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  • それは巧妙な欺きではないでしょうか
    今ある命がすべてですか
    • ていると考えるかもしれませんが,実際にはかつがれているのです。サタンは,エバに対し,へびが話しているかのように見せかけましたが,それと全く同じように,死者が霊媒を通して語っているかのように見せかけることができます。しかしこれは,しばしば死者の霊に帰せられる奇妙な現象すべての背後にサタンが直接関係している,という意味ですか。それとも,だれかほかの者たちも関係していますか。

      他の見えない欺き手たち

      聖書は,反逆した霊の被造物がサタンだけではないことを明らかにしています。ヨハネへの啓示 12章3,4,9節は,さらに他の者たちもいることを示しています。その聖句の中で,悪魔サタンは,「火のような色の大きな龍」,その「尾」で「天の星の三分の一」を引きずり落とした者として描かれています。そうです,サタンは自分の影響力を尾のごとくに振るって,他の「星たち」,つまり神のほかの霊の子たちを,自分の反逆の歩みに加わらせることができました。(ヨブ 38:7と比較。そのところで,神の霊の子たちは「明けの星」と呼ばれています。)この事は,ノアの時代の全地球的な大洪水の前に起きました。数多くのみ使いたちが,神の目的に逆らって天における「そのあるべき居どころを捨て」,肉体を着けて人間の女たちと住み,ネフィリムとして知られる合いの子の子供たちを生ませました。その事についてこう記されています。

      「さて,人が地の表に増え始め,彼らに娘たちが生まれると,その時,真の神の子たちは人の娘たちに,それらが器量が良いのに目を留めるようになった。そして彼らは自分のために妻を,すなわちすべて自分の選ぶところの者をめとり始めた。……真の神の子たちが人の娘たちと関係を持ち続け,彼女たちが彼らに息子たちを産んだその当時,またその後にも,ネフィリムが地にいたが,それらは昔の強大な者たちであり,名のある人びとであった」― 創世 6:1-4。

      洪水のさい,これら神の子たちはその妻と合いの子の子孫たちを失いました。彼ら自身は物質の体を離れなければなりませんでした。その後彼らに何が起きたかについて聖書はこう伝えています。「神(は),罪を犯したみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密なやみの穴に引き渡された」。(ペテロ第二 2:4)そして,ユダ 6節はさらにこう述べています。「[エホバは,]自分本来の立場を保たず,そのあるべき居どころを捨てた使いたちを,大いなる日の裁きのために,とこしえのなわめをもって濃密なやみのもとに留め置いておられ(る)」。

      これらの描写は霊の被造物に関するものですから,「濃密なやみの穴」とか「とこしえのなわめ」という言葉が文字どおりのものを指していないことは明らかです。これらの表現はただ,拘束の様子,また,神から全く啓発を受けられない卑しめられた状態を表わしているにすぎません。

      これら不従順なみ使いたちが,ホメロスの「イリアド」に出て来る神話的なタルタロス,つまり,霊者であるクロノスや他のティタンたちの閉じ込められているとされる最も低い獄のような所にいると考えるべき聖書的な根拠はありません。使徒ペテロは,そうした神話的な神々をどれも信じてはいませんでした。それゆえ,『タルタロスに投げ込む』というギリシャ語の表現を用いたペテロが,それよりおよそ九世紀前にホメロスの言及した神話的な場所の実在を示唆していたと判断すべき理由はありません。事実,『タルタロスに投げ込む』という表現は,ギリシャ語ではただ一語,タルタローという動詞です。この語は,卑しめて最も低い地位に落とす,という意味でも使われます。

      例えば,英語のdebase(卑しめる)という語には,base(基底)という名詞が含まれています。しかし,debaseという語が使われる場合,その『卑しめる』という行為には,文字どおり空間的な意味での「基底」という意味合いは含まれていません。同様に,『タルタロスに投げ込む』と訳されるギリシャ語動詞についても,実際の場所が存在することを示唆していると見る必要はありません。それはひとつの状態を指しているのです。

      ペテロ第一 3章19,20節の中で,これら卑しめられた霊の被造物は「獄にある霊たち」と呼ばれています。それは,「かつてノアの日に神がしんぼうして待っておられた時に不従順であった者たち」です。こうして聖書は,「罪を犯したみ使いたち」が洪水の後一種の抑制状態に置かれたことを明らかにしています。これら霊たちが洪水後にも物質の体を着けて地上で見える活動を行ないえたと聖書は示していません。それゆえ,彼らはその置かれた抑制状態のゆえにもはや肉体を着けることができなくなった,と考えられます。

      悪霊の影響に注意する

      不従順なみ使いたちは今や悪霊として知られるようになりましたが,人間たちと緊密な交わりを持ちたいという強い欲望をなお捨てていません。この点に注意すべきです。彼らは人間の女たちを妻として持つ快楽のために自分の天の地位を放棄することをためらいませんでした。聖書中の証拠は,彼らがそうした身体的な接触をもはや持てないように抑制されてはいても,依然同じ欲望を抱いていることを示しています。彼らは,人間と接触し,さらには人間を支配するために,自分に開かれたあらゆる手だてを用いようとします。イエス・キリストは,比喩的な表現を用いつつそのことについて述べました。

      「汚れた霊は,人から出て来ると,休み場を捜し求めて乾ききった所を通りますが,どこにも見つかりません。そこで,『出て来た自分の家に戻ろう』と言います。そして着いてみると,それは空いていますが,きれいに掃かれ,飾りつけられています。そこで,出かけて行って自分より邪悪な七つの異なった霊を連れて行き,彼らは中にはいってそこに住みつきます。こうして,その人の最終的なありさまは最初より悪くなります」― マタイ 12:43-45。

      それゆえ,人は,悪霊の影響に屈することのないよう警戒していることが大切です。自分自身また自分の将来について非常におぼつかない気持ちになることがあるかもしれません。物事が自分にとってうまくゆくというなんらかの保証をどうしても得たいと感ずる場合もあるでしょう。あるいは,秘術に伴う超自然的で不思議な現象に気を引かれることもあるでしょう。将来を正確に予言できるとされる人のことについて耳にする場合もあるでしょう。霊応盤,ESP(超感覚的知覚),茶わんの中での茶の葉の模様,水面に浮かぶ油の形状,占い棒,振り子,恒星や惑星の位置や運動(占星術),犬のほえ方,鳥の飛び方,へびの動き方,水晶球を見ることなど,いろいろな占いの方法について知るようになるかもしれません。自分の置かれた状況が非常に絶望的に見え,あるいは,非常な魅惑を感じて,易者や霊媒に相談し,何かの占いをしてみようと思うかもしれません。なんでもともかく一度試してみたいという気持ちになるのです。

      それは賢明なことですか。絶対にそうではありません。そうした好奇心がもとになって悪霊に支配されるようになることがあるのです。そうした歩みは安らぎや慰めをもたらすというよりは,むしろ事態を悪化させるだけのものとなりかねません。超自然的な妨害のために眠りを奪われ,白昼さえ恐怖に満たされることがあります。自殺を,あるいは他の人を殺すことを促す不思議な声が聞こえてきたりもします。

      それゆえ,そうした危険を避け,いっさいの占いから離れているほうが賢明ではありませんか。エホバ神はこの問題を軽視されません。イスラエル人が邪悪な霊たちに欺かれたり害されたりすることがないようにするために,エホバは占いの習慣を重大な罪とし,律法の中でこう述べられました。「男か女で,その内に霊媒の霊や予言の霊がある者,その者は必ず死に処せられねばならない」― レビ 20:27。

      霊媒,呪術,占いなどに対する神の見方は変わっていません。神の定めは,心霊術を常習にする者すべてを依然として明確に非としています。―啓示 21:8。

      それゆえ,邪悪な霊の被造物に欺かれることのないよう懸命に努力してください。不思議な声を聞くことがあり,それが死んだ友人や親族のものであると言われるとしても,決してそれに耳を傾けてはなりません。真の神エホバの名を呼び求め,悪霊の影響に抵抗するための助けを求めてください。まさに神のみ子が忠告したとおり,『わたしを邪悪な者から救い出してください』ということを,自分の願い,また祈りとしてください。(マタイ 6:13)占いと関係のある物品に関しては,古代エフェソスで真の崇拝を受け入れた人々の手本に倣ってください。「魔術を行なっていたかなり大ぜいの者が自分たちの本を持って来て集め,みんなの前で燃やした」。それらの品は高価なものでしたが,それを焼き捨てることをためらいませんでした。―使徒 19:19。

      こうした例を考えるとき,秘術に手を出していることで知られている人々とわざわざ交わりを持ったり,そうした人たちから何か物を受け取ったりするのは正しいことでしょうか。そうしたものが媒介となって悪霊の影響を受けるようにならないでしょうか。

      出どころのはっきり分からない声,物音,人影など,超自然的で不思議な現象の起きることがありますが,そうしたものの背後には邪悪な霊の働いている場合が少なくありません。この点を認めておくことが,欺きから身を守るための大きな要素となります。この点を知っていれば,死者を恐れたり,死者のための無価値な儀式にとらわれたりしないですみます。また,それによって,邪悪な霊たちからの攻撃の犠牲になるようなことからも守られます。

      しかし,サタンと配下の悪霊たちが死者に関してなした欺きのすべての面からしっかり身を守るためには,聖書の全体を信じ,それに一致して行動しなければなりません。聖書は,その全体が,霊感によって記された神の言葉であるからです。

  • 地獄は熱い所ですか
    今ある命がすべてですか
    • 第11章

      地獄は熱い所ですか

      聖書の多くの翻訳は「地獄」(hell)と呼ばれる場所について述べているのではありませんか。そうです,聖書の多くの翻訳はこの表現を使っています。しかし,問題は,「地獄」と呼ばれる場所に関して牧師の教えてきた事柄が聖書から出ているのか,それとも何かほかのところから出ているのか,という点です。

      キリスト教世界の教会員だけでなく,キリスト教以外の宗教の多くの信徒たちも,責め苦のある地獄について教えられてきました。地獄に閉じ込められた人々の受ける責め苦に関していろいろな書物の述べるところを読むことには興味深いものがあります。

      七世紀に書かれた,キリスト教以外の宗教のある「聖典」は次のように述べています。

      「地獄!―彼らはそこで焼かれる ― いまわしい寝床(げに,そこに横たわるなら)!―まさしくそのような所 ― ついで彼らは味わう ― 煮えたぎる液体を,そしてまた,暗く陰気な極寒の液体

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