは傷つけることもなく,損なうこともない」という預言は単にある程度実現したにすぎませんでした。(イザヤ 65:19-25,新)イザヤ書 66章22節の大規模な成就の際の『新しい天』と『新しい地』は,エホバ神のみ前に永久にとどまるよう定められていたものでした。

      20,21 (イ)わたしたちが神の約束によって待ち望んでいる「新しい天」とは何ですか。(ロ)メシアによる王国はどのようにして,ダニエルが予告したように『全地にみちる大いなる山』になりますか。

      20 それで,エホバのクリスチャン証人が神の約束によって長い間待ち望んでいた「新しい天」は,ダビデ王の永久相続者の手中にある,神のメシアによる王国のうちに実現しています。この王国はハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」で地上の王たちやその政府を打ち砕く例の王国の「石」ですから,それは人間の政治上の支配権を一つとして地球上に存続させておくようなことはしません。従って,あの石のようなメシアによる王国は必ず,全地を覆って満たす大いなる山のようになります。それはダビデのイスラエル王国がキリストによってこの地上に再興されるという意味ですか。そうではありません! 地の表にはダビデの王国の地的な表われとなるものさえないでしょう。その永久相続者であるイエス・キリストは肉身で,見える様で中東のエルサレムの都で統治するのではありません。

      21 その政府の所在地は「生ける神の都市なる天のエルサレム」となります。(ヘブライ 12:22。啓示 14:1)その山のような政府は,古い事物の体制の象徴的な「天」を成していた人間の統治機関すべてに代わります。(イザヤ 34:3-5)こうして,実際には見えない霊の天にあって統治する新しい「天」が存在することになります。

      22,23 (イ)イエス・キリストは,この事物の体制の諸政府で成る「天」を支配してきたサタンの影響をどのようにして除去しますか。(ロ)「新しい天」の約束が,霊によって油そそがれたクリスチャンにとって特に貴いのはなぜですか。(ハ)啓示 21章1-4節で言及されている「以前の天」「以前の地」そして「海」とは何ですか。何がそれらに取って替わりますか。

      22 悪魔サタンは地上のこの事物の体制の,諸政府で成る「天」を支配してきた見えない支配者です。「エホバの日」の壊滅的な「火」はそれら政府で成る「天」を溶解させて滅ぼし,悪魔サタンをして彼が何千年も支配してきたそのような「天」を失った状態に陥らせるでしょう。(啓示 13:1,2; 19:19-21)確かに彼が「新しい天」を支配することはありません。地的な事物を支配する彼の見えない立場は,ダビデの永久相続者,つまり死人の中から復活させられて悪魔サタンやその使いであるすべての悪霊よりもはるかに強力な不滅不朽の霊者となったイエス・キリストの見えない超人的な支配に取って替わられるでしょう。サタンとその使いたちは地の近辺の拘束された場所から除かれ,地を支配するいかなる「天」に対しても統制力を行使し得ない底知れぬ所に幽閉されることになっています。(啓示 20:1-3)イエス・キリストは今や天の霊者なる王ですから,彼の「新しい天」はまさに文字通りの意味の天となります。それ以外の政府の天は存在しないでしょう。使徒ペテロや霊によって生み出された油そそがれた仲間のクリスチャンは,その約束された「新しい天」の樹立を切なる期待を抱いて待ち望むことができました。どうしてですか。もし死に至るまで忠実であれば,イエス・キリストと共にその「新しい天」の一部になれるという,神からの『貴い,しかもきわめて壮大な約束』を持っているからです。彼らは神の相続者で,イエス・キリストと共になる共同相続者です。(ペテロ第二 1:4。ローマ 8:16,17)彼らの全会衆は,王イエス・キリストの王妃のような「花嫁」を構成します。こうして,神はイザヤを用いて「新しい天と新しい地」について預言させた後,8世紀余たってから,さらにこのような輝かしい事柄に関する約束を使徒ヨハネによってお与えになりました。そして使徒はこう書きました。

      23 「それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天[統治する諸政府と共にサタンとその使いである悪霊たち]と以前の地[不敬虔な人間の社会]はすでに過ぎ去っており,海[不安定で,動揺する人類の大集団]はもはやない。また,聖なる都市,新しいエルサレムが,天から,神のもとから下って来るのを,そして自分の夫のために飾った花嫁のように支度を整えたのを見た。それとともに,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ! 神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである』……使いのひとりが……わたしと話をしてこう言った。『こちらに来なさい。子羊の妻である花嫁をあなたに見せよう』。そうして彼は,霊の力のうちにわたしを大きく高大な山に運んでゆき,聖なる都市エルサレムが,天から,神のもとから下ってくるのを(見せてくれた)」― 啓示 21:1-4,9,10。

      義の「新しい地」

      24 「大群衆」はその「新しい地」で何になりますか。どんな有利な環境に恵まれて仕事に取りかかりますか。

      24 「大患難」を生き残る見込みのある例の「大群衆」もまた,切なる期待を抱いて「新しい天と新しい地」を待ち望んでいます。この「新しい地」は,「新しい天」のもとで生活を営む新しい人類社会となります。(啓示 7:9-14)ノアとその家族が世界的な大洪水を生き残って地上の新しい人類社会の中核を構成したのと全く同様,「大群衆」も迫り来る「大患難」を生き残って,新しい人類社会,象徴的な「新しい地」の恒久的な中核を構成します。彼らは共に「大患難」を切り抜ける霊的なパラダイスで生活を始めますが,その時には文字通りの地を地球全域にわたるパラダイスに変える仕事に取りかかるでしょう,野生動物も家畜も人間と仲よくなるでしょう。

      25 その時の事情は,イザヤの預言が縮図的成就を見た当時の回復されたイスラエル人の事情よりもどのようにはるかに有利なものとなりますか。

      25 その時,義の「新しい天」のもとに汚染のない,清められた地上で生活する特権は,回復されたイスラエル人がイザヤの預言の縮図的成就に際してペルシャ領のユダ州で経験した事をはるかに凌駕する比類のない特権となるでしょう。ああ,「以前のもの」は過ぎ去って,もはや死もなく,もはや死者を悼むこともなく,叫びも心痛もない地上で生活することをちょっと考えてもみてください!

      26 その時,エホバは死者のためにさえ何を行なわれますか。

      26 永遠の父イエス・キリストとその王国共同相続者たちの統治下で,「大群衆」の成員は美と豊かさと幸福と平安の宿る世界的なパラダイスの中で限りない命を享ける道を進むことでしょう。亡くなった愛する者たちを悼む必要はなくなります。全能の神エホバは「新しい天」を用いて,イエス・キリストの贖いの犠牲の益を受ける死んだ人びとを復活させてくださるからです。(ヨハネ 11:25,26; 5:28,29。使徒 24:15。啓示 20:11-14)アベルからバプテストのヨハネに至るまでの男女の信仰の人を含め,復活させられるそれらの人たちは,その「新しい地」の一部となる機会に恵まれるでしょう。

      27 (イ)世界情勢は厳しいにもかかわらず,わたしたちはどうして人類が確かにそのようにして救われるということを確信できますか。(ロ)そのような救いの恩恵にあずかれるよう備えるには,わたしたちは個人個人今何をすべきでしょうか。

      27 心を慰めるこのような見込みがこの世代のわたしたちの前にあるなどとはおよそ信じられないように思えます。しかしそれでも,それはわたしたちの前にあるのです! 世界情勢はかつてないほど一層暗たんたるものになりました。世の苦難は深まる一方です。人間の無力さはいよいよ明らかになり,人間的な源からの救済は不可能となっています。にもかかわらず,人類は地上の苦難の最悪の状態から救い出されるでしょう。人類家族は死に絶えたり,絶滅させられたりはしません。人類家族の中には世の苦難を脱して,同様の世の苦難が二度と再び生じない義の新秩序に入る人たちがいることでしょう。わたしたちにはその事を示す全能の神ご自身の言葉があります。その神の言葉に全き信仰を抱いて今生活するなら,世の苦難から救われる道を整えることになります。その救いは近づきました!―マタイ 24:21,22。ナホム 1:9。

  • 世の苦難が最高潮に達する時,わたしたちはだれの側にいますか
    世の苦難からの人間の救いは近い!
    • 18章

      世の苦難が最高潮に達する時,わたしたちはだれの側にいますか

      1 (イ)現在の邪悪な事物の体制の完全な滅びは,どんな手だてによってのみもたらされますか。(ロ)目ざめていることはわたしたちすべてにとってなぜ重要ですか。

      人間の作り上げた事物の体制をしっかり捕らえている世の苦難は西暦1914年以来,計り知れない損害をもたらしてきました。しかし,それは政治上の「上にある権威」やそのような政治上の権威のもとで組織された人類社会を溶解させるものとはなりませんでした。(ローマ 13:1。テトス 3:1)象徴的に言って,古い「天」と「諸要素」と「地とその中の業」は依然わたしたちと共にあります。こうした古くからの事物の完全な溶解もしくは滅びは,「エホバの日の臨在」によって初めてもたらされるでしょう。聖書および歴史上のあらゆる徴候はそれが近いことを示してはいますが,それでも「エホバの日は盗人のように来ます」― ペテロ第二 3:10-12。テサロニケ第一 5:2。

      2 エホバの日が到来する時,地上には油そそがれたクリスチャンがなおとどまっていることを念頭に置いた使徒ペテロは,どんな訓戒を書き記しましたか。

      2 聖書の確かな証拠によれば,エホバの日がこの事物の体制に到来する時,キリストの王国共同相続者の会衆の最後の成員がなおこの地上にいることでしょう。使徒ペテロはこのことを考慮に入れました。その「日」が象徴的な古い「天」と「諸要素」と「地」にもたらす結果を述べた後,使徒が次のような訓戒を付け加えたのはそのためです。「それゆえに,愛する者たちよ,あなたがたはこれらのものを待ち望んでいるのですから,最終的に汚点もきずもない,安らかな者として見いだされるよう力をつくして励みなさい。さらに,わたしたちの主のしんぼうを救いと考えなさい。それはわたしたちの愛する兄弟パウロも,自分に与えられた知恵にしたがってあなたがたに書いたとおりであり,彼はそのすべての手紙の中でしているように,これらのことについて述べているのです。しかし,彼の手紙の中には理解しにくいところもあって,教えを受けていない不安定な者たちは,聖書の残りの部分についてもしているように,これを曲解して自らの滅びを招いています」― ペテロ第二 3:14-16。

      3 その訓戒と一致して,霊的なイスラエルの残りの者は「汚点もきずもない,安らかな」者であるよう自らを保つために何を行なってきましたか。

      3 霊的なイスラエルの残りの者の最後の成員は依然としてエホバの日とそれがこの不敬虔な事物の体制にもたらす滅びを待ち望んでいるので,最高の審判者であられる主権者なる主エホバから見て汚点もなく,きずもない,安らかな者として見いだされるよう最善を尽くしています。苦悩するこの世からの増大するあらゆる圧力にもめげず,彼らは「潔くして汚れなき宗教」を固守します。汚れた世から離れて汚点のない者として身を保つことにより,清い「崇拝の方式」を固守します。(ヤコブ 1:27,欽; 新)彼らは政治的な「野獣」や人間の作り上げたその「像」である国際連合を崇拝しようとはしません。(啓示 13:1-15; 15:2-4)流血の罪によって汚されるようなことは避けます。諸国家やこの世の政党間の血なまぐさい戦いに参加せず,中立を厳守するからです。彼らはこの世のものにならないという点で自分たちの指導者イエス・キリストに見倣います。―ヨハネ 15:19; 17:14,16。

      4 「わたしたちの主のしんぼう」強さはどのようにして救いを意味することになりましたか。

      4 彼らは,「わたしたちの主のしんぼうを救いと考えなさい」という使徒ペテロの勧告に従います。(ペテロ第二 3:15)そして,主権者なる主エホバが「不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日」をあまり早くもたらさないよう辛抱なさったので結局自分たちが救いにあずかれたのだということを理解しています。(ペテロ第二 3:7)同時に,そのために救いの手だてが他の人びとにも差し伸べられてきました。

      5 ペテロの勧告の精神と調和して,霊的なイスラエルの残りの者の成員は,どんな仕事に専念しましたか。

      5 それら残りの者は救いのためのこうした時間的猶予を善用して,復活させられたイエス・キリストの命令を遂行し,行ってすべての国の人びとを弟子として水でバプテスマを施し,イエスのお命じになった事柄すべてを守り行なうよう教えてきました。(マタイ 28:18-20)そして,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」というイエスの預言の成就として行動することによって,自分たちの信じているものこそ希望を与える唯一のもので,全人類のための唯一の正当な政府であることを示して来ました。(マタイ 24:14。マルコ 13:10)このような道を取ることによって,キリスト教世界の僧職者や異教圏の僧侶と一緒になってこの世の政治に干渉する代わりに,「[天の父の]王国と神の義をいつも第一に求め」続けてきました。(マタイ 6:33)こうして,「キリストの代理をする大使」としての使命を果たしてきました。―コリント第二 5:20。

      6 彼らは「わたしたちの主のしんぼう」強さを無にしないようにさせるためだれを助けてきましたか。今後,どれほど多くの人びとが集められるでしょうか。

      6 それら王国を追い求める人たちの油そそがれた残りの者は最高の審判者エホバの辛抱強さにより,弟子を作るこの活動を世界的に進めることによって,王国相続者の残っている最後の者たちを集める以上の事を行なう特権に恵まれてきました。西暦1935年以来,啓示 7章9-17節で予告されている羊のような人びとの「大群衆」を崇拝のためのエホバの霊的な神殿に集めるよう,神のみ言葉によって導かれてきました。その預言は「大群衆」を構成することになっているそれら羊のような人たちの人数に限度を定めてはいません。それで,「ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれる」神の辛抱強さによって猶予されている期間中にできるだけ多くの人びとを霊的な神殿に集める業は進展して行きます。(ペテロ第二 3:9)「エホバの日の臨在」以前にそのような人びとが一体どれほど集められるかはだれも予測できません。しかし,この「大群衆」が生存者として「大患難」を切り抜けて出て来た後に,直接数えるか人口調査をするかして,「大群衆」には結局どれほどの人びとが含まれたかが分かるでしょう。

      7 (イ)それらの人たちは皆,油そそがれた残りの者と共にどんな名称を受け入れましたか。(ロ)その名称にふさわしく行動するためどのように努力していますか。どれほど多くの土地で自分たちの活動を遂行していますか。

      7 既に集められて献身してバプテスマを受けた人たちは皆,また14万4,000人の霊的なイスラエル人の油そそがれた残りの者も全世界を前にして自らエホバのクリスチャン証人であると宣言してきました。(イザヤ 43:10-12; 44:8)彼らは口頭で,また聖書を解説する印刷物を頒布することによって,その名称に伴う責任を全うし,その名にふさわしく行動するよう誠実に努力しています。主権者なる主エホバのそれらクリスチャン証人たちの組織された会衆は世界中で幾万にも達しており,1975年の「年鑑」は1974年8月31日付で3万4,576の会衆を報告しています。そして,207もの土地や群島から熱心な証人たちによる宣べ伝えて弟子を作る活動の報告が寄せられています。

      8 (イ)彼らは皆,自分たちの所有者であるだれの所有権を認めていますか。このことはどのように身の守りとなっていますか。(ロ)彼らはイエスの記念としてどんな記念日を従順に守っていますか。このことをいつまで行ない続けてゆきますか。

      8 彼らは偽教師の到来を予告した使徒ペテロの警告に留意しています。それらの者はクリスチャンと称しながら,「自分たちを買い取ってくださった主人のことをさえ否認し,自らに速やかな滅びをもたらすのです」。(ペテロ第二 2:1)キリストの王国共同相続者の油そそがれた残りの者と「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」「大群衆」の人たちは,『自分たちを買い取ってくださった方』すなわち子羊イエス・キリストの所有権を誠実に認めています。イエスの記念として行なうようにとのその命令に従順に従った彼らは,西暦33年の過ぎ越しの日におけるイエスの死の記念の日であった1975年3月27日,木曜日に集まって,イエスがご自分の犠牲の死の記念として制定した主の夕食を行ないました。(マタイ 26:20-30。ルカ 22:14-20。コリント第一 11:20-26)彼らは,『彼が到来して』上なる天の父の家でご自分と共になるよう,その「花嫁」級の残りの者を連れて行く時まで,こうした定められた仕方で引き続き『主の死をふれ告げて』ゆく覚悟でいます。―エフェソス 5:23-27。

      9 エホバのクリスチャン証人は自らの間で「安らかな者として」見いだされることの大切さを心に銘記していることをどのように示していますか。

      9 使徒ペテロの勧告と一致して,それらエホバのクリスチャン証人は皆,自らの間で最終的に「安らかな者として」見いだされるよう最善を尽くしています。従って,『破壊的な分派をひそかに持ち込む』偽教師と行動を共にしたりはしません。(ペテロ第二 3:14; 2:1,2)こうして,千もしくはそれ以上の分派に分かれているキリスト教世界の宗教状態に陥らないようにしています。霊的なイスラエル人の油そそがれた残りの者は天の王国の希望を抱き,数え切れない「大群衆」がパラダイスとなる地上で永遠の命を受ける希望を抱いているのは事実です。しかし,それでもこの双方の級の人たちは皆,「ひとりの羊飼い」イエス・キリストのもとで「一つの群れ」としてエホバの霊的な神殿で平和裏に一緒に崇拝を行なっています。―ヨハネ 10:11,16。啓示 7:17。ミカ 2:12。

      10,11 (イ)使徒パウロが言及し,油そそがれた残りの者と「ほかの羊」の双方が服している「管理」とは何ですか。(ロ)エフェソス 1章9-14節で示されているように,その「管理」の目的は何ですか。

      10 クリスチャンの真の平和のために,天的な相続財産を持つ油そそがれた残りの者と地的希望を抱く「大群衆」の「ほかの羊」は,西暦33年のペンテコステの日以来,神が進めておられる「管理」に服しています。神がご自分の目的に従って進めておられるこの「管理」つまり管理方法についてはエフェソス 1章9-14節の中でわたしたちのために記されています。エホバ神に関するそれらの言葉を読む際,その「管理」つまり管理方法の目的に注目することにしましょう。

      11 「[神は]み旨の神聖な奥義をわたしたちに知らせてくださ(いました)。それは,定められた時の満了したときにおける[つまり,西暦33年のペンテコステ以降の]管理のため,ご自身のうちに定められた意向にしたがってであり,すなわちそれは,すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集めることです。そうです,[キリスト]において,彼との結びつきにおいて,わたしたちはまた[神の]相続人として選定されたのです。み旨のおもむくままにすべてのものを作用させるかたの目的のもとに,わたしたちがあらかじめ定められていたからであり,それは,キリストに望みを置く点で最初の者となったわたしたちが,その栄光の賛美に仕えるためです。しかしあなたがたも,真理のことば,すなわち,あなたがたの救いについての良いたよりを聞いたのち,彼に望みを置きました。そして信じたのち,やはり彼により,約束の聖霊をもって証印を押されたのです。それはわたしたちの相続財産に関する事前の印であり,また,神ご自身の所有物を贖いによって釈放し,その栄光ある賛美とすることを目的としています」。

      12 (イ)その句の後の方で言及されている「神ご自身の所有物」とは何ですか。(ロ)エフェソス 1章10節で指摘されている「天にあるもの」とは何ですか。それらのものがキリストにあって集められるとは何を意味していますか。

      12 「贖いによって」釈放される「神ご自身の所有物」とは何ですか。それは王国相続者の会衆で,それらの人たちは天的な相続財産を持っており,彼らに与えられる神の聖霊の賜物はその天的な相続物を受ける事前の印となっています。彼らはキリストにあって再び集められ,霊的な頭であるイエス・キリストのもとで勢ぞろいすることになっている「天にあるもの」です。それらの人たちは神の「相続人」またイエス・キリストの共同相続人として選定されました。頭としてのイエス・キリストのもとに彼らを再び集めるのは神の「管理」の第一段階で,その管理に従って神は全宇宙に一致をもたらされるのです。―ローマ 8:16,17。

      13 (イ)神の宇宙の統一を図るために,さらにどんな処置が講じられることになっていますか。(ロ)国際連合はその目的の達成に寄与していますか。

      13 しかし,「天にあるもの」を再びキリストのうちに集めることによって,神の「管理」つまりモーダス オペランディがその目的を完全に果たすのではありません。その最初の段階によって神の宇宙の至る所で完全に一致が確立されるのではありません。やはりキリストにあって再び集められねばならない「地にあるもの」があるのです。そのような地上のものを集めるのは,神の宇宙の統一を図る第二の,そして最終的段階です。悪魔サタンとその使いの悪霊たちは,神により任命されたイエス・キリストの頭の権のもとでなされるこうした統一に反対しています。同様に,この世の統治機関もそのような統一に反対しています。「地のもの」の統一という彼らの最高の概念の表われは,国際連盟の後身である,人間の作り上げた国際連合です。とは言え,何ものも,「み旨のおもむくままにすべてのものを作用させる」全能の神の目的を妨げることはできません。神のモーダス オペランディつまり「管理」は功を奏することになります。

      14 「地のもの」が再びキリストのもとに集められるということはいつ以来明らかに見られますか。それはどの程度行なわれてきましたか。

      14 今やエホバ神は宇宙的統一を図るためのご自身の「管理」の第二の段階を進めておられることが分かります。西暦1914年には異邦人の時の終わりに際して天でメシアによる王国が定められた時に樹立され,それに続いて「地のもの」を再び集める業を進めることができました。第一次世界大戦の終結後,キリストの共同相続者の油そそがれた残りの者を集める業は進められ,統一を図るための「管理」の第一段階の完了に向かって進展しました。しかし,大変意外なことに,また油そそがれた残りの者にとっては大いに喜ばしいことですが,頭であるキリストのもとに「地にあるもの」を再び集める業が西暦1935年に始まりました。同年の春,神の目的と時に従って,啓示 7章9-17節の長い間誤解されていた「大群衆」の実体が明らかにされました。第二次世界大戦によって引き起こされた国際的動乱と言えども,地的なパラダイスの希望を抱く「大群衆」を集める業を中止させるものとはなりませんでした。40年余の後の今日,200万余の人びとがエホバの霊的な神殿にいるあの「大群衆」と自分たちが同一であることを明らかにしています。

      15,16 では,エフェソス 1章9,10節で言及されている『神のみ旨の神聖な奥義』とは何ですか。

      15 今日,わたしたちはすべて,エホバ神がその創造された全宇宙の統一を図るための「み旨の神聖な奥義」もしくは「ご自身の隠された目的」をわたしたちに親切にも知らせてくださったことを感謝できます。そして,地的なパラダイスを望み見る地上の人間の「大群衆」を集めることによって,統一を図るために神が意図した物事の処置の仕方がその第二段階に入った事態を自分自身の目で見ていることを特に感謝できます。わたしたちは神の恩寵もしくは過分の親切に関して使徒パウロと共に感謝を込めてこう言うことができます。

      16 「[神は]ご自分の隠された目的を私たちに知らせてくださいました。―それはキリストにあってあらかじめ定られたご自分の意志と意向でしたが ― 機が熟した時,実施されるため[もしくは,管理のため]でした。すなわち,宇宙が,天にあるものも地にあるものもすべてがキリストにあって一つにされるためなのです」― エフェソス 1:9,10,新英語聖書; ルーテル訳(ドイツ語); 新; ロザハム訳。

      17 こうした統一は実際には何を意味しますか。

      17 頭としてのイエス・キリストのもとで宇宙が一つにされるとは,天と地の統一を意味します。それは宇宙の主権者エホバ神のもとで宇宙が平和になることを意味しています。ゆえにそれは,「地上では平和が善意の人びとの間に」,神から善意を示される人びとの間にあることを意味します。―ルカ 2:14。

      迫り来る猛攻撃に一致結束して立ち向かう

      18 (イ)周囲の世の中とは対照的に,油そそがれた残りの者と「ほかの羊」の人たちの間にはどんな状態が見られますか。それはなぜですか。(ロ)それで,彼らは「エホバの日の臨在」が近いことをどう感じていますか。それは何を意味していますか。

      18 地上の増大する騒乱とは著しく対照的に,霊的なイスラエル人の油そそがれた残りの者と「ほかの羊」の「大群衆」の人たちはあらゆる土地で自分たち自身の間で「安らかな者」として見いだされています。人間の自然環境はますます汚染されていますが,彼らは神の恵みと祝福のもとにある霊的なパラダイスを享受しています。彼らは聖書の詩篇 91篇に鮮やかに描写されている霊的安全を享受しています。油そそがれた残りの者と「大群衆」の双方は一緒に「至高者のもとなる秘められた所に」住んでおり,自分たちのために「まさに全能者の影に宿り場」を得てきました。(詩 91:1,新)彼らは自分たちの神エホバに頼って保護と救助を求めます。そして,神の裁きの執行と「不敬虔な人びとの滅び」を伴う「エホバの日の臨在」を恐れることなく待ち望みます。その時,この古い世俗的な体制の溶解が起きますが,彼らは頭なるキリストのもとで集い続けるので,そのクリスチャンとしての一致は消滅したりはしないでしょう。

      19 「エホバの日の臨在」と関係のある出来事は油そそがれた残りの者と「大群衆」にとっては衝撃とはなりません。なぜでしょうか。

      19 この問題について既に世界的な規模で語られてきた事を,たとえ人びとが,キリスト教世界の人びとさえもが信じないとしても,彼らが読むべき警告の言葉は聖書の中にはっきりと述べられています。何に関する警告ですか。それは,「エホバの日の臨在」の期間に生涯の ― 初めての衝撃,世界中の何億もの人びとの宗教感情にとって驚くべき衝撃がもたらされるということです! 衝撃を受ける人びとの中には,霊的なパラダイスの中にいる油そそがれた残りの者とその仲間の崇拝者たちの「大群衆」が含まれますか。いえ,決して含まれません! それどころか,彼らは宗教上のその衝撃的な出来事を期待してきたのです! 彼らはその出来事と調和しています。それはエホバ神の裁きの表われとなるからです。彼らは何十年にもわたってそのことについて人びとに警告を発してきました。彼らは国際的に悪名高いあの宗教上の娼婦,大いなるバビロンの驚くべき突然の滅びについて直接関係する人びとにあらかじめ警告する義務を怠りはしませんでした。

      20 啓示 18章2-4節のどんな緊急な助言をエホバのクリスチャン証人は世の中に広めてきましたか。

      20 大いなるバビロンとはだれか,またそれは何を象徴しているかを明らかにしてきたのはエホバのクリスチャン証人です。それで彼らは一体だれが直接危害を受ける者となるかを人びとに示してきました。単に“不吉な予言”ばかりを盛んに述べようとしてきたのではありません。次のような黙示録の緊急な助言を世の中に広めるからと言って,単に宗教上の人騒がせを引き起こしてきたのではありません。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい」― 啓示(黙示録)18:2-4,新; ドウェー訳。

      21 (イ)エホバのクリスチャン証人は大いなるバビロンがだれであることを明らかにしましたか。(ロ)大いなるバビロンのどんな部分がまず最初に神からの裁きの執行を受けますか。なぜでしょうか。

      21 地上の全宗教圏が関係しています。と言うのは,事態を相当研究した後,エホバのクリスチャン証人は大いなるバビロンとはローマ・カトリック教会でも,組織化されたキリスト教世界でもなく,偽宗教の世界帝国であることを明らかにしてきたからです。宗教上その世界帝国の主要な構成要素また代弁者は,キリスト教世界です! 同世界は同帝国の中でも最も責められるべき要素です。なぜなら,同世界は“キリスト教”を奉ずると唱えているからです。同世界の冒涜的な言動は“異教圏”のそれを上回っています!(真のクリスチャンを含め)宗教上の少数者に対する同世界の迫害は,“異教世界”のそれを上回っています! また,キリスト教世界の流血の罪は,キリスト教以外の全宗教圏のそれをもしのいでいます! この点を考えると,霊感を受けた聖書から見て明らかと思えることからすれば,大いなるバビロンに対する神の裁きの執行の際,キリスト教世界がまず最初に注目されるのは奇妙なことではありません。―エレミヤ 25:13-29。

      神の不思議な行ないと異常な業

      22 (イ)現代のキリスト教世界の歴史的な類似物はどこに見られますか。(ロ)イザヤ書 28章15節の言葉遣いは古代エルサレムの支配者たちの取った道をどのようによく描写していますか。

      22 西暦前607年にバビロンの異教徒の軍隊によってユダヤ教のあの中心地とその領域が完全に荒廃させられる前の最後の何年かの時期の不忠実なユダとエルサレムは,今日のキリスト教世界の古代の類似物となっています。不忠実なエルサレムに対するエホバの預言者たちの霊感を受けた警告が増大し続けるにつれ,彼女はこの世的な方法で自らの存続を図り,神の預言が偽りであることを示そうとしました。彼女は死と契約を結んでいたので,その契約の条項に従って死によって倒されることはないと考えました。また,シェオルと「幻」を共にしていたので,その幻によれば自分が命のない死骸のように墓に下るのをシェオル(人類共通の墓)に見られることはないと自分自身に思い込ませていました。彼女は「偽り」であることが分かることになっていたこの世的で欺瞞的な取り決めを避難所としました。主張や期待を裏切る企てのうちに隠れて,予言された滅びを免れようとし,こうして「虚偽」のうちに身を隠しました。神であるエホバを避難所としたり,その方のもとに隠れ場所を見いだしたりはしませんでした。―イザヤ 28:14-16,新。

      23,24 (イ)現代のキリスト教世界はどのようにして同様の道に従ってきましたか。(ロ)それで,預言者イザヤが予告したように,キリスト教世界には何が望みますか。

      23 現代のキリスト教世界も同様のことをしてきました。彼女も自らを永続させようとして世俗の政治権力と不倫な友好的取り決めを作りました。そして,エホバのクリスチャン証人が特に大戦後の西暦1919年以来世界的に宣明してきた,メシアによる神の天の王国に信仰も信頼も寄せませんでした。従って,聖書預言の縮図的成就として古代のエルサレムとユダに適中した事は,今や同じ聖書預言の主要な完全な成就として適中しようとしています。古代の歴史は,信仰の欠けたエルサレムについてエホバが次のように述べた預言がいかに適中したかを示しています。

      24 「そして,わたしは公正を測鎖線とし,義を[ご自分の目的に従って物を組み立てる際に使う]水準測量器とする。そして,雹は必ず偽りの避難所を一掃し,水はまさしく隠れ場所を立ちのかせる。そして,あなたがたの死との契約は確かに解消され,あなたがたのシェオルとのあの幻は立たない。みなぎりあふれる鉄砲水は,それが通り抜ける時,あなたがたもまたそのために踏みにじる所となる。それが通り抜けるたびごとに,それはあなたがたを連れ去って行く。朝な朝な,昼間も夜の間もそれは通り抜けるからである。聞かされた事を他の者たちに理解させるのは,必ずほかならぬ身震いをする理由となる」― イザヤ 28:17-19,2,3,新。

      25 (イ)預言が述べているように,起きている事に関する知らせを聞くのは,どうして「身震いをする理由」となりますか。(ロ)その時にエホバが取られる行動は,以前のどんな時に行なった事に似るものとなりますか。

      25 単に知らせを聞くだけでどうしてそれが人を身震いさせる理由となるのでしょうか。なぜなら,その知らせは,神の不忠実な自称崇拝者たちによって作られた世慣れた企てがすべて,シーツを掛けたベッドに入る時のように身を覆って安心して休むには不十分なものと判明した旨告げ知らせるものとなるからです。イザヤによるその預言はさらにこう説明を続けます。「寝いすはその上で身を伸ばすには短すぎ,織った布も身を包む時には狭すぎるようになるからである。エホバは丁度ベラジム山でのように立ち上がり[そこでは,敵のペリシテ人に正面攻撃をかけた後,ダビデ王は言いました。『真の神は,水によって作られる割れ目のように,わたしの手によってわたしの敵を打ち破られた』],丁度ギベオンの近くの低い平野でのように激こうされるからである[そこでは,ダビデ王にペリシテ人に対する二度目の勝利を得させる前にエホバが彼に言われました。『真の神はペリシテ人の宿営を打ち倒すためにあなたより先に出ている』]。それはご自分の行ない ― その行ないは不思議である ― をするため,またご自分の業 ― その業は異常である ― をなさるためである。だから今,自ら嘲笑者であることを示してはならない。あなたを縛るものが強くならないためである。絶滅,それもわたし[イザヤ]が主権者なる主,万軍のエホバから聞いた,全地に対して定められた事柄があるからである」― イザヤ 28:20-22; 歴代上 14:8-16,新。サムエル後 5:17-25。また,ヨシュア 10:1-14。

      26 エホバが間もなく行なう『不思議な行ない』や『異常な業』とは何ですか,それがそのように描写されているのはどうして適切なことですか。

      26 キリスト教世界の滅びをもたらす以上にエホバ神の『不思議な』行ない,『異常な』業があり得るでしょうか。ほかにはあり得ないでしょう。と言うのは,人はこう問うこともできるからです。キリスト教世界は“神の恩寵によって”同宗教圏を支配しているのだと唱えてきたではないか。同世界は神のキリストを地上で代表していると唱えているではないか。その通りです! であれば,種々の聖書協会によって世界中で聖書を何百もの言語で,しかも10億冊以上も広めてきたキリスト教世界をエホバ神は存続させてくださると考えるべきではないでしょうか。それにもかかわらず,全能の神が「エホバの日の臨在」の際にキリスト教世界を存続させないのは,キリスト教世界の教会に通う何百万もの人びとにとっては『不思議に』思えるでしょう! 近づいている「大患難」の初めに神がキリスト教世界に壮烈な滅びをもたらすのは,本当に『異常に』思えるでしょう。

      大いなるバビロンを素早く打ち倒せ!

      27 (イ)エホバはキリスト教世界をまず第一にどんな理由に基づいて壊滅させますか。(ロ)同世界の滅びはどうして「盗人のように」やって来ますか。

      27 偽りの宗教組織の一覧表の筆頭に挙げられているキリスト教世界が壊滅させられる正当な理由は,同世界が「最終的に[エホバによって]汚点もきずもない,安らかな者として見いだされ」てはいないことにあります。(ペテロ第二 3:14)しかも,同世界こそ神の唯一真の教会であるとするそのあらゆる主張にもかかわらずそうなのです! 同世界は偽善的で,キリスト教の名のもとに行進しながら,同時に教えや行ないの点ではバビロン的であることが明らかにされています。神の裁きを執行するエホバの日に同世界に火のような滅びをもたらすのは『不思議な』行ないですし,『異常な』業ですから,それは「盗人のように」同世界に臨むでしょう。―ペテロ第二 3:10。

      28 エホバの正しさが立証されるためには,どうしてキリスト教世界が滅びなければなりませんか。

      28 キリスト教世界を滅ぼすことによって,主権者なる主エホバは,同世界の存続してきた何世紀もの間のその恥ずべき行動に対してご自分には一切責任がないことを弁明しなければなりません。同世界とは決して関係を持たなかったこと,また同世界をご自分の愛するみ子と霊的に結婚させて『キリストの花嫁』にするよう婚約させたりは決してなさらなかったことを立証しなければなりません。同世界は宗教上の娼婦でしたから,エホバ神は彼女を「世の友」であるゆえに「神の敵」と認めておられたことを示さなければなりません。―ヤコブ 4:4。

      29 (イ)キリスト教世界が一掃されると共に偽宗教に対する神の裁きは終わりますか。それとも,どうなりますか。(ロ)大いなるバビロンは何によって滅ぼされますか。彼らはなぜそうしますか。

      29 偽宗教に対する神の裁きは,キリスト教世界が一掃されると共に終わる訳ではありません。あの宗教上の偽りの世界帝国である大いなるバビロンの主要な構成要素が除去されねばならないのであれば,同世界の残余の構成部分もすべて除去されねばなりません。同世界は何ら痕跡を残すことなくことごとく除去されなければなりません。この国際的な娼婦の肉の部分はすべて野獣によるように必ず食い尽くされます。彼女は荒廃させられ,裸にされるのです! 火によるように必ず完全に焼き尽くされてしまいます。神の誤りのないみ言葉の中でそう定められているからです。「そして,あなたの見た十本の角,また野獣[今日の政治上の第八世界強国],これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼きつくすであろう」。(啓示 17:16)皮肉にも,彼女の以前の世俗的な友が,神とキリストに対する愛からではなく,彼女に対する嫌悪と侮べつの念から彼女を滅ぼす張本人となるのです。

      30 国際連合内の政治上の諸強国が大いなるバビロンを裸にして滅ぼす時,エホバの証人もまたその影響をある程度感ずるでしょうか。

      30 第八世界強国は今日,138の加盟国を擁する世界を包含する政治機構ですから,いかなる宗教的・霊的な意図であれそれに反対して世界中で行動を起こすでしょう。エホバのクリスチャン証人でさえ影響を免れることはできません。確かに国際連合の加盟138か国は,エホバのクリスチャン証人がキリスト教世界の一部ではないこと,いや,売春婦のような大いなるバビロン全体の一部でもないことを知っています。エホバの証人がこの世の卑劣な政治によって自らを汚したり,七つの頭と十本の角を持つ象徴的な緋色の「野獣」に乗ろうとしたりはしなかったことをも承知しています。それで,「大いなるバビロンをその背から引き下ろして裸にし,焼却する際,この政治的な「野獣」は,「娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの[憎まれた]母」と勘定を清算するに当たり,直接エホバの証人にほこ先を向けることはしないでしょう。(啓示 17:5)それでも,今日の国際連合に代表を送っている政治上の諸強国が自ら必要と考える処置をあらゆる宗教に対して取る時,エホバの証人も恐らくある程度の影響を受けずには済まないでしょう。例えば,宗教団体の資産全部に対する緊急課税,あるいは宗教団体の所有する貴重品や資産全部の徴収,もしくは宗教法人に対する国による設立許可を取り消してその滅びを図ろうとする措置の影響を受けるかもしれません。

      31 使徒ヨハネの場合に例証されているように,大いなるバビロンが滅ぼされる際,エホバの油そそがれた証人たちはどんな立場を占めますか。

      31 しかし,預言を収めた聖書は主権者なる主エホバのクリスチャン証人を何千年もの年月を経た大いなるバビロンのぞっとするような壊滅の傍観者として描写しています。流刑地パトモス島にいた年老いた使徒ヨハネは明らかに,今日の霊的なイスラエルの油そそがれた残りの者を代表する人でした。使徒ヨハネは,悪魔の見える組織に「最後の七つの災厄」を注ぐよう命じられた七人の使いの一人からこう言われました。「さあ,多くの水[民,群衆,国民]の上に座る大娼婦に対する裁きをあなたに見せよう。地の王たちは彼女と淫行を犯し,地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされた」― 啓示 17:1,2; 21:9。

      32,33 (イ)それからヨハネはどんな事柄の傍観者となりましたか。(ロ)ヨハネは,大いなるバビロンと共にだれが滅ぼされるのを見ませんでしたか,かえって,神のそのような公正の行ないによってだれの復讐が行なわれますか。

      32 それからヨハネはどんな事柄の傍観者となりましたか。ヨハネはこう答えます。「そして彼は,霊の力によってわたしを荒野に運んで行った。そこでわたしは,[七つの世界強国の存続期間中ずっと積み上げられてきた]冒とく的な名で満ちた,七つの頭と十本の角を持つ緋色の野獣の上に,ひとりの女が座っているのを目にした。また,その女は紫と緋で装い,金と宝石と真珠で身を飾り,手には,嫌悪すべきものと彼女の淫行の汚れたものとで満ちた黄金の杯を持っていた。そして,額には一つの名が書いてあった。それは秘義であって,『大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母』というものであった。またわたしは,その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た……『そして,あなたの見た女は,地の王たちの上に王国を持つ大いなる都市[バビロン]なのである』」― 啓示 17:3-6,18。

      33 外のその「荒野」の観察地点で使徒ヨハネは,「大娼婦に対する裁き」つまり七つの頭と十本の角のある緋色の野獣による大いなるバビロンの滅びの傍観者となりました。ヨハネは「イエスの証人たち」が血で酔いしれた大いなるバビロンもろとも滅ぼされるのを見た訳ではありません。(啓示 17:15,16)次いで,使徒ヨハネは大いなるバビロンが廃墟と化した大商業都市として描かれているのを見た後,観察者たちに対して天からの次のような叫び声が出るのを聞きます。「天よ,また聖なる者と使徒と預言者たちよ,彼女について喜べ。神はあなたがたのため,彼女に司法上の処罰を科したからである」。(啓示 18:20)こうして,公正の神は,大いなるバビロンの手で苦しめられてきた忠実な崇拝者たちの復讐を行なわれます。喜びを抱くべき何と当然な理由でしょう。

      34,35 使徒ヨハネの見た預言的な幻は,大いなるバビロンの滅びがだらだらと長引く事件とはならないことをどのように示唆していますか。

      34 最後に,使徒ヨハネは預言的な幻の中で,大いなるバビロンから「出なさい」という神からの命令に留意して,全能者なるエホバ神の民となる現代の傍観者たちが目撃することになる事柄を見ます。ヨハネが見る活劇のような光景は,大いなるバビロンの完全な倒壊がだらだらと長引く事件とはならないことを示唆しています。ヨハネはその預言的な劇的光景を描写してこう述べています。

      35 「また,強い使いが,大きな臼石のような石を持ち上げ,それを海に投げ込んで言った,『大いなる都市バビロンはこのように,速い勢いで投げ落とされ,二度と見いだされることはない。そして,自分のたて琴に合わせてうたう歌い手や楽人や笛吹きやラッパ吹きの音は,二度とあなたのうちで聞かれない。どんな仕事の職人も二度とあなたのうちに見いだされない。ひき臼の音は二度とあなたのうちで聞かれず,ともしびの光は二度とあなたのうちに輝くことなく,花婿と花嫁の声も二度とあなたのうちで聞かれないであろう。あなたの旅商人たちは地の高位の者であったからであり,あなたの心霊術の行ないによってあらゆる国民が惑わされたのである。しかも彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされたのである」― 啓示 18:21-24。

      36 エホバのクリスチャン証人は大いなるバビロンに激烈な滅びを被らせることに加わりません。どうしてでしょうか。

      36 その預言的な幻の迫り来る成就に際して,エホバのクリスチャン証人は大いなるバビロンを滅びの深みに激しく投げ込むことには加わりません。彼らは自ら宗教建造物に無理に入って,宗教的な像や絵画を粉砕する偶像破壊者になりはしません。彼らはエホバ神が復讐を果たすことをご自分の特権として要求しておられることを念頭に置くでしょう。神に報復をしていただくので,復讐心を抱いて自ら報復しようとしたりはしないでしょう。最高の審判者また公正の神に,七つの頭と十本の角のある象徴的な緋色の「野獣」のような他のいかなる代理者であれ,お望みのものを天でも地でも用いていただきましょう。しかし,エホバのクリスチャン証人は大いなるバビロンに対して自ら厳しい処置を取ることをよしとする権限を,書き記された神のみ言葉の中に何ら見いだしていません。エホバに誉れと賛美とが帰されて,こう言われるようにすべきでしょう。「神は,その淫行によって地を腐敗させた大娼婦に裁きを執行し,ご自分の奴隷たちの血について報復をなし,それを彼女の手から要求された」― 啓示 19:2。

      ハルマゲドンにおける,彼女をうとんじた愛人たちの消滅

      37 (イ)エホバのクリスチャン証人はどんな手段によって初めて,大いなるバビロンの滅びに生き残ることができますか,(ロ)その時,「王国のこの良いたより」を証しのために宣べ伝える点で彼らには依然なすべき仕事がもっとあるでしょうか。(ハ)逆に,彼らはどんな事態に面しますか。

      37 地の表から大いなるバビロンが激しく除き去られる時,エホバのクリスチャン証人は全能の神からの保護を受けて初めて生き残ることができます。彼らは世を震憾させるこの出来事の傍観者として存続させられるので,清い崇拝を受ける神のその『不思議な』働きの証人となり,またそれゆえにやがて他の人びとにそれについて語る義務を負わされるでしょう。その時までには,『王国のこの良いたより(を)あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で』宣べ伝える彼らの業は終わっているでしょう。神のみ子によって命じられたように,告知者として家から家に,戸口から戸口に,店から店に,また路上でなされるその業は仕終えられていることでしょう。(マタイ 24:14。マルコ 13:10)今や彼らは,この「事物の体制の終結」の何十年もの期間中絶えず宣べ伝えてきたそのメシアによる神の王国のために確固とした立場を取らなければなりません。なぜでしょうか。今度は,「世のすべての王国」を表わす,宗教心の欠けた政治上の諸強国に直面するからです。

      38 今や,この世の政治上の諸強国はどんな誤った結論に達するでしょうか。

      38 事態は本当に挑戦的なものとなるでしょう! 今や,あらゆるバビロン的な宗教から絶縁したこの世の政治上の諸強国は,地の支配を引き継ぐ「神の王国」というようなものの権利に対して今やかつてないほど異議を唱えるでしょう。彼らは目に見えない天の政府などというものを信じません。彼らは偽宗教のバビロン的な世界帝国を滅ぼすことを許されたため,生ける唯一真の神などはいない,地上でそのような神を代表すると唱える何者よりも自分たちのほうがもっと強力だ,「王国のこの良いたより」を宣明する者たちをさえ神からの処罰を受けることを恐れずに攻撃できる,というような誤った結論に達することでしょう。

      39 世の政治支配者たちがその時どのような考え方をすると考えるのは理にかなったことでしょうか。

      39 彼らの見解は,有形のもの以外考慮に入れない全く唯物主義的なものとなるでしょう。従って,地に対する支配はすべて見える人間の支配者によって行なわれねばならず,地球はその上に住む人間のものであって,彼らが悪魔サタンとその悪霊の見えない統制下にあるという教えは信じられない事柄です。彼らは自分たちの政治権力を見えない支配者としての悪魔に負ってもいなければ,それまでの幾多の世紀の全期間中単に主権者なる主エホバの許しによって地を支配してきたのでもありません。それで,彼らは西暦1914年における異邦人の時の終わりなどを重大な意義のある事実とは認めないでしょうし,自分たちの信じていない神に自らの政治権力や国家主権を引き渡そうとはしないでしょう。地上の生きている者は皆,彼らのこうした考え方に従わねばならず,順応しない者,異論を持つ者はすべて,地から除去されねばならないのです。大いなるバビロンの政治的撲滅者たちによれば,それら順応しない者たちとは,生き残るエホバの証人のことなのです。

      40 その時,エホバの証人は妥協して世に順応したりはしません,どうしてでしょうか。

      40 その重大な時に臨んでエホバのクリスチャン証人が順応しようとしないのは,宇宙の主権者であられるいと高き神エホバを認めているからです。地も天も,創造者であられるその方のものです。王を立てるその正当な方は,復活したみ子イエス・キリストを人類のために地を千年間統治するよう任命されました。イエスはその人類のために贖いの犠牲として死なれたのです。キリストのその千年統治がなされる時は近づきましたし,エホバの証人は聖書に対する全き信仰を抱いてその時を待ち望んでいます。「終わりの時」の期間中地上でその大使や公使となってきた,あの神権政府を,彼らはいかなる状況のもとでも否認しないでしょう。彼らはそのような立場の者として決して「世のもの」とはなりませんでしたから,宇宙主権にかかわる論争が戦いによって最終的に決着をつけられるハルマゲドンに今や立つ世のものにさせようとする試みを彼らは今こそはねつけます!

      41 (イ)エホバのクリスチャン証人の取る立場から考えて,唯物主義的な政治上の諸強国はその時,彼らに対してどんな態度を取るでしょうか。(ロ)マゴグの地のゴグに関して予告されている事柄は,彼らが物事に対して取る見方をどのように示唆していますか。

      41 人間による世界支配を自分たちの当然の権利とする主張に対するこうした妨害に遭って,政治上の諸強国は憤り,それを片付けてしまえ! という態度を取るでしょう。それに,エホバのクリスチャン証人のあのちっぽけな一団は人手で記された一冊の書物にすぎない聖書以外,自分たちの立場を支持する何を持っていると言うのでしょう。軍事上支えとなるもの,彼らの神や彼らのメシアなる王のために戦うのに用いる肉の武器はどこにあるのでしょう。エゼキエルの預言のマゴグの地のゴグのように論ずる彼らは,軍備を持たぬ政治的に無力なエホバの証人は無防備で無力だと結論するでしょう。(エゼキエル 38:10-12)物事に対する唯物主義的な見解からすれば,彼らを滅ぼし,その霊的なパラダイスを一掃し,「天の王国」を代表するとのその主張を排除するのは造作ないことのように思えるでしょう!

      42 国際連合の加盟国がエホバの証人に対する攻撃に移る時,彼らは実際にはだれに対する反抗を表わすことになりますか。

      42 では,国際平和と安全のための世界機構の加盟国は一致結束して攻撃を進めなさい! そうです,しかし実際には主権者なる主エホバの生き残る証人たちにではなく,むしろ彼らの天の指導者で,かつて犠牲にされた「神の子羊」イエス・キリストに向かって進むのです! 人類を支配するためのその世界機構に自らの地的な「力と権威」を与えた政治上の諸強国についてこう記されているからです。「これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼とともに征服する」― 啓示 17:13,14。

      43,44 (イ)その攻撃に直面する時,この地上のエホバの僕たちはどんな記録を思い起こす必要があるでしょうか。(ロ)詩篇 27篇はどのように彼らを励ますものとなるでしょうか。

      43 このような預言的な言葉によってエホバ神は,地的な経験のこのいよいよという時のために存続させているご自分のクリスチャン証人の忠実さに対するご自身の確信のほどを示しておられます。その攻撃は世界中でどんな形を取ろうと,どのようにしてもたらされようと,神の油そそがれた残りの者と忠節な仲間の「大群衆」の信仰と献身を試みるものとなるでしょう。全能の神が一見無力と思えるその民を敵に一斉に攻めさせながらも直ちに敵を打ち負かして死なせた,聖書に記されている他の事件を彼らは思い起こさねばならないでしょう。それで,ダビデ王の次のような言葉を思い起こすのは適切なこととなるでしょう。

      44 「エホバはわたしの光またわたしの救いです。だれをわたしは恐れるでしょう。エホバはわたしの命のとりでです。だれをわたしは怖がるでしょう。悪行者たちがわたしの肉を食い尽くそうとしてわたしに向かって近づいて来た時,彼らは個人的にわたしの敵対者また敵だったので,自らつまずいて倒れました。宿営がわたしに敵して天幕を張ろうと,わたしの心は恐れません。わたしに敵して戦いが起ころうとも,わたしはその時でもより頼み続けるでしょう。一つの事をわたしはエホバに求めました。―それをわたしは待ち望みます。わたしの命の日の限り,エホバの家に住むことを。エホバの喜ばしさを見,その神殿を正しい認識をもって見るために。災難の日に,彼はご自分の隠れがにわたしを隠し,ご自分の天幕の秘められた場所にわたしを潜ませ,岩の高みにわたしを置いてくださるからです。それで今,わたしの頭はわたしの周囲一帯にいる敵より高くなります。そして,わたしはその天幕で喜びの叫びの犠牲を捧げ,エホバに向かって歌い,また調べをかなでます」― 詩 27:1-6,新。

      45 不敬虔な諸国民は宇宙の主権者によって滅ぼされるべきどんな理由をその方に与えてきましたか。

      45 聖なる天は皆,また地上の聖なる者たちも皆,今やまさに起きる事柄を見守っています! 天と地の造り主であられるいと高き神の宇宙主権に関する地上の諸国家の厚かましい反抗と挑戦は今やついに絶頂に達しました! 今や宇宙主権の天の請求者はだれの立場が,つまり地上のご自分のクリスチャン証人の立場,それとも死すべき被造物なる人間の自らを称揚する諸国家の立場が正しいかを決めなければなりません。諸国家は汚染や創造者の法の侵犯によって「地を破滅させ」てきただけでなく,神の「特別な所有物となる民」である霊的なイスラエルの油そそがれた残りの者をその「特別な所有物となる民」に善を行なう,神を恐れる人たちの「大群衆」もろとも滅ぼそうとして今や立ち上がっているのです。(啓示 11:18。ペテロ第一 2:9)宇宙の主権者が不敬虔な諸国家を滅ぼす理由を求める上でさらにどんな理由を必要とするのでしょう。何も必要ではありません!

      46 (イ)諸国家は詩篇 2篇10-12節に記されている霊感による助言に留意しようとしていないことをどのように示してきましたか。(ロ)それで,詩篇 2篇5-9節の言葉と調和して,どんな行動を起こす時が到来しますか。

      46 西暦1914年以来,『王国の良いたより』が証しのため世界的に宣べ伝えられてきた期間中,諸国家は強情にも霊感による次の助言に留意することを拒んできました。「では,今,王たちよ,洞察力を働かせなさい。地の裁き人たちよ,矯正を受けなさい。恐れをもってエホバに仕え,おののきつつ喜びなさい。子[メシア]に口づけしなさい。彼[エホバ]がいきり立たないため,そしてあなたが道から滅び失せないため。彼の怒りは容易に燃え上がるからです」。(詩 2:7,10-12,新)諸国家は,エホバがご自分の独り子であることを全世界に告げ知らせたその王に口づけすることを強情にも差し控えてきました。と言うのは,諸国家は和解を目ざしてその顔をなごめるために何もしていないからです。また,自分たちのものと主張している領土に対する主権をその王に引き渡そうとはしていません。神の時間表によれば,時計は神が『怒りをもって諸国民に語り,激しい不快の念をもって彼らをかき乱す』時刻を報じています。それで,今こそ「鉄の笏」の支配を実施させましょう。エホバの即位した王なるみ子に諸国家を砕かせ,陶器師の陶器のように粉々に打ち砕かせましょう。(詩 2:5-9,新)では,直ちに鉄の笏を持つ神のみ子に敵の軍勢と戦っていただきましょう!

      47 (イ)ハルマゲドンで行動を開始するよう,だれが天の軍勢に合図を出しますか。(ロ)啓示の書の記録は,その殺りくの日の戦場を何になぞらえて描写していますか。

      47 丁度,ダビデ王がギベオンの低い平野でエホバからの戦闘開始の合図を待ち望んだように,「あらゆる国民を鉄の杖で牧する」ことになっている,エホバの戦士である王は,天の最高司令官からの合図を待ち望んできました。(啓示 12:5)ご覧なさい! 合図です! 王なる元帥は直ちにその白い軍馬を駆って進み,これまた白い軍馬にまたがった天の軍勢を導き,地上のハルマゲドンの戦場に結集して戦闘隊形を整えたすべての敵に対する勝利の突撃を行なわせます。それら敵の王たちやその軍隊や支持者たちを,集めてつぶすぶどうのように扱いなさい。ハルマゲドンのその戦場を酒ぶねに変えなさい! そこで,王の王に「全能者なる神の憤りの怒りの酒ぶね」を踏んでもらいましょう。それらの「ぶどう」の生き血を酒ぶねの大おけの中でいよいよかさを増させ,そうです,「馬のくつわに届くほどに」させましょう。(啓示 19:11-16; 14:18-20)全能者なる神に長らく押しとどめられていたその憤怒を今やついにことごとく吐露していただきましょう。諸国家のこれほどまでの苦難を神が二度ともたらす必要がないようにしていただきましょう。―ナホム 1:6-9。

      48 イザヤ書 34章1-6節は,その時起こる事柄をどのように描写していますか。

      48 確かに今や,全天地が注目すべき時です!「エホバはすべての国の民に対して憤りを,彼らのすべての軍隊に対して怒りを抱かれるからである。この方は必ず彼らを滅ぼし絶やし,必ず彼らを殺りくに渡される。そして,彼らの殺された者たちは投げやられ,彼らの死骸はと言えば,その臭気が立ち昇る。山々は彼らの血のゆえに必ず溶ける。そして,天の軍勢のすべては必ず朽ち果てる。そして天は巻き物の書のように,必ず巻き上げられる。その軍勢は皆,しなび果てる。葉がしなびてぶどうの木から落ちるように。いちじくの木から落ちるしなびたいちじくのように。『天ではわたしの剣は確かにびしょぬれになるからだ。見よ,エドムの上にそれは下り,わたしにより公正をもって滅ぼし絶やされる民の上に下る。エホバは剣を持たれる。それは必ず血で満ちる』」。(イザヤ 34:1-6,新)エホバは霊感を与えて,無意味な冗談の意味でこのような預言的な言葉を書き記させたのではありません。その成就の時は近づいています。古い事物の体制は必ず消滅します!

      49 今やわたしたちは各自どんな緊急な決定に直面していますか。

      49 わたしたちは古い事物の体制と共に滅びますか。わたしたちはエホバ神がそのみ子である戦士イエス・キリストによって地上の敵すべてを処刑するため公正の剣を揮うその「日」に,政治支配者やその軍隊や支持者たちと共に処刑されることを望みますか。主権者であられる主なる神がこの古い事物の体制と勘定を清算するに際して生死にかかわる個人的な決定を下すことがわたしたちに許されている残された時間は,非常に短いに違いありません。助命されて生き残れるか,それとも有罪宣告を受けた俗人のように処刑されるかは,わたしたちが今決める立場にかかっています。世の苦難が恐るべき最高潮に達する時,わたしたちはだれの側にいることになるだろうかという問題を決するのは,今や決して早すぎません。わたしたちすべてが知恵と分別を働かせて神の新しい事物の体制のもとで命を享受する道を選べますように!

  • 世の苦難から平和な「新しい地」へ
    世の苦難からの人間の救いは近い!
    • 19章

      世の苦難から平和な「新しい地」へ

      1 ノアとその家族はその時代の「不敬虔な人びとの世」が終わった時にも存続させられました。なぜですか。彼らが生き残ったことはわたしたちにとってなぜ重要なことですか。

      人類史上かつて一度「不敬虔な人びとの世」が終わりました! わたしたちすべての共通の父祖はそのような「世」のあの終わりを生き残りました。わたしたちの祖先であるその父祖とは,レメクの子ノアです。ノアは正しい側に立ったので,自分の妻と三人の息子とその三人の嫁と共に生き残りました。それで今日のわたしたちは皆,世の終わりを生き残ったそれら八人の人たちの子孫です。その世の終わりは世界的な大洪水でもたらされましたが,人類はそのような大洪水を二度と再び見ることはありません。ノアは「義の宣明者」と呼ばれるようになりました。聖書の記録は,「ノアは真の神と共に歩んだ」と述べています。ノアは当時の世の危機に際してその方の側に立ったのです。ノアが自分自身と家の者を存続させるために神の命令に従順に従って建造した巨大な箱船に入って家族と共に守られたのは,そのためでした。―ペテロ第二 2:5。創世 6:9,新。ヘブライ 11:7。

      2 (イ)今や人類が直面している「不敬虔な人びとの世」をだれが生き残るでしょうか。それを保証するどんな根拠がありますか。(ロ)火によってなされるように滅ぼされるのを彼らが見る「天」とは何ですか。

      2 今やもう一度人類は「不敬虔な人びとの世」の終わりに直面しています。こうした恐るべき考えを嘲笑する人たちがいるにもかかわらず,丁度ノアが西暦前2370年の世界的大洪水以前にしたように大勢の個々の人びとが正しい側に立っています。ノアは初期のエホバの証人の一人でした。その事実はこの危機の時代に重大な意義を持っています。どんな点でですか。神の保護を受けたノアのように,今日のエホバのクリスチャン証人は「不敬虔な人びとの世」の来たるべき終わりを生き残るという点でです。彼らは地上でそのことが明らかに示されるのを個人的に見るでしょう。ペテロ第二 2章9,10節が述べる通りです。「エホバは,敬神の専念をいだく人びとをどのように試練から救い出すか,一方,不義の人びと……を切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられるのです」。彼らは一つの級として「エホバの日の臨在」の時期を切り抜けて存続させられ,「その日のゆえに天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶け」,そして「地とその中の業とはあらわにされ[焼かれ]るでしょう」。(ペテロ第二 3:12,10)彼らは,奇跡を行なう神がその時に用いる強烈な手段によって,政府で成る見える天が燃え上がるのを見ることでしょう。また,その燃える「天」が永遠に過ぎ去る時に生ずる鋭い音をも聞くでしょう。この世俗的な事物の体制と共に進む「諸要素」は耐え難い熱にさらされるゆえに溶解し,「溶けるでしょう」。

      3 ペテロ第二 3章12節に従ってその時「溶け」てゆく「諸要素」とは何かを明らかにしなさい。

      3 この一時的な事物の体制の比喩的な大気を構成している「諸要素」は,火のような試練に遭う際,崩壊せずに耐えることはできなくなります。人間は神とは無関係に地を支配できるというこの世的な態度は,火のような試練に遭って保てるものではありません。この事物の体制の支配的な利己的特徴である肉の欲や目の欲や自分の資力をひけらかす傾向は,この「不敬虔な人びとの世」のようにはかないものであることが分かるでしょう。それらはエホバの裁きの日の火のような試みに遭って煙と消えてしまうでしょう。「弱くして貧弱なる要素」すなわちそれによって人間が自らの救いを達成しようと努めながら,自らが独善的であることを示すものとなっている無力な理論や人生観や慣習や儀式などのこうした「諸要素」はすべて,火のような厳しい試練に遭って溶けてしまうでしょう。それらのものは無力で,非現実的で,役に立たず,無価値で,こじき同然につまらないものであることが分かるでしょう。(ヨハネ第一 2:15-17。ガラテア 4:9,欽)それら「諸要素」は,そのもとで神の崇拝者たちが地上で生活すべき風土でも,大気でもなく,自然界の天空もしくは丸天井のようなものでもないので消滅せざるを得ないでしょう。

      4 火のような「エホバの日」に消滅する「地とその中の業」とは何ですか。

      4 極度に熱したその「エホバの日」の最中に,「地とその中の業」には耐火材料が欠けていることが分かるでしょう。それらはそれに伴う「天」や「諸要素」同様燃えやすいものであることを表わすでしょう。悪魔サタンがその神となってきた事物の体制の生ける基盤としての人類社会は,神の義の裁きが執行されることによって消滅してしまいます。このようにして,世全体が,つまりノアの大洪水の時の世に相当する「不敬虔な人びとの世」が終わります。この不敬虔な地上の人類社会が築いた業はその社会を救うものとはならず,その社会の安全のための避難所の役をすることもありません。神の怒りと憤り,および神による弾劾によってそれらのものはすべて灰燼に帰すでしょう。

      5,6 (イ)その滅びの時の最中,地上のエホバご自身の崇拝者たちにとって事態はどのように見えるかもしれませんか。(ロ)だれにせよどんな手段によって初めてその苦難の時を切り抜けられますか。それらの人は詩篇 46篇の中にどんな励みを見いだすことができますか。

      5 比喩的な「天」と「諸要素」と「地とその中の業」とが滅びを被る時,類例のないこの世の苦難に遭っているエホバの崇拝者たちにとっては自分たちの周りで宇宙全体が崩壊しているように思えるかもしれません。そうです,あたかも地面そのものが足の下から去って行くように思えるでしょう。地上の傍観者たちにとって事の成り行きは恐ろしい様相を呈するかもしれません。地上の肉なる者はだれでも全能の神の奇跡によって初めてどうにか生き残れるということが分かるでしょう。宇宙の主権者であられるエホバに全く信頼して初めて,地上で見守っている者たちは恐怖に心を支配されずにおれるでしょう。自分たちの反抗的な父とその仲間のせん越なレビ人たちの火のような滅びに生き残ったコラの子たちの神殿用の詩篇は,そのような動揺させる経験のために保存されているのです。

      6 「神はわたしたちにとって避難所,また力,苦難のさいに容易に見いだされる助け。それゆえわたしたちは恐れることがない。地が変化しようとも,また,山々がよろめいて大海のもなかに移ろうとも,その水が荒れ狂い,あわ立とうとも,山々がその騒ぎに震動しようとも。……川があり,その流れは神の都市を歓ばせる。至高者の最も聖なる,壮大な幕屋を。神がその都市の真中におられ,それはよろめかされることがない。神は朝明けにそれを助けられる。諸国民は荒れ狂い,もろもろの王国はよろめいた。彼はご自分の声をもって音を出し,地は溶け始めた。万軍のエホバはわたしたちと共にあり,ヤコブの神はわたしたちにとって堅固な高台である」― 詩 46:1-7,表題,新。

      7,8 その詩篇のさらに先の箇所には,その世界的大変動を生き残る人びとがいることを保証するどんな事柄を見いだせますか。

      7 畏怖の念を抱かせる自然界のそのような大変動にも人びとが生き残り得,また生き残ることを次のように示唆して,その詩篇作者(コラの子たち)は直ちにこう言葉を続けています。

      8 「来たれ,あなたがた民よ,エホバのみわざを見よ。地上にどのように驚くべき出来事を置かれたかを。彼は地の果てに至るまで戦争をやめさせようとしておられる。弓を折り,実に槍を切り砕き,もろもろの[戦]車を火で焼かれる。『服せよ[それでは,やめよ],あなたがた民よ。そして,わたしが神であることを知れ。わたしは諸国民の間で高められるであろう。わたしは地で高められるであろう』。万軍のエホバはわたしたちと共にあり,ヤコブの神はわたしたちにとって堅固な高台である」― 詩 46:8-11,新; 新英。民数 16:1-35; 26:10,11; 27:2,3。ユダ 11。

      9 (イ)その時にエホバがわたしたちのための避難所となられるのであれば,わたしたちは今何をしなければなりませんか。(ロ)「天」と「地」のその滅びについて述べるヘブライ 12章26-29節は,それを思い起こさせる事柄としてどんな歴史的事件を指摘していますか。

      9 世界を震憾させるそうした動乱のその時,避難所としてのエホバ神のうちに見いだされるためには,わたしたちは事前に,まさに今,その方のもとに逃れていなければなりません。「天」と「地」を揺るがすその方の力は,西暦前1513年のこと,イスラエルの昔の子らに十戒をお与えになる際にシナイ山を震動させることによって表明されました。(出エジプト 20:1-18)「その時,彼の声は地を揺り動かしましたが,今や,『わたしは,さらにもう一度,地だけでなく天をも激動させる』と約束しておられます。さて,『さらにもう一度』という表現は,揺り動かされるものが作られたものとして取り除かれ,こうして,揺り動かされないものが残ることを表わしています。それゆえ,[霊的なイスラエルの]わたしたちは,揺り動かされることのない王国を受けることになっているのですから,過分のご親切のうちにとどまろうではありませんか。それによってわたしたちは,敬神の恐れと畏敬とをもって,受け入れられるしかたで神に神聖な奉仕をささげることができます。わたしたちの神は焼き尽くす火でもあるのです」― ヘブライ 12:26-29。ハガイ 2:6,7。

      10 (イ)激しく揺り動かされるその時,何がそのまま,また何を表明するものとして持続しますか。(ロ)サタンとその悪霊が現在の邪悪な事物の体制の「天」と「地」の滅びを阻止するために行なえることが何かありますか。

      10 「エホバの日の臨在」の期間中に人為的な「天」と「地」は揺り動かされ,火のような滅びによって除去させましょう。しかし,戦いで勝利を収めるみ子の手中にある神のメシアによる王国はそのまま持続します。それは神のゆるぎない宇宙主権の表現として効力を保ち,万物の主権者なる主であられるエホバの正しさを永遠に立証するものとなるでしょう。「この世の支配者」悪魔サタンとその使いである悪霊たちはすべて,現在の邪悪な事物の体制のその人為的な「天」と「地」を久しく支配してきました。しかし,その超人的な力すべてをもってしても彼らは,滅びに定められた「天」と「地」が揺り動かされて粉々にされ,宇宙から一掃されるのを食い止めることはできません。それら「天の場所にある邪悪な霊の勢力」がこの地の近辺で拘束されてきた『短い時』は終わります。「全能者なる神の大いなる日」にハルマゲドンでイエス・キリストがエホバの永遠の勝利を収めた後直ちに,悪魔サタンとその使いの悪霊たちは捕らえられ,鎖で縛られて,この地の近くから離れた底知れぬ深い所に投げ込まれるでしょう。―啓示 20:1-3。

      11 サタンとその悪霊たちが鎖で縛られて底知れぬ深い所に入れられる事態が起きた時,生き残るエホバの証人はそれに気づくでしょうか。

      11 そのようにしてサタンとその使いの悪霊たちを鎖で縛り,底知れぬ深い所に入れることは生き残るエホバの証人の目には見えないでしょうし,恐らく彼らの耳に聞こえるような音は出ないとは言え,彼らはそのために生ずる解放感を感ずるでしょう。わたしたちが今格闘し,霊的な武器をもって戦わねばならないそれら霊の勢力が底知れぬ深い所に幽閉された後,清められた地上でエホバの再建の業を遂行しようとする時,『サタンがわたしたちの進路をさえぎる』ことはもはやありません。(テサロニケ第一 2:18。エフェソス 6:12-18)キリストの千年統治の期間中,そのような霊的な格闘や戦いは彼らにとって過去の事柄となるでしょう。―啓示 20:1-6。ローマ 16:20。

      「新しい天と新しい地」

      12 その時,ダニエルおよびイエス・キリストによって予告されたどんな事柄は成就された預言となりますか。

      12 ああ,それは祝福された日,わたしたちが切に待ち望んでいる日です! その時,預言者ダニエルが次のように述べて予告した預言はことごとく成就されたものとなるでしょう。『その時 汝の民の人びとのために立つところの大いなる君ミカエル[栄光を受けたキリスト]起ちあがらん これ艱難の時なり 国ありてよりこのかたその時にいたるまでかゝる艱難ありしことなかるべし』。そして,イエス・キリストは「事物の体制の終結」に関するご自分の預言を述べた時,ダニエルのこれらの言葉を引用し,こう付け加えられました。「二度と起きないような大患難があるからです。事実,その日が短くされないとすれば,肉なるものはだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです」。―ダニエル 12:1。マタイ 24:3,21,22。マルコ 13:19,20。

      13 残りの者とその仲間の崇拝者たちはその世の苦難をくぐり抜けた後に,どんな胸の躍るような実感を味わい,どんなまれな特権にあずかるでしょうか。

      13 霊的なイスラエルの忠実な残りの者とその仲間の忠節な崇拝者たちの「大群衆」が,人間のあらゆる経験の中のあの最悪の世の苦難を切り抜けて入る自然環境の状態は,これから見て正しく評価しなければならないでしょう。しかし,神の義の新秩序がついに始まったという胸の踊るような実感を味わえるでしょう! 年老いた使徒ヨハネが昔,単に幻で見て次のように述べた事柄を現実に見るのは何とまれな特権でしょう。「それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地はすでに過ぎ去っており,海はもはやない」。(啓示 21:1)預言者イザヤの遠い昔の時代でさえそのような事柄に関する希望を差し伸べた次のようなエホバの預言は成就されるのです。「ここにわたしは新しい天と新しい地を創造する。以前の事物は思い出されることもなく,心に上ることもない。しかし,あなたがたは歓喜し,わたしが創造するものを永遠に喜びなさい」― イザヤ 65:17,18,新。

      14 (イ)一世紀当時,クリスチャンは「新しい天と新しい地」の約束によってどのような影響を受けましたか。(ロ)その約束に対するエホバのクリスチャン証人の期待が今や高まっているのはなぜですか。

      14 一世紀のクリスチャンさえ,偽ることのない神のその貴重な約束に注目するよう促されました。霊的なイスラエル人の見地に立った彼らは,神がその貴重な約束を果たされるのを待ち望むことによってクリスチャンとしての忍耐の点で自らを強めました。使徒ペテロはその手紙を受け取る人たちのために記した,現存する「天」と「諸要素」と「地とその中の業」が激しく溶解することに関する深刻な描写とは対照的に,そのすぐあとで次のような楽しい言葉を付け加えています。「しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。(ペテロ第二 3:13)今日,この二十世紀のエホバのクリスチャン証人もまた,その同じ新しい天と新しい地を待ち望んでいます。しかし彼らは,自分たちが「今ある天と地」の最後の時代に住んでいることを知っています。イエス・キリストの予告した「これらのすべての事」が起きるまでは過ぎ去らない世代の人たちは,1914年における異邦人の時の終わり以来生き延びて,『これらの事』のほとんどすべてが起きるのを見てきました。(マタイ 24:3,34)ゆえに今や,彼らの期待は高まっています!

      15 わたしたちすべてはどんな活動に十分に励んでいるべきでしょうか。

      15 「この世代」のエホバのクリスチャン証人にとっては,「聖なる行状と敬神の専念」に十分励み,古い不義の秩序が溶解して滅びてゆく「エホバの日の臨在を……しっかりと思いに留める」ことに特に熱心であるべき,かつてないほどの多くの誘因があります。(ペテロ第二 3:11,12)その日は回避できません。それは義の宿る「新しい天と新しい地」に関する神のこの上ない貴重な約束を成就する道を明けるために必ず到来します。悪魔の造り出した不義の天と地の存在によって大変久しく損なわれてきた領域をそれら約束された新しい創造物で美しくするその日は近づいています。その時は地上で生活する何と楽しい時代でしょう。

      16 (イ)その天のメシアによる王国は地の住民にとって何を意味しますか。(ロ)それは人類に対するエホバの側の何の表現となりますか。

      16 主イエス・キリストと栄光を受けたその会衆で成る「花嫁」とによる統治は,地の住民のための義の支配と平和と幸福の続く時代を招来するでしょう。その天のメシアの王国は,これまで過去六千年間にわたって悪霊や人間が行なってきた人類に対する冷酷な悪政に取って替わります。そのメシアによる政府が邪悪な古い「天」の場所を占めるのです。それは「神の子」として神ご自身の像と様に似せて創造された人間に対するエホバ神の限りない愛の表現となるでしょう。(創世 1:26-28。ルカ 3:38)エホバ神は人類の世を愛するあまり自ら大きな犠牲を払って,ご自分の愛する独り子をそのメシアによる政府の王として備えてくださいました。―ヨハネ 3:16。

      17 ハルマゲドンの生存者の前途にはどんな見込みがありますか。事実,彼らは既にどんな状態を享受していますか。

      17 ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」は過去のものとなり,サタンとその悪霊たちの「邪悪な霊の勢力」を底知れぬ深い所に幽閉することも成し遂げられて,地上の恵まれた生存者たちは,神の創造物である待望久しい「新しい天」の統治を本当に受けていることを知って心からの大いなる喜びにあふれることでしょう。自分たちの前に大きく広がる清められた地を望み見て,開拓者精神で満たされるでしょう。地上には至る所でなすべき千年間の仕事があります! 彼らの目の前には全世界をパラダイスにする見込みがあるのです。彼らは既に神の霊と恵みによって霊的なパラダイスを享受しています。彼らは生き残るための箱船に入ったかのように,古い体制を溶解させて滅ぼした例の大激変の最中,この霊的なパラダイスの中で保護されました。神の約束の「新しい地」が彼らと共に始まるのはそのためです。ああ,何という喜びでしょう。彼らは「新しい地」,新しい人類社会,敬虔な人びとの新しい世の中核なのです!

      18 それは啓示 21章3,4節に記録されているどんな預言の成就する時となりますか。

      18 次のように天から告げ知らされるのを使徒ヨハネが聞いた事柄がここでその通りに起こり始めます。「見よ! 神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 啓示 21:3,4。

      花嫁となる残りの者と花婿の結婚

      19 (イ)霊的なイスラエル人の生き残る残りの者は,なぜこの地上にいつまでもとどまってはいませんか。(ロ)天の命を得ることは彼らにとって何を意味しますか。

      19 清められた地上における物事のこうしためでたい始まりを眺めて,霊的なイスラエル人の生き残る残りの者は歓喜し,喜びにあふれるでしょう。彼らは「新しい天」で成る政府と一致して「新しい地」にその機能を開始させるのに神のみ手によって用いられる器となります。しかし,彼らの究極の希望は地に向けられてはいません。むしろ,天に向けられています。霊によって生み出された残りの者は,やがて天の花婿イエス・キリストによってその天の父の家に連れて行かれて花嫁の会衆を完成し,こうして「聖なる都市,新しいエルサレム」の最後の部分を形成することを期待しています。(啓示 21:2,9,10; 20:4,6。ヨハネ 14:2,3; 17:24)その時,彼らは「新しい地」との個人的な交わりを後にして,花嫁の会衆の他の者たちと共に愛する花婿と結ばれて天で結婚します。そのようにして,正当な場所にある「新しい天」の一部となります。―エフェソス 5:25-27。

      20 (イ)1935年以来,「大群衆」はどんな理由があって未来の花嫁級に愛ある援助を行なってきましたか。(ロ)その「大群衆」は王の領域のどこに場所を占めますか。

      20 神の霊的な神殿にいる仲間の崇拝者たちの「大群衆」は「エホバの日の臨在」の時期を共に生き残った霊的なイスラエル人の油そそがれた残りの者のその結婚を喜ぶでしょう。彼らは西暦1935年以来,花嫁の残りの者と個人的な関係を持ってきた期間中ずっと,丁度花嫁に付き添う若い娘のように未来の花嫁級に仕えてきました。花婿である王に誠実な忠節を尽くすためにそうしてきました。彼らは花嫁級の成員ではないので,天に連れて行かれることはありません。しかし,花婿である王の領域に連れて行かれ,その一千年の統治を享受するでしょう。彼らは花嫁級の残りの者と共に守られて「大患難」を切り抜けて出て,その王の領域の地的な部分に入ります。この地的な部分にはその王の有名な先祖ダビデ王がかつて治めた古代イスラエルの領土も必ず含まれます。―詩 72:6,7。ルカ 1:31-33。

      21 (イ)マタイ 25章34節に記録されているように,王が彼らに「王国を受け継ぎなさい……」と告げる時,王はどういう意味でそう言われますか。(ロ)彼らは詩篇 45篇14,15節で適切にもどのように描写されていますか。

      21 花婿である王が羊とやぎの例え話を成就する時,王としてのご自分の領域の地的な部分のことを念頭に置いて,その右にいる羊のような人たちに次のように言われるでしょう。「さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい」。(マタイ 25:31-34)その王が花嫁級によく気を配って仕えてきた付き添いの若い娘たちのような,善を行なうそれら羊のような人たちを暖かく迎えることは,花嫁に付き添う若い処女たちについて詩篇 45篇14,15節(新)で次のように述べられている事柄と一致するでしょう。「伴侶として彼女に付き添う処女たちは,あなた[花婿である王]のもとへ連れてこられている。彼らは歓喜と共に連れて来られ,王の宮殿に入るであろう」。キリストの花嫁級に付き添う若い娘たちのようによく気を配って仕えてきたことは無駄には終わりません。王の領域の地上のパラダイスを割り当てられる彼らの報いは,極めて喜ばしいものとなるでしょう。そこで彼らは自分たちの天の王とその花嫁の会衆との天界での結婚を大いに喜ぶでしょう。その会衆の最後の残りの者を彼らは個人的に知り,花婿のためにその残りの者に善を行なったのです。

      22 詩篇 45篇16節にも示されているように,王イエス・キリストの地上の臣民にはどんな特権が開かれますか。

      22 地上における彼らの喜びを増し加えるものとして,花婿である王イエス・キリストの羊のような臣民の「大群衆」には格別の奉仕の特権が与えられるでしょう。地上での奉仕のそのような著しい特権は,花嫁に付き添う若い娘たちがその宮殿に導き入れられる花婿である王に語りかけられた詩篇 45篇の次の節の中で暗示されています。その節(16,新)は王に対してこう言います。「あなたの父祖の代わりにあなたの子らとなり,あなたは彼らを君として全地に任命するであろう」。

      23 イエスの名はその著名な父祖たちのそれと関係しているゆえに確かに彼はある程度栄誉を受けてはおられるものの,彼らがイエスの統治に現実に寄与するにはどうならなければなりませんか。

      23 結婚した主イエス・キリストはメシアなる王としての能動的な役割に大いなる気品や威厳を添えるために,その地的な先祖の中の著名な父祖たちに訴える必要は決してありません。(マタイ 1:1-17。ルカ 3:23-38)彼は「ダビデの子」と呼ばれることによって確かに誉れを受けておられます。また,その腰から王たちが出ることを神から約束された族長「アブラハムの子」と呼ばれたため,花婿である王の名は有名になりました。(創世 17:6,15,16)しかし,それら広く知られた父祖たちは,エホバ神への信仰と献身の人である他の人たちのように死んで久しくたっていますから,イエスの千年統治の栄誉に現実的には何ら寄与できるものではありません。従って,そうすることができるのは,生きた子たち,実に地的領域にいるその子たちなのです。

      24 (イ)イエスはどのようにしてその「永遠の父」という称号にふさわしく行動なさいますか。(ロ)最初にその息子や娘たちとなるのはだれですか。

      24 地上の子たちですか。そうです! と言うのは,イザヤ書 9章6節(新)でイエスのために予告された堂々とした称号の中で,永遠の父という称号は単なる名誉称号,そのような職に伴う任務を割り当てられず,単に名誉として与えられる称号ではありません。彼は永遠に生きる子供たちの父となることによって,本当にこの称号にふさわしく行動されるでしょう。まず最初にその地的な息子や娘たちとなるのは,「大患難」から出て来た後に「救いは,み座にすわっておられるわたしたちの神と,子羊とによります」と言う人たちの「大群衆」の成員でしょう。(啓示 7:9,10,14)彼らは救いを子羊イエス・キリストを通してエホバ神に帰すでしょう。

      「全地に君」として立てられる

      25 ハルマゲドンの生存者の中には,その中から王が「全地に君」として選定し得る資格のあるどんな男子がいますか。彼らはどんな経験を持っていますか。

      25 彼らは「不敬虔な人びとの世」が滅ぼされる世の苦難の際に地上で生き残り,そこに居合わせているので,統治している永遠の父は直ちに彼らの中から資格のある人たち,ご自分の「子ら」を選んで「全地に君」として任命することができるでしょう。今日のエホバのクリスチャン証人の何万もの会衆の中にさえ,公式の長老の地位に神権的に任命された,献身してバプテスマを受けた幾千人もの男子がいます。彼らは自らもその成員である会衆の中で「監督」として仕え,牧羊の業を行なっています。(使徒 20:17-28。フィリピ 1:1。テモテ第一 3:1-7。テトス 1:5-9。ペテロ第一 5:1-4)また,この「事物の体制の終結」の時のためにイエス・キリストが次のように予告した業の面でも率先しています。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」。(マタイ 24:14)このようにして,異邦人の時が終わった1914年に樹立された天のメシアによる王国に対する自分たちの責任を果たすべく努力しています。

      26 それら会衆の長老たちは,イザヤ書 32章1,2節で予告されているように,すでにどんな役割を果たしていますか。

      26 それら会衆の長老あるいは監督たちはイザヤ書 32章1,2節(新)で次のように述べられている「君たち」の預言的な有り様を忠実に成就しています。「見よ,王は義のために統治するであろう。そして,君たちはと言えば,公正のために支配するであろう。そして各人は必ず風からの隠れ場所,また暴風雨から身を覆い隠す場所のように,水のない地方の水の流れのように,干上がった土地にある重い岩壁の陰のようになる」。このように彼らは,キリスト教世界の諸宗派の「教会の君子」と呼ばれる者たちのような圧制的な宗教界の「君たち」ではありません。むしろ,それら会衆の長老たちは各々会衆の成員にとって安心感を与える人,気持ちをさわやかにさせる者となるように努めます。丁度,古代イスラエルで君のような長老たちが仕えたように,「公正のために」仕えるよう注意します。こうして,「義のために」統治なさる天の王に見倣います。―ルカ 22:25-27。

      27,28 (イ)「大患難」によって長老たちは神権的な立場から解かれますか。(ロ)それで,天の王イエス・キリストの意志にかなうなら,彼らはどんな奉仕に用いられますか。

      27 「新しい地」,つまり「新しい天」の王国のもとで組織される人間の社会が進行するにつれて,地域社会や諸活動の監督・地区監督・管理者たちが必要になります。「大患難」を生き残って,「新しい地」の一部を構成する長老たちは,今エホバのクリスチャン証人の会衆で行なっている奉仕によって多くの経験を得ていることでしょう。「大患難」を経ても長老や監督たちは,共に神の義の新秩序に生き残る会衆の成員の間で占めている神権的な立場から解かれたり,解任されたりはしません。もし天の王イエス・キリストの意志でそれがよしとされるなら,彼らはそのような資格でそのまま仕事を続けることができるでしょう。

      28 いずれにしても,千年統治のその最初からメシアなる王が「全地に君」として任命できる経験を積んだ長老や監督たちがいることでしょう。千年王国の地上の見える君のような代表者となるのは彼らにとって何という特権でしょう。

      29,30 (イ)復活という方法で人びとか死人の中から戻る時,「全地に君」として立てられる人たちの中にはほかにだれが確かに含まれることになりますか。(ロ)彼らは地上の新しい環境に適応する際に何らかの重大な問題を持つとは考えられません。なぜでしょうか。

      29 「大患難」を生き残る人たちはすべて,贖われた人類の死者の復活が始まる時を切に待ち望むでしょう。記念の墓にいる者が皆,栄光を受けた人の子イエスの声を聞き,それを聞く者たちが皆,千年王国のもとで復活させられて出て来て,命をもたらす機会に恵まれるその「時」のことを考えるでしょう。(ヨハネ 5:28,29; 11:25,26。使徒 24:15。テモテ第一 2:5,6)特に,花婿なる王の忠実な「父祖」たちの復活を待ち望むでしょう。ああ,エノク,ノア,セム,アブラハム,イサク,ヤコブ,ボアズ,ダビデ,ヒゼキヤそしてヨシアが地上によみがえらされる時,どんなにか歓呼して迎えることでしょう。それらの人は「全地に君」として任命されて奉仕をするのに何と優れた人材となるのでしょう。再び生ける者の地に出て来て,今や君としての奉仕に携わる彼らは,かつてその地的な先祖となる特権にあずかったメシアなる王になお一層誉れをもたらすでしょう。

      30 また,アベル,ヨブ,モーセ,イザヤ,エレミヤ,エゼキエル,ダニエルその他,イエス・キリストの,つまり「花婿の友」となったその地上の先駆者,バプテストのヨハネの時代に至るまでの他の預言者や信仰の模範となった人たちすべてについてはどうですか。それらの人たちに関する聖書の有利な証言からすれば,彼らは自らもメシアとしてのその到来を待ち望み,しかも彼らの多くがその到来を予告さえした方によって「全地に君」として任命されるにふさわしいことを証明しました。それら有能な人たちは何ら重大な問題もなく,また神の聖霊の助けを得て,地上における人類生存の第七千年紀の期間の地上の新しい環境に適合できるでしょう。聖書の信用証明書はすべて,彼らが「全地に君」として立てられて奉仕する名誉に浴するのに有利なものとなっています。会衆の長老や監督たちは最新の方法でそれらの人たちすべてを助けることができるでしょう。

      31 (イ)それらの「君」たちは仕事を遂行する際,だれの代表者となりますか。(ロ)その時,なぜ大々的な教育の業が遂行されますか。

      31 「全地に君」たちが立てられて「公正のために」支配するということは,「新しい地」には確かに義が宿り,永遠にとどまることを保証しています。メシアによる「新しい天」が上にあり,その「新しい天」の見える代表者として仕えるそうした人びとのような「君」たちがいるので,人類の永遠のパラダイスの住みかのために地を美化する仕事は進展するでしょう。復活させられる何十億人もの死者も,こうして全地をパラダイスの栄光で包む業に参加することでしょう。(ルカ 23:43)亡くなった人間が世代ごとに次々に記念の墓から戻るにつれて,世界的な教育の業はいよいよ拡大されてゆくでしょう。彼らは聖書が人類に対する神の処置を記した真の歴史の書であって,聖書預言はすべて適中し,なおも適中し続けていることを教えてもらわねばなりません。また,その時開かれる,神からの教えを収めた「巻き物」に述べられている事柄をも知らされねばなりません。―啓示 20:12。

      32 (イ)今日,聖書教育の業に熱心に参加するエホバの証人の前にはどんな楽しい見込みがありますか。(ロ)永遠の父イエス・キリストはどのようにして「命を与える霊」となりますか。

      32 人の住む全地で聖書教育の業に今日熱心に携わっている,献身してバプテスマを受けたエホバの証人すべてにとって今後の見込みは実に楽しいものがあります。それは数え切れないほどの人が迫り来る「大患難」の際に神の裁きの執行による滅びを免れることを可能にする,命を与える業です。それは統治する王イエス・キリストがその永遠の父となるために呼び出す,贖われた人類の死者すべてのための,はるかに大規模な教育の業に彼らを備えさせ,用意を整えさせる仕事なのです。その方は,「最後のアダムは命を与える霊になった」と述べるコリント第一 15章45節が当てはまる方です。そのような方ですから,復活によって彼らに新たに生活を始めさせるだけでなく,千年統治の期間中,命を得られるよう養育することによって彼らに命を授けるでしょう。

      33 (イ)地上の従順な人びとすべてはいつ永遠の命をもって報われますか。(ロ)その時,エホバの偉大な目的は,エフェソス 1章9,10節で言及されている「管理」によってどのように首尾よく成し遂げられていますか。

      33 命を与えるその方の統治の終わりまでには,従順に答え応ずる人たちは,初めのパラダイス,エデンの園で最初のアダムが有していた完全な人間としての輝かしい状態に達していることでしょう。それから,決定的な試みの際に宇宙の主権者としての天の父に対する忠節を実証するなら,彼らは永遠の命をもって報われるでしょう。その時,どこもかしこもパラダイスの美で装われた地は再び聖なる天と和合します。エホバの偉大な目的はその「管理」計画によって首尾よく成し遂げられていることでしょう。例外なく「すべてのもの」,「天にあるものと地にあるもの」は,「キリストにおいて」,つまりエホバ神がご自分の首都組織の頭とした方であるそのみ子イエス・キリストにあって再び集められていることでしょう。霊的なパラダイスとエデンのようなパラダイスの両方を享受する地上の人間は,再びエホバの宇宙的組織の一部となります。天と地のその全被造物の間には一致と平和が行き渡るでしょう。(エフェソス 1:9,10)地上の動物は人間に服するでしょう。

      わたしたちは今何をしますか

      34 わたしたちは信仰の目を何にしっかり据えておく必要がありますか。どうしてその実現を確信することができますか。

      34 確実な神のみ言葉がわたしたちの信仰の目に示す将来の展望は実に壮大です! 今はそれを見失わないようにすべきです。わたしたちの目が決してそれからそらされませんように。それは幻覚でも盲想でも夢のような話でもありません。神ご自身の名を署して記された,しかも間もなく到来するそのすばらしい事柄は,神の不滅のみ言葉の預言の中で十分に保証されて効力を保っています。時が確かに流れるように,わたしたちはそれに向かって進んでいます。それは「ご自分をせつに求める者に報いてくださる」神がわたしたちの前に置かれた目標です。(ヘブライ 11:6)もし信仰を固守し,それに従って生活し,行動するなら,神がわたしたちに差し伸べて約束しておられる賞を得るのに何ものも妨げとはならないでしょう。

      35 大いなるバビロンが滅ぼされると,妨害物は皆片付けられてしまいますか。それとも,事態はどうなりますか。

      35 見せかけの妨害者はわたしたちの前途の進路に必ず現われるでしょう。「大患難」の勃発するその日,その時はわたしたちに明らかにされてはいませんが,その時は神によって定められており,遅れることはありません。(ハバクク 2:3)「大患難」は言明された神の目的の一部ですから,その到来は必至です。その患難の初めの部分である宗教上の大いなるバビロンの滅びはわたしたちのために完全に道を明けるものとはならないことを念頭に留めておきましょう。それは単に残っている最後の妨害者の手を自由にし,神の定めた目標にわたしたちが達するのを妨げるよう,わたしたちに注意を集中させることになります。その時,わたしたちはどうしますか。

      36 その時生ずる危機的な事態は,歴史的などんな事態をわたしたちに思い起こさせますか。

      36 その時,わたしたちの前にはっきりと現われる危機的な事態は,西暦前1513年の過ぎ越しのすぐ後に紅海のエジプト側の岸で一見わなに陥ったかに思えたイスラエル人に関する記憶を呼び起こすものとなります。彼らの前で海はアラビア半島の神の山,シナイ山にまっすぐ行く道をふさいでいます。海岸の彼らの宿営は後方から脅かされています。エジプト人がやって来ています! エジプトの王ファラオの指揮する戦車と騎兵隊はイスラエル人の野営に向かって来ます。ファラオの軍勢が彼らを襲うまでどれほどかかるでしょうか。事態はまさに容易ならぬものがあります! 彼らはどうしますか。こういう事情で,彼らは神によってこのような危険な事態に導かれていることを理解できず,神に向かって泣き叫びます。

      37 その容易ならぬ事態に直面して,神は不可能と思えるどんな事を行なうよう彼らに命じられましたか。

      37 彼らは今やどんな命令を聞きますか。それは物事の形勢からすれば信じられない不可能な事です! 神からの命令は,突進して来る敵の前であわてて野営を解いて逃走するのではなく,敵のもとを去って行進することです。と言うことは,海に向かってそうするのです。その通りです。前進!『時に〔永遠者〕,モーセにいひたまひけるは汝なんぞ我に呼ばはるや イスラエルの子孫に言ひて進みゆかしめよ 汝 杖を挙げ手を海の上に伸べてこれを分かち イスラエルの子孫をして海の中の乾ける所を往かしめよ 我エジプト人の心をかたくなにすべければ彼らその後にしたがひて入るべし 我かくしてパロとそのすべての軍勢およびその戦車と騎兵によりて栄誉を得ん 我がパロとその戦車と騎兵とによりて栄誉をえん時 エジプト人は我の〔永遠者〕なるを知らん』― 出エジプト 14:15-18〔モファット〕; バイイングトン; エルサレム聖書; アメリカ訳; 改訂標準訳。

      38 (イ)敵はどのようにしてわなにかかり,完全に滅ぼされましたか。(ロ)そこで,イスラエル人は何をするもっともな理由がありましたか。

      38 脅かされた神の民は野営を引き払った後,全能の神が奇跡的に紅海を分けて作った回廊を通って進みます。彼らは完全に横断してシナイ半島の岸に進みます。逃げ道となったその回廊は,気をそそるように開かれたままです。イスラエル人の野営に突撃することを一時的に阻止されたエジプト人は,今やすさまじい突撃を再開します。彼らは事を進め,馬で疾駆して水の壁の間の回廊に入り,激しく追撃し,ついに全員回廊の中に入ります。ところが,車が問題を起こして進行を妨げます。ようし,イスラエル人のために戦う神の前から退却! しかし,既に手遅れです。預言者モーセがその杖で合図をすると,わながはね返ります。分けられていた海の水はどっと一緒になり,ファラオの軍勢は全部飲み込まれてしまいます。彼らの死体はシナイ半島の海岸に打ち上げられます。さあ,イスラエル人よ,エホバのみ手によって救い出されたことを歌い,踊りなさい。―出エジプト 14:19から15:21まで。

      39 (イ)それらの事柄はだれを教えるために聖書に記録されましたか。(ロ)悪魔サタンとその国際的な一大勢力による総攻撃に直面する時,わたしたちはどんな決意を固守しなければなりませんか。

      39 以前に記されたこれらの事柄は,最も危急な時代にいるわたしたちを教えるために書き記されました。(ローマ 15:4)象徴的な十本の角と,その時には乗り手のいない例の緋色の野獣による将来の攻撃は,わたしたちの存続とわたしたちの霊的なパラダイスにとって重大な脅威となります。それはそれらの角と野獣が偽宗教のバビロン的な世界帝国を憎んで片付けた後のことです。(啓示 17:14)マゴグの地の象徴的なゴグ(悪魔サタン)とその国際的な一大勢力による総攻撃は,エホバ神とわたしたちとの回復された関係およびその宇宙主権とメシアによる王国を支持するわたしたちの非妥協的態度に向けられるでしょう。(エゼキエル 38:10-17)非宗教的な諸国家すべてがエホバのクリスチャン証人に対して抱く激しい憎しみは頂点に達するでしょう。その時,わたしたちはどうしますか。希望を失いますか。そのようなことは決してしません! その極端な事態のために今既に固められているわたしたちの決意は,宇宙の主権者エホバの正しさを立証するに至る道を固守することです!

      40 わたしたちの場合,一致団結して進むようにとの命令は何を意味しますか。

      40 不可能な事を要求するように思えるかもしれませんが,より大いなるモーセであるイエス・キリストを通して与えられる,主権者なる主エホバからの命令はわたしたちの耳に極めてはっきりと,「前進! 一致団結して進め!」と鳴り響くでしょう。それは,人間に従うよりもむしろ支配者としてのエホバ神の意志を行ない続けよということです。エホバが来たるべき千年の間人類を治めるメシアなる王として油そそがれた方の弟子であり続けてください! では,目標になおも目を留めて進みましょう。それはなお先の事です。わき道にそれずに前進すれば,堂々と目標に達するでしょう。(ヘブライ 10:39)敵はわたしたちを引き戻してこの不敬虔な世に隷従させようとどんなに試みようが失敗します。全能の神はわたしたちのために自由の岸辺に至る回廊を開かれるでしょう。主権者なるエホバの前進する崇拝者たちを執念深く追撃する敵は,滅びのわなに陥るでしょう。

      41 二度と繰り返されることのないどんな特権が,その時生き残る人たちの受ける分となりますか。

      41 紅海で救い出された後の預言者モーセとイスラエル人に倣って,ハルマゲドンにおける「雄々しい軍人」エホバの偉業を物語るわたしたち独自の歌を歌い,その祝いの歌の最高潮で,「エホバは定めなき時まで,とこしえまでも王として支配される」と歌うことができる時,それは輝かしい時となるでしょう。(出エジプト 15:1-18,新)確かに天はもとより,生き残ってエホバのこの上ない勝利を見る地上の傍観者たちは,今や疑いもない全宇宙の王の賛美の歌をこぞって歌うでしょう。勝利の歌を歌うそれらの人たちの一人となることは,二度と繰り返されることのない何という特権でしょう。

      42,43 (イ)詩篇 66篇10-12節の言葉は,エホバのクリスチャン証人として西暦1914年以来の出来事を切り抜けて生きてきた人たちの経験とどのように合致しますか。(ロ)霊的なイスラエルの残りの者には,前途にどんな困難な状況を控えていようともそれにはかかわりなく,イザヤ書 43章のどんなすばらしい保証の言葉がありますか。

      42 わたしたちは間近な前途に類例のない世の苦難を控えていますが,憶せずにそれに立ち向かいましょう。西暦1914年以来,二度の世界大戦を切り抜け,また1914年以降の全期間を特徴づけてきたエホバのクリスチャン証人の宗教上の迫害を経験してきた「この世代」の年老いた者であるわたしたちは,聖書の昔の詩篇作者と共に本当にこう言うことができます。「あなたがわたしたちを調べてくださ(いました),ああ神よ。あなたは銀を精錬する時のようにわたしたちを精錬してくださいました。あなたは狩猟の網の中にわたしたちを引き入れ,わたしたちの腰に圧力を加えられました。あなたは,死にゆく人間にわたしたちの頭上を乗り越えさせました。わたしたちは火を通り抜け,水を通り抜けて来ました。そしてあなたは安らぎへとわたしたちを導き出されました」。(詩 66:10-12,新)わたしたちはなお,直前に控えている最も厳しい世の苦難のただ中で「火を通り抜け,水を通り抜け」なければならないでしょう。しかし,霊的なイスラエルの油そそがれた残りの者にはエホバ神からの次のようなすばらしい保証の言葉があります。

      43 「だが,今,ああヤコブよ,あなたの創造者,ああイスラエルよ,あなたを形造った方,エホバはこう言われる。『恐れてはならない。わたしはあなたを買い戻したのだから。わたしはあなたの名であなたを呼んだ。あなたはわたしのものである。あなたが水を通り抜ける場合には,わたしはあなたと共におり,川を通り抜ける場合には,それらはあなたの上に氾らんすることはない。あなたが火の中を歩く場合には,あなたは焼き焦がされず,炎があなたを焦がすこともない。わたしはあなたの神エホバ,あなたの救い主なるイスラエルの聖者だからである。……』『あなたがたはわたしの証人』,これはエホバのみ告げである,『わたしが選んだわたしの僕である。それはあなたがたが知ってわたしに信仰を持つため,あなたがたがわたしがその同じ者であることを理解するためである』」― イザヤ 43:1-3,10,新。

      44 将来何が臨もうともそれにはかかわりなく,ゼパニヤ書 3章16,17節によりエホバの僕たちはどんな確信を抱いて何を行なうよう励まされますか。

      44 それで,エホバのクリスチャン証人はなお火や水に相当するものを通り抜けなければならないにしても,エホバは彼らと共にいてくださり,その同じ救いの神であることを示されるでしょう。その王国の証人として奉仕の点で今わたしたちの手をゆるめたり,速度を落としたりすべき根拠はありません。ごく近い将来のことを恐れてぞっとしたり,緊張して活動を停止したりしてはなりません。エホバはその王国のための奉仕でわたしたちが今まで行なってきた事を喜んでおられ,それゆえにわたしたちを驚くほど祝福してくださいました。次のような預言的な言葉はわたしたちのために記されており,また今やわたしたちに当てはまります。『その日にはエルサレムに向かひて言ふあらん おそるゝなかれ シオンよ 汝の手をしなへ垂るゝなかれと なんぢの神エホバなんぢのうちにいます彼は救ひを施す勇士なり 彼なんぢのために喜び楽しみ愛のあまりに黙し[静かに; 安らかに; 満足するようになり]汝のために喜びて呼ばはりたまふ』― ゼパニヤ 3:16,17。

      45 それで,どんな業に雄々しくわたしたちの手を用いるべきでしょうか。

      45 「天のエルサレム」の生ける神に,わたしたちのことで引き続き大いに喜び,歓喜していただけますように。ゆえに,霊的な神殿で今までエホバ神に大いに活発に仕えてきたわたしたちのこの手が,垂れ下がったり衰えたりしませんように。現在の世の苦難が「大患難」で頂点に達する前になされねばならない命を救う残された業にわたしたちの手を雄々しく用いてゆきましょう。

      46 (イ)「王国のこの良いたより」はいつまで宣べ伝えられることになっていますか。(ロ)従順な人類が世の苦難から救われる際,だれにすべての感謝が帰されますか。

      46 イエス・キリストは,この事物の体制の終わりが到来するまで「王国のこの良いたより」が宣べ伝えられることを予告されました。(マタイ 24:14)イエスの忠実で従順な弟子であるわたしたちには,「新しい天」の王国がもはや単なる「良いたより」ではなく,ああ喜ばしいことに,それが「新しい地」つまり義と共に回復されるパラダイスを満たす人類社会と共に輝かしい現実となる時まで全世界で宣べ伝え続ける以外ほかに正しい道は何も示されていません。その時,従順な人類を世の苦難から救って平和な「新しい地」に入れてくださる心の優しい神エホバにすべての感謝が捧げられることでしょう。

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