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    目ざめよ! 1974 | 8月22日
    • 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

      ローマ人への手紙

      なぜ有益か

      20 (イ)ローマ人への書は,神の存在を信ずるどんな論理的理由を提出していますか。(ロ)神の義とあわれみはどのような例えで説明されていますか。それに基づいてパウロはなんと叫びますか。

      20 ローマ人への書は,「神の見えない特質,実に,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見える」と述べて,神の存在を信ずる論理的な根拠を提出しています。しかし,それだけではありません。この書はさらに神の義をたたえ,神の深いあわれみと,わたしたちに対する過分のご親切とを知らせています。その点は,生来の枝が切り落とされたのちに野生の枝が接がれたという,オリーブの木の例えで美しく描かれています。こうした神の厳しさとそのご親切とを思い見て,パウロはこう叫びます。「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きはなんと探りがたく,その道はなんとたどり出すことのおよばないものなのでしょう」。―ローマ 1:20; 11:33。

      21 ローマ人への書は神の神聖な奥義のいっそうの発展をどのように示していますか。

      21 また,この点に関連して,ローマ人への書は,神の神聖な奥義のいっそうの発展についても説明しています。クリスチャン会衆内において,ユダヤ人と異邦人の区別はもはやなく,あらゆる国の人が,イエス・キリストを通してエホバの過分のご親切にあずかることができます。「神に不公平はない」のです。「内面のユダヤ人がユダヤ人なのであり,その人の割礼は霊による心の割礼で,書かれた法典によるものではありません」。「ユダヤ人とギリシャ人の間に差別はないからです。すべての者の上に同じ主がおられ,このかたは自分を呼び求めるすべての者に対して豊かなのです」。これらのすべての者が「義」とみなされるのは,信仰によるのであり,業によるのではありません。―ローマ 2:11,29; 10:12; 3:28。

      22 ローマ人への書は会衆外の人々との関係についてどんな実際的助言を与えていますか。

      22 ローマのクリスチャンにあてられたこの手紙に含まれる実際的な助言は,自分とは異質の世界で同様の問題に直面する今日のクリスチャンにとっても等しく有益です。クリスチャンは,会衆外の人々を含め,「すべての人に対して平和を求め」るように諭されています。すべての魂は「上にある権威に服」さなければなりません。それは神の取決めであり,法に従う者ではなく,悪行を行なう者が恐れるべきものだからです。クリスチャンは法に従ってそれに服すべき立場にあります。それは処罰に対する恐れのためだけではなく,クリスチャンとしての良心のためでもあり,そのゆえにクリスチャンは,税を納め,当然払うべきものを払い,自分の務めを果たし,「互いに愛し合うことのほかは」だれにも何も負わないようにします。―ローマ 12:17-21; 13:1-10。

      23 パウロは公に宣言することの大切さをどのように強調していますか。宣教奉仕のための備えという点で彼はどのような手本を示していますか。

      23 パウロは公の証しということを強調しています。人が義のために信仰を働かせるのは心においてですが,救いのために公の宣言をするのは口によります。「エホバのみ名を呼び求める者はみな救われ」ます。しかし,これがなされるためには,宣べ伝える者が出かけて行って「良い事がらについての良いたよりを宣明する」ことが必要です。その宣べ伝える者の音は「人の住む地の果てにまで」達していますが,その仲間に加わっているなら,その人は幸福です。(ローマ 10:13,15,18)そしてわたしたちは,この宣べ伝える業に備えるため,パウロと同じように霊感の聖書に通暁する努力を行なえますように。パウロは,この一節(10:11-21)の中だけで,ヘブライ語聖書のことばを次から次へと数多く引用しています。(イザヤ 28:16。ヨエル 2:32。イザヤ 52:7; 53:1。詩 19:4。申命 32:21。イザヤ 65:1,2)パウロが次のように言えたのももっともです。「以前に書かれた事がらはみなわたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」― ローマ 15:4。

      24 熱意や,会衆内の人たちとの幸福な関係を育て上げるために,パウロはどんな忠告を与えていますか。

      24 クリスチャン会衆内での人と人との関係について実際的な忠告がすばらしい形で与えられています。以前の国家的,人種的,また社会的背景がどのようなものであるにせよ,すべての人は,「善にして受け入れられる完全なご意志」にしたがって神聖な奉仕を神にささげるため,自分の思いを作り直さなければなりません。(ローマ 11:17-22; 12:1,2)ローマ 12章3-16節のパウロの助言には,その全体に実際性と分別性が息づいているではありませんか。そこにはまさに,クリスチャン会衆内のすべての人の間に熱意と謙遜さと優しい愛情とを育て上げる優れた訓戒のことばがあります。結びの幾つかの章の中で,パウロは,分裂を引き起こす人々に警戒し,そうした人々を避けるようにと強く訓戒していますが,また,会衆内での清い交わりを通して互いに得る喜びとさわやかさについても述べています。―16:17-19; 15:7,32。

      25 (イ)ローマ人への書は,神の王国に関してどんな正しい見方,またいっそうの理解を与えていますか。(ロ)ローマ人への書を研究することはどのような点でわたしたちの益になるはずですか。

      25 クリスチャンとして,わたしたちは互いどうしの関係を終始見守らねばなりません。「神の王国は,食べることや飲むことではなく,義と平和と聖霊による喜びとを意味しているからです」。(ローマ 14:17)この義と平和と喜びは,「キリストと共同の相続人」となり,天の王国でキリストと「ともに栄光を受ける」人々が特に受ける分です。また,ローマ人への書が,「平和を与えてくださる神は,まもなくサタンをあなたがたの足の下に砕かれるでしょう」と述べて,エデンで与えられた王国に関する約束がどのように実現するかについてさらに詳細な点を指摘していることにも注意してください。(ローマ 8:17; 16:20。創世 3:15)こうした偉大な真理を信じつつ,わたしたちは引き続きあらんかぎりの喜びと平和に満たされ,希望に満ちあふれることができますように。そして,わたしたちの決意は,王国の胤とともに最終的に勝利を得ることでありますように。わたしたちは,上の天にあるものも,下の地にあるものも,「またほかのどんな創造物も,わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛からわたしたちを引き離しえないことを」確信しているからです。―ローマ 8:39; 15:13。

  • 聖書の第46番めの本 ― コリント人への第一の手紙
    目ざめよ! 1974 | 8月22日
    • 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

      聖書の第46番めの本 ― コリント人への第一の手紙

      筆者: パウロ

      書かれた場所: エフェソス

      書き終えられた時期: 西暦55年ごろ

      含まれている時代: 確定できない

      1 パウロの時代のコリントはどんな都市でしたか。

      コリントは,「東西の悪徳が相会する,世に聞こえた肉欲の町」でした。a ペロポネソス半島と大陸部ギリシャとを結ぶ細長い地狭に位置したコリントは,ギリシャ本土への陸上路を制していました。使徒パウロの時代に,この都市は推定40万の人口でにぎわっていました。市の東方にはエーゲ海があり,西方にはコリント湾を経てイオニア海が広がっていました。こうして,アカイア州の首都であり,ケンクレアとレキオムの二つの港を擁するコリントは,商業的な意味で戦略上の要地を占めていました。それはまた,ギリシャの学芸の中心地の一つでもありました。「その富財は広く知られてまさに格言的な存在であり,その住民の悪徳と放とうぶりも広く知られていた」と言われています。b この市の異教的な宗教習慣の中にはビーナスの崇拝も含まれており,それはきわめてみだらな方法でなされました。公の売春は市の宗教活動の一環をなしていました。

      2 コリント会衆はどのようにして設立されましたか。したがって,その会衆には,パウロとの間にどんなきずながありましたか。

      2 経済的には繁栄し,道徳的には退廃した,ローマ世界のこの都市に使徒パウロが旅をしたのは西暦50年ごろのことです。彼が18か月滞在している間にここにクリスチャン会衆が設立されました。(使徒 18:1-11)キリストについての良いたよりを自分が最初に伝えたこの地の信者たちに対してパウロは非常に深い愛を感じていました。彼は手紙の中で次のように述べて,互いの間に存在する霊的なきずなについて思い出させています。「あなたがたにはキリストにあって一万人の養育係りがいるとしても,決して多くの父親はいないのです。キリスト・イエスにあって,わたしが,良いたよりを通してあなたがたの父親となったからです」― コリント第一 4:15。

      3 パウロをしてコリント人への第一の手紙を書かせたものはなんですか。

      3 パウロがコリントのクリスチャンたちにあてて最初の手紙を書いたのは彼らの霊的な福祉に対する深い関心のためです。それは彼の三度めの宣教旅行中のことでした。彼がコリントに在住していた時以来幾年かたっており,西暦55年ごろになっていました。パウロはエフェソスにいました。明らかにパウロはこの比較的に新しいコリント会衆からの手紙を受け取り,その手紙が返事を求めていたものと思われます。加えて,穏やかならぬ知らせがパウロのもとに達していました。(コリント第一 7:1; 1:11; 5:1; 11:18)その知らせがあまりに悲しいものであったため,パウロは自分の手紙の第七章の初めに至るまで,彼らからの問い合わせの手紙についてはひとこともふれていません。自分の受け取ったそうした知らせのゆえにこそ,パウロはコリントにいる仲間のクリスチャンたちにあてて手紙を書く必要を痛切に感じたのです。

      4 どんな証拠から,パウロがこの手紙をエフェソスで書いたと言えますか。

      4 しかし,パウロがコリント第一の書をエフェソスで書いたということがどうしてわかるでしょうか。一つの点として,あいさつのことばでその手紙を結ぶにあたり,パウロはアクラとプリスカ(プリスキラ)からのあいさつを含めています。(コリント第一 16:19)使徒 18章18,19節は,この二人がコリントからエフェソスに移ったことを示しています。アクラとプリスキラがエフェソスに在住していたこと,そして,コリント第一の書の結びのあいさつを送った人々の中にこの二人が含まれていることから見て,パウロはこの手紙を記した時エフェソスにいたものと考えられます。そしてさらに,不確かさを全く残さない点として,コリント第一 16章8節のパウロの次のことばがあります。「しかし,ペンテコステの祭りまでは,エフェソスにとどまるつもりです」。したがって,コリント第一の書は,パウロによってエフェソスにおいて,明らかにそのエフェソス滞在の終わり近くに書かれました。

      5 コリント人への第一,第二の手紙の典拠性を何が立証していますか。

      5 コリント第一また第二の書の典拠性

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