ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 聖書の第57番めの本 ― フィレモンへの手紙
    目ざめよ! 1975 | 3月8日
    • ことは,マタイ 6章14節のイエスのことば,またエフェソス 4章32節のパウロのことばを実践することになりました。今日のクリスチャンも,罪を犯した兄弟に親切な態度を取り,同じようにゆるすことが期待されます。フィレモンは,自分が所有し,法律的には思いのままに虐待することも許された奴隷に対して寛大な態度を取ることになりました。そうであれば,今日のクリスチャンも,これよりずっと容易なこととして,自分に罪を犯す兄弟をゆるすことができなければなりません。

      10 フィレモンへの手紙の中にエホバの霊の働きはどのように明瞭に見られますか。

      10 このフィレモンへの手紙の中に,エホバの霊の働きを明瞭に見ることができます。それは,非常に扱いにくい問題に対するパウロのきわめて巧みな扱い方の中によく表われています。またそれは,パウロの発揮した,仲間どうしとしての情感,優しい愛情,仲間のクリスチャンに対する信頼などの中に示されています。また,フィレモンへの手紙が,聖書の他の部分と同じように,クリスチャンの原則を教え,クリスチャンの一致を鼓舞し,「聖なる者たち」の間に満ちる愛と信仰を強調している点にもそれは見られます。それら聖なる者たちは神の王国に希望を置き,その人々の行状の中にエホバの愛のこもった親切が反映されているのです。

  • 聖書の第58番めの本 ― ヘブライ人への手紙
    目ざめよ! 1975 | 3月8日
    • 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

      聖書の第58番めの本 ― ヘブライ人への手紙

      筆者: パウロ

      書かれた場所: ローマ

      書き終えられた時期: 西暦61年ごろ

      含まれている時代: 確定できない

      1 パウロがヘブライ人への手紙を書いたことは彼が受けたどんな使命にふさわしいことでしたか。

      パウロは,「諸国民への」使徒としてよく知られています。しかし,彼の奉仕は非ユダヤ人だけを対象としていましたか。決してそうではありません。パウロがバプテスマを受けまた仕事の任命を受けるすぐ前,主イエスはアナニアにこう語りました。「この者[パウロ]は,わたしの名を諸国民に,また王たちやイスラエルの子らに携えて行くための選びの器(です)」。(使徒 9:15。ガラテア 2:8,9)ヘブライ人への書を記したことは,イスラエルの子らにイエスの名を携えて行くというパウロの使命に全くかなうものでした。

      2 パウロはその筆者ではないとする論議はどのように否定されますか。

      2 しかし,パウロがヘブライ書を書いたことを疑問視する批判者たちもいます。パウロの名がこの手紙の中に出ていない,という点が,反論の一つとなっています。しかし,それは決して真の問題ではありません。正典となっている他の多くの本も筆者の名を記していませんが,それでも内面的な証拠から筆者を確認できる場合が多いのです。さらに,パウロの名はユダヤ人の間で憎しみの的となっていたので,ユダヤ地方のヘブライ人のクリスチャンにあてたこの手紙の中でパウロはあえて自分の名を伏せたのではないかとも考えられています。(使徒 21:28)他の書簡との文体上の相違も,パウロが筆者であることに対する真の反論とはなりません。対象が異教徒でもユダヤ人でもクリスチャンでも,パウロは常に,「あらゆる人に対してあらゆるものとな(る)」能力を発揮しました。ここでの彼の論議は,一ユダヤ人が他のユダヤ人たちに対して述べるものとして提出されており,ユダヤ人たちが十分に理解し認識できる形で展開されているのです。―コリント第一 9:22。

      3 どんな内面的証拠は,パウロがその筆者であり,また特にユダヤ人を対象として書いたことを裏付けていますか。

      3 この書の内面的な証拠はすべて,パウロがその筆者であることを裏付けています。筆者はイタリアにおり,テモテと交わっていました。これらの点はパウロと適合します。(ヘブライ 13:24,23)さらに,論議はユダヤ人の観点で提出され,この手紙の対象となった,全くヘブライ人から成る会衆に訴えるような形でまとめられていますが,その教義の展開の仕方はパウロの特徴をよく表わしています。この点につき,「クラークの注解」,第6巻681ページは,ヘブライ書に関してこう述べています。「生来のユダヤ人を対象として書かれたということは,この書簡の全体的構成に証明される。仮に異邦人を対象としていたとすれば,その一万人に一人も,そこに展開されている論議を把握しえないであろう。ユダヤ人社会の体制に通じていないからである。この書簡の筆者はいたるところでそうした知識を読者に想定しているのである」。この点が,パウロの他の手紙と比べた場合の文体上の相違の説明となるでしょう。

      4 信頼できる権威者たちはこの書の筆者についてなんと述べていますか。

      4 1931年にチェスター・ビーティー・パピルス第二番写本が発見されたことによって,パウロが筆者であることのいっそうの証拠が与えられました。パウロの死後わずか一世紀半後に書かれたこのパピルス写本について,英国の著名な原典批評家フレデリック・ケンヨン卿はこう述べています。「ヘブライ書がローマ書の直後(他にまず例のない位置)に置かれていることは注目に価する。これは,この写本が作られたごく初期の時代には,パウロがその原著者であるという点になんの疑問もなかったことを示している」。a この同じ問題に関して,マクリントクとストロングの「百科事典」ははっきりこう述べています。「内面的にも外面的にも,この書簡の著者をパウロ以外の者とする主張の実質的証拠は何もない」。b

      5 その内容はこの書が霊感によるものであることをどのように証明していますか。

      5 初期クリスチャンが受け入れていたということに加えて,内容そのものも,この書が「神の霊感を受けたもの」であることを証明しています。この書は読者の注意を終始ヘブライ語聖書の預言に向け,それら初期に書かれた物に幾度も言及して,それらすべてがいかにキリスト・イエスに成就したかを示しています。その最初の章の中だけでも,ヘブライ語聖書から少なくとも七つの引用がなされ,み子が今やみ使いたちより勝った立場にあるという点を論ずるために用いられています。この書は終始,エホバのことばとみ名を大いなるものとし,イエスが命のための主要な代理者であり,その王国が人類の唯一の希望であることを指摘しています。

      6 種々の証拠はこの書が記された時と場所について何を示していますか。

      6 書かれた時について言うと,すでに述べたとおり,それはパウロがイタリアにいた時でした。手紙の結びで筆者はこう述べています。「わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを知ってください。彼がすぐにでも来れば,わたしは彼といっしょにあなたがたに会えることでしょう」。(ヘブライ 13:23)これは,パウロが自分の釈放のまもないことを予期し,テモテに同行する希望を持っていたことを示していると思われます。テモテも投獄されていましたが,すでに釈放になっていたのです。それゆえ,ローマにおけるパウロの初めの投獄の最後の年,すなわち西暦61年が,その書かれた年とみなされます。

      7 ユダヤ人のクリスチャンたちはどんな反対に直面していましたか。そのため,彼らには何が必要でしたか。

      7 ユダヤ人の「事物の体制」の「終わりの時」であったその当時,ユダヤ地方,特にエルサレムにいたヘブライ人のクリスチャンたちには厳しい試練が臨んでいました。良いたよりの成長と拡大に伴って,ユダヤ人は苦々しい憤りを抱き,クリスチャンに対する反対という面で熱狂をきわめていました。ほんの数年前,パウロがエルサレムに姿を見せただけで非常な騒ぎが起こり,宗教的なユダヤ人たちは,「こんな男は地上から除いてしまえ。生きる値うちなどなかったのだ!」と声をかぎりに叫んだのです。40人以上のユダヤ人が,パウロを除き去るまでは食べも飲みもしないと,のろいをかけて誓い合い,彼を夜中にカエサレアまで連れて来るのに重武装の厳重な護衛隊が必要だったのです。(使徒 22:22; 23:12-15,23,24)こうした宗教的熱狂とクリスチャンに対する敵意の中で,会衆は生き抜き,伝道し,自分たちの信仰をしっかり守ってゆかねばなりませんでした。彼らには,キリストがいかに律法の成就となったかについて,しっかりした知識と理解が必要でした。それは,ユダヤ教や,動物の犠牲を伴うモーセの律法に逆戻りしないようにするためでした。そのすべては今,むなしい儀式にすぎないものとなっていたのです。

      8 なぜパウロはこの手紙を書く点で特に優れた備えがあったと言えますか。信者となっているユダヤ人のためにパウロはどんな一連の論議を提出しましたか。

      8 ユダヤ人のクリスチャンが受けていた圧迫や迫害について理解する上で,使徒パウロに勝る人はいませんでした。ユダヤ教の伝統に対する反論や強力な論議をユダヤ人のクリスチャンたちに示す面で,かつてパリサイ人であったパウロ以上に資格のある人はいませんでした。モーセの律法に関し,ガマリエルの足下で学び取った広く深い知識に基づいて,パウロは,キリストが律法の成就であるという,否定の余地のない証拠を提出しています。その典礼や犠牲などは,はるかに栄光ある実体によって今や置き換えられ,新たなより勝った契約のもとに計り知れない益がもたらされたのです。パウロの鋭い知力によって,明瞭で,人を納得させる証拠が次々に提出されています。律法契約の終わり,新しい契約の到来,アロンの祭司職に対するキリストのメルキゼデク的祭司職の優越性,雄牛ややぎをささげることと対比した場合のキリストの犠牲の真価,キリストが地上ではなく天の聖なる所に入ったことなどのすべてが,この書を通して,キリスト教に転向したユダヤ人の前に提出されました。これらは目ざましいまでに新しい教えであり,因襲的なユダヤ人にとっては極めで憎々しいものではあっても,ヘブライ語聖書からの豊富な証拠によって裏付けられており,道理をわきまえたユダヤ人であればだれも納得せざるをえないものでした。

      9 この手紙はどんな強力な武器となりましたか。またこれはどのような点でパウロの愛の表明となっていましたか。

      9 この手紙で武装したユダヤのクリスチャンたちは,迫害するユダヤ人の口をふさぐ新しい強力な武器を得,また,神の真理を探求する正直なユダヤ人を納得させ,転向させるための,説得力のある論議を身に着けたことになりました。この手紙は,自分の仲間の人々に対するパウロの深い愛,また,苦境にある時にその人々を実際的な方法で助けようとする燃えるような願いをよく表わしています。

      「これほど大ぜいの,雲のような証人たちに囲まれているのですから,わたしたちも,あらゆる重荷と容易に絡みつく罪とを捨て,自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろうではありませんか。わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスをいっしんに見つめながら。彼は,自分の前に置かれた喜びのために,恥をものとも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右にすわられたのです。そうです,罪人たちの,自らの益に反するそうした逆らいのことばを耐え忍んだかたのことを深く考えなさい。それは,あなたがたが疲れて,あなたがたの魂が弱り果ててしまうことのないためです」― ヘブライ 12:1-3。

      [脚注]

      a フレデリック・ケンヨン卿著「聖書の話」,1949年,116ページ。

      b 1882年版,第4巻,147ページ。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする