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  • 愛は多くの罪を覆う
    ものみの塔 1975 | 9月1日
    • 彼らに訓戒や忠告を与えられました。(ルカ 22:25-27)そして彼らはついに学び,後日一致して共に働き,目立つ地位や名声を執念ぶかく求める者は一人もいませんでした。

      25 (イ)愛で罪を覆う場合どんな良い結果が生まれますか。(ロ)今,互いに対して熱烈な愛を抱くことはなぜそれほど重要なことですか。

      25 確かに愛は「多くの罪」を覆います。実際,わたしたちは,人を許し,またお互いに助け諭し合って愛を実践するとき,罪のために永続的な害やいさかいが起こることのないよう防ぐことができます。歴史上のこの危機の時における愛の重要性について使徒ペテロが述べたことを決して忘れてはなりません。「すべての事物の終わりが近づきました。ですから,健全な思いをもち,祈りのために目ざめていなさい。何よりも互いに対して熱烈な愛をいだきなさい。愛は多くの罪を覆うからです」と彼は言いました。確かにわたしたちは今熱烈な愛を培う必要があります。わたしたちが神の立てられる義の新体制に生き残れるかどうかは,わたしたちがその愛を培うかどうかにかかっています。―ペテロ第一 4:7,8。

  • あなたの命はどれほど貴重ですか
    ものみの塔 1975 | 9月1日
    • あなたの命はどれほど貴重ですか

      たいていの人にとって命は宝です。命がなければすべてのものは無です。命をそれほど大切にしない人もいます。彼らははかない名声や快楽のために大きな危険を冒すことをいといません。それでも命を安く見積っているように見える人の大多数は,得られるだけの快楽や名声を短い時間内に詰め込もうとします。その生き方は,もし良い状態の下で生きられるものならば,彼らが実際には永い命を愛していることを物語っています。しかし現実の悪い環境のために,彼らは命が幸福で永いものになる可能性はないとみているのです。

      創造者はご自身が人類に授けた命をどのようにごらんになっていますか。創造者の目に命は最も貴重なものであり宝です。創造者は最も豊かな命を持ち,命がどんなものであり,またどんなものになり得るかをご存じです。それゆえにみ子イエス・キリストを通して永遠の命を得る機会を人類に差し伸べておられるのです。そしてだれもこのすばらしい賜物を得そこなうことのないようにと望まれているのです。―ヨハネ 6:51。

      あなたの命はあなたにとってどれほど貴重ですか。それを長らえることを望まれますか。命を得させる創造者の備えを活用する人々は,絶滅からの救いを保証されています。なるほど病気や他の原因で今死ぬことはあるかもしれませんが,来るべきイエス・キリストの千年統治のあいだこの地上に復活されることを全く確信できます。(ヨハネ 5:28,29)神は多くの,何百万もの人々をさえ,正義の「新しい地」に救い入れようとしておられます。そして,その新しい地は今や近づいているのです。―ペテロ第二 3:13。啓示 20:4,6; 7:9-17。

      神に仕える人々の中で各個人について言えば,千年にわたるキリストの平和の支配に先だって起こらねばならない現在の事物の体制の滅びに至るまで,そして滅びを通って生き残ることがすべての人に保証されているとは言えません。(ペテロ第二 3:10-13。啓示 19:19-21; 20:1-4)しかし神は文字になったそのみことばの中で,神の民が集団としては保護され,正義の「新しい地」に救い入れられることを保証しておられます。(そして神が偽ることはありません。)(テトス 1:2)神は彼らが死ぬことではなく生きること,そして永遠に豊かに生きることを望まれているのです。―エゼキエル 18:23,32。

      『大いなる救いの杯』をとる

      ご自分の民をこのように愛される神は,詩篇作者に霊感を与えてその体験を書き記させました。(実際にはこの詩篇作者はイスラエル国民全体を代表する者として自分自身のことを書いたようです。)彼は神の敵また神の民の敵によって自分の命が風前のともしびとなる事態を経験しました。そのとき神は彼を死から救われたのです。使徒パウロは詩篇 116篇10節にある詩篇作者のことばを引用してそれを自分自身と仲間のクリスチャンに適用しています。(コリント第二 4:13)感謝の心を抱いて詩篇作者はその喜びをこう語りました。

      「わたしに対するその恩恵のすべてについて,わたしはエホバに何をお返ししようか。わたしは偉大な救いの杯をかかげ,エホバのみ名を呼び求めよう。わたしは,自分の誓いをエホバに果たそう。ああ,その民すべての前で」― 詩 116:12-14,新。

      この美しい詩篇 116篇は,現代においては第一次世界大戦の苦難と危険を切り抜けてのち,すなわち1919年以降のキリストの油そそがれた弟子の残りの者に適用されます。しかし彼らと,またキリストの「ほかの羊」の「大群衆」にとって,「大患難」の時における,いっそう大きな救いが前途にあります。それで「大患難」の時に神が地から悪しき者を除くことによって危険から救われるとき,彼らは平安を得るでしょう。(箴 21:18)次いで神のメシアの王国の千年期にわたって忠節な人々はずっと守られます。啓示 7章9節から17節の忠節な「大群衆」の人々は清められた地に永遠に生きる者となるでしょう。

      詩篇作者は「杯」のことを述べています。杯には飲み物あるいは詩篇作者の時代に行なわれたように「飲みもののささげ物」としてエホバにそそがれるものが満たされます。(民数 28:7。フィリピ 2:17)エホバは「大患難」を通してご自分の民を保護し,こうして彼らに大いなる「救いの杯」を与えることをされます。(啓示 7:14)メシアが全地を治める千年のあいだ,彼らは自分たちに施された「偉大な救い」を飲み,「生ける者の地で」命を享受します。(詩 116:9,新)そのとき彼らはそのすべての業が祝福され,導かれるようにメシアを通してエホバのみ名を呼ぶことでしょう。

      エホバに誓いを果たす

      救われた人々がエホバに果たさなければならない「誓い」とは何ですか。神の敵の手によって死の危険に直面したとき,彼らは神から救いを施されることを願って何らかの誓い,神に対する厳しゅくな約束をしましたか。もしそうであれば,彼らはそのような「誓い」をエホバに果たすでしょう。エホバは彼らの誓いに一致して行動し,彼らを保護されたからです。彼らはその誓ったことを「その民すべての前で」果たし,こうしてみ名を公に賛美します。

      エホバの守護に感謝しつつ,ことばを続けた詩篇作者は,エホバの正義の原則に従って生きる人々の命がエホバの目に貴重なものであることを強調しています。「その忠節な者たちの死は,エホバの目に貴い。ああ,エホバよ,わたしはまことにあなたのしもべです。わたしはあなたのしもべ,あなたのはしための子です。あなたはわたしのひもを解かれました」。(詩 116:15,16,新)詩篇作者は自分が保護されたことから,エホバに忠節な者とみなされたことを,感謝に満ちた心のうちに知っていました。彼は死の恐ろしい危険の中にありましたが,彼を死につないでいるように見えたひもはエホバによって解かれたのです。彼は自分のことを「[エホバの]はしための子」と呼んでいます。それは彼がエホバの民の一人であることを単に示すものと思われます。彼は自分がエホバの目に忠節なしもべの一人とされたことを悟っていました。

      忠節な者の死は「貴い」

      忠節な者の死はどのように「エホバの目に貴い」のですか。詩篇作者がそうであったように,彼らはエホバにとって貴重な奴隷です。ご自分のしもべに対する愛に満ちたご親切のゆえに,神はしもべの命を救われました。人の命は,もしその人がエホバの崇拝者としてそれを正しく用いるならば,エホバの目にとくに貴重なものです。忠実な者の命をそのように見られているゆえに,エホバは彼らの集団的な死という事態の起こることを許しません。もちろん,忠節な者たちはこのことに対して認識と感謝を言い表わすでしょう。彼らにとって命はきわめて貴いからです。エホバがしもべたちの命を深く思いやられているのは,エホバのすばらしい資質のゆえです。エホバにとって彼らの死は払うことのできない大きな値であり,それゆえに彼らの死ぬようなことをエホバは許されません。―ローマ 8:35-39。

      ここでエホバの大きな愛のみならず,宇宙における公正と正義に対するエホバの配慮が,造られた者すべての益のために示されています。神の忠節な民に対して神の敵が勝ち誇り,彼らを地の表から一掃するようなことを神が許すならば,それは神の宇宙主権,天と地に対する神の支配権に汚点となるでしょう。神は地の創造者であって,神に忠節な者たちのために地球を創造されたのです。(イザヤ 45:18)神の敵によるたとえ最も激しい,最も卑劣な攻撃の下であろうと,神が忠節な人々のグループを地に生きながらえさせることをなし得ないとすれば,神の敵は神よりも強く,だれが地に永遠に住むかを決定する権利を持つかのような印象を与えることになるでしょう。神はこのような事によってご自分のみ名のみならず地の支配権,事実,全宇宙の至上権がそしられ,非難されることを許さないでしょう。

      そのうえ,忠節な者たちの集団が地から一掃されるようなことをエホバが許すならば,神の偉大な霊的神殿の,地上にある中庭にはだれも残らないことになります。「新しい天」の下に住む「新しい地」すなわち正義の人類社会の基礎また土台が無くなってしまうでしょう。(啓示 21:1)では地上の民がいなくて,どうしてメシアの千年統治が始まるでしょうか。そのようなことはあり得ません。地上にいる神の忠節な者のグループ全体の死は,エホバにとって余りに貴重な,あまりにも高価なことと言えるでしょう。ご自身を尊重するゆえに,エホバはそのようなことを許しません。

      感謝のささげもの

      エホバが「ほかの羊」の「大群衆」を救って地上に生きながらえさせたことに対し,また,地球を義の宿る場所にする目的と約束を成し遂げられたことに対して,「患難」を生き残った人々は心からの賛美と感謝をささげるでしょう。彼ら自ら生きて生活を楽しむことを望んでいるのと同じく,エホバは彼らが生きることを望まれています。霊的イスラエルの残りの者に加えて彼らも詩篇作者と同じように言うことでしょう。

      「わたしはあなたに感謝の犠牲をささげ,エホバのみ名を呼び求めます。わたしは自分の誓いをエホバに果たそう。ああ,その民すべての前で。エホバの家の中庭で。エルサレムよ,あなたのただ中で。あなたがたは,ヤハを賛美せよ!」―詩 116:17-19。

      「大患難」を生き残る油そそがれた残りの者と「大群衆」は,救われたことに対してエホバに感謝と賛美の犠牲をささげるでしょう。彼らは,世界的洪水を神の守護によって生き残ったノアとその家族が感謝の大きなささげ物をささげたのと同じ気持ちでそのことをします。(創世 8:20,21)それから地上の「大群衆」は,何十億もの人々が地上に復活するのを見る,さらに大きな喜びを経験することでしょう。復活する人々は生命という願わしい宝をとらえる機会を与えられるのです。―啓示 20:11-15。

      あなたはご自分の命をどう評価されますか。死の恐れなしに完全な健康で,平和な楽園の地に永遠に生きるのは価値あることと思われますか。今日,生活はある場合に難しいかもしれません。しかし良い環境の下で生活がどんなにすばらしいものとなり得るかをご存じのエホバは,そのような環境をもたらすことを目的としておられます。エホバはあなたと,そして他のすべての人が,みことば聖書を通して差し伸べられている機会をとらえることを望まれています。

      わたしたちに対してエホバが何を目的とされているかを知るとき,わたしたちはエホバを知って愛するようになり,その忠節な民となることができます。そして最も幸いな前途を望み見るようになるのです。エホバは命すなわちご自身が人類を創造して楽しませようとされた真の命の源です。この理由で,「あなたがたは,ヤハを賛美せよ!」という詩篇作者の叫びを,わたしたちは全くふさわしいものと認めることができます。この表現はヘブライ語の「ハレルヤ」であり,ヘブライ語聖書中に何回も現われています。そのギリシャ語の形は聖書巻末の本である啓示すなわち黙示録の終わり近くに出ています。(啓示 19:1-6)神のみ名を宣明している人々は,エホバの尊厳,愛に満ちたご親切と崇高さの証人です。

      今日,クリスチャンはエホバの霊的な神殿にあって彼らの偉大な大祭司イエス・キリストを通してこの賛美をささげています。これは地上の建物ではありません。しかし彼らは「王国会館」と呼ばれる建物で聖書研究と崇拝のために集まります。彼らはまた関心を持つ人々と無料で聖書研究を行ないます。命を愛する人はだれでも彼らに加わり,神のことばを深く調べ,神の目的と約束についてさらに学び,彼らと一致して真の崇拝をすることができます。生き残って永遠の命に至る大いなる前途が,彼らの受ける幸福な分となることでしょう。

  • 神の主権を認めることには益がある
    ものみの塔 1975 | 9月1日
    • 神の主権を認めることには益がある

      今日,207の土地や海洋の島々で幾百万もの人々が真の神エホバについて学んでいます。彼らは神の主権を認めてその生活を改め,神の規準に基づいて善悪を判断し,行動するようになっています。それらの人々の中には,富んでいる人もいれば貧しい人もおり,法律をよく守る善良な市民もおれば,かつては犯罪者だった人もいます。また宗教に幻滅していた人だけでなく,宗教に非常に熱心であった人もいます。まったくのところ,「あらゆる人」がいます。―テモテ第一 2:4。

      神の主権を認めるとき,人はどんな影響を受けますか。それは人の益になりますか。わたしたちは益を期待します。というのは聖書は,『義者と悪しきものと神に仕えるものと仕えざる者との区別』について述べているからです。(マラキ 3:18)そうした区別を,わたしたちは今日目にすることができるでしょうか。

      神の主権に従う生活をするために人々が行なわなければならない調整は,多くの場合それほど大きなものではないようです。しかし時には驚くべき変化が見られることがあります。最近の例を幾つか考えてみましょう。

      重いゆううつ症を克服する

      重い病気は,人の生活をみじめなものにしがちです。そのような境遇にある人に,神に関する知識はどんな影響を与えるでしょうか。精神分裂症にかかってひどく苦しんでいたエルサルバドルのある婦人は,次のように経験を語りました。

      「人に会いたくないためにわたしはいつも,山の中のような人気のない場所を求めて歩いたり,一日じゅう寝室に閉じこもって過ごすのが常でした。一人になるとわたしは,自暴自棄になり,地面に身を投げ出してごろごろころがり回ったものでした。家族はわたしを診療所や病院に連れて行ったり専門医に

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