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  • 聖書の第56番めの本 ― テトスへの手紙
  • 目ざめよ! 1975
  • 副見出し
  • テトスへの手紙の内容
  • なぜ有益か
目ざめよ! 1975
目75 2/22 30–31ページ

『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

聖書の第56番めの本 ― テトスへの手紙

筆者: パウロ

書かれた場所: マケドニア(?)

書き終えられた時期: 西暦61-64年ごろ

含まれている時代: 確定できない

1 (イ)クレタの諸会衆はどんな環境の中で誕生しましたか。(ロ)クレタのクリスチャンたちは何を行なうことが必要でしたか。テトスにはどんな任務が委ねられていましたか。

「神の奴隷またイエス・キリストの使徒であるパウロから……ともにあずかる信仰によって真実の子であるテトスへ」。(テトス 1:1,4)同労者であり永年の仲間であるテトスにあてたパウロの手紙はこのような形で始まっています。テトスは,しっかりした地歩の上に会衆を組織させるためパウロがクレタに残した人でした。テトスは大きな任務を委ねられていました。この島は,「神々と人々の父」の古代の住まいと言われていた所であり,また,『クレタ人をクレタする』,つまり,「ならず者の裏をかく」という言いならわしの起こりとなった所でした。a この地の人々の不正直さはことわざともなっていたため,パウロは,「クレタ人は常に偽り者,害をなす野獣,無為に過ごす大食家」という,彼らの預言者のことばをさえ引用しています。(テトス 1:12)パウロの時代のクレタ人は次のようにも評されています。「不安定で,不誠実で,けんか好きなのがこの民の性格であった。彼らは並外れの貪欲,放縦,偽り,酔酒にふけった。しかし,彼らの間に移住していたユダヤ人は原住の人々以上に不道徳に進んでいたようである」。b クレタの諸会衆はそうした環境の中で誕生しました。そのため,信者となっていた人々は,パウロが説き勧めたとおり,「不敬虔と世の欲望とを振り捨て……現存する事物の体制にあって健全な思いと義と敬神の専念とをもって生活」することが特に必要でした。―テトス 2:12。

2,3 (イ)テトスとパウロとの間にはどんな交渉がありましたか。(ロ)パウロはテトスあての手紙をどこで書いたと思われますか。どんな目的で?

2 テトスへの書そのものは,パウロとテトスとの交渉についてほとんど情報を与えていません。ただ,「ともにあずかる信仰によって真実の子であるテトス」という表現から,テトスがパウロの伝道によって真理を学んだのではないか,と思われる点だけです。(テトス 1:4)しかし,パウロの他の手紙にあるテトスへの言及から,多くの情報を集めることができます。テトスはギリシャ人でしたが,しばしばパウロに伴い,少なくとも一度彼と共にエルサレムに行きました。(ガラテア 2:1-5)パウロはテトスのことを,「わたしとともに分け合う者」,また「同労者」と呼んでいます。コリントの人々にあててエフェソスから最初の手紙を書いた後にパウロがコリントに派遣したのはテトスでした。コリントにいる間に,テトスは,エルサレムの兄弟たちのためになされていた募金と関係するようになり,その結果として,パウロの指示のもとに,その募金の業を完遂するためその地に戻りました。コリントの人々へのパウロの第二の手紙を運ぶためにテトスが用いられたのは,マケドニアでパウロに会った後,こうしてコリントに再び赴くさいのことでした。―コリント第二 8:16-24; 2:13; 7:5-7。

3 ローマでの最初の投獄から解かれた後,パウロはその宣教活動の最後の幾年かのあいだ再びテモテやテトスと交わりました。この期間に,クレタ,ギリシャ,マケドニアでの奉仕もなされたものと思われます。パウロは最後にギリシャ北西部のニコポリスに向かうと述べています。明らかにそこで捕縛され,最後の投獄と処刑のためローマに連れて行かれたのでしょう。パウロがテトスをクレタに残したのは共にクレタを訪ねた時のことでした。それは,「不備な点を正し」,パウロの指示に従って「都市ごとに年長者たちを任命するため」でした。パウロの手紙は,彼がテトスをクレタに残して少し後に書かれたものと思われます。それはおそらくマケドニアにおいてであったでしょう。(テトス 1:5; 3:12。テモテ第一 1:3。テモテ第二 4:13,20)この手紙はテモテ第一の書と同様の目的を持っていたものと思われます。すなわち,パウロの同労者を励まし,その務めを果たすための権威ある後ろだてを与えるためでした。

4 この手紙はいつ書かれたと考えられますか。その典拠性を裏付けるどんな証拠がありますか。

4 この手紙は,パウロが獄から釈放された西暦61年から,ネロによる迫害が始まってまもなく再び捕縛された西暦64年ごろまでの間に書かれたに違いありません。テトスへの手紙の典拠性は,同じ時期に書かれたテモテへの二つの手紙と同様の証拠によって裏付けられています。これら聖書の三つの本は,パウロの「牧会書簡」とも呼ばれます。これら三つの書の文体は似ています。イレナエウスとオリゲネスはともにこのテトスへの手紙から引用しており,また古代の他の多くの権威者たちもこの書の正典性について証言しています。この書はシナイ写本およびアレクサンドリア写本の中に含まれています。ジョン・ライランズ図書館にはパピルス断片P32があります。それは西暦三世紀の写本の一葉であり,テトス 1章11-15節と2章3-8節を含んでいます。この書が典拠の正しいものであり,霊感による聖書の一部であることは疑いありません。

テトスへの手紙の内容

5 (イ)監督としてのどんな資格をパウロは強調していますか。なぜこれは必要ですか。(ロ)どんな場合にテトスは厳しい戒めを与えることが必要ですか。汚れた人々についてはどんなことが語られていますか。

5 監督たちは健全な教えによって説き勧めるべき(1:1-16)愛情のこもったあいさつのことばの後,パウロは監督となる人々の資格をはっきり述べます。次の点が強調されています。つまり,監督は,「とがめのない人」で,善良さを愛し,義にかない,忠節であり,「自分の教えの術に関して信ずべきことばを堅く守る人」でなければなりません。それは,「健全な教えによって説き勧めることも,また,言い逆う者を戒めることもできるため」です。「人の思いを欺く者」,つまり,不正な利得のために家族全体を覆してゆく者たちのゆえにこのことは必要です。それゆえテトスは「絶えず彼らを厳しく戒め」なければなりません。「彼らが信仰の点で健全になり,ユダヤ人の説話……に気を奪われることのないためです」。汚れた人々は,神を知っていると公言するかもしれませんが,その不従順な業によって神を否認しています。―1:6-10,13,14。

6 クリスチャンの行状についてどんな忠告が与えられていますか。

6 健全な思いと義と敬神の専念とをもって生活する(2:1–3:15)年取った男子,また年取った婦人はまじめであり,恭しくふるまうべきです。若い婦人たちは夫と子どもを愛し,夫に服し,「こうして神のことばがあしざまに言われることのないように」すべきです。若い男子たちもりっぱな業と健全なことばの面で手本となるべきです。服すべき立場にある奴隷は「忠信な態度を十分に示(す)」べきです。人を救いに至らせる神の過分のご親切がはっきり示され,神がキリスト・イエスによって清め,「ご自分が特別に所有する民,りっぱな業に熱心な民」とされた人々のうちに,健全な思いと義と敬神の専念とを鼓舞しています。―2:5,10,14。

7 服すること,救い,りっぱな業についてパウロはどんなことを強調しますか。

7 パウロは,政府に服しかつ従うことの必要,また「すべての人に対して柔和をつくすべきこと」を強調します。パウロとその仲間のクリスチャンたちもかっては他の人々と同じく不健全な状態にありました。なんら自らの業によらずただ神の親切と愛とあわれみにより,また聖霊の働きによって,彼らは救われ,永遠の命の希望を受け継ぐ者となりました。それゆえ,神を信ずる人々は「りっぱな業を続けるべきことを思いに留める」べきです。愚かな質問や律法をめぐる争いからは遠ざかっているべきです。分派を助長する者については,一度,またもう一度訓戒したのち,これを退けなさい。パウロは,ニコポリスにいる自分のところに来るようテトスに求め,他の宣教上の指示を与えた後,りっぱな業を保つ必要をもう一度強調します。実を結ばない者とならないためです。―3:2,7,8。

なぜ有益か

8 テトスへの手紙にあるパウロの助言のどんな点は今日のわたしたちにとっても「りっぱなことであり,人の益に」なりますか。なぜ?

8 クレタのクリスチャンたちは,虚偽,腐敗,貪欲などに囲まれて生活していました。クリスチャンはそうした普通の人々の歩みにそのままついていってよいですか。あるいは,エホバ神のために神聖なものとされた民として神に仕えるため,きっぱりした処置を取ってそうした事から完全に離れるべきですか。「りっぱな業を続ける」べきことをテトスを通してクレタの人々に知らせつつ,パウロは,『それはりっぱなことであり,人の益になる』と述べました。真のクリスチャンがりっぱな業を続けることを学び』,神の奉仕において実を結ぶとは,不正と不真実のどろ沼に沈た今日の世界においても「りっぱなことであり,人の益に」なります。(テトス 3:8,14)クレタの諸会衆を脅かした悪と不道徳をパウロははっきり非としており,そのすべては今日のわたしたちに対する警告となります。「神の過分のご親切」は,今も,「不敬虔と世の欲望とを振り捨てるべきこと,また現存する事物の体制にあって健全な思いと義と敬神の専念とをもって生活すべきことを」わたしたちに諭しているのです。クリスチャンは,政府に従順さを示し,正しい良心を保って,「あらゆる良い業に備えをし」てもいるべきです。―テトス 2:11,12; 3:1。

9 教える業を正しく行なうことの大切さはどのように強調されていますか。監督にはこの点で特にどんな責任がありますか。

9 テトス 1章5-9節はテモテ第一 3章2-7節を補って,監督に対する聖霊の要求を示しています。それは特に,監督が『信ずべきことばを堅く守り,会衆内にあって教える者となるべきことを強調しています。すべての人を円熟に向かわせるのにそれはほんとうに必要なことではありませんか。事実,正しく教えるということは,テトスへの手紙の中で幾度も強調されています。パウロは,「健全な教えにかなう事がらをいつも語りなさい」とテトスに訓戒しています。年取った婦人は「良いことを教える者」となるべきであり,また奴隷たちは「すべての事においてわたしたちの救い主なる神の教えを飾る」べきです。(テトス 1:9; 2:1,3,10)パウロは,テトスが,監督として,その教える業の面で恐れのない確固たる者となるべきことを強調してこう述べます。「命令する権威を十分に行使しつつ絶えずこれらのことを語り,説き勧め,また戒めなさい」。また,不従順な態度を取る人々のことについてパウロはこう述べます。「絶えず彼らを厳しく戒めなさい。彼らが信仰の点で健全にな(るためです)」。こうして,テトスにあてられたパウロの手紙は,「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに」特に「有益です」。―テトス 2:15; 1:13; テモテ第二 3:16。

10 テトスへの手紙はわたしたちにどんなことを励ましますか。どんな希望についてわたしたちに励みを与えますか。

10 テトスへの手紙は,神の過分のご親切に対するわたしたちの認識を高めさせ,「幸福な希望と,偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエスの栄光ある顕現とを待(つ)」わたしたちに,世の不敬虔から離れるようにとの励みを与えます。そうすることにより,キリスト・イエスを通して義と宣せられた者たちは,神の王国における「永遠の命の希望にしたがって相続人」となることができます。―テトス 2:13; 3:7。

[脚注]

a マクリントクとストロングの「百科事典」,1882年版,第二巻564ページ。「新シャフ-ヘルゾグ宗教知識百科事典」,1958年版,第三巻306ページ。

b マクリントクとストロングの「百科事典」,1881年版,第十巻442ページ。

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