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偉大な教え手に聞き従う
教 36章 147–150ページ

36章

ほこりたかぶったパリサイ人

ほこるとはどういう意味ですか。あなたは知っていますか。―

例をあげましょう。自分があまりとくいでないことをしてみようとしたことがありますか。ボールを打ったり,なわとびをしたりしていたことがあるかもしれません。だれかに,「は,は,は。きみよりぼくのほうがうまくできるよ」といわれたことがありますか。― では,その人はほこっていたのです。自分のことを自慢しました。

ほかの人がそうするとき,あなたはどう感じますか。このましく感じますか。― では,あなたがなにかをほこるなら,ほかの人はどう感じると思いますか。―「わたしはあなたよりもじょうずですよ」というのは,親切なことですか。― エホバは,そうする人をこのまれますか。―

偉大な教え手は,そのようなことをする人びとがいることを知っておられました。それで,ある日,そうした人たちに一つのお話をなさいました。それはパリサイ人と収税人にかんするお話でした。

パリサイ人はこうまんな宗教家でした。そしてしばしば,あたかも自分たちはほかの人びとよりも正しくて,神聖な人間でもあるかのようにふるまいました。イエスのお話に出てくるパリサイ人は,祈りをするため,エルサレムにある神の神殿にのぼって行きました。

イエスのお話によれば,ある収税人も,祈りをするため,そこにのぼりました。ところで,たいていの人は収税人がきらいでした。収税人は自分たちの敵だと感じていました。そのうえ,収税人は必ずしも正直ではありませんでした。

そのパリサイ人は神殿でつぎのように神に祈りはじめました。『おお神よ,わたしは,自分がほかの人びとのような罪人ではないことをあなたに感謝します。わたしは人びとをだましたり,ほかの悪いことをしたりはしません。わたしはあそこにいる収税人のようではありません。わたしは正しい人間です。わたしは週に二回食事を取りませんから,あなたについて考える時間がもっとたくさんあります。そして,わたしが得る物すべての十分の一を神殿におさめています』。ほんとうにそのパリサイ人は自分が正しいと考えていたのですね。― そして,そのことを神にも話したのです。

しかし,収税人はそうではありませんでした。彼は,神の神殿に近づけるほど良い人間ではないとさえ感じていました。天にむかって目をあげようとさえしませんでした。それで,頭をたれたまま,遠くはなれたところに立っていました。収税人は自分の罪を悔い,悲しんで胸を打ちました。自分がどんなに良い人間かを神に話そうとはしないで,『おお神よ,罪人のわたしに親切にしてください』と祈りました。

あなたはふたりのうちどちらが神に喜ばれたと思いますか。それは,自分がたいへん良い人間だと考えた,ほこり高ぶったパリサイ人でしたか。それとも自分の罪を悔いていた収税人でしたか。―

イエスはつぎのようにいわれました。『神にとっては,収税人のほうがパリサイ人よりも義にかなった人間です。なぜなら,あたかも自分がほかの人よりもまさっているかのように見せかけようとする者はみな,低くされるからです。しかし,自分を卑しい者とみなす人は高められます』― ルカ伝 18:9-14。

ここでイエスの教えておられる教訓がわかりましたか。― 自分はほかの人びとよりまさっていると考えるのはあやまっていることを,イエスは示されたのです。この教訓がわたしたちの生活にどのようにあてはまるかを考えてみましょう。

学校であなたと,もうひとりの子どもがある質問に答えるよう求められたとしましょう。あなたはすぐに答えられますが,もうひとりの子どもは早く答えられないとしたらどうですか。もちろん,答えを知っているなら,あなたはいい気持ちがします。でも,その別の生徒に,きみはおしだね,というのは親切なことでしょうか。― ほかの人をけなして,自分をよく見せようとするのは正しいですか。―

パリサイ人がしたのはそのことです。パリサイ人は,自分は収税人よりもすぐれているとして,自慢しました。しかし偉大な教え手は,そのパリサイ人はまちがっているといわれました。

たしかに,ある人にはほかの人よりもよくできることがあるかもしれません。でも,それだからといって,その人はほかの人よりも良い人だということになりますか。―

このことについて考えてみてください。自分はたくさんのことを知っているからといって,ほこるべきですか。― わたしたちは自分の頭脳を作りましたか。― いいえ,人間に頭脳をお与えになったかたは神です。そして,わたしたちが知っているものはすべて,だれかほかの人から学んだ事がらなのです。あるいは本で読んだことかもしれませんし,だれかから聞いたことかもしれません。たとえ自分で考え出したにしても,どのようにして考え出したのでしょう。神がお作りになったものを見て考え出したのです。わたしたちが持っているものはすべて,だれかほかの人から来ました。

なかには強い人がいます。しかし,そうだからといって,ほかの人よりもすぐれているといえますか。― そのような人たちも自分のからだを作ったわけではありませんね。― 人間に筋肉をお与えになったのは神です。そして,わたしたちが食べて強くなるように,食べるものをはえさせてくださるのは神です。

そうすると,わたしたちはだれかにほこる理由を持っていますか。わたしたちはほかの人びとよりもすぐれていますか。― 自分がどんなに良い人間かをほかの人に告げるかわりに,たしかに,エホバがどんなにすばらしいかたかをほかの人びとに話すべきではありませんか。― なぜなら,わたしたちがものごとをよく行なえるようにしてくださったのはエホバだからです。

人がいっしょうけんめい努力しているとき,その人を元気づけるようなことをいってあげるのは親切な行ないです。その人のしたことをうれしく思っている,といってあげなさい。そうすれば,その人がもっと良くできるように助けてあげられるかもしれません。自分も人からそうしてもらいたいと思うのではありませんか。― それで,イエスはこういわれました。『自分にしてもらいたいとほかの人びとに思うとおりに,人にも同じようにしなさい』。これは守るべき良い規則ではありませんか。―ルカ伝 6:31。

もしそのとおりにするなら,わたしたちは決して自慢したり,ほこったりはしないでしょう。わたしたちは,あのほこりたかぶったパリサイ人のようになりたいとは思いません。

(誇りや自慢は避けなければなりません。次の聖句に書かれていることをお読みください。箴言 16:5,18。コリント前書 4:7; 13:4。)

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